第16話 「それって、先輩は学校ではぼっちということですか?」

「うーん……」

 昼休み、僕は体育館裏にて頭を巡らしていた。

「先輩、気難しい顔をしていますね」

 琴葉の声が横から聞こえ、僕は「まあね」と曖昧な反応をする。

 と、彼女は僕の様子に不満を抱いたらしい。「先輩」とぶっきらぼうな呼びかけをしてくる。

 僕が振り返れば。

 スマホの画面に映る琴葉の顔は険しげだった。

僕は今、スマホを体育館の壁に立て掛け、SNSアプリのビデオ通話で一緒にお昼を取っている。こういうことをしようというのは琴葉からの発案だった。ちなみに、僕は購買で手に入れたコロッケパンと紙パックのコーヒー牛乳。琴葉は弁当を食べており、琴海に作ってもらったものだろう。

「まさか、お姉ちゃんのことを考えていたんですか?」

「いや、別にそんなわけじゃ……」

 僕は内心がばれないよう、必死に否定をする。

 本当は午前の体育で琴海に言われたことが気になっていたからだけど。

「有起哉が琴葉とお試しでなく、本当に付き合うことになれば、わたしとしては気持ちが変わるかもしれないわね」

 僕は琴海の本心が知りたくてしょうがなかったのだ。

 一方で、琴葉は睨みつけてくる。背景を目にする限り、通っている中学校の体育館裏だろう。僕と同じような場所にしたのは、少しでも一緒にいる雰囲気を味わいたいからか。

「もしかして、わたしがいない間に、お姉ちゃんに何か言われたんですか?」

「いや、特には何も」

「怪しいです」

 琴葉は弁当を近くに置くような仕草をすると、スマホで顔を近づけてきた。

「先輩、やっぱり、もう、お試しで付き合うことはやめたいです」

「えっ?」

「お試しじゃなくて、正式にわたしと付き合ってください」

 琴葉の言葉に、僕はすぐに返事ができない。いや、オッケーをしてしまったら、琴海と付き合うわずかな可能性が消えてしまうのではないか。

「だけど……」

 僕は午前の体育で言い残した琴海のことを思い出す。「本当に付き合うことになれば」というのは、今まさに、琴葉が口にしていることだ。とはいえ、琴葉と付き合うようになって、琴海の『気持ちが変わる』か定かでない。あくまで、『変わるかもしれない』という表現だ。だから、確実に何かが起こるとは限らない。あるいは、『気持ちが変わる』というのは、僕に迫ってくるのではないかもしれない。もしかしたら、別の男子と付き合うという隠語なのかもしれなくて。

「先輩?」

「ご、ごめん。ちょっと色々と」

「お姉ちゃんのことですよね? 本当に未練がましいですよ、先輩」

 見れば、琴葉は呆れたような表情を浮かべている。で、改めてスマホを前の位置に戻し、弁当を再び食べ始める。

「言っときますけど、わたしはお姉ちゃんのことは嫌いんじゃないんです。むしろ、尊敬してるくらいです」

「琴葉?」

「なのに、わたしの大好きな先輩がずっと片想いしていることをわかってて、お姉ちゃんはずっと応えなかったんです。それで、先輩が勇気を出して告ったら、あっさりと振っちゃう。わたしは嬉しかった気持ちもありましたが、同時にお姉ちゃんに対しては、何を考えてるのかわからなくなってしまいました」

