Side P 25(Agui Moriyasu) 休暇命令

 同じプロジェクトチームと言えど、やはり一部の人間は納得のいかない顔をしている。いや、素直に納得するほうが難しい。現時点でパラレルワールドの存在を証明したものはない。でも、長年の研究と、経験から導出された最適解として、パラレルワールドの存在を是認しなければいけない状況だ。また、C世界の俺が教えてくれた客観的事実も存在する。


「悪いが、パラレルワールドがあるものだと信じて取り組んで欲しい。僕からのお願いだ」

 そう言うと、何と、時任先生はがらにもなく平伏したのだ。時任先生は教授。僕らはただの研究員なのだ。ずっと立場が下の俺たちに、こんなに頭を下げている。

「せ、先生、土下座なんてやめてください」

 俺は慌てた。ここだけ切り取ったら、パワハラに思われるかもしれない。


「悪い。取り乱したな。でも、僕はそれだけ真剣だということを分かって欲しい」

 そう言ってくれるのはありがたい。

「俺からもお願いします」先生だけ頭を下げさせる訳にはいかない。ある意味、これは未来の娘を助けるプロジェクトでもあるのだ。


「分かりました。はっきりと納得するにはまだ至らないですけど、そんな綺麗事は言ってられません。先生を信じて、パラレルワールドがあるものとみなして僕はやりますよ」

 そう言ったのは、JAXAの野口銀河だ。名前は格好良いが、往年の高校球児のような坊主頭である。


「いいじゃないですか。誰もが証明できなかったパラレルワールドを、俺らの手で証明してみせて、でっかいジャーナルに載せてやりましょうよ」と横浜理科大学の日向陽太は、ラウンド型の眼鏡を指で持ち上げながら、意気込んだ。


「だって、イケメン時任教授の願いなら、たとえ火の中、海の中、銀河団の中じゃん! ポアンカレセンセーのためだけだったら、醸々苑じょうじょうえんのA5霜降り宮崎牛のスーパー超特上焼肉を毎月奢らせるつもりだったけど」

 こんな不純なことを言うのは、星簇慧那しかいない。渋谷のハロウィーンイベントにでも出没しそうな、相変わらずギャル女子高生然とした見た目に加え、舌っ足らずな喋り方だが、これでも時任教室の白眉はくびというから驚きだ。


「ありがとう……。みんな」

 時任先生は頭を下げた。

「さっそくだが、15年後の未来に搬送波を届ける技術。つまり15年間搬送波を飛ばし続ける技術を考えるとともに、パラレルワールド、すなわち、B世界とC世界との分岐点を早期に見極める方法について、知恵を振り絞ろう。ここには、宇宙物理の選りすぐりの叡智が集まっていると自負しているから、きっとアイディアが出てくるはずだ」



 それから、日夜ずっと考え続けた。まだ、電波を飛ばし続ける方法のほうが、物理の知識を駆使して技術を考案すれば良いので、現実的だった。もっとも、過去に情報を送る方がずっと難しく、未来に送る方がずっとハードルが低い。と言いながらも、現時点で技術が確立していないので、未来に送る技術も難儀なことに変わりはないのだが。

 それよりも、パラレルワールドの分岐点を探す方が難しい。誰もが空想で思い描くしかなく、存在を確認した者はいないパラレルワールド。物理学者の中には、存在を否定する者も多い。我々が観測することは不可能でありその存在を否定することも肯定することもできないとも言われるものの存在を、どうやって証明するのか。ましてや、その分岐点を探し出すとは。

 長年、物理に携わっている俺ですら、雲を掴むような話だった。


 取りあえず、まずはパラレルワールドに関する論文や著書を読みあさる。何かヒントになるようなものはないか。

 パラレルワールドやタイムトラベルに関する論文はあるが、著名な物理学者でも意見が別れており、画一的な見解は出ていない。時間順序保護仮説で知られるようにスティーブン・ホーキング博士は否定的な意見を持つ一方、量子力学の多世界解釈や、宇宙論のベビーユニバース理論などのように、存在を容認する考え方も存在する。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や親殺しのパラドックスで代表されるような、過去を変わることによって並行世界が派生するのではないかというのは、一般にも分かりやすいパラドックスであり、議論の俎上そじょうにたびたび登場する。

