Side P 17(Agui Moriyasu) 命名

 宇宙空間を直線的に進み、準惑星にうまく衝突しても、吸収や散乱で搬送波がちゃんと戻ってくるのは数千回分の1であった。想定範囲内だ。そして、帰ってきた波は、確かに計算どおりの遅れを伴って、地球に帰還した。光速で進む電波にとっては未来に送っていることになる。電波に人が乗っていたら、その人にとっては時間が1秒も進まないことになる。

 何とも不思議な感じがするが、電波にとっては1日弱ほどの未来に、一瞬でタイムスリップしたことになる。


 あとは計測を重ねて、確率を上げる方法を探るべく、周波数を変えてみたり、振幅を変えてみたり、照射角度をほんの微妙に変えてみたりを検証した。

 正直失敗することも多かったが、失敗の連続は成功への足掛かりとなって、少しずつだが確率を上げていった。


 一方で宇宙ヨットの開発班は、ワームホールに到達させるためのプロトタイプを開発していた。かつてJAXAは、イカロスという宇宙ヨットを航行させたが、改良を重ねて今度は、数光年先の天体に向けて放ち、そこで周回させるのだ。確かなミッションを持ったこの宇宙ヨットは『ミムジー』と名付けられ、『ミムジープロジェクト』と呼ばれることになった。かつて『ミムジー ~未来からのメッセージ~』というSF映画があり、まさしく未来からのメッセージを実現させるための計画なので、そう名付けられた。


 『ミムジー』を完成させる頃には、超遠距離の電波送受信技術を確立させたい。『ミムジー』には電波の反射に適した反射板を何枚か取り付けられる。この反射版はワームホールの方向から入射された波を地球に返すように、自動で調整する優れた機能を持っている。超遠距離でも微弱な地球の光をキャッチする高感度センサーが取り付けられるのだ。さらには、超高速で進みつつも、ワームホール付近の指定された場所で、ちゃんと静止してくれる機能も搭載されている。そんな精緻で高性能、かつ超高速のフライトでも壊れない丈夫な機械は、大学の力のみでは到底開発できない。


 今回は未来から過去に送るという性質上、誰かが、この実験を見届けることはできない。人間を過去にタイムトラベルさせることは、まだできないからだ。だから、いまから何十年間も継続的に電波を発射し続けることで、31年先の未来から電波を受信する。それによって、過去への電波送信技術を証明するのだ。


 最大の難関は、電波が果たしてワームホールを超えられるか、ワームホールを通過することでワームホールが破壊されないかが分からなかった。コンピュータ上で仮想ワームホールを再現し、仮想で電波を通過させることはできるが、実際に試すことはできない。もし、実際に通過させて破壊してしまったらそれで終わりだ。打ち上げ花火を試しに発射させることができないのと似ているような気がする。

 希望的観測で言えば、ワームホール周辺の光子はひとりでにワームホールを通過しているだろうが、未だ破壊されていないということは、非常に安定しているという証拠であると言えよう。その希望に懸けたい気持ちだ。


 それから、苦節1年半もの試行錯誤を経て、『ミムジープロジェクト』によりプロトタイプにさらに改良を重ねた、実際に宇宙航行させる宇宙ヨット『ミムジー』versionいくつかを開発することになる。

 俺もその『ミムジー』の発射を班のメンバーと一緒に見届ける。見事、第二宇宙速度を振り切って射出された『ミムジー』は、宇宙空間で帆を拡げた。太陽の光を受けて、計算どおりの方向に向かってぐんぐんと地球から離れて行く。


 メンバーは歓喜していた。俺もその中に交じってハイタッチをした。とは言え、まだ地球を脱出したばかりだから、ワームホールに到達するには、仮に光速の4分の1であっても8年ほどかかる。そこでうまく軌道に乗れるか否かは、8年後にならないと分からない。


 果てしなく気の遠くなる研究と実験をワンチャンスに懸ける、このプロジェクトチームの気概には感心させられる。と言いながら、俺自身もその気の遠くなる実験の、立派な一員になってしまっているのだが。



 時は少し戻り、まだミムジー開発に余念がなかった頃、研究が進む中で、つい悪い癖で帰りが遅くなってしまったり休日の出勤が多くなってしまったりしている。いつも舞理の方が帰りは早い。仕事が順調ということで舞理は喜んでくれているが、やっぱり淋しい思いをさせてしまっている。もともと他者に依存しやすい傾向のある性格だから、なおのことだろう。

 たまには早く帰ろうと研究にキリをつけ、20時くらいに帰宅した。金曜日だったので、「たまには一緒に飲まない?」と舞理から誘ってきた。

 今日は、昼のうちから早く帰る決意をして、そのように舞理にも伝えていたので、食事もごちそうだった。特段、記念日でも何でもなかったが、早く帰ること、ゆっくり晩酌をすることが、もはや記念と言わんばかりだ。

「ごめんな、いつも淋しい思いさせちゃって」

「いいよ」

 そう彼女は言ったが、やはり内心は淋しいのだろう。買ったもののほとんど出番がなく、久しぶりに奥から引っ張りだしてきたワイングラスに注がれた白ワインが、リビングの優しいダウンライトの光を集めている。

 舞理は、少し寄ったのか身体を寄せて上目遣いで言ってきた。

「ねえ、守泰くんは、子どもは嫌い?」

 唐突だった。でもシンプルな質問に動揺はない。

「好きだよ」

「ねえ、私。子どもが欲しいな。守泰くんみたいに聡明で好奇心旺盛で、元気な子」


 その日の夜の出来事は言わずもがなだった。子どもという俺との絆を渇望していたのか。多忙で情事は久しぶりのことだった。ここまで舞理が妖艶に見えたのは初めてだった。



 数週間後、舞理は生理が来ないことを報告してきた。既に妊娠検査薬を購入していた舞理は、陽性の判定線を見せる。

「やった!」

「おめでとう!」俺と舞理は抱擁し合った。


 その後、上司だけにはそのことを報告すると、研究も遅くまでやりすぎないようにと、しっかり釘を刺されてしまった。


 思ったより悪阻つわりが酷かった。男は一生経験することができない。そんな想像を超える状態で、仕事も休めないのはどれだけ辛いことだろうか。頭で分かろうとしても、こういうときどうすれば良いのか、分かってあげられない俺自身を恥じた。まるで、研究でそのことを忘れようとしているみたいに。


 しかし、妊娠経過自体は順調で、お腹の子はすくすく育って行った。ついに産休を取得して、来る7月23日。俺が27歳のとき。元気な女の子が誕生した。

 文月ふみづき23ふみの日、文字通り『ふみの日』に音を鳴らしたという由来で、『詞音ふみね』と名付けられた。

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