Side P 23(Agui Moriyasu) 意外な特待生

「どうした、ポアンカレくん?」

 電話を終えた俺に、時任先生は話しかける。

「半年以内だそうです。半年以内に、未来の俺にメールを転送しないといけないそうです」

「分かった。僕も最大限努力しよう」

「ありがとうございます」

 礼を言った。時任先生は今後起ころうとしている地球の最期を嘆くわけでもなく、パラレルワールドの存在がこの上なく確からしいことが分かって歓喜するわけでもなかった。もっとも後者は、未来の俺が倫理に背いて送っているわけなので、この事実をもってペーパーにすることは、褒められることではないし、アクセプトもされないだろうが。


「それにしても、まどろっこしいな。便宜的に呼び名を付けよう。僕らだけの共通言語だ。いま僕らがいるこの世界を『A世界』、メールを送ろうとしている未来を『B世界』、メールを送ってきた彗星衝突が迫っている世界を『C世界』と名付けよう。呼び方も楽になるし、僕ら以外に話している内容が分からない方が好都合だ。そして、僕ら以外に協力してくれる人を募らないといけない。極秘プロジェクトチームだ。ポアンカレくんだけで抱える問題じゃないし、僕が加わったくらいで何とかなる問題でもない」

「ありがとうございます」

 時任先生は、おちゃらけているように見えるが、このときばかりは至って冷静だ。状況分析にも長けている。俺は、変わり者だと先生のいないところで悪態をついてしまったこともあったが、これほど心強く頼もしい存在は他にもいない。



 次の日、時任先生に会って詳細を話をした。

 時任先生との話し合いの中で、いくつか仮説が導かれた。

 普通に考えれば、俺がいるこのA世界が、彗星が衝突するとされる2060年になるときを見計らって、正しい計算式で爆破ロケットを発射すれば良いと考えられるところだが、そうではないのは、やはり、過去を改変して未来のパラレルワールドに影響を与えうるのは、年限があるということ。未来(2046〜2048年)の俺にメールを送るように指定していることから、差し引きで14年がリミットであるということ。14年を超えると、仮に正しい計算式を以てロケットを発射しても、何かしらの因子が働いて、彗星は地球に衝突するのではないかということだ。

 また、最初のメールは2052年の俺から送られている。A世界の俺がメールを7年半ほど放置してしまったおかげで、C世界は2058~2059年になっている。その間に、誤った計算式を修正して再度、彗星を迎撃できない理由があるということ。このことから、やはり最初の発射より前、つまり2046〜2048年に送る必要があるということ。7年経過したからと言って、2053~2055年頃に送っても意味がないということだ。

 いちばん不可解で、胸を苦しめた事実。俺の娘が何かしらの理由で、彗星衝突を前に死を迎えていること。その理由は、彗星衝突とは無関係ではないことが推測できるというということだ。

「ひょっとしたら、C世界ではポアンカレくんかポアンカレくんの娘が、非難の標的としてバッシングに遭っているのかもしれんな」

「一理ありますね」

 何となくまだ実感が湧かず、つい他人事のような返答をしてしまったが、紛れもなく俺の身に降りかかる災難である。信じたくないが、信じられないような現象、信じたくない現象から目を背けたいという気持ちの表れかもしれなかった。


「とにかく、人と資金を集めて、C世界に生じる悲劇を回避しなければならない。この研究室から数人、できればJAXAからも何人か欲しい。秘密裏に話を通す必要があるな。そこは僕ら、おっさんたちがやる仕事だ。ポアンカレくんは、未来にデータを送信する技術を確立させる実働部隊のチームリーダーだ。もちろんそっちのほうも僕がサポートする。責任も僕が取る。安心して取り掛かってくれ!」

「はい!」

 少し霧が晴れたような気分になった。難題を前にして恐れと重圧に打ちひしがれそうだったが、それが少し和らいだような気がした。



 それからわずか一週間後、プロジェクトチームが立ち上がった。JAXAから時任先生を抜いて3名、大学からも3名らしい。今日はJAXAで初顔合わせだ。

大学うちからのメンバーを紹介しよう」

 若い技術者が部屋に入ってきた。どういうわけか2人しかいない。うち1人は知っている顔だ。

「こちらが、情報通信学の衛藤えとう教室の波多野はたのあまね研究員。観測天文学のみかづき教室の日向ひゅうが陽太ようた研究員」

「よろしくお願いします」

「よろしく! 久しぶりね、安居院くん」

「そして、ちょっと道に迷ってるみたいなんだが、あと一人は理論宇宙物理学、時任教室の星簇ほしむれ慧那えなだ」

 いま何て言った? 俺は心の中で先生に聞き返した。そのときドタドタと廊下を走る音がする。

「遅れましたぁー! あーっ、センセー!」

 そこにはかつての家庭教師の教え子がいた。

「何で慧那がいるんだ?」

「何でいるんだって、聞いてなかったの?」

「誰からも聞いてねーよ」

 横浜理科大学に入ったことまでは知っていたが、そこからは特に連絡を取っていなかった。舞理とも慧那の話題は出なかった。

 というか、もう学生ではないんだな。時の流れの速さを感じる。


「そっか、君たち知り合いだったんだな。慧那が言っとったわ」いまさら思い出したように時任先生が言う。

 それにしても、最後に会った卒業後間もないギャルのような風体はいまでも健在で、相変わらず長い髪を明るく染めて内巻きにし、いまどきのファッション雑誌に出てきそうな格好をしてきた。ここは渋谷じゃないんだぞ、と最近の若者を憂うオヤジのようなことを心の中で呟いた。

 時任先生は続ける。

「ああ、慧那はこう見えてな、理工学部の特待生だ。そこにいるポアンカレ、失礼、安居院守泰以来の秀才だと思ってる」

「えー!?」

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