Side P 10(Agui Moriyasu) 鉄は熱いうちに打て

 宇宙情報通信は、噛み砕いて言えば通信衛星や測位衛星などとの情報通信に関する技術で、宇宙開発を進める横浜理科大学においても、情報通信技術の技術研究は欠かせないものになっている。教授は衛藤えとうしげる先生といって、白髪の壮年の教授である。時任先生も学生時代にお世話になったとか。


「いいでしょう。協力しますよ。どんなアイディアも可能性を秘めていますからね」

 意外にも二つ返事で衛藤先生は承諾してくれた。

 実際のところ俺は不安に感じていた。未来に電波を送る。こんな実用性がない話に乗ってくれるわけなかろうと思っていた。

 過去から未来に情報を送る。例えば、白亜紀はくあきにその技術が確立されていれば恐竜絶滅の真相が解明されるかもしれないし、弥生時代であれば邪馬台国やまたいこくの場所を特定できたかもしれない。しかし、未だ技術が確立されていない現在、まったくの無意味の技術だ。まだ見ぬ自分の子孫にメッセージを送るとか、そういうことは可能かもしれないが、それならそんな大それた技術を駆使しなくても、手紙やCD-ROMなどで残せばいいだけの話である。

「ありがとうございます」

 時任先生は礼を言った。しかし、その直後衛藤先生の目つきが一瞬鋭くなった。

「ただし、一つだけ条件がある。可能なら過去に送る通信技術を考えたいものです。その技術のアイディアを考えてくれませんか。できるだけ実現可能性のある手段で」

「やはり情報を、時空を超えて送受信する真骨頂は、そこにありますよね」

「ええ。未来に情報を送るよりも過去に送る方が、よっぽど意義がある。しかしながら、未来へ送るよりも過去に送る方がはるかに難しい。そのあたりは時任先生の専門だからよく分かっているはずですね。しかし、それが実現可能となった暁にはノーベル賞もの発見になるだろうし、一方でパンドラのはこを開けることになるかもしれない。どちらにしろ大発見になることになるでしょう。情報通信技術の云々うんぬんだったら、我々はいくらでもお教えします」

「ありがとうございます。では、アイディアをペーパーにまとめてお持ちしますよ」

「期待してますよ。時任先生」


 衛藤先生は不敵な笑みを浮かべた。最初は協力的だと思ったが、向こうが提示した条件は実質不可能なものだ。電波は光と同じ速さだが、光より速く進むことはできない。過去に向けて送信するためには、理論上光より速く移動するものに情報を乗せないといけないが、光より速いものはないとされるので、無理難題だ。

 やはり時任先生と言いこの先生といい、教授クラスの先生はクセがあるな、と思った。

 しかし、「よし、ポアンカレくん、さっそく案をまとめてみろ」と時任先生はさらりと言う。

「そんな簡単に?」

「ああ、他ならぬ君だから言ってる」時任先生はちょっとおどけて見せたあと、すぐに真面目な表情になり、続けた。「それに俺の勝手な憶測だが、ポアンカレくん。君は実はもう何か閃いてるんじゃないか?」

「……」

 当たらずとも遠からず、だった。アイディアは閃いても、それが果たして実現可能性があるかどうかは分からない。

「図星かな?」先生がニヤリと笑う。

「あ、いや、でも衛藤先生は、できるだけ実現可能性のある手段で、とおっしゃってしゃってました」

「そんなのはあとから考えればいい。ってか僕が考えてやる。どんな荒唐無稽こうとうむけいに見えるアイディアだって未熟なアイディアだって、ひょっとしたら宝物かもしれないんだ。昔の大発見や大発明は、得てしてそういった一見あり得ないような推測から導かれたものが多い。だから僕は、どんな風変わりな発想でもアイディアでも、批評はしても侮辱はしない。子どものような探究心や閃きは科学者が科学者であるための、いちばんの資質じゃないかって勝手に思ってる」

 時任先生らしい発言だと思った。教授らしからぬ子どもっぽさはあるが、それがこの人を科学者の最先端を担おうとするパワーの源なのだ。非常にありがたい。だからアイディアを存分にぶつけられる。

「分かりました。そう言って頂けると自分もありがたいです」

「じゃ、さっそく考えをまとめてみてくれ。一両日中にできそうか?」

「一両日中!?」

 こういう風に言うときの先生は大体、明日までに、という意味だ。

「鉄は熱いうちに打て、だ。衛藤先生が乗り気なときに、さっさとこっちのフィールドに巻き込んでしまおう」

 相変わらずアクティブで、アグレッシブである。どちらかと言うと、衛藤先生が前向きな印象にはあまり見えなかったが。

「もしペーパーが間に合わんなら、未完成でも口頭でもいい」と、時任先生は付け足した。

「最悪、口頭でお願いします」

「おっし、楽しみにしてっぞ!」

 時任先生はにこやかな表情で意気揚々として言った。


 というわけで、俺は、研究室でも帰ったあとでも衛藤先生からの難題についてペーパーをまとめていた。まとめながら、先ほどの時任先生の物言いから、先生自身も何か閃いているような気がした。それが、俺がいま考えているのと同じアイディアじゃないかという気もしてきた。

 もともと理論宇宙物理学は、理論上で宇宙の秘密に迫っていった。理論上あり得る事象は、この広い宇宙のどこかにきっと存在する、というのが時任先生の口癖である。そんな夢を追いかけ続ける時任先生は嫌いじゃない。だから、タイムトラベルを真剣に夢見て、その可能性を探り続けている。きっとタイムマシンによる旅行に、最初に志願しそうな勢いだ。

「本当に先生なら、アイディアを実現してしまうかもしれないな」

 そんなことを独りごちながら、今日も夜遅い時間までノートパソコンを叩き続けた。


 翌日俺は、約束どおり研究室に、案をまとめたペーパーを持っていった。いや、まとめたと言えるほど綺麗なものではなく、メモとか落書きに近いような雑なものだ。そして机上の空論に他ならない程度の、稚拙ちせつなアイディアかもしれない。でも、どんな発想も宝物かもしれないと表現してくれた時任先生を俺は信じたい。

 時任先生は、俺のペーパーをしげしげと眺める。

「おー、おー、おー!」先生は目を見開いて興奮しているようだ。

「ど、どうっすか?」

「いーよ! いーよ! 基本路線は俺と同じだけど、細部におもしろいアイディアが詰まってる。もう少しブラッシュアップして衛藤先生んとこ、持っていこ!」

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