第33話 「そういうわたしを、有起哉は好きになれないということかしら?」

 週明け月曜日の午前。

「まさか、ああいう返事をするとは思わなかったわね」

 琴海は学校の渡り廊下にて、手すりに前から寄りかかりつつ、呆れたような調子で口にした。

 一方でそばにいる僕は耳のあたりを掻き、どう反応をすればいいか戸惑う。

「それよりも、琴葉がよく許してくれたと思うけれども」

「まあ、それは……」

 僕は曖昧な声をこぼし、一昨日、休みの校門前で、琴葉にお願いしたことを思い出す。

「そのう、もう一度琴海に告って、振られたら付き合うってことじゃダメかなって……」

 振り返れば、あまりにも都合がよすぎる内容だ。あの場で琴葉が包丁を持っていたら、刺されたんじゃないかと感じるくらい。

「有起哉は、あそこでわたしが即座にもう一度振るかもしれないという可能性は考えなかったのかしら?」

「そこらへんは考えてなかったわけじゃないけど」

「なら、無謀な頼みね」

「確かに、そうかも」

 僕は言いつつ、過去の自分を責めたくなった。

「でも、よかったわね」

「まあ、それは」

 僕が相づちを打ったのは、琴海が実際に再び振ることがなかったからだ。現在までのところは。

「本当はわたしとしては、有起哉が琴葉と本当に付き合ってもらうことで、自分の気持ちを確かめたいと思っていたのだけれど」

「どこかで心境の変化でもあったってこと?」

「そうね」

「そこが知りたいんだけど」

「知っても、有起哉にとってはつまらない話になるかと思うわね」

「いや、つまらないとか、そんな」

 僕は首を横に振りつつ、琴海が話してもらうように促す。

「僕だって、まあ、琴葉とお試しで付き合った、といっても、二日ほどしかなかったけど、それでも、琴葉が僕のことをどれだけ好きか十分過ぎるくらいわかった。だから、それで、琴葉には絶対に付き合わないというわけじゃなくて、今度琴海に振られたら、付き合うっていう頼みをするくらい、僕にも心境の変化があったというか……」

「つまりは、琴葉はわたしに次いで、二番目に好きな相手となったわけね」

「いや、好きだなんて」

「でも、そういうわけよね?」

 琴海の指摘に、僕はぐうの音も出ない。

 僕はため息をつくと、琴海の横につき、渡り廊下の手すりに後ろから寄りかかった。

「まあ、琴葉の気持ちには負けたっていうか、でも、琴海への気持ちは変わらないし、それらを考えた結果っていうか」

「でも、琴葉が普通に受け入れてくれたのは不思議ね」

「それは僕も同感だけど」

 一昨日、琴海は僕の提案に対して、「わかりました」と返事をしていた。幾分かの間があった後にだ。

「わたしとしては、琴葉があんなに有起哉が好きなことをアピールというか、見ていると、何だか、わたしはどうなんだろうと思うようになってきた感じね」

「それが心境の変化ってこと?」

「そうね」

 琴海は返事をするなり、不意打ちを突くように僕と目を合わせてくる。

 突然のことだったので、僕はどぎまぎしてしまい、思わず視線を逸らしてしまった。

「照れ屋ね、有起哉は」

「いや、いきなりそういうことをされると、その、変に意識するっていうか、その」

「そうね。今のは悪戯にしては度が過ぎたかもしれないわね」

「いや、そこまでのことってわけじゃないと思うけど」

 僕は言いつつ、さらに続く言葉が浮かばず、黙り込んでしまう。

「とりあえず、わたしは今、有起哉に対して、返事はYESともNOとも言い切れないわね」

「それって、保留っていう意味?」

「そう思ってもらっても構わないわね」

「それは、これから次第では、YESになることもNOになることもあるってわけだから、そう思ってくると、何だか変に緊張してくるというか……」

「そうね。もし、ここでわたしが有起哉のことを振ったら、そしたら、自動的に琴葉と付き合うことになるというわけね」

「いや、それって、単純に琴海が主導権を握ってるってことじゃ……」

「そうなるわね」

 楽しげに笑みを浮かべる琴海。やはり、Sなんだなと思わずにはいられなかった。

「でもね、有起哉」

「何?」

「琴葉も、ただ、黙って成り行きを見守ってるわけでもないと思うわね」

「それはどういう?」

 僕が尋ねたと同時に。

 自分のスマホが震え、手に取ってみれば、琴葉からのメッセージだった。

「先輩」

「放課後、お姉ちゃんとのこと、聞かせてください」

「ダメそうなら、いつでもわたしは待ってますよ」

 SNSを用いた琴葉の言葉は、僕をほっとかない感情が溢れてるかのようだ。

「ああ、こういうことね……」

「というより、朝も琴葉に起こされたのよね?」

「えっ、な、何でそれを? って、琴葉に聞いたよね、それ」

「そうね」

 琴海の淡々とした声に、僕はため息をつきたくなってしまう。

 今朝起きたら、琴葉がベッドにいたのは、いつ以来だろう。いや、琴海に振られた翌日から、平日の朝はいつも琴葉が近くにいるような。

「琴葉は当然だろうけど、諦めてないということね。むしろ、わたしと付き合わないように、これからも色々としてくる可能性はありそうね」

「それは否定できない……」

「でも、だからといって、わたしはすぐに有起哉への気持ちを明確にしたりしないから」

「それはどういう?」

「そうね。焦らしプレイみたいなものかしら?」

「いや、琴海の口からそういうことを言われるのって、自分からそういう性癖があるっていうことを認めてるようなものじゃ……」

「そうね。そう思ってもらってもいいわね。それとも」

 琴海は渡り廊下の手すりから離れると、正面を僕の方へ向けてきた。

「そういうわたしを、有起哉は好きになれないということかしら?」

 琴海の挑発っぽい投げかけに対して。

 僕はすぐにかぶりを振った。

 そして、電子チャイムの音が校内に響き渡り、午前の休み時間が終わったことを知る。

「そういうところ、わたしは好きね」

「えっ? ちょっと、それじゃあ、それって」

「でも、有起哉と付き合いたいかどうかは別の話ね」

 琴海は言うなり、顔を綻ばす。

 僕は弄ばれたと思っても、怒る気にはなれなかった。

 むしろ、今みたいに二人で過ごす時間をもらえただけでも嬉しいくらいだ。

 ということを琴葉にバレたら、僕は殺されてしまうかもしれない。

 って、思い出した。

「琴海は」

「何かしら?」

 渡り廊下を抜け、校舎内を歩きつつ、琴海は目を向けてくる。

「そういえば、包丁って……」

「持ってるわね。今も学校の鞄にあるわね」

「あっ、そうなんだ」

 僕はうなずきつつ、それ以上、突っ込むことができなかった。

 何かの拍子で琴葉に包丁が渡ってしまったら。

 僕は色々と慎重にならないといけないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る