Side F 18(Fumine Hinokuchi) 同じ道へ

 あたしが急に机を叩いたことで、武蔵監督、宮本先輩はもちろん、お母さんも目を見開いた。あたしは、舞台上こそ感情をあらわにするが、それ以外で表に出すことはほとんどない。それは、お母さんに対してもだった。

「お母さん、『娘の人生は私の人生』だなんてよく言うよ。一度だって、あたしのテストの点数と学年順位以外に気に掛けたことある!? あたしがいちばん輝いている姿を、大事にしようと思ったことある!? あたしは女優に挑戦してみたいの! 演技をいっぱい勉強して、主演を張れるくらいに成長して、あたしがいちばん好きな篁未来先生のSFミステリーに出るのが夢なの! だからあたしは誰が何と言おうと、水道橋に通う!」

 本当は、いじめられていたことにすら関心がなかったんじゃないか、と追及しようとも思ったが、武蔵監督たちの手前、それはやめておいた。

「詞音! 現実はそこまで甘くない。所詮は学歴重視、逆に学歴が整ってれば、いくらでも潰しは利く。よく考えて? 今のあなたは、横浜理科大に普通に入れるくらいの成績なの。宇宙好きでしょ? ロケット飛ばしたいって子どもの頃言ってたじゃない? お母さんだって、その夢は応援したい。でも学歴がなければ研究員として採用はされない。やりたいことはできなくなるの」

「確かに宇宙は好きだけど、研究員に携わることだけがすべてじゃない。ロケット飛ばす夢は応援できて、演技で世界を目指す夢は応援できないわけ? お母さんは、履歴を傷付けることが嫌だと言うけど、夢に向かって挑戦することは、不名誉なことなの? 夢に向かってがむしゃらに頑張って、結果ダメだったときは、人生を棒に振ることと同じなの?」

「横浜理科大進学、JAXA就職という夢を叶えるレールに乗ってるのを、わざわざれる必要はないじゃない! たまたま見えた別のレールに乗ったって、行き着くところは崖の下なの!」

 話は平行線を辿たどっている。お母さんの考えは凝り固まっている。自分がこうと決めたこと以外は、梃子てこでも動かされない。


 お母さんとあたしの睨み合い。膠着こうちゃく状態は暫しの沈黙を生んだが、それに割って入るように武蔵監督が口を開いた。

「篁未来、が好きなの?」

「大好きです! ほぼすべて愛読しています」

「確かに、彼のミステリーはSF要素が入っていたりして、それでいて分かりやすく魅力的だね。僕も実は一本、映画を手がけたことがあるんだけど」

「あたし観ました! 『オームは二度死に二度蘇る』ですよね!? 原作も良かったんですが、原作の魅力をさらに引き立てる脚本と演出、感動しました!」

 お世辞ではない。実は、下手な映画だと、原作をかなり劣化させてしまうことがあるため、あまり進んでご贔屓ひいきの作家の作品の映画版は観てこなかった。でも、武蔵監督が脚本と映画監督を手掛けた篁未来作品があると聞いて、チェックせざるを得なかった。幸い、サブスクリプションのコンテンツにあったので、すぐに観ることができた。そして、文句なしの演出に鳥肌が立つほど感動した。

 事実、水道橋高校に入りたいと強く思ったのも、その映画を観てからだった。あたしもその映像の中に入りたい、という想いが強くなった。


「実は、篁未来は水道橋高校出身だって知ってるかい? 水道橋高校の普通科を出て横浜理科大学卒──」

「そうなんですか? 横浜理科大学は知ってますけど、水道橋とは知らなかった!」

 そうあたしが驚いていると、武蔵監督は母の方に向き直った。

「お母さん、私案ですが、ご息女を水道橋高校に入れることを提案します」

 あたしは一瞬、頭の中にクエスチョンマークがついた。それは最初から言っているではないか。監督は続ける。

「でも舞台芸術科じゃなくてで、受験生としても頑張ってもらいつつ、二足の草鞋わらじで横浜理科大学にも狙ってもらう」

「えっ!?」

 思わず声を出てしまった。それは、いくらなんでも無謀な提案では。お母さんが首を縦に振らないような気がする。

「水道橋高校? 演劇は有名かもしれないけど、普通科は学力も普通なんじゃないですか?」

「いえいえ、そんなことありません。来年進もうとしている水前寺高校よりも偏差値だけで見ればずっと上です」

「でも、演劇と両立? そんなことできますかね?」

「普通科で演劇部に入っている生徒もいますし、舞台芸術科の生徒としのぎを削っています。もちろん演劇にかけられる練習量は違いますが、普通科の生徒はとにかく優秀で記憶力も良い。舞台芸術科の生徒を超えるくらいの普通科の生徒もいます」

「……」

「ついでに申し上げますと、いまのご息女の実力は、舞台芸術科の生徒よりもぐっと演技の素質がある。水前寺中学で首席を争える実力なら、水道橋でも遜色そんしょくないですし、横浜理科大だって射程圏内です。いかがですか?」

 お母さんはまだだんまりだった。難しい表情をしている。

「詞音さんはどうかな?」今度はあたしに問いかけてきた。

「……あたし、やっていけますかね?」

「もちろん勉強と演劇の両立は厳しい。でも、詞音さんならできると思っている。僕も精一杯サポートする。そして、女優の道と横浜理科大進学の道、どちらも選べるようにします」

