Side F 10(Fumine Hinokuchi) 正式入部

 『白票』という言葉を聞いてあたしはしばらく茫然ぼうぜんとそこに立ちすくんだ。5対4。数秒経ってようやく自分が負けたことを理解した。

 悔しさ、空しさ、今後の不安、そしてちょっとだけ安堵。様々な複雑な感情たちが一気に押し寄せて、あたしは壊れたアンドロイドのごとく処理落ちしていた。

「英玲奈、やった!」と言ってはしゃぐ今村さんの支持者。

「誰だよ! 白票入れたの!?」と叫ぶ男子部員。

「最終的に判断するの部長でしょ?」と冷静を呼びかける女子部員。

 いろいろな声が交じり合っている。

 あたしは負け犬として一刻も早くここを立ち去るべきか、今村さんのヒロイン任命セレモニーを見届けないといけないのか分からなかった。


 ふと今村さんを見やると、目が合ってしまった。こちらを睥睨へいげいしているが、蔑んでいるとか勝ち誇っているとかと聞かれればそうでもないような、何とも言えない表情だった。


「詞音ちゃん、ごめん」

 千尋ちゃんがあたしに近付いて言った。ぼんやりしていて即座に反応できなかったが、謝らなければいけないのはあたしの方だ、とすぐ頭の中を整理した。

「千尋ちゃん、ごめん……」

 処理落ちしているあたしは、画一的な返答しかできなかったが、気付くと涙がこぼれていた。その瞬間、悔しさと申し訳なさがその他感情たちを上回った。

 あたしは続けた。

「ありがとう、いい夢見させてもらったよ。あたしは帰るね」

 涙は止まる気配がない。あたしはせっかくのメイクが崩れる前にここを立ち去りたかった。しかしながら、千尋ちゃんはそれをさせようとしない。

「ごめん。まだ部長が諦めてないかもしれないから」

 部長を一瞥いちべつすると、頭を抱えて何か悩んでいる様子だ。まさか、多数決による決定を覆す気なのか。そんなことをしたら、今村さんが黙っているわけがない。


「部長! 宮本部長!」誰かがたまりかねて言った。

 そして10秒ほどして部長が口を開いた。

「英玲奈、それから閘さん、二人ともお疲れ様。とても素晴らしい演技でした。特に閘さんは、短期間で無茶な要求だったけど、想像をはるかに上回る圧巻の演技だったよ。僕の目は間違いじゃなかった」

 ひょっとして、と期待と不安が入り交ざる。部長は続ける。

「……だけど、いくら僕が閘さんを推したとしても、多数決という明確な決着がついた以上、閘さんをヒロインにはできない。演劇部はチームプレイ。みんなが納得しなければ、いい劇にならない。申し訳ない!」

 部長は深々と頭を下げた。これで引導を渡されたことになる。ようやく変な緊張から解放された。よくよく考えれば、当初望んでいた『惜敗』で幕を閉じたんじゃないか。

 でも、今村さんに負けたことに変わりはない。噂が広まり、あたしへのいじめが加速しないか、それだけが心配だった。

 しかし、部長はすぐに頭を上げて続けた。

「でも、僕は諦めきれない。ヒロイン役は英玲奈だけど、閘さんにもどこか役を当てれないかと思ってる。僕が想像するに、閘さんは自分で催眠をかけるかのように、その役に入り込む力がある。演技にリアリティがあって、観る者を強く惹き付ける。現に英玲奈相手に4票勝ち取った。これはすごいことなんだ。だから劇に出てくれないか」

「えっ?」突然の意外な申し出に困惑せざるを得ない。

「大丈夫。もともと考えていた役だけど、適役がいなくて諦めかけていたポジションなんだ。博士による『ヒパティア』救出を手助けする、宇宙探査局の女性研究員役が本当はいたんだ。ど、どうかな?」

