Side F 24(Fumine Hinokuchi) 本を読んでみて

「この私に、ようそぎゃんこと言いよるな」

 ハーフの今村さんは、美人である分、怒ったときの眼差しは射抜くほど鋭い。しかし、ひるんでいる場合じゃない。

「た、確かに、キャシーは聡明で強い。でもこれはあくまで、他人の前で振る舞ってるとき。ボロを見せちゃいけないという気持ちが強まるあまり、自分を追い込んで、締め付けて、1人になったときは、ホロホロと涙を流すくらい本当は弱い。だから、美砂と歩み寄ることができたんじゃないかな。だからこそ、2人で一大プロジェクトを成し遂げるまで、関係を深めることができるようになったんじゃないかなって思ってる」

 口に出して言ってみると、あたしと今村さんの関係、そっくりそのままな気がした。あたしの心は椎葉研究員のそれのように、ガラスのような脆くて壊れやすい。今村さんはキャシーさながら完璧で矜持きょうじも高い。でも、きっと見えないところでは青筋を立ててもがいているはずだ。

「私は、私のキャシーで行きたい」

 今村さんはちょっとだけ落ち着きを取り戻したが、あたしの助言を聞き入れる気はないらしい。何という分からずやか、と思ってしまう。

「でも本当に、こればかりはあたし譲れないの!」

「ふ、詞音?」

 ついあたしも感情的になってしまい再び大きな声を出す。

「ゴメン……」今村さんの驚きの表情で、あたしも冷静さを取り戻す。でも確認したいことがあった。「今村さん、1つ聞いていい?」

「何……?」

たかむら先生の原作読んだことある?」

「え?」

「『ハーシェルの愁思しゅうし』は篁未来が横浜理科大時代に培った電気電子情報工学の知識に加えて、実際にNASAの理論宇宙物理学の権威を監修につけて、宇宙開発の裏側に至る情報まで総動員して書き上げ、上梓じょうしされた傑作なんだ。でも、彼の作品ではややマイナーな部類。何たって、マニアック過ぎて大衆受けしないということで、文庫化もされてないし、上・中・下と3巻構成だから、なかなか敷居が高いってのもある」

「よ、読んでないよ……!」

「ぜひ読んでみて」

 今村さんは聡明だが、あまり本を読んでいるイメージはない。物語に触れるのは、自分が演じる劇などの作品に限られ、脚本のみを通じてストーリーの概要を掴む。そんな印象だ。

「私はそんな暇じゃないよ」

「ぜひ読んでみた方がいいと思ってる。武蔵監督は、原作者の意図を尊重した演出をすることで有名みたいだね」

 これは、こっそり宮本先輩に聞いて確認した情報だった。あたしは続ける。

「原作に登場すキャシーは、たぶん今村さんが想像しているキャシーとは、ちょっとイメージが違うと思う。そして、椎葉研究員のイメージも……」

 今村さんは渋い表情をしている。考えているのだろうか。20秒くらいの沈黙の後、今村さんが口を開いた。

「……だいたい売ってるの? 簡単に手にはいんの?」

「大丈夫。あたしが持ってる」

 篁作品はすべて買ったし、唯一その全作をこの寮に持ち込んだ作家である。それくらい好きな文筆家なのだ。

「それは、いま、詞音が必要としてるんじゃ?」

「大丈夫。あたし、この作品大好きで、10回は読んでる。だから、この作品を演じられることが決まったとき、本当に嬉しかった。その分、何としても、うまく演じたいという気持ちも強いんだ」

 10秒ほどの沈黙のあと、今村さんはようやく口を開いた。

「わ、分かったよ。読んでから考える。だから貸して」

「ありがとう。生意気なこと言ってゴメン……」

 

 あたしは自分の部屋に本を取りにいったん戻り、すぐに本を貸した。

「へぇー、かっこいいね、この本」

「でしょ? このブックカバーだけで、テンション上がるよね!」

 題材に即した近未来的で重厚な装幀そうていでありながら、どこかノスタルジーも感じさせるデザイン。あたしはこの本の隅から隅まで好きだ。

「ありがとう。じゃ、読んでみるよ」

「今村さんなら、もっとキャシーや美砂たちのこと、好きになるよ」

 本当は、脚本にはないこの物語の設定の魅力とか、惑星探査の魅力とかを語りたいところだが、それも、この本を読んでのお楽しみなので、グッとこらえて封印しておく。

 あたしは苦しい胸の内を今村さんにちゃんと伝えられたことと、あたしの話を聞いて歩み寄ろうとしていることで、目的の半分は達成できたのではないかと思っている。あ、歩み寄ろうとしていると決めつけるのはまだ早いか。しかし、あの本は、ちょっとマニアックで敷居が高そうだけど、ヒューマンドラマなストーリー構成は、読み手の心を響かせるだけの確かなパワーが備わっていると確信している。きっと、これで今村さんのハーシェルも変わるはずだ。



 今村さんに本を貸してからは、見違えるように彼女の演技が好転した。

 上司や同僚を前にしたときは、完璧主義で隙のない女性研究員を演じていたが、独りになったときには、心細さや弱さを、表情や言動に出すことができている。

 それによって、自然に、あたし演じる美砂研究員と歩み寄ることができるようになった。観客からすれば、引っかかりなく、登場人物に感情移入が可能となる。

 一見すると、気付かないくらいの微妙な違いだが、キャシーというキャラクターの特性を引き立て、ひいては映画全体を成り立たせる上で、極めて大きな違いである。


「ありがとう! 今村さん! 凄く良くなったと思う」

 部活の後、今村さんの部屋にあたしは来ていた。関係がギクシャクしているときは、彼女の部屋に入ることに躊躇ちゅうちょしていたおかげで、ちょっとだけ久しぶりなことである。

「原作を見て分かった。確かに、キャシーには心の弱い部分がある。ちょっとしたことで涙を流すくらい弱い本性の部分と、それでも気丈に振る舞わねばならないという見せかけの強さとのはざまで、揺れ動いているのが分かった。篁未来は、そういった心の機微を表現するのが秀逸だね。寝る間も惜しんで、あっという間に読み切ったわ」

 正直悔しいけどこの人のファンになった、と付け加えたが、そう言ってくれるのは純粋に嬉しかった。


「でしょ? 今度、武蔵監督来るのっていつだっけ?」

「3日後! 練習の成果、見せて驚かせよ!」

「うん!」

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