「ありがとうございます」私は動揺を隠せなかったが、監督の言葉は心強かった。

「わ、分かりました。詞音をその水道橋とやらの普通科に行くことを許しましょう。ま、高校受験落ちたらそれまでですけどね」

 ついにお母さんが折れた瞬間だった。



 中・高一貫の水前寺中学で高校受験勉強をしている人は珍しい。と言うか、ほぼ皆無だろう。水前寺高校は熊本県で3本の指に入るくらいの高校だ。水道橋高校の普通科は、東京では数多あまたある進学校の存在で霞んでしまっているが、それでも水前寺よりは偏差値が高いと言う。舞台芸術科なら、全国大会で最優秀演技賞を獲得しているあたしにとっては、推薦で受けてもおつりが来るくらい強い武器だと言われたが、致し方ない。

 水道橋高校には学生寮があるということで、遠方から通うあたしには都合が良かった。しかし、本来は全国でも数少ない舞台芸術科の学生が、寮生の99%ほどを占めるらしいので、不安があった。


 残念ながら部活は一旦休んで、本格的な受験勉強に備えなければならなかった。いくら中学で首席を争えるくらいに成績が良くても、対策を練らなければ勝ち目はないだろう。


「閘さん、何で最近練習に来ないと?」

 ある日、今村さんがわざわざあたしの教室まで来て言った。あたしは昼休みも黙々と、水道橋高校の受験の過去問を解いていたところだった。

 今村さんとはクラスが異なる。部活以外で話すことはあまりなかったので、わざわざ休み時間に来ることは珍しいことである。

「あ、ごめん、あたし受験勉強で……」

「は!? あんた高校受験すんの!?」

 今村さんは大きな目をさらに大きく見開いて驚いた。顧問の先生には言っていたし、新部長(全国大会を境に、部長は二年生に引き継がれる)にも言っていたが、今村さんに話すことを失念していた。

「うん。あたし行きたいところがあって……」

「そんな話聞いてない! あんた、高校でも演劇やるかと思ってた!」

 その瞳からは言外に、高校でも私と一緒に劇やるでしょ、と訴えているようにも感じられた。悪いとは思ったが、そういう約束はしていない。

 今村さんは続けた。

「どこ受けるの?」

 そう言って、机の上の冊子を取り上げた。東京の私立の過去問集なんて熊本では手に入りにくい。わざわざネット通販で手に入れたものだ。

「水道橋? あんた舞台芸術科進むと? あ、でもあそこは筆記試験じゃなかったとはずやし」

 今村さんはさすがと言うべきか、水道橋高校の情報を知っていた。

「あのね──」部活を休んでいる以上、隠し立てするわけにも行かないかなと思って、あたしは経緯を説明した。武蔵監督に誘われたということだけは隠しておいた。

「は、なるほどね。お母さんが厳しいわけか。でも劇をやめないって聞いてホッとしたよ。でも、あんたを最初にスカウトした宮本先輩は悲しむだろうな」


 あたしは、武蔵監督の提案で水道橋を受けるのだから、宮本先輩も承知済みだけど、もちろん今村さんには言えない。ちなみに、宮本先輩も水道橋に行くことを提案されたようだけど、水前寺学校の交友関係を大切にする先輩は、水道橋の受験を拒否したと聞いている。

 今村さんは続ける。

「それでも水道橋の普通科で劇も目指すなんて、結構辛いだろうな……。あそこは有数の進学校でしょ。って言っても、劇やるにしても、英語ができないと英語のセリフに困ることがあるし、歴史を知らないと時代を扱ったものにも対応できないし、演劇やるには、高等教育の知識もあった方がいいから、悪くない選択肢かもね」

 今村さんは半ば独り言のように話している。

「そっか、そう聞いて安心した」

 その後、しばらく今村さんは真剣な顔をしながら黙って考えている。何を考えているかはちょっと表情から読み取れない。

 そして1分くらいしてから急に口を開いた。

「よし、私も水道橋受けようかな?」

「ええっ!?」

 そんな簡単に決めるの? あたしは心の中で彼女に問うた。

「あんたとは、張り合いたいんだよね。勉強も演劇も。あたしも普通科で受けることにする。ライバルにはなるけど、本音はあんたと一緒に劇をしたいだけだから、悪く思わないでね」

「本当に?」

「何でも出来てちやほやされてきた私が、唯一嫉妬したのはあんたなんだよ。中一のとき、あんたをいじめたのはマジで悪かったと思ってるけど、本当は勉強のできるあんたを警戒してたんだよ。でもそれは言い訳だな。いまさらだけど謝る。本当にごめんなさい。二年生になって演技の才能まであるなんて、悔しいけど負けたなと思ったよ。悪いけど、あたしはめっちゃ負けず嫌いだから、あんたと同じフィールドで競いたい」

「……」

 まさか、今村さんからそんなセリフが出て来ようとは思っても見なかった。プライドの高い今村さんから、あたしに嫉妬していたことも衝撃だったし、いじめの謝罪の言葉が出て来るなんてもっと驚きだった。

「ということで今後もヨロシク」

 そう言って今村さんは去っていった。


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