「それって、どういうこと?」

 僕は琴葉の話が気になり、スマホへ視線をやる。

「お姉ちゃんは、先輩のことをわざと振ったんじゃないのかって」

「わざと?」

「あくまで可能性の話です。だって、お姉ちゃんは振った後も、先輩と一緒にいますよね?」

「よくって、そこまでじゃないけど」

「そこまでじゃなくても、一緒にいる時があるんですね」

 琴葉の指摘に、僕はマズいと思ってしまう。

「ち、違くて、学校ではほら、気さくに話せるような相手が琴海しかいなくて、それに、僕は普段、ひとりでいることが多い感じだし」

「それって、先輩は学校ではぼっちということですか?」

「それは、まあ、そのう……」

 僕は頬を指で掻きつつ、スマホから目を離す。

 普段のお昼休みなんて、いつもひとりで済ましている。ちなみに、琴海はいつも、他の女子らと教室で弁当を食べて過ごしていた。

「そういうことですか」

「そういうことって、その、どういうこと?」

「先輩がお姉ちゃんを諦めきれない原因です」

 琴葉の声に、僕はイマイチ意味が掴めない。

「いや、それって、僕がぼっちであるからって言いたいってこと?」

「そうです」

 はっきりと答える琴葉は、弁当片手に目を合わせてくる。

「先輩の周りには、お姉ちゃんしかいないってことです」

「しかいないって、僕は別に、その、ひとりで過ごすことが多いから」

「それなら、何でお姉ちゃんのことを好きになったりしたんですか? 何で、お姉ちゃんに告ったりしたんですか?」

「それは、幼馴染として長く過ごしていれば、自然と好きになってきたっていうか、そのう」

「長く過ごしてる時間なら、わたしも同じですよね? 先輩」

「いや、学校は今みたいに、高校と中学が違ったりするし」

「それは学年が違うからです。現に、つい最近までは先輩とお姉ちゃんがこっちの中学校に通っていましたよね?」

「まあ、それは……」

 僕は痛いところを突かれて、抗うことができない。登下校は三人一緒だったこともあったし。

「でも、学年が違いますと、先輩と一緒にいる時間が少ないことは事実です」

「琴葉?」

「現に今は、先輩とお姉ちゃんは同じクラスです。それなら、何かしらのタイミングで二人で過ごす時間も必然的にわたしより多くなります」

「まあ、それは確かに……」

「先輩は今まで、お姉ちゃんと同じクラスになったことは何回ありますか?」

「えっ? 小学校なら、一年、二年、三年、四年、五年、六年、中学校なら、一年、二年、三年、で、今の高校一年で、あれ?」

「先輩、それって」

 スマホの画面に映る琴葉はため息をついていた。

「お姉ちゃんとずっと同じクラスっていうことですよね?」

「そう、だね。まあ、あまり気にしたことなかったから」

「そう考えると、わたしもです。振り返れば、毎年先輩とお姉ちゃんは同じクラスでしたね」

 琴葉は声をこぼしつつ、悲しそうな表情をした。

「先輩が大好きなわたしとして、これは失念でした。それなら、ぼっちな先輩がお姉ちゃんになびくのはごく自然な流れと言わざるを得ません」

「いや、そこまでショックを受けなくても」

「ショックですよ、先輩」

 琴葉はスマホを近づけてきて、強い調子で叫ぶ。うっすらと瞳が潤んでいるくらい。

「それなのに、お姉ちゃんはそういう先輩をずっと見過ごしていたってことですよね?」

「ああ、そのことなんだけど」

 僕は話そうかどうか迷ったものの、今のタイミングならと感じ、口を動かした。

「前に、琴海から聞いたことがあって、その、長い時間を過ごす中で、好きとか嫌いとか考えたことがなかったみたい」

「それはお姉ちゃんがそう言っていたんですか?」

「うん。だから、僕が告った時には驚いたみたい。で、断ったのは、琴葉が僕のことを好きなのを知っていて、だったら、琴海は僕のことを振って、琴葉と付き合った方がいいんじゃないかって思ったみたい」

「お姉ちゃんらしいですね」

「そう?」

「はい。何ですかね。お姉ちゃんは変なところで冷静なんです。それだから、成績が優秀で、中学は生徒会長を務められたんだなって思います」

 淡々と語る琴葉。ちなみに、今の高校で琴海が生徒会役員をしているのは、教師らから勧められたからだ。中学に生徒会長をしていた経験を理由に。で、選挙に出て、一年ながらも投票数トップで当選をしたという感じだ。

