Side F 14(Fumine Hinokuchi) NEO

 トイレで聞こえた怒声は、かなりドスが利いていたが、明らかに女性の声だった。服を直して扉を開けると、もの凄い剣幕の今村さんがいた。それと、田中さんとその一派。

 今村さんは、田中さんの胸倉を掴んで、そのままトイレの壁に押し付けた。身長約170 cmでガタイも良い田中さん相手に、身長160 cmそこそこで、スレンダーで華奢きゃしゃな印象すらある今村さんが、力で押さえ付けている。

「な、何で……?」

「閘詞音ば演劇部のエースちゃ! 火傷やけどさすのは、サッカー部のエースの脚ば折るんと一緒やと!」

 人形の様に美しい今村さんには似つかわしくない、迫力のある声とバリバリの九州弁。

「す、すんません」

 しかし、なおも力を緩めようとしない今村さん。こんなに怒っているのは見たことがない。とうとうあたしは耐えかねた。

「今村さん、やめて。あたしは大丈夫だから」

 そう言うとあたしを一瞥いちべつして、彼女は力を緩めた。


 その後、今村さんの迫力にされて、田中さんとその取り巻きはプライドをどこかに捨てたかのようにあたしに謝りたおした。それだけ今村さんが怖かったようだ。

 あとで聞いた話では、田中さんの父親は今村さんの父親の部下らしい。だから今村さんには絶対的に服従し、信奉しんぽうしていた。今村さんの最初の心ない一言に、右向け右で田中さんとその一派はいじめる側に加担した。そのうち、演劇部で今村さんとヒロインを巡って敵対関係であると察した田中さんらはあたしをおとしめるために、いじめを繰り返す。でも、とうの昔に今村さんとあたしは同じ夢に向かう同志になっていて、そのことに田中さんらは気付かず、盲目的にいじめを繰り返していたのだ。あたしが校内で有名になってから、表立ったいじめは減った分、陰湿かつあたしの外見を損なわせるいじめが増えていった。それが今村さんの逆鱗げきりんに触れたというのだ。

 おかげさまで、あたしに対するいじめはきっぱりとなくなった。


 そして、あたしを纏っていたネガティブな噂は少しずつ消えて行った。また少し遅い第二次性徴の現れか、あたしは身長が1年で10 cm以上も伸びて、140 cm台前半から160 cm近くになり、顔つきも身体つきも急に大人の女性らしくなったように感じた。ちょっと前まで身に着けていたはずの服も下着も全然合わないし、節々が成長痛で痛い。

 男子生徒らの視線を嫌でも感じるようになり、ラブレターが入っていたこともあった。生憎あいにく、精神年齢は実年齢に及んでおらず幼稚のままだから、異性にも未だ興味を抱いていない。


 異性に恋心は抱けないが、その分フィクションの世界にどっぷり陶酔とうすいしている。いつも篁未来の作品が、時にあたしをどん底から救い出し、時に心の闇を代弁し、時に愚かなあたしをさとし、時にくだらないことで共鳴してくれる。

 横浜理科大学という名門理系大学出身ながら、文道ぶんどうに身を置き続ける異色の作家。当初はそのアドバンテージを活かしてSF作家という印象が強かったが、最近は耽美な恋愛小説、ホラー要素ありの社会派サスペンス、壮大な異世界ファンタジー、ハードボイルドな探偵がアングラの世界を成敗するアクションミステリー、爽やかな青春スポーツ小説など、多作でオールラウンダー。本当に同じ作者かと疑ってしまうくらい主人公によって筆致を使い分け、まさしく作家界の名優だ。いわゆる王道から逸脱しているので、それを好まない読書家には敬遠されがちだが、換言すればオリジナリティーに富んでいて飽きさせない。

 唯一残念なのは、タイトルが惜しいこと。あたしだったらこう付けるのにな、と思わせる作品が多い。そんな篁未来は、デビューしたてはわずかながら本名で活動していて、当初は鳴かず飛ばずだったらしいが、ペンネームを今のものに変えた瞬間に、一躍売れるようになり、いまでも強い人気を誇っている。

 篁未来の作品は数多くあれど、科学が好きなあたしにとっていちばん面白いのは、やっぱりSFだと思う。


 あたしは入部して1年弱になるが、演技は我流で後輩に教えることもできないし、千尋ちゃんみたいに魔法のようなメイクで魅力を引き出すこともできない。小道具や衣装を生み出す手先の器用さもない。キャスティングにも口を出せない。


 あたしは演技でしか役に立たない人間だと思うが、1つ夢があった。脚本作りに携わってみたいとずっと思っていたのだ。夏の全国大会は『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』で行くのだが、もうちょっと篁未来っぽいSF要素は入れられないか。意を決してそんなことを提案してみた。

 と言うのも、3月の演劇が話題となり、新入部員が増えた。当然、宮本部長も含めて三年生の分の穴埋めのキャスティングをするが、それでも役は余っている。であれば、少し物語の登場人物を増やせないか。そのためには脚本をもうちょっと重厚なものにしてみてはどうか、という考えだ。


 普段から篁作品を耽読たんどくしていたあたしは、おかげさまで想像力(妄想力?)が豊かになった、と勝手に思っている。そして、お父さんの影響で、宇宙や物理が大好きなあたしは、それなりに知識もあると自負している。『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』に時空を超えた情報通信、パラレルワールドの世界、タイムパラドックスの仕掛けなどを用意してリアリティを増し、物語の精度を高めた。

 演劇時間は概ね60分以内とされているので、それくらいに収まるかは心配だったが、物語にさして重要ではない時間稼ぎのようなセリフは削除して、おそらく60分くらいで演技し終えるくらいの長さになったように思う。


 あたしが劇の内容に口を出すことは初めてのことなので、みんなビックリしていたが、それでも想像以上にうまくストーリーをリニューアルできたと、今村さん、千尋ちゃんをはじめ賛同してくれた。素直に嬉しい。

 かくして『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』は、『NEOネオ・龍宮スイングバイ・ノスタルジア』に生まれ変わり、キャスティングは今村さんの鶴の一声で決まっていった。

 小道具や衣装も追加が必要になり、7月の全国大会に向けて部員たちは多忙を極めたが、それでも全国ではさらにもうワンランクを目指して、至高の演劇にしようと皆、精を出した。


 そして、ようやく新入部員も含めて気持ちが1つになり、演技は仕上がってきた。小道具や衣装もでき上がり、あとは本番を待つだけとなった。


「全国大会行ったからには、最優秀賞目指そう! 水前寺すいぜんじーっ! オー!」

 我らが水前寺中学校のかけ声とともに一致団結し、いよいよあたしたちは、本番の舞台となる横浜に向かう。


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