第18話 「今、横断歩道前ですね、先輩」
僕と琴海は学校を出ると、住宅街の通学路を歩いていた。
「有起哉は、琴葉といつ、本当に付き合うことになるのかしら?」
琴海の質問に対して、僕はすぐに答えが思い浮かばない。
できれば、お試しとして終わり、琴海と付き合えたらという気持ちは消えていない。
「それは、琴海が琴葉と僕が付き合ってほしいっていう意味で聞いてるってこと?」
僕が問いかけると。
琴海はおもむろに足を止めてしまった。
僕が気づき、遅れて同じことをして、振り返る。
「琴海?」
「そうね。そういう質問をされると難しいわね」
「難しい?」
「ええ」
うなずく琴海。
「それって、もしかしてだけど」
僕は琴海に近寄るなり、口を動かす。
「『本当に付き合うことになれば、わたしとしては気持ちが変わるかもしれないわね』っていうことを、僕に言っていたことと関係があるってこと?」
僕が聞いてみれば。
琴海は目を合わせてきた。
「体育の授業で言い残したこと、覚えてるのね」
「まあ、気になる言葉だったから」
「それもそうよね。有起哉なら無視できない言葉よね」
琴海は言いつつ、ため息をこぼす。
「わたしは今、自分の気持ちがわからないといったところね」
「わからない?」
「ええ。有起哉のことが好きなのか、嫌いなのかということも」
「それってどういう……」
「そうね。だから、琴葉と有起哉が本当に付き合えるようになれば、わたしの本当の気持ちが何なのかわかるかもしれないわね」
「でも、琴海は僕のことを振ったし、仮にまた告白をしても、琴海は」
「そうね。また振るかもしれないわね」
「だったら、僕に対する気持ちとか、その、単なる仲のいい幼馴染という関係しかないんじゃないかって、普通は思うけど」
「そうね。今のところはそうなるわね。表向きはといったところね」
「表向き?」
「ええ。だから、そういう薄っぺらい気持ちも、有起哉が実際に琴葉と付き合うようになれば、わたし自身、どうなるかわからないっていったところね。だから」
琴海は言うなり、僕と正面を合わせた。
「その時には、わたしが有起哉のことを好きになる可能性も十分あるかもしれないわね」
「ぼ、僕のことを?」
「ええ。でも、今の時点ではどっちつかずで、わたし自身もわからないといった心境ね」
琴海は声をこぼすと、再び歩き始める。
一方で耳を傾けていた僕は戸惑い、とりあえず、遅れて横についていく。
「ちなみにだけど、そういうことって、琴葉には?」
「もちろん、教えてないわね。教えたら、琴葉が何をするかわからないから」
「もしかしたら、何か危害を加えてくるかもしれないってこと?」
「それは充分考えられるわね」
「そう、か……」
僕はただ、相づちを打つことしかできなかった。
本音としては、琴海が僕のことを好きになってくれる可能性があるだけでも嬉しい。いや、現実として、そうなってほしいと願いたい。けど、僕は今、琴葉とお試しで付き合っており、そうなるためには、お試しをやめなければならない。そう、正式に琴葉の彼氏になるということだ。
でも、琴葉の彼氏になった僕を琴海が好きになってしまうと、色々複雑だ。第一、琴葉が許さないだろう。下手すれば、僕が無理やり琴海と一緒になるとかすれば、どういうことをしでかすかわからない。寝込みを襲われるか、あるいは再び橋から飛び降りようとするか。防ぐためには、僕が琴葉の彼氏を続けるしかない。
とはいえ、琴海がもし、僕のことを好きになれば、ずっと片想いで終わってしまう。僕は知りつつ、琴葉と付き合い続けなければならないのだろうか。
だとすれば、僕が琴葉の彼氏になった後でも、僕に対して、好きな気持ちが芽生えなければいいという話になる。だが、僕にとっては虚しいことだ。なおさら、琴海のことをきっぱり諦めなければいけないかもしれない。
「琴海は、今の気持ちとして、僕のことは」
「わからないわね。でも、それだから、有起哉から再度告られても、決められないからきっぱりと断ると思うわね」
「返事をどうするか保留せずに?」
「ええ。わたしはそういうことを残しておくのは性に合わないから」
琴海は淡々と口にする。
「だから、わたしの気持ちを確かめる上でも、有起哉には琴葉と付き合ってほしいと思うわね」
「琴葉とか……」
僕はつぶやきつつ、雲がいくつか浮かぶ青空を眺める。
「でもだけど」
「何かしら?」
「もし、僕が琴葉とお試しじゃなくて、正式に付き合うことになっても、琴海が変わらずに自分の気持ちがわからないままっていう可能性は?」
「そうね」
琴海は口元あたりに手を当てて、考え込むような仕草を取る。
しばらくして、琴海は結論が出たのか、視線を向けてきた。
「その時はそうね。これで自分の胸を刺すことになるかもしれないわね」
琴海は言うと、学校の鞄からおもむろにあるものを取り出してきた。
僕が見れば。
「それって……」
