Side F 16(Fumine Hinokuchi) はじめての夢

「女優を目指したい」

 当然と言うのか、お母さんにはめちゃめちゃ反対された。お母さんはいわゆる教育ママで、娘については成績のことしか関心がない。ゆえに勉強や大学進学を妨害する因子については全力で排除する。養育費を受け取っていても、生活のほとんどを教育に費やし、質素に生きてきた母親だ。いきなり女優の道に進みたいなんて言ったらそりゃ反対するだろう。しかし、反対は想定内だけど、こんなにも反対されるものか、というような猛反対っぷりだった。


 宮本先輩からは定期的にどうなったかと連絡が来る。しかし、お母さんの態度はそう簡単に翻らない。中学を卒業したら、東京の水道橋すいどうばし高校という私立高校の舞台芸術科とやらを受けることになるらしい。舞台芸術科のある高校は全国的にも珍しく、各地方から県を跨いで学生が入ってくるため学校の寮がある。

 武蔵紫苑監督(本名:宮本紫郎しろう)は、その高校の『名誉アドバイザー』なる役職であるらしく、しかも、有名映画監督ということでかなり強い発言力を持っているようだ。実質推薦入試に出願したら鶴の一声で合格させられるくらいの力があるという話なので、願書を書けば合格できたも同然の状態だという。


 しかしながら、あたしのいまの境遇がどんなに栄誉なことなのか分からないのか、お母さんはあたしを大学進学させたい気持ちで頭がいっぱいだ。学費や寮での生活費などの問題はさておき、いつもの一番で「大学はどうすんの?」と厳しく問いただされる。


 武蔵監督の提案には最初かなり戸惑ったが、それでもようやく自分が自分らしく生きる道を見出したようで、何が何でもその道をチャレンジしてみたいと思った。

 おそらく俳優、女優を志しても、才能やチャンスに巡り会えず、その道に進めない人の方が圧倒的に多いはずだ。そうであれば、せっかくあたしに来た千載一遇のチャンスを逃したくはなかった。


 それに、女優の道を諦めても、大学進学はできる。勉強をやり直す必要があるので大変だと思うが、進学に年齢は関係ない。

 しかし、お母さんは、いわゆる『リケジョ(理系女子)』を志して挫折した苦い過去があるらしく、その夢をあたしに託しているとのこと。そう言えば、昔JAXAの事務職を務めていたとの話を聞いたことがある。もともと聡明だというお母さんは、理工学部に進んでいれば、今頃宇宙の最先端技術を研究していたに違いない、とも豪語していたっけ。でも、聡明だという割に、このことについては何と頑迷がんめいな、と娘ながら思う。


 宮本先輩も何度も武蔵監督からどうなったか聞かれているらしく、そのたびにあたしに電話が来るが、期待に添えない回答しかできず、とても申し訳なく思っている。お母さんは、演劇にも映画にも特段興味がないらしい。あたしの檜舞台に一度たりとも来たことはないから、半信半疑かもしれません、と伝えたところ、宮本先輩はこう言った。

『それなら、父を連れて、説得に行くよ。こないだの全国大会の様子はばっちりビデオに収めているから』


 あたしは大いに慌てた。お母さんは、必要最低限の人としか関わろうとしない。もともと友達の多い方ではなかったようだが、離婚を経てさらに人を選ぶようになったように思える。プライベートで付き合う友達はほぼ皆無だと言って良い。いまだって、生活のために熊本の大学事務職員をやっているけど、それがなければ誰とも交流していないのではなかろうか。

 だからあたしが知る限り、我が家にお客さんが来た記憶はない。あたしの友達も来たことがない。必要以上に我が家に誰かが来ることを拒絶しているきらいがある。ただでさえ、自分を説得しに来る目的の訪問を、受け入れる理由がない。

