Side F 27(Fumine Hinokuchi) しどろもどろの篁先生

「た、た、た、篁先生……!!」

 泣きそうになったと表現したが、前言撤回する。涙が溢れ出て、ついに泣いてしまった。

「僕も、お会いできて嬉しいです」

 篁未来先生は至って平身低頭であった。日本が誇る国民的作家なのに、一介の女子高生のあたしに、丁寧に接してくれる。


「もう、紹介は不要かもしれないけど、この子が椎葉美砂役の門河かどかわ詞音しおん、この子が、キャシー役のイレーナ・ミランコビッチだ」と、武蔵監督はあたしたちを芸名で紹介してくれた。ちょっとだけ面映おもはゆい。 

「イレーナ・ミランコビッチです」と、大人気作家を前にしても、凛とした面持ちで挨拶をする。

「えっと、閘……じゃなかった、か、門河詞音です」

 あたしは、どうも緊張で、せっかく自分で考えた芸名すらうまく言えない。憑依しているとき以外では、まったくダメな自分を、大好きな作家の前で露呈してしまっている。

 しかし、そのとき、篁先生の表情が変わった。


ひのくち、といま名乗られましたか?」

「は、はい。すみません、まだ本名が抜けきらなくて……」

「本名! ひょっとして、下の名前は、詞音ふみねさん?」

「……えっ!! ど、どうしてそれを……!?」

「あっ……!」

 すると、どういうわけか、急にバツが悪くなったかのように、篁先生はしどろもどろになる。聞き返してしまったのがまずかったか。

「……い、いや、む、武蔵監督が、ちょろっと、あなたの本名を口走っていたんですよ」

 どうも、篁先生の態度は、何かを隠している感じが否めなかったが、相手は憧れるくらいの好きな作家だから、追及はしないでおくことにする。


「ところで──」篁先生は、話題を切り替えてきた。「僕のファンでいてくれていると聞いたよ。本当に嬉しいよ」

「はい、大ファンです。全作品読破しましたし、『ハーシェルの愁思』も10回くらい読みました!」

「本当に!? 結構、高校生には難しい内容もあると思うのに」

「いえ、あたしは、宇宙が好きなんです。実は、お父さ、いえ、父が昔、あたしに宇宙のことをいろいろ教えてくれたので興味があるんです。でも──」

 この作品は万人受けするくらいの魅力が詰まっていると確信している。宇宙研究を題材にしているから、とっつきにくいかもしれないから、隠れた名作扱いされているけど。

「この作品は、宇宙にたとえ興味がなくても惹き込まれます。登場人物の成長の過程が本当に素敵で、読むたびに椎葉研究員に感情移入しました」

「本当に? そこまで熱く語ってくれる人はなかなかいないな。しかも高校生で……」

「現に、今む……、じゃなくてイレーナは、映画出演が決まってから原作を読んだんですけど、一気に惹き込まれて、キャシーが乗り移ったかのようになりました。ねぇ?」

 ここまでハイテンションで饒舌じょうぜつなあたしに面食らっているのか、今村さんは一歩引いている感じになっている。突然、あたしに同意を求められてびっくりしている様子だ。

「は、はい! 詞音の言うとおり、一気にファンになりました。他の作品もぜひ読んでみたいと思ってます」

「光栄だよ。僕の作品を、ここまでのファンの女優さんに演じてもらえることを、心から感謝します。完成が楽しみだよ」

「なるほど、篁さんの作品に彼女が主演で出ることは、運命だったんだな。こちらとしてもますます熱が入るよ。映画祭に出品したいな! 詞音しおん! イレーナ!」と、武蔵監督。

「は、はいっ!」

 あたしと今村さんは、襟を正して力強く返事をした。


 映画の撮影の大部分は、ここJAXA内部の施設を借りるとのことであった。しかも監修に、JAXA職員がつくとのこと。

「JAXAの監修も紹介しよう。星簇ほしむれ総括研究員だ。もうすぐこの部屋に来ると思う」

 JAXAの研究員か。『総括』なんて枕詞まくらことばがついているあたり、それだけで立派で仰々しい感じがする。きっと宇宙研究の第一人者でその道の天才。眼鏡をかけた白髪交じりの学者像が、頭の中を行ったり来たりする。


 がちゃりと扉が開いた。自然と背筋が伸びる。研究員だから、篁先生よりは気難しい人が来るのだろう、きっと。

「あ、こんにちは~! きゃー、この子なの? こんな可愛い子たちが、邨瀬むらせくんの映画に出るの?」

 登場したのは、白衣こそ纏っているが、ど派手な金髪ギャル。研究秘書? いや、どっかの学生? JAXAには全然似つかわしくない、水商売でもやってそうな女性がコスプレしているような、異様な風貌の女性だった。

「彼女が、監修の星簇慧那総括だ」

「へっ!?」

 素頓狂な声を上げてしまった。あの今村さんですら、目が点になっている。

「星簇でーす! こー見ても、リケジョよ、リケジョっ! 演技するんでしょ? もし、専門的なことで意味不イミフなことあったら、あたしに聞いてねっ!」

 最後は、キラキラした瞳をウインクした。バッサバサのつけまつげが、まばたきすることで風圧を感じるほどだった。

 いちばん意味不イミフなことは、なぜ金髪ギャルがJAXAでリケジョをやっているのか、ということだ。聞きたくて喉まで質問が出かかったが、ぐっとこらえた。



 夏休みを利用して撮影に入った。キャストは、テレビでも観たことのある大物俳優もいる。それもほとんど外国人である。こんな大物が来日しているだけでもすごいのに、あたしと共演してくれるというのだ。恥ずかしい姿は見せられない。

米国国家航空宇宙局NASAは、さすがに僕の力じゃ借りれなかったよ」

 武蔵監督はそう言うが、優しい監督のことだから、勉強と演技を両立させないといけないあたしと今村さんへの配慮のほうが大きいだろう。あと、あたしが少しでも恐縮してしまわないように。

「でも、海外撮影がないわけじゃないぞ。一部、アメリカとスペインでの撮影がある」

「アメリカとスペイン!」

 確かに、『ハーシェルの愁思』は、NASAが主たる舞台だ。NASAのシーンはJAXAで代用するのだろう。でも街並みが日本だと現実感が湧かないから、そこは現地に行って補うというのか。スペインというのは、作中では椎葉研究員が少ない余暇を利用してバルセロナに旅行するシーンがある。確かサグラダ・ファミリアが出てくる。

「僕はね、予算さえあれば、なるべく原作に忠実にしたい主義なんだ。だから、NASAは残念だったけどね」

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