「ええ。昨日、琴葉が持っていたものね」
琴海が示してきたのは包丁だった。
僕は後ずさりそうになったが、何とか堪える。
「何で、琴海がそれを?」
「そうね。本当は家の台所に戻そうと思ったのだけれど、母親に聞いたら、実際はなくなっている包丁とかは存在していなかったのよね」
「つまりはそれって……」
「だから、これは琴葉がどこかで買ったものかもしれないわね」
琴海は声をこぼすと、包丁を学校の鞄に戻した。
「だから、琴葉に返すくらいなら、わたしが持っていた方がいいかと思って、ここにあるということになるわね」
「でも、琴海がそれを持っていたら、色々と問題じゃ……」
「そうね。生徒会役員のわたしが、校内にこんな刃物を持ち歩いてるなんて知られたら、どうなるかわからないわね」
琴海は答えると、表情を綻ばす。
「そういうことだから、有起哉には黙っててほしいと頼みたいところだけれども、そういうのは任せるわね」
「任せるって?」
「わたしがこういうのを常に持ち歩いてることを先生にばらすかどうかの話ね」
琴海の調子は淡々としていた。
「とりあえずはこの包丁を何も使わないというのはもったいないから、使うとすれば、さっきの話になるわね」
「いや、それって、琴海はその、色々と疲れてるだけじゃ……」
「そうね。色々と疲れてるのかもしれないわね。有起哉や琴葉のことで」
琴海は口にするも、特に体調が悪そうな様子は垣間見えない。見栄を張っているのか、あるいは、実はまったく疲れていないのか。どちらにしても、琴海は包丁を持ち歩いてる事実は変わらないわけで、精神が尋常でないことだけはわかる。
「とりあえずは、そのう、包丁は僕が預かった方が」
「それはちょっとできないわね」
「どうして?」
「気のせいかもしれないけど、これを持っていることによって、何となく少し気持ちが楽になってきた気がするから」
「いや、それは気のせいだって」
「そうね。気のせいかもしれないわね」
琴海は笑みをこぼすと、僕と目を合わせる。
「とりあえず、今のわたしは有起哉に対して、どういう気持ちなのかはわからないわね。そういう状態って、何となくだけれども、不安定というか、危うい状態なのかもしれない。だから、この包丁があることによって、いざとなれば、何かできるかもしれないっていう安心材料に繋がってるのは事実かもしれないわね」
「つまりは、琴海にとっては、その包丁が精神安定剤になってるってこと?」
「そうね」
「なら、それがある前は、琴海は」
「気持ちはやや不安定だったかもしれないわね。だから、有起哉に色々とちょっかいみたいなものをしたのかもしれないわね」
ちょっかいというのはおそらく、僕が琴海のことをSだと感じた時のことだろう。体育館裏で二人っきりになっていることを琴葉にばらしたりしたとかだ。
「ということだから、有起哉にはわたしが包丁を持っていることをどうするかどうかは好きにしていいわよ。後は、琴葉と本当に付き合うことになれば、何かしら、わたしにとって、踏ん切りがつくということかもしれないわね」
「だけど、それって、最悪は琴海がその包丁で胸を刺すことになるんじゃ……」
「そうかもしれないわね」
なぜか微笑む琴海の表情は、どこか脆く壊れやすそうな印象を抱かずにはいられなかった。
「ここでお別れね」
「えっ?」
気づけば、僕は国道の横断歩道前にいた。琴葉が待つ駅前のミックに行くなら、向こう側に渡らなければならない。一方で琴海は帰るなら、渡らずに別の方へ行くことになる。
「ということだから、有起哉には色々と期待してるわね」
「いや、それは結構重すぎるっていうか、そのう、僕が解決できるような問題じゃないと思うけど」
「それは有起哉次第ね」
「やっぱり、琴海はSだ」
「そうかもしれないわね」
琴海は綻ばした顔で可笑しそうに言うと、手を振って、僕から離れていった。
手を振り返した僕は遠ざかっていく琴海の背中を見送りつつ、頬を指で掻く。
と、スマホが震えたので、手に取ってみれば、SNSの新着だった。
「今、横断歩道前ですね、先輩」
「早く来てくださいよ、先輩」
琴葉のメッセージが続き、僕は確かめると、「わかった」と短く返す。追跡アプリがあるので、もはや、場所が特定をされていることに驚かない。
「素っ気ないですね」
「先輩はわたしの彼氏さんなんですよ?」
すぐに反応をする琴葉は待ちくたびれてるように感じる。
僕はふと、琴海が向かった方へ再度目をやった。
が、既に本人は途中で曲がってしまったのか、いなくなっていた。
「何だか、堀内姉妹に翻弄されてるような……」
僕はつぶやくも、とりあえず、急ごうとスマホをしまう。
そして、青信号になった横断歩道を駆け抜け、琴葉が待つ駅前のミックに向かっていった。
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