 しかしながら、我々に与えられた命題は、未来を操作することによって、どの時点でパラレルワールドの分岐点なるものを見極める方法という、異なった議論である。

 残念ながら、渉猟しょうりょうしうる範囲でこのようなテーマを取り上げた論文が見当たらない。正直な話、これはパラレルワールドの存在を証明してから議論される内容であるようにも思える。前提条件がクリアできていない以上、論文としてアクセプトされるのは難しいだろう。


 一方で、過去よりも未来にアプローチするほうが、現実的に容易であることが、理論上容易であることが分かっている。

 つまり、未来を操作することによってパラレルワールドの存在を証明できたら、この議論に一石を投じることができる。というか、物理学の根幹を揺るがすビッグニュースになるに違いない。


 しかし、なかなか頭を捻っても、数式を組み立てても、アイディアは出てこない。

 俺がいるこの世界がもう一つ用意できるのであれば、アナザー・ワールドで、未来に何かアクションして、どういう違いができるか観測できるのだけど、無論そんなことはできやしない。

 最初から、とっかかりすら見いだせずに、時間だけが過ぎていく。他の研究員からもアイディアが出ないところを見ても、難しい議論だということが裏付けられる。ひょっとして証明が不可能なことではないだろうか。


 仕方がないので、未来に搬送波を送る方法を考えることにする。ひょっとしたら、こっちを解決することで、パラレルワールドの分岐点の問題の解決にもつながるかもしれない。


 日夜そんなことを考えていたせいか、最近の帰宅時間は12時を回っており、朝は6時前には家を出発する生活が続いてしまっていた。土日でも関係なく職場に行っている。4歳を迎え、遊びたい盛りの詞音ふみねを完全に放置してしまっている。いちばん可愛い時期。好奇心旺盛な娘をいろいろなところに連れて行ってあげたいのに、父親らしいことが何一つできていない。


 そういう生活が続くと、少しずつ生活がゆがみだしていく。

 赤ちゃんの頃よりは育児うつは解消されつつある舞理も、もともとはストレス耐性があまりない性格だから、小さな不満が少しずつ蓄積しているように見受けられる。結婚前のような笑顔は、めったに見せてくれなくなっていた。代わりに、いつも身体の不調を訴えている。夫婦の会話も少なくなっていく。


 しかし、いまを乗り切らないと、詞音は夭逝ようせいしてしまう。どちらを重視するかは明らかなはずなのだが、そのことを、妻であっても明かす訳にはいかない。

「やばいな……」と、つい独り言ちてしまった。

 この『やばい』にはいろいろ詰まっている。自分自身の疲労、妻の夫に対する不満、無下にしてしまっている愛娘の大切な成長、遅々として進まないプロジェクト、そして、それらに由来する自分自身のストレス。すべてが、限界に近付きつつあるような気がした。


「ポアンカレくん、そんなに自分を追い詰めるな。ちょっと休んだらどうだ?」

 見るに見かねたのか、時任先生は俺に言葉をかけてくれた。「疲れてるのがまるわかりだ。目の下にくまできてるぞ」


「でも、まだプロジェクトが……」

「過度に追い詰めたところで妙案は出てこないよ。気晴らしに家族と出かけたらどうだい。リフレッシュすることによって、アイディアが出てくることもある」 

「……」焦りのせいか、即答できなかった。

「……もう、君は真面目すぎるんだよ。んじゃ、リーダー命令だ。休みをどこかで3日間取りなさい。そして、プロジェクトのことは少し忘れて、心身ともにリフレッシュしなさい。分かったかな?」


「は、はい……」

 ここまで言われてしまっては仕方がない。提案を甘受することになった。

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