Side F 01(Hinokuchi Fumine) 苛められたヒロイン

 学校でいじめを受けていたあたしは現実逃避をしていた。義務教育がこれほど苦しいものとは。

 ああ、どこかにあたしをいじめないパラレルワールドがないものだろうか。そんな想像力を今日も働かせていた。


 あたしの名前、『ひのくち詞音ふみね』というのは非常に難読だった。『閘』なんてまず誰もが読めないし、『詞音ふみね』に至っては、当時の無神経で高飛車なクラスメイトが「『死ね』とも読めるな」などと言ってくれたおかげで、いじめの対象とされた。


「お前、秀才ぶんな! 死ね」

「本ばっか読んで、だっさー! 根暗女」

「いい年してドラえもんの本を読んじょるがか!? 死ねばいいと!」


 勉強は好きだ。特に物理や化学や天文といった理科全般が好きだ。これはお父さんの影響だ。空想科学に想いをせるお父さんは、あたしがまだ小さい頃よく科学の夢物語を語ってくれた。幼稚園の頃に、お父さんとは離婚して離ればなれになってしまったおかげで、顔も朧気おぼろげにしか記憶にないし、名前すら覚えていないけど、あたしはお父さんのことが今でも大好きだ。

 そんなお父さんがあたしに与えた影響は今でも色濃く残っている。例えばドラえもんはあたしが昔から大好きなアニメだ。読書の方は、SF作家として名声を得ているたかむら未来みらい氏の小説がご贔屓ひいきだ。なお、ドラえもんの本というのは漫画じゃない。ドラえもんの道具を科学的に考察した本である。


 空想科学に想いを馳せることの何が悪い。どこでもドアやタケコプター、タイムマシンなどにロマンを感じないのだろうか。いじめている連中だって、きっと昔は毎週のように観ていたのではないか、と当初は反論していたのだが、同調圧力とは恐ろしい。影響力のあるクラスメイトの誰かが『詞音は排除せよ』、『ドラえもんは排除せよ』などと意思決定すれば、最初はいじめに賛同していなかったはずの者まで態度変容させて、あたしを排除し始める。


 基本的に女子生徒によるいじめは陰湿で表沙汰にはなりにくい、もしくは事なかれ主義で見ないふりをしていたかで、教師はまったくあたしの救難信号をキャッチしようとしない。むしろ、なまじ成績が良かったせいで、学校の諸問題とは無縁の優等生と思っているらしい。

「閘さんは今回も理科が満点だった。みんな閘さんば見習うように」

 担任はそう言ってあたしを称讃しょうさんするのだけれど、それはあたしを排除したい連中にとっては、いじめを加速させる要素でしかなかった。トイレに入っているときに水をかけられたり、シャープペンシルの芯を折られたり、消しゴムに穴をあけられたり、毎回それなりの結果がついてくる。


 授業は聞きたいけど、能天気な先生に気付かせるために、いっそ無断欠席でもしてやろうか。でも、それはいじめてくる連中に屈しているみたいで不本意だ。お母さんはお母さんであたしの異変に興味を示さない。あたしは孤立無援のまま無言の抵抗をし続けている。


 そんなあたしの態度にごうを煮やしたかのように、ある日の昼休み、いじめのリーダー格の女子と取り巻きの二人の女子らから校舎裏でリンチを受けていた。

 このいじめのリーダー格女子は、あたしとは何もかも正反対だ。ガタイが良く狐目きつねめ。成績は低空飛行だがその分体育はできる。態度は横柄で自分より弱そうな人間は懐柔しようとする一方で、自分より美麗でカリスマ性や経済力のある女子には明からさまに従順な態度を取ろうとする。名前は、珍妙なあたしの苗字とは違って、田中たなかという。最もありふれており、苗字を正しく読まれずオーダーメイドでしか印鑑が手に入らないあたしのような悩みとは無縁だろうが、田中さんを羨ましく思ったことはない。この田中さんとは不幸なことに中一〜中二と同じクラスである。取り巻きの女子二人はクラスが違うので名前すら知らない。当然あたしのことはよく知らないはずだが、同調してあたしをいじめる卑劣な女ども。

「お前、その目が気に食わねぇんだよ、失せろ、死ね」

 連中らは、時折見せるというあたしの鋭い目線がとにかく気に食わないらしい。眼光鋭い自覚は皆無だが、昔から顔の大きさに比べて目が大きく、笑っていないと睨んでいるように見えるとか。それが反感を買っている。

 でも、あたしは「やめて」とか「助けて」とか言わなかった。とにかく服するような真似はしたくなかったのだ。それがさらにイライラを助長させるらしい。

 あたしは身体に傷を負いながらも、無言の抵抗を続けた。加害者はあたしが助命嘆願し連中にびへつらうのを待っているのだろう。そんなことしてたまるか。


 そのときだった。中学一、眉目秀麗びもくしゅうれいと噂される男子生徒がやってきた。中学三年生で宮本みやもと俊哉としや先輩だったか。学校のゴシップにうといあたしでも知っているほどの有名人。


「きゃ、宮本くんだ!」

「やだ、どうしよう!」

 先ほどあたしをリンチしていたはずの連中は、てのひらを返したようにしなを作りはじめた。まさかいちばんの美男子の前で、リンチを披露するわけにはいくまい。体格の良い田中さんとその一味。痩せぎすであざを負ったあたし。どちらがどちらをいじめているかは一目瞭然のことだろう。

「宮本くん、パートナーを探してるって噂だよ」

「そんな、私にお声がかかったらどうしよう!」

 色めき立つ彼女らを見て、滑稽こっけいさすら感じる。その隙にあたしはこの場を離れ去ってしまおう。泥にまみれた制服を整えたそのときだった。

「あ、君、ちょっといいかな?」

「先輩、わ、私ですかっ!?」

利沙子りさこ、ずるーい、私ですよね? ね?」


 女子たちが餌に群がるこいの様に我先に駆け寄ったが、それを掻き分けて、宮本先輩は立ち去ろうしていたあたしの前に立った。

「君だよ! まさに君しかいない。そのつぶらな瞳、美しい黒髪、奥ゆかしい雰囲気。すべてがイメージにピッタリだ。僕のヒロインになってくれないか?」

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