Side P 18(Agui Moriyasu) 久々の再会

 詞音はすくすくと育っていった。

 はじめての育児は2人にとって想像以上に大変だった。最初は元気だが夜泣きが多く、舞理も俺もなかなか寝付けない日が続く。研究の10倍は大変だと思う。産後うつ、育児うつのような状態の舞理に後ろめたさを感じながら、俺は出勤しなければならなかった。


 一方で、宇宙ヨット『ミムジー』は目的の方向に快調に旅を続けている。文字通り順風満帆な航行だ。速度も上げているようだ。

「この調子で速度を上げていけば、おそらく7年後には、ワームホール付近で旋回をするでしょう」

 そのような経過報告を受けた。俺も負けていられない。7年後と言えば俺が34歳くらいか。かなり先のように見えて、光陰矢の如し。来る日も来る日も研究に明け暮れた。



 あっという間に詞音は、幼稚園入園の年まで成長していた。このとき俺は30歳になっていた。


 ある日、久しぶりに邨瀬から連絡が入った。すっかり売れっ子になった邨瀬は忙しくなったが、それでも「久しぶりに飲まないか」と言ってきた。いや、久しぶりなのは、俺に伴侶はんりょと子どもができて気を遣っていたからだろうか。


「行ってきていいよ。大事なお友達なんでしょ?」

 表向きはにこやかに俺を送り出してくれる。内心は分からないが、研究と慣れない子育てで、精神的にどうしても息抜きが欲しかった俺は、つい甘えてしまった。


 蒲田かまた駅で邨瀬と俺は待ち合わせる。

 横浜で飲むか、職場のある府中で飲むか、学会で東京に行ったときに東京都心部で飲むことはあるが、蒲田で降りたのは初めてだった。

 邨瀬は、出版社が多く集まっている文京ぶんきょう区に住んでいるようだが、俺の住居から少しでも近くという思いで蒲田まで来てくれた。本当は横浜まで来ると言っていたが、俺もちょっとした現実逃避の気分から東京まで出たかったのだ。


 いまや、『青木あおき三十五さんじゅうご賞』も狙えるのではないかという噂まで出ている篁未来こと邨瀬弥隆。心なしか、衣装や鞄も少し高いものになったような気がする。


「有名人がこんなところうろついてていいのか?」

 蒲田まで来てもらったにもかかわらず、俺は敢えて意地悪な質問をする。ここは高級レストランでもVIPがお忍びで来るバーでもなく、がやがやしたごく普通の大衆居酒屋だ。

「俺は、幸いそこまで顔も知られてないし、たとえ誰かに撮られようが、野郎2人での会食シーンをスクープするような物好きなマスコミはいないだろ」

「そっか。それなら良かった。俺はマスコミの世界とか、まったく分からんからな」

 そんなことを話していると、さっそく1杯目の生ビールが机に置かれる。


 酒は進み、俺らは久しぶりの再会を楽しんだ。また行き詰まったらアイディアをくれと、邨瀬は平気で言ってくる。それは編集者の仕事だろとツッコミを入れながらも、最後は承諾してしまう。

「俺も、ポアンカレくんが行き詰まったときには、力になるよ。ってまぁ、作家の端くれの俺が、何を力になるか想像もつかないし、ポアンカレくんに至って困ってることとかないと思ってるけど」

「そんなことないさ」

 俺にだって悩みはいっぱいある。育児と舞理の心のケア、忙しい研究との両立。独身の頃とは状況が違う。でもこんなこと、相談に乗ってもらうのも、と思う。邨瀬も独身なのだから。

「あ、もし研究が認められなかったら言ってくれ。俺が、ポアンカレくんが正しいこと、本の一冊でも書いて証明してあげるよ。それくらいの借りがあるからね」

「ありがと、そのときはヨロシク頼むよ」

 そう言いながら、俺の研究の正当性や合理性をフィクションの世界で証明しても、まったく意味はないような気がするが、取りあえず、彼の厚意に感謝しておくことにする。

「で、研究は順調なのか」

「順調と言えば順調、でも打ち上げ花火と一緒で、1回の失敗で灰燼かいじんすかもしれない」

「どういうことだ?」

 俺は研究の概要を話した。ワームホールを電波が通過できるか。その前にちゃんと電波を何光年も先に飛ばせるのか。酒が回って少ししゃべりすぎたかもしれない。


「あ!」

「どうした!? 急に」

 不意に俺は、大きな声を出してしまう。周りの客が、一瞬俺たちのほうを向く。この邨瀬は、大学院生時代俺にメールを送信してきた謎の動画(映画)の原作者であるということを、いまになってふと思い出したのだ。このことを話して良いのか。

「……あ、何でもない?」

「何だよ、白々しいな」

 どうも、親友を目の前に、隠し事は悪い気がした。

「だ、誰にも言わないで聞いてくれるか?」

 すると、急に神妙な目付きで俺の方を見てきた。

「どうも、かなり大事な話の様だな」


 俺は声を潜めて喋った。信じるも信じないも邨瀬次第だ。フィクション小説の題材としては良いかもしれないが、いまはそれを絶対に作品にしない条件で、話を聞いてもらった。

「なるほどな。本当にSFのネタには恰好だな」

「まじで、いまはまだ書かないでくれ」

「分かってるよ。しかもお前さんが、この世界で、原作者よりも早く俺の上梓じょうししてない小説の映画化作品を観てるなんて、本当に興味深い。これは間違いなく未来から来た映像だな。すげーよ、ポアンカレくんは。間違いなく未来から過去にメールを送る技術は確立されている」

「俺がその技術を開発したかは分からないだろう」

「いや、現時点で、競合する研究チームもいなさそうだから、間違いなくポアンカレくんのチームだよ」

「そうかな、文字化けしてる不完全なデータだぞ」

「文字化け? 映像は送られてるのに?」

「映像も、ところどころ乱れてるけどな」

 よく分からないが、それが現実なのだ。

「で、俺が気になってるのは、どういう意図でこのメールを送ってきたかだ。いま総務省の方で話が進んでるのは、このメール送信技術はかなり厳格な倫理的な基準が設けられるということ。私的な利用というのは不可になるというのは間違いないだろう」

「まあ、俺だったら、将来の芥川籠之介賞、青木三十五賞、ノーベル文学賞作品を先取りしたいと考えるだろうな。こういう俺みたいな不埒ふらちな輩がいるから、規制がかかるってわけか」

「そう。でもそれを押し切って、将来の俺はいまの俺にメールを送ってるんだ。しかも邨瀬原作の映画を……」

 未来の俺がやっているのは、どう考えても公益性の高いものとは思えなかった。私的な利用以外の何物でもない。


「一度、それを送ってくれないか?」しばしの黙考のあと、邨瀬は言った。

「え?」

「あ、将来の俺の作品を見ておこうって言うわけじゃない。作者不明のパラドックスになっちゃうからな」

 俺自身、本当に不埒なことを考えているんじゃないかと少し疑ってしまったが、違うようだ。

「じゃあ、何を? あとは文字化けデータだぞ」

「その文字化けデータを送って欲しい」

 何を言っているかよく分からなかったが、邨瀬は続けた。

「何か分かるかもしれないだろう? まがりなりにも電気電子情報工学科出身だから、多少通信技術とかは詳しいんだぜ」

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