Side F 09(Fumine Hinokuchi) 運命の開票

「続きましてエントリーナンバー2、二年E組のはざま……? せき……? しおと、しおん……さん?」

「『ひのくちふみね』。下の名前、間違っても『死ね』って読んじゃダメよ!」

 くすくすと笑い声が聞こえてくる。この期に及んでも名前でいじってくるか。


 人の前でセリフや動きのある演技を披露することは初めてだ。しかも、つい先ほど学校一の美人が目の前でオペラさながらの演技を見せつけられた。どんなに性格が好きになれなくても、悔しいが宮本先輩とのツーショットは絵になる。それに引き換えあたしは、地味でいじめられっ子の冴えない女子中学生だ。頑張って練習してきたけど、これは拷問ごうもんレベルじゃないか。緊張と不安でし潰されそうになる。


「詞音ちゃん、頑張って」

 千尋ちゃんがそっと肩を叩いてくれた。初めてじゃないだろうか。あたしを応援することはいじめられる側に回るような行為だ。大抵の人は、いじめられないためにいじめる方に加担する。自分を防衛するために。

 でも、千尋ちゃんはそんな一般的な群集心理に惑わされず、自分が正しいと思った行動をする。はっきり言って千尋ちゃんがいなかったら、とっくの昔に逃げ出していただろう。

 とにかく、あたしの『ヒパティア』をさせなきゃ。深呼吸をして瞑想のようにあたしの肉体と心に再インストールする。

「どーしたの。早くしてくれないかなー? 『死ね』ちゃんさ。笑わせてくれよ」

 この部活にはどうにも今村さんの信奉者しんぽうしゃがいるらしい。ヤジにも似た誹謗中傷を浴びせてくる。

「おい! 誰ちゃ!? いま詞音ちゃんば罵倒した奴は!? 少なくともいま罵った女よりはずっと女優っちゃ! 目に焼き付けやがれ!」

 一瞬にして静まり返る。誰の声かと思った。千尋ちゃんだった。あの童顔で笑顔の可愛らしい千尋ちゃんが、こんな人格の変わったようなドスの効いた怒り方をするなんてビックリする。彼女もこの部活の女優なのだ。怒れるキャラを憑依させたのだろうか。そうであればごく短時間ですごい切り替えだ。

 あたしはまだ少し時間がかかるしプレッシャーに弱い。もう一度精神を集中させて『ヒパティア』を召喚する。

 少しずつ、あたしの身体と精神が、徐々にあのどこか人間臭いアンドロイドに置き換わっていく。1分半くらいかかってしまったが、よし、良い感じだ。

「お待たせしました、宮本

 あたしは敢えて、先輩のことを部長と呼んだ。


 演技に入った頃には、既に見ているはずの部員たちは帰還した地球の大地の石ころにしか見えなかったし、造りかけの小道具は壊れかけた宇宙船にしか見えなかった。

 あたしは見事に『ヒパティア』を演じた。いや、演じたのではない。あたしが創り上げた『ヒパティア』そのものに変化していた。宇宙船から出る煙、博士の姿、果てしない大地、すべて脚本を読み込んでイメージした光景が目の前に拡がっていた。

 最後、抱擁するシーンに移ろうとする。綺麗な青空をバックに、宮本部長ではなくて『ヒパティア』が大好きな博士が立っている。当然あたしは大粒の涙を流していた。


 そして、感動のフィナーレを飾る抱擁シーン。あたしをした『ヒパティア』もその魂が赴くままギュッと抱き締める。気付くと博士も泣いている。

 部員は多くないはずだが大きなパチパチと拍手が聞こえてきた。その瞬間、あたしの身体から『ヒパティア』は消えていき、閘詞音に戻る。


 部長がハグを解くと、今度は「ブラボー! すごいよ!」って言って千尋ちゃんが抱きついてきた。千尋ちゃんまでが泣いているように見える。「ありがとう、ありがとう」って感謝してくれているけど、勝ちが決まったわけではない。

 あたりを見回すと、今村さんがひどく驚いたようにこちらを見ていた。そして、目が合った瞬間バツが悪そうに視線をらした。いつもあたしに対しては、冷たく射貫くような視線を向けてきた今村さんの、はじめて見せた焦りかもしれなかった。


 そうは言っても、やはり相手は手強い。演劇の素人のあたしでも迫力が伝わってきた。フランス人形のように大きな円らな瞳、彫刻でこしらえたような色白で小さな顔、明るいアッシュブラウンの艶やかな髪。アンドロイドが造形美と言うならば、今村さんも人間の理想美を追求して作られたかのように美しい。あたしにとってはいじめっ子の嫌な女のイメージしかなかったが、そういうイメージがない人にとっては、今村さんの演技の方に満足するに違いない。やはりあたしの元来の卑屈なネガティブ思考のせいで、どうしても勝ったと思えない。


 どうやら無記名式の投票で行われるらしい。残念ながら、もともとあたしを推していた部長と演技を指導してくれた千尋ちゃんには投票権がない。当然、あたしも今村さんも投票権はなく、その他の部員で投票が行われる。

 本当に公平を期すためには、部員以外に投票させるのがいちばんなのだろうが、秋の学園祭でお披露目するのだ。ネタばらしはできない。

 たかが有権者10名ほどの投票なのに、小道具作りは手慣れたものだからか、大仰おおぎょうな箱が登場した。この中に白い紙を入れるのだと言う。


 さっそく部員たちが次々と小さな紙を折り畳んで箱に入れていく。1分も経たないうちに投票が終わり開票作業に移る。

 開票するのは投票に参加しなかった千尋ちゃんだ。有権者は数えてみるとちょうど10人。引き分けの場合は部長権限で選出される。

「最初の票は今村英玲奈……」

 たかだか10票なら、すぐにカウントして結果だけを伝えてくれれば良いと思うが、千尋ちゃんは1票ずつ読み上げる。

「2票目、今村英玲奈」

 2票続けて今村さん。やはり分が悪い。

「3票目、閘詞音」

 部室がざわめく。裏切り者を呪う声なのか、同志を歓迎する声なのか分からない。

「4票目、今村英玲奈、5票目、今村英玲奈……」

 チェックメイトだ。4対1だから望みはない。短い間だったけど、良い夢を見させてもらった。宮本先輩に推薦されたとは言え、負け犬がここに残るのは拷問に近い。お礼を言ってさっさとトンズラする気持ちの準備をし始めた。

「6票目、閘詞音!」

 千尋ちゃんの声が大きくなった。神様は簡単にはとどめを刺さない。

「7票目も閘詞音!」部室がざわめく。

「8票目! 閘詞音……!」まさか!? あたしは耳を疑った。諦めモードから一転、もしかしてという希望が光り始めた。千尋ちゃんもテンションが上がってきたのか、声がさらに大きくなっている。ざわめきからどよめきになった。

「9票目、今村英玲奈」

 今村さんが先に半数に到達した。しかし、あたしには宮本先輩という強い味方がいる。ドローに持ち込めればあたしの勝ちだ。

「そして、最後の票……」

 静まり返ってみんな固唾かたずを飲んだ。


 千尋ちゃんは一瞬黙りこくった。その表情が何とも言えない複雑なもので、判断がつかない。

 3秒ほど間を置いてから、千尋ちゃんは静かに言った。

「は、白票です……」

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