Chapter 2 破

Side P 16(Agui Moriyasu) 新たな門出

 俺たちの結婚式は、羽田空港のアクセスが便利な品川駅付近のホテルのチャペルで簡素に挙げた。舞理にそこまで友人が多くないらしく、また、地元は遠方である。お互いに家族と最低限の親戚だけを呼んで、挙式後は双方の家族で食事をした。挙式とは別に友人を呼んで披露宴や二次会を開催することもない。


 世の中、お世話になった人に晴れ姿をお披露目したいということで、大人数にして豪華絢爛ごうかけんらんな披露宴を挙げる人もいるが、俺たちはそれを望まなかった。何か形に残るものでなければ、大金を使うべきではない。というのが俺と舞理の考え方で、価値観が似ていて良かったと思っている。


 結婚生活も派手さはなかったが、幸せだった。東急東横線とJR横浜線の交わる港北こうほく区の菊名きくな駅周辺に新居を構えた。JAXAの府中ふちゅう航空宇宙センターから乗車時間で1時間くらいかかってしまうが、横浜市内のほうが色々と慣れている。

 研究の方もおかげさまで順調だった。JAXAに行けば当然JAXAの研究に従事するかと思っていたが、横浜理科大学での業績に注目し、相対性理論を活用したデータの時空を超えた送受信技術の研究を横浜理科大学との共同で進めることになった。

 さらに朗報なことに、時任先生が「おカタ~い」とディスっていた総務省の『情報倫理審議会』で、公益性が私益を大いに上回る情報に限り、過去、そして未来へのデータの送受信を可能とする方針を打ち出したと言う。中央省庁がそのような決定を出したからこそ、JAXAでの研究が叶っているわけであるが、とにかくありがたい話だった。しかしながら、実際にこの技術を活用するにも厳しい倫理審査を通過する必要があるので、実用化されても気軽に、というわけにはいかないだろう。


 あとは、従来から進めている宇宙ヨットの開発と並行して、俺が未来から過去へのデータ送信技術を確立すれば良い。

 長距離を進ませるための電波発信技術。距離はボイジャーの比ではない。しかし、ワームホールまでは確実に届かせる必要がある。そんなまさしく天文学的な長距離を安定して搬送波を飛ばすための研究は日夜続いた。


 実は、もう一点嬉しいことがあった。邨瀬の小説が映画化されたというのだ。タイトルは『Ωオームは二度死に二度蘇る』である。俺が邨瀬にせがまれて、捨て鉢で考えたタイトルがそのまま採用されてしまった。心機一転、『篁未来』という新しいペンネームで既に書籍化されていて、一見ネタバレとも思われる奇天烈きてれつなタイトルが却ってインパクトを残したか、文芸書籍ランキングでじわりじわり上がってきているのは、薄々感じていた。ある日、邨瀬から喜びのあまり、電話で映画化予定であることを、公式発表よりも早く教えてくれた。


 ロードショーが訪れ実際に映画館まで観に行ってみると、原作との多少の違いがあったものの、うまくまとめられていた。コストの問題かキャスティングのミスなのか尺の問題かで、原作より大いに劣ってしまう作品もあるので、魅力が損なわれないか心配していたが、伊達に映画評論をしてこなかったと自負している俺から観ても、映画は及第点だったと言える。

 しかし、数多あまたの映画を観てきたが、原作者が『知人』である作品は、初めてのことであった。


 また、映画化は少なからず『篁未来』の知名度を上げ、邨瀬弥隆名義で刊行した作品までも日の目を浴びつつある。理系ミステリーあるいは科学ミステリーの新進気鋭などと異名までついて、上昇気流に乗っていた。いまさらながらサインでも貰っておいた方が良かったかな、とミーハーなことを考えている。(ヒット作のタイトルを考えた義理もあるから、その気になれば、いつでも貰えるような気がしているが……)


 それはさておき、俺も負けていられない。邨瀬に追従して、俺も良い成果を出したいなと思っているところだ。取りあえずワームホールは関係なしに、エッジワース・カイパーベルト天体の準惑星の一つであるエリスに電波を飛ばして反射させ、地球上の巨大パラボラアンテナで安定して受信する理論は確立していた。

 エリスは冥王星の3倍ほど太陽から離れているが、何光年先というワームホールには遠く及ばないため、光速でも往復で1日かからないくらいである。それでもいまのところ、成功すれば電波の最遠の到達記録として、ペーパーは書けそうだ。基本的には、反射させるターゲットの場所に到達する時間を計算し、その時間後に移動する場所に照準を合わせて送信する。電波は障害物がなければ直進するので、上手くいけば反射させるターゲットにぶつかる。ただ、地球とターゲットの直線上に障害物がなくても、その付近に重い天体が存在すると、相対性理論に従ってわずかに歪み方向を変える。問題はターゲットの天体上でうまく反射してくれるかだ。金属様の表面なら反射しやすいが、所詮は岩だろうから、幾分かは吸収される。また、垂直に反射することはかなり奇跡的なことだろうから、強力な電波を幾回数発射しなければならない。その場合、電波同士で干渉しあう可能性もある。


 無線局の開設許可を地方総合通信局に提出し、時間はかかったが免許手続きも終えた。Xエックスバンド、Kaケーエーバンドを使用し、マイクロ波を射出する筐体きょうたいを開発。0.1 µm単位の精度で筐体きょうたいの位置、角度を調整できる。たぶんこんな研究をやっているのも俺たちくらいだろうが、ワームホールと宇宙ヨットの組み合わせで過去へのデータ送信技術が確立されたとき、大きな意味をなす。


 特許申請の準備と並行して、実証実験を観測天文学のチームと大学の協力を得て行う。

 初めて送るデータは、個人情報を含まない英語のテキストデータだ。大学から時任先生と波多野さんも、JAXAに応援に駆けつけていた。


「発射5秒前、4、3、2、1、発射!」

 まるでロケットでも打ち上げるかのように大袈裟なコールとともに、搬送波ははるか遠い準惑星に向かって発射された。長い研究生活の道のりの第一歩となる、俺にとっては記念すべき瞬間であった。

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