 では、場所を変えれば良いかと言うと、それもまた難儀だった。お母さんは、仕事か生活に必要な用事以外に外出しない人だからだ。


 しかしながら、直接説得してくれるという宮本父子おやこの熱意を、お母さんのわがままで無下にするわけにはいかない。

「実は今度お客さんを連れて来たいんだけど、お母さんも一緒に立ち会って欲しいんだけどいいかな?」

 なぜかお母さんを前にすると言いたいことが強く言えない。お母さんには、私立の中学を行かせてもらって勉強の環境を与えてもらっている。勉強との両立を条件に、演劇部にも入らせてもらっている。なんだかんだ言って、お母さんがいないとあたしの生活は成り立たない。

「何? 彼氏でもできたの?」

 お母さんの口からこんな言葉が出るとは思わなかったので、あたしは面喰らった。

「ち、違うって!」

「あ、そ。それならいいんだけどさ。で、何の用なの?」

 あたしはすぐに言葉が紡げなかった。お母さんがどういうリアクションを示すのか見当がつかない。

「……ねえ、武蔵紫苑監督って知ってる?」

 急に話題を変えてどうしたの、みたいないぶかしげな表情をして、母は口を開いた。

「映画監督? そりゃ、名前くらいは知ってるよ。有名だよね? 何かの映画賞とか獲ってたっけ?」

「そうそう! その人!」

 あとから知ったのだが、それくらい高名な人らしい。お母さんが知ってたのは好都合だ。このまま乗ってくれるだろうか。

「まさか、その人があんたを映画俳優に誘ってるってわけ? でも、それは嘘よ。そうやってたくさんのちょっと演技がうまい子を青田買いして、芽が出なかったらポイッとされておしまいよ。9割9分がそうで、生き残るのは一握りもいないんだから」

「……」

 正論かもしれないが、挑戦もしていないのに勝手に決めつけられるのはとても悔しい。

「映画監督の事務所か何かかが説得に来るのかな? でも悪いけど、あんたにはそんな冒険はさせれない。途中でポイッとされたら、私ができなかったJAXA研究員になんてなれないんだから」

 初耳だった。あたしは宇宙が好きだが、それを生業なりわいにすると言った覚えはない。

「お母さんは、あたしをJAXA研究員にさせたいの?」

「JAXAじゃなくてもアメリカ航空宇宙局NASAでもいいけどね。お母さんが成し遂げられない夢、あんたに託すんだから」

 無茶苦茶な。宇宙の仕事に魅力を感じないわけではないが、親に強制されるものではないだろう。まして、別のもっとやりたいことを見つけたのだから。


「武蔵紫苑監督本人が、うちに来るの!」

 あたしは強い口調で言った。

「バカな。そんなデタラメを言わないで」

「本当に来るんだもん。横浜の大会で本人にも会って、名刺もくれた!」

「嘘つくな。演技のしすぎで虚言癖まで出るようになった?」

「虚言癖じゃない! ちゃんとあたしをスカウトした! そして、お母さんを説得するのが難しければ、武蔵紫苑本人が来るって!」

「はぁー!? ひょっとして、ハリウッドの主演を約束します、とでも言われてるわけ?」

 挑発だ。お母さんにバカにされている。さすがに武蔵監督にそんなことまで言われていない。けど、挑発に乗りたくないという気持ちと裏腹に、お母さんへの怒りが、本当にあたしにを吐かせてしまう。

「確約したの! 武蔵監督はあたしなら絶対国民的女優になれる。主演女優賞も夢じゃない。自分の映画に出てくれないかって」

「そこまで言うなら、監督本人の言うことを聞いてみようじゃないの」

 言ってしまった。お母さんは会ってくれると言ったが、大見得おおみえを切ってしまった。どうしよう。これで武蔵監督にあっさり否定されたら、あたしの夢は断たれる。言い直すなら今だ。だけど言い直したら会ってくれなくなる。葛藤はついにあたしに言い間違いを正すチャンスを奪ってしまった。

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