Side F 29(Fumine Hinokuchi) 千尋ちゃんの試練

「千尋ちゃん!」

 あたしは、つい感極まって、これから撮影だということも忘れて、抱擁ハグをした。

 中学校を卒業して、実に4ヶ月ぶりくらいの再会。たかが4ヶ月なのかもしれないが、夢を追って、親の反対も押し切って、故郷、熊本を離れたこともあり、涙が溢れ出るほど懐かしかった。

 特に千尋ちゃんは、あたしをこの世界に引き入れた大切なキーパーソン。彼女がいなければ、地元で平々凡々な高校生活を送っていたことだろう。それだけに嬉しい。

 もちろん、あたしにとってのキーパーソンは千尋ちゃん以外にもいるのだが、部員の多くとあたし自身が、宮本先輩のスカウトについて懐疑的で、今村さんがヒロインに相応しいと考えていたところを、メイクによって壇上で輝けるあたしもいることに気づかせてくれて、内向的で庸劣ようれつな自分に新たなる可能性を見出してくれた。言わば『恩人』なのだ。


 見た目だけでなく、心も明るくする魔法のようなメイクの技術は、ずっと磨いていって欲しいと思っていたところだ。

「あたしね、詞音ちゃんをメイクして本当に良かったって思ってて、県立第三高校の芸術科に進んで、美術のを学んでるんだけど、映画のメイクアップ・アーティストになりたいと言ったら、ご縁あってウエムラさんと知り合って、弟子にしてもらったんだ」

 何と、千尋ちゃんは水前寺高校には進まずに、よりメイクの専門の道を早くから歩んでいたようだ。

「千尋はね、観客だけでなく演者自身も魔法にかける。それくらいのセンスを持ってると思うの。本来は、私がメイクアップ・アーティストとして、詞音しおんさん、イレーナさんのメイクをするところだけど、ここは1つ、千尋にお願いしようと思ってるの」ウエムラさんがにこやかに言った。

「ええっ!?」驚いたのは千尋ちゃん。きっといま初めて聞いたことなのだろう。

 無理もない。ウエムラさんは、予告なく千尋ちゃんにメイクを託したのだ。あたしたちと同じ、ちょっと前までは義務教育だった年端も行かぬ16歳。しかも、国内人気作家が原作を、世界的有名映画監督が手がける作品の、主演のメイクを任されたのだ。

 緊張しないわけがなかろう。

「やれるかしら? 20分で」

「は、はいっ! やります!」

 千尋ちゃんは、歯切れ良く返事した。緊張よりも勇み立つ気持ちのほうが勝っているのだろう。


 メイクアップ・アーティスト自体に国家資格はないが、髪の毛を触ることは美容師資格がない千尋ちゃんにはできないので、顔のメイクだけを担当することになる。

 先に前髪だけ上げて、にして、メイクに取り掛かる。

「いくね! 千尋ちゃん、今村ちゃん」

「お願いします」


 千尋ちゃんは、数多あるファンデーションを迷いなく選択し、ブラシに付けて肌に乗せていく。20分だから、1人10分で仕上げるのだ。かなりの手際の良さを求められる。みるみるうちに、のっぺら坊が利発な美人研究員に変わっていく。加えて、今村さんはハリウッド女優に比肩するくらいの美しさだ。あたしが思い付く限りの美の極限を追究したと言っても過言ではない。


 魔法だった。あたしが自分でメイクするのとはとても比較にならないクオリティー。そして、今村さんが普段してくるメイクよりも、千尋ちゃんのメイクの方が魅力を引き出していた。

