Side P 02(Agui Moriyasu) それぞれの夢2

 俺と邨瀬は、専攻する学科こそ違ったが、大学二年生のときひょんなきっかけで仲良くなった。そのきっかけとは、相対論の講義でたまたま近くに座っていて、邨瀬から質問を受けたことだ。

「あの、素人的な質問で恥ずかしいんだけど、時空図のところよく分からんくって……、君、分かるかな……?」

 そんな感じで質問を受けたと記憶している。


 邨瀬は、選択科目で相対論を選択したものの、講義の内容を理解しきれず、おまけに友達にも同じ科目を選択している人がおらず、悩んだ挙句あげく、当時名も知らなかった俺に声をかけてきたのだ。


「いいよ。俺なんかで良ければ、分かる範囲で教えるよ」

 もともと他人に勉強を教えるのは嫌いではない。ラーニングピラミッドでも、最も学習定着率が向上するのは他の人に教えることだと言われている。自分の理解にも役立つと思い、俺は二つ返事で快諾した。


 昼食を摂った後に、俺は邨瀬に時空図、というよりも相対性理論の概要についてレクチャーした。

「安居院くんの説明分かりやすいな! 天才だなぁ。どこの高校出身なん?」

「叡成高校だよ」

「すげえな。水道橋すいどうばしと違うな」

「水道橋!? 水道橋だって凄いじゃないか?」

「んなことないよ。どっちかと言うと舞台芸術の方が有名でそっちに力入れてるせいか、その分、普通科は落ちぶれてるよ」

 そうかな、と思った。確かに水道橋は舞台芸術科がある。でも、以前、高校の偏差値を調べていたら、水道橋は69くらいだったような気がする。かなりの難関高校であることは間違いないはずだ。各分野で活躍する著名人を多く輩出しているし。


 いくら褒めたって彼は謙遜するだけだろう。話を元に戻すことにする。

「で、相対性理論に戻るけど、時間っていうのも絶対的なものじゃなくて相対的なものなんだ。つまり人によって異なる。高校の先生が余談で言ってたことだけど、ジェットコースターに乗っている時間は一瞬だけど、ジェットコースターで順番待ちしている人には長く感じる。もちろん、ジェットコースターの速度で変化する時間なんて何億、何兆分、いやひょっとして何けい分の1秒程度の誤差かもしれんけど、時間が相対的なものだって感覚的に説明するのにはいい例えだと思ってる」

「なるほどね。子どものころの一年間はすごく長く感じたけど、大学生に入ると短く感じるようになったな」

「それはジャネーの法則だな」

「あと、同じ一時間でも、好きな女の子と一緒にデートしているのと、退屈な授業を受けているのとでは、時間の進み方が違うような気がするな」

「はっは、おもしろいな。そんくらい時間っていうのは一定の速さではなくて変化するものを感覚的に分からせるにはいい表現かもな」


 もちろんジャネーの法則も邨瀬の挙げた例えも相対性理論とは無関係だけど、普通に話をしていておもしろい男だなと思った。

 それ以来、邨瀬は勉強で俺を頼るようになり、俺も自分の理解を定着させるためにも頼られれば勉強を教えることになった。

 馬も合ったことから、いずれ親友の関係にまで発展するのも時間の問題だった。居酒屋に飲みに行ったり、お金がなければお互いの下宿先で買い込んだ酒を飲んで、益体やくたいもない話をするようになった。


 三年生に入ってからは、同じ講義を取ることはなくなってしまったが、交友関係は続いた。ただ、大学で研究者になるべく邁進まいしんしていた俺と違って、低空飛行で留年すれすれだった邨瀬は、将来どの道に進むべきか非常に悩んでいるようだった。物理学を生業なりわいとする職業には向かないのではないか、と自らを分析していた。

 邨瀬と仲は良かったが、自然に将来に関する夢を語り合うことを、無意識に避けるようになっていったのかもしれない。

 ただ、邨瀬は俺にはない豊富な雑学や語彙ごいを持ち合わせているような気がした。


「それだけ物知りだし、本も読んでるんだし、難しい言葉を知ってるんだったら、作家になれそうじゃないか?」

「作家?」

「応用物理のトリックを駆使したミステリーとか、有名な物理学者の生い立ちや秘密に迫るミステリーとか」

「どっちもミステリーじゃないか。しかも、二番せんじになりやしないか?」

「いやいや、二番煎じに見えてもどこかにオリジナリティーがあれば、最初の発見と一緒さ。それに話もおもしろいし、それを文章化したらもっとおもしろくなるんじゃないか?」

 我ながら、いかにも科学者くさい気障きざなアドバイスをしたなと思った。しかし、邨瀬は意に介する様子もなく、笑顔で答えた。


「ありがとう。物語なんて書いたことないけどな。前向きに検討してみるよ」


 そのときは冗談だと思って受け流されたように見えたけど、1~2ヶ月ほどして邨瀬は試行的に書き上げた物語を持ってきた。

 せいぜい文庫本換算で20ページくらいの書き物を想像していたが、普通に一冊くらいの分量にもなる長編小説だった。

「これ、どれくらいあるんだ?」

「20万文字くらいだな?」

「20万文字!?」

「タイトルが『敬愛なるニュートン』か『ニュートンの愛した数式』で迷ってる」

「え? 両方ともどこかで聞いたことあるタイトルだな」


 原稿を読んでみると予想を裏切るほどおもしろいものだったが、唯一残念なのはタイトルのセンスがないことだった。

 タイトルはある意味、小説の中身と同等なくらい重要なものだろう。キャッチーで気をくようなものでなければならない。

 かと言って、俺自身も良いタイトルが思い付かないのだが。


 それ以降、何作か邨瀬は小説を書き、俺に見せてきた。書くごとに文章を精練させ、オリジナリティーも増してくる。豊富なアイディアにも感心させられるものがあった。

「小説って、大手の出版会社が公募してるんだっけ。本当に出してみたら?」

 三年生の秋ごろ俺は邨瀬にそう言った。最初は躊躇していたが、意を決してある出版会社の公募に出したのだ。

 最初は通らなかったが、何社か出しているうちに、一社から通知が来たのだ。

『「シュレーディンガーの密室」を弊社ミステリー新人賞に選定いたしました』 

 その作品は、俺の所感として内容としてはいちばんおもしろいものではなかったが、タイトルセンスはいちばん良いものだと思っている。正直、他の作品のほうが有力かなと思っていた俺は少し驚いだが、嬉しいことには変わりない。

「やったな、邨瀬!」

「ありがとう、守泰のおかげだよ」


 そうやって男同士涙を出して喜びを分かち合ったのは少し前。この大学四年生の夏の話だ。


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