「それに、お姉ちゃんはモテましたよね?」

「みたいだね」

「でも、全員断ってますよね?」

「まあ、うん」

「そうしますと、お姉ちゃんは先輩に告られて、初めて恋愛的なものを意識したんじゃないのかって思ってきました」

「えっ?」

 僕は琴葉の推測が突飛過ぎて、イマイチ理解ができなかった。ぼっちの僕なんかに、琴海がそこまで意識をさせるような魅力ある男子だろうかと。

「でも、僕より前には男女関係なく告られてきたのだから、その中で意識するような人は少なからず出てくる可能性もあるはずだし、それか、その中の誰かしらでそういう恋愛感情を持つようになったかもしれなくて」

「先輩」

 僕の慌てた話しぶりをぶった切るようにして、短く呼びかける琴葉。

「先輩はお姉ちゃんの幼馴染なんですよ? しかも、小中高とずっと同じクラスです。そんな長い時間過ごしてる人とちょっと顔見知りだとか、果ては初対面の人から告られても、お姉ちゃんは何かを感じ取ることなんて、できないと思います」

「その根拠は?」

「妹として、そう思います」

 琴葉の自信ありげな言葉に、僕はただ、受け止めるしかない。

「と、この昼休みの間で先輩と話しながら、思いついたことですね」

「でも、結局は」

「お姉ちゃん本人しかわかりません」

 琴葉は口にすると、何やらスマホをいじり、「あっ」と素っ頓狂な声を上げる。

「すみません、先輩」

「どうしたの?」

「もうすぐ友達と図書室で宿題をやる約束をすることを思い出しました。名残惜しいですが、今日はこの辺で、すみません。この埋め合わせは放課後にさせてください」

「それは、その、いいけど」

「あっ、先輩は好きな人に対して、友達を優先するんだって思いましたよね?」

「いや、そういうわけじゃ」

「これでも、常識的なところはあるんですよ、先輩。友達を見捨てるような女の子を先輩は好きになんてならないですよね?」

「それは、まあ、うん」

 僕はうなずくなり、コロッケパンを齧る。ソースがあれば、いいのだけれど、仕方ない。

 対して、スマホの画面内にいる琴葉は食べかけの弁当を片づけつつ、嬉しそうな顔を浮かべる。

「今の返事を聞いて安心しました」

「まあ、とりあえず、友達は大事にってことで」

「ぼっちな先輩に言われますと、何だか変ですね」

「それは確かに」

「でも、無理して友達を作らなくてもいいと思いますよ」

 琴葉は優しげに言うと、「それでは、また放課後で待ってます」と言い残し、画面から消えた。ビデオ通話が終わり、いつものSNSでやり取りする画面に戻る。

 と、すぐに琴葉からメッセージが流れてくる。

「先輩とのお昼、楽しかったです」

「これから、学校でのお昼は毎回しましょう」

 内容としては、僕に対するものばかりだ。先ほどまで話し込んでいた琴海のことについては、特に触れられていない。

「まあ、こっちもそこそこは」

「その感想はひどいですね」

「昨日、お姉ちゃんは殺すべきだったのかもしれないです」

 僕の返事に対しては、物騒なメッセージが飛んできて、ドキリとする。

 けども、もしかしたら、表向きなだけで、実際はそんなことは。

「いや、普通に包丁持ってきていたし……」

 僕は首を横に振ると、紙パックのコーヒー牛乳をストローで飲む。

 にしてもだ。

「僕が告ったことで、琴海の中で何かが変わったとしたら」

 僕はひとりでつぶやきつつ、午前の体育で言われたことを再び思い出す。

「有起哉が琴葉とお試しでなく、本当に付き合うことになれば、わたしとしては気持ちが変わるかもしれないわね」

 僕は体育館の壁に背を凭れ、昨日と曇りがちではなく、澄み切った青空を見上げる。

「もしかしたら、僕が琴葉とお試しじゃなくて、本当に付き合うようになれば、琴海は僕のことを強く意識するようになるってことなのかな……」

 僕は言いつつ、スマホを手に、琴葉へSNSのメッセージを打ち込み始めた。

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