Side F 23(Fumine Hinokuchi) 勇気の指摘

 心のもやを晴らすことができずに日曜日を迎えていた。演技の練習はないが、気分をリフレッシュできずにいる。すぐに自分が譲歩するだけの開き直りができれば、そんなに悩まなかったはずだ。しかし、それができなかったということは、自分が今村さんの描いたキャシーでは、どうしても承服できなかったのだ。

 この『ハーシェルの愁思』は、ただのお仕事小説でもサクセスストーリーでもない。一見、エリートで雲の上の存在にも見える才媛らが、異郷で期待に応えようとするあまり、自分を追い詰めてしまう。そんな心の弱さを誰にもさらけ出せずにもがき苦しむ中で、最初はいがみ合っていた2人が次第に心を通わせ、ついにプロジェクト成功への転機を掴む。近未来SFと言うよりは、ヒューマンドラマの色合いが強い。

 美砂がキャシーと仲良くなることが、このストーリーの大きな転換点となり、見どころでもある。キャシーが、完璧でお高く止まりすぎていると、美砂と仲良くなるところで観る者にどうしても違和感を生じる。だから、今村さんのキャシー像では妥協がどうしてもできないのだ。


 武蔵監督からは何もアドバイスはない。あたしは悟った。これは武蔵監督からの課題であり、試練ではないのか、と。つまり、ここで、軌道修正できるかが、今後、あたしと今村さんが、監督の作品に起用されるかどうかを大きく左右するのではないか。

 あたしは意を決した。今村さんのキャシー像を何とか直してもらわないといけない。学生寮の今村さんの部屋に向かう。部屋の扉の前に立ち、大きく深呼吸した。呼び鈴を鳴らそうとするも、あと一息のところで躊躇して、押すことができずにいる。

 でも、何のためにここに来た。しかも、後になればなるほど、軌道修正は困難なものとなる。今村さんには英語を教えてもらった恩義がある。上級生の嫉妬を買いながらもここまでやってこれたのも、今村さんという戦友がいるからだ。それを承知の上で、あたしは物申さねば、きっとこれからも中途半端な演技しかできない役者止まりになってしまうような気がした。


 ピンポーン。ついに押してしまった。留守だったら良いのに、という自分の気持ちの弱さをかなぐり捨てる。

「はーい」

 今村さんの声。在室だった。うまく伝えられるだろうか。ここに来て不安がどっと押し寄せてくる。

「……どなたですか?」

 返事のないことを怪訝けげんに思ったのか、扉越しの今村さんが問うた。もう引き下がれない。

「ふ、詞音です……」

「詞音? 待ってて、開けるね!」

 用件を知らない今村さんの声が、かえっていっそうこれからしようとする相談をやりにくくする。相談を終えたあとは、この部屋から締め出されるかもしれない。

「ごめんね、日曜日のお休みに」

 つとめて、あたしは彼女の気分を害さぬよう、笑顔をつくろった。


「どうしたの? 詞音が休日に私に用なんて珍しいね」

 思えば、ここに来てはじめて今村さんの部屋に入るような気がした。毎日、教室でも部活でも顔を合わせる仲だから、寮でわざわざ一緒になる必要性を感じなかったといえばそれまでだが、部屋に招き入れる、入れないのは、ある意味、プライベートの奥深くに潜入するような行為にも思えた。はるか遠くから来た、同郷の、それも同じ中学の同じ部活に所属していた同志。そしていまは同じ夢に向かう戦友のはず。こんな奇跡的な巡り合わせなのに、深く立ち入らなかったことは、ある意味で自分の怠惰だったかもしれない。

 逆に考えれば、これを機に本当の意味での同胞になるチャンスかもしれない。あたしはもう一度深呼吸した。


「あのね。すごく言いにくいことなんだけど──」

「あ、詞音。今度、『武蔵監督から抜擢された記念』で、一足早く2人でお茶しに行かない!? 東京ここに来て、まだどこにも行ってないじゃん。やっぱり女の子だったら憧れるよね? 原宿はらじゅくとか表参道おもてさんどうとか。代官山だいかんやまもいいなぁ……。もう、女優人生が半分確約したと言ってもいいくらいだよね」

「……ぃ、いくら何でも、気が早すぎじゃ」

「私、ここだけの話、自信あるんだ。詞音となら、きっと賞が取れると思うんだ。アカデミー賞? パルム・ドール? 新人俳優賞??」

 まさか。そんなに上手くいくわけないだろう。確かに今村さんの演技は目をみはるものがあるし、抜群のルックスに流暢な英語、それらに裏打ちされた確固たる自信、どれをとっても文句ないと思う。でも──。

 今村さんは続ける。

「それに、詞音の、キャラクターに身体をさせる能力。あれは凄いよ。なかなかプロでもできるもんじゃないって。あと少し、私のキャシーにできるようなキャラに変えられれば完璧だよ!」

 違う! あたしは心の中で叫んだ。『迎合』なんて言葉使っちゃいけない。原作者と監督の描いたキャラクターを読み取り、忠実に再現することで、はじめて良作が生まれる。

 キャラクターがある程度演者の色に染まることはあっても、原作者、監督の描いたシナリオを勝手にじ曲げてはいけない。少なくともあたしはそう思っている。

「あ、あのね!」

 ついにあたしは、大きい声を出してしまった。普段の会話と比べて、数段大きく、少し驚いたように今村さんの大きな目は、さらに見開かれた。

「今村さんのキャシーでは……、武蔵監督からエ、NGをもらうと思う……」

「え……?」

 ついに言ってしまった。まさか、詞音からこんな言葉をもらうなんて、といった感じの虚を突かれたような表情。予想していたとはいえ、胸が締め付けられる。

「偉そうなことを言ってしまっていることは悪いと思ってる。でも、今村さんの、じゃ、篁未来の、武蔵監督の描いてる作品にはなり得ないんだよ」

「なして!?」

 今村さんの風体からは似合わない語気を荒らげた熊本弁。明らかに彼女の表情は、怒気をはらんでいた。

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