「今村さん、きれい……」

 髪の毛をセットする前なのに、気付くとそんな言葉が口をついて出ていた。

 きっと、中学校を卒業してから一層メイクの技術を磨き続けたのだろう。中学生の頃と比べて、スピードもスキルも桁違いに増している。

「詞音、あなたもそこいらのモデルやアイドルが嫉妬するくらいの変化だよ」


 そして、ここからはウエムラさんによるヘアセットが始まる。千尋ちゃんは当然ながら緊張の面持ちだ。

「お願いします」

 ウエムラさんは、あたしたちの顔をめつすがめつ眺める。男性からこんなに間近で、顔を見られることは基本的にないので、あたしまで緊張する。

 あたし自身は、100点満点でも足りないくらいの出来栄えだと思うが、プロからするとどうなのだろうか。


「そうだね……」1分くらい眺めてからようやく口を開いた。「ただのメイクなら80点。でも映画の登場人物の、椎葉美砂、キャシーとしてのメイクと言うなら、残念ながら30点かな……」

 厳しい。というか、衝撃を受けた。こんなに綺麗なのに、どこがいけなかったのだろうか。

 千尋ちゃんも言葉を失っている。

「確かに、2人が演じる役が、ファッションモデルとかだったら、こういうメイクでも良いかもしれない。でも映画やドラマでは、その登場人物の第一印象はメイクで決まるの。例えば、色白で切れ長の瞳なら、ちょっととっつきにくい印象。色黒でポニーテールとかベリーショートなら、スポーティーな印象を与える。それは作中の人物がどういう性格で、どういう立場のどういう役割を持つのかによって変えていかないといけない。もっというと、映画監督が、観ている人にどのような印象を植えつけたいと思っているのかを、読み解かないといけない」


 ウエムラさんの発言を聞いて、確かにそうかも知れないと思った。例えば、容姿に強いコンプレックスを持つ女性キャラクターが、スーパーモデルのようなビジュアルじゃ、観客は困惑するだろう。

「いい? 千尋。あなたのメイクの技術は、高校生にしてはずば抜けてると思う。でも、映画のメイクは、美しさばかり狙っていってはダメだわ。漫画家も、アマチュアなら自分のタイプのイケメンばかり描いててもいいと思うけど、プロなら冴えないおじさんだって描けないといけない。それと似てるかな。この作品に登場する、美砂もキャシーも、表面上は気丈に振る舞ってるけど、ちゃんと心の中にネガティブな影の一面も共存させてるわ。そこを踏まえたメイクにしていかなきゃ。今日は、時間がないからアタシがメイクしちゃうけど、撮影は今日だけじゃないから、しっかり見て感じ取ってちょうだいね」

 さすがだ。ウエムラさんは、しっかりキャラクターを理解した上でメイクに臨んでいるのだ。特にキャシーは、一見完璧なエリート研究員そのもの。その分、心の弱みが見えにくい女性だ。今村さんが勘違いしていたように。


「じゃ、お二人さん。ゴメンね。千尋のメイクが気に入ってたかもしれないけど、やり直すね」

「お願いします」

 ファンデーションを一度落としてからは、魔法を飛び越えて異次元にトリップしたかのような、神業のようなメイクだった。

 美しいのは間違いなかった。しかし、美しさの中に深みや奥ゆかしさが共存している。若くして華やかで格好良い宇宙開発プロジェクトに携われる成功者として羨望を向けられながらも、裏に見え隠れする、プロジェクトの責務、期待、重圧、そして故郷を離れ孤軍奮闘するも、ふと感じるさ寂寥感せきりょうかん、虚無感、悲壮感に襲われる日々。

 そういったヒロインたちの様々なネガティブの感情まで投影したかのようなメイクだ。鏡で見て改めて、あたしが『ハーシェルの愁思』を読んでいたときに思い描いた女性像そのものだった。


「どうかしら?」

「スゴい……! スゴいです」

 メイクをしてもらっただけで、美砂が憑依しに舞い降りて来そうな錯覚すら感じた。


 千尋ちゃんもメイクを食い入るように見ていた。千尋ちゃんなら、きっと技術を自分のものにできるだろう。

 あたしも頑張らなきゃ、と自分で自分を激励した。そこには、さっきまであたしを襲っていた懊悩おうのうは消え去っていた。

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