Side P 28(Agui Moriyasu) 一縷の望み

「どうだった? 家族水入らずの休日は? リフレッシュできたかい?」

 休暇命令を受けて、3日ぶりの出勤だった。もちろん悪気はないのは分かるが、時任先生は往々にして、地雷を踏むような質問をズバッとしてくる。お土産を買うことも忘れるくらいショックだったのだ。表情を見れば分かるだろ、と言いたい。

 研究者としての人徳には溢れていると思うが、一般的なことに関して、空気の読めない発言をしたり、無意識に人を傷つけるようなことを聞いてしまうことがある。『研究者あるある』なのかもしれないが。


「──離婚しますよ」

 時任先生に、察してよというのは無理な要求かもしれないので、単刀直入に言うことにした。

「……は?」

 当然、こういう反応になるわなぁ、と心の中で呟く。

「先生、C世界での俺は、良好な夫婦関係、父娘おやこ関係を継続しているようでした。だから、離婚することがC世界を回避する条件だと思ったのです。この考えについてどう思いますか?」

 その考えに至ったのは舞理の方だが、取りあえず率直な見解を聞きたかったので、細かいことは割愛する。

「……なるほどな。さすがだな。ポアンカレくんは。ポアンカレくんはジュール=アンリ・ポアンカレでは飽き足らず、アルベルト・アインシュタインになりきろうとしているわけだな」

 時任先生の、この一見意味不イミフな発言だが、言わんとすることは分かる。

「それって、アインシュタインも離婚したからですか?」

「それなー!」

 一時期、若者のSNSで流行った言い回しで返答してきた。

 ちなみに、アインシュタインは、離婚の慰謝料をノーベル賞の賞金で払ったという逸話がある。慰謝料というだけあって、アインシュタインの不倫が原因であり、一方的に彼に非がある。このことに限って言えば、尊敬の念も同情の余地もない。


「俺の名誉のために念のため言っときますけど、女関係で離婚になったわけじゃないっすよ」

「それは、君のことだからないだろう。研究以外は器用でないと見ている」

「……」

 褒められているのかけなされているのか分からない。時任先生にちょっとというかかなりイラッとしたけど、離婚を突き付けられてくよくよしていたのが、ちょっと晴れたような気もする。


「……でな、さっきのポアンカレくんの考えだけど、半分は正しくて半分は正しくない。正確に言えば、正しいけど安心材料とは言い切れない」

 さすが、この人は頭の回転が速い。実は言うと俺も同じ結論だった。

「『離婚して巨大彗星が衝突』する別のパラレルワールド『C′シーダッシュ世界』の存在が否定できない。『離婚した世界』であれば『未来へのメール送信が成功している』という命題がである必要があるんだ」

 ごもっともな発言だ。だから、離婚は早計だと思っている。


「しかしだな──」時任先生は続ける。「あながち、この命題がじゃないとは言い切れない、とも思う」

「え?」離婚は正しい決断だったの、と心の中で問うた。

「なぜなら、C′世界から送られてきたとおぼしきメールはないだろう? 離婚して地球が危機に陥っているパラレルワールドが存在すれば、その世界にいる君からも、同じく窮状を伝えるメールが届いてもおかしくないだろう」

 確かにそうだ。C世界からのメールは確認されるが、C′世界はない。今のところであるが。


 時任先生はさらに続ける。

「悪いけど、君が未来から受け取ったメールを、全部見せてくれないか?」

「いいですけど、全部見事に文字化けしていますよ」

「もちろん、邨瀬くんの解読したやつな」

「分かりました」

 時任先生は、念のため確認したいのだろう。C′世界が存在しないことを。俺の離婚劇を無駄にしないために。



 正確に言えば、まだ離婚届は提出していなかった。離婚届には舞理のサインだけで、俺の署名はまだ空欄にしている。未練があるのは当然だし、本当にこの離婚に意味があるのかを、時任先生の見解を聞いてからにしたかったのだ。

 だから、家に帰れば舞理も詞音もいた。休暇前と同じ光景がそこにはあった。でも離婚したら、舞理だけでなく詞音も失うことになる。プロジェクトで多忙を極め、ロクに育児どころか家事全般なおざりになっている俺が、男手1人で詞音の面倒を見るのは、到底自信がなかった。詞音は俺に懐いていて、思う存分甘えたいはずなのに、申し訳なく思う。


 しかし、舞理の決意は固い。もともと、自分の考えは滅多なことがなければ曲げることはない。それが、大きな案件であればあるほど、意地とも言えるくらい自分の信念を貫き通すきらいがあった。

 本当にこのまま離れ離れになってしなうのだろうか。好きで繋がり合っているはずなのに離れ離れになることがとなってしまうのか。


 女々めめしいのは分かっている。でも、できれば少しでも、離婚という選択肢を回避できる方法がないか模索したい。かと言って、パラレルワールドの分岐点を見出みいだいとぐちすら見えていないのもまた事実。

 複雑な気持ちを抱えながらも、離婚が無駄な儀式に帰趨きすうしてしまうのはもっと嫌だ。諸々の葛藤の解決に向けて、一縷いちるの望みにすがる思いで、C世界の俺からのメールに、文字化けを翻訳した邨瀬のデータを添付して時任先生に送信した。



 翌日、俺が出勤するや否や、時任先生は俺に襲いかからんとばかりの勢いで、開口一番言った。

「ポアンカレくん! 結論が分かった! でも1つ、君のミスがあったぞ!」

「ミス?」

 俺は、未来の俺からメールを受信しただけだ。ミスなどと言われる筋合いはないと思うのに……。

「未解読メールが紛れていたぞ」

「嘘っ!?」

 受信したメールはすべてチェックしていたと思い込んでいた。文字化けのメールは、『縺』とか『繧』とか『繝』とか『縲』とか、漢検一級クラスのいとへんの漢字のオンパレードだから、パッと見ただけで判別が難しいと自分に言い訳をした。

「だから、至急、邨瀬くんに解読頼んだよ。そしたら、重要なメールがあった」

「マジっすか」

「重要! 重要! 超重要! 結論から言っていいか?」

「は、はい」

 時任先生が結論から言うときは、重要で、かつ疑いの余地のないほど明白な情報である。問題は、吉報か凶報かということだ。

「ポアンカレくん。残念ながら、地球を救うカギは、ずばりにあるようだ」


 『一縷の望み』と思っていたものは、『とどめの一撃』となって、俺を奈落に突き落とした。

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