 宮本部長が少し心配そうにあたしにお伺いを立てる。優柔不断なあたしが即答できようはずもないのに。


「あの!」そこで満を持して口を開いたのは、今村さんだった。「閘さん。私からも言わせてもらう。ムカつくけどあんたの演技は想像以上の出来だった。いくら千尋の指導とメイクが良かったとしても、あんな短期間でなかなかあそこまで気合いの入った演技はできるもんじゃない。だから、私からのお願い、いや、命令と思って聞いて。演劇部に入りなさい。『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』は学祭だけじゃなくて、選手権でも披露される予定なんよ。そこであんたの実力が上回れば、お望みどおり『ヒパティア』役を譲ってやるさ」

「……」

 お望みどおりって、あたしは特に望んで部室の扉を叩いたわけではないのだが、今村さんの睨むような目付きに圧倒された。しかし、その目には真剣さがもっているように見えた。

 今度は部長が言う。

「英玲奈が言うくらいだ。あんだけの才能を見せつけられて、みすみす手放すのは惜しい。だからぜひ入部して下さい。お願いします」

 再び部長が頭を下げる。

「あたしからもお願いしてもいいと?」と、方言まじりで懇願する千尋ちゃん。

「お、俺も、閘さんの演技には感動した」「いっしょにいい劇を創って欲しい」など、他の部員たちも口を開いた。

「は、はい……、分かりました」

 もはや断れるような雰囲気ではなくなっていた。ここで断ったらそれこそどうなることやら考えただけで恐ろしい。

「ありがとう! 英玲奈に閘さん! 選手権の優勝も狙えるんじゃないか?」

 部長は欣喜雀躍きんきじゃくやくしている。地味で勉強だけが取り柄のつまらないあたしに、小さな光が射した瞬間だった。



 それから、あたしは正式に入部届を出して、部活に毎日顔を出すことになった。

 あたしのお母さんには、最初猛反対された。娘に読書か勉強することしか許してくれないお母さんだ。反対されるのは想定済みだったので、「勉強だけはちゃんとやる」「成績が落ちたら辞めてもいい」という条件付きでやっと許可してくれた。この学校は中・高一貫で、中学生でガツガツ勉強している人はそんなにいないので、成績はたぶん維持できると思うが、実際、もともと演劇部に入ることをそこまで強く望んでいなかったあたしにとって、嫌になったらお母さんに反対されたとかなんか言って、辞めても良いと思った。それくらいの気楽さで臨んでいる。

 『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』の脚本には急遽手を加えられた。無論あたしの配役を追加するためだ。脇役だがセリフはそこそこ多い。地球サイドで博士をサポートする重要なキャラクターだった。

 あたしは、脚本が仕上がっていくと同時に、新たに女性研究員の像を頭に結んでいく。今度は本物の人間なので、『ヒパティア』ほどの戸惑いはない。家でも部活でもイメージトレーニングは日課となった。勉強との両立に、最初は少なからず疲れていたが、習慣化すると徐々に身体が適応してきた。


 迎える学園祭の日。あたしが二年生の、9月のとある日のこと。

 入部するまではあまり意識していなかったが、実はこの演劇部は有名で、高校演劇部のOBに著名人もいるのだとか。演劇部は中・高のキャンパスが少し離れているせいもあって、各々独立して活動しているが、学園祭における演劇は、中学でも高校でもメインイベントになっているらしい。あたしはそれまで自分の学校の演劇なんて観たこともなく、学園祭なんて早く時間が過ぎるのを待つだけの退屈なイベントだった。まさか次の学園祭で舞台の上に立とうとしているなんて、どうやって想像できただろうか。


 練習に練習を重ねて、時間をかけることなく役に入り込み、そして部員からも評価される演技に仕上げることができた。そして相変わらず千尋ちゃんのメイク技術は素晴らしい。あたしをあたし以外のキャラクターに変える魔法を持っているようだ。身も心もあたしは女性研究員になりきっていた。


 演技終了後「ブラボー!」という声が次々に上がった。たかが中学校の演劇なのにスタンディング・オベーションまで起こった。アンドロイドも良かったけど、あの女性研究員の子は誰という噂まで聞かれることになる。あの正体が閘詞音と聞いても信じないだろうな。そんな自虐的なことを思いながら、あたしの第二の学園生活な幕は切って落とされた。

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