第12話 「先輩、今何て言いましたか?」
「これ、家から持ってきたみたいね」
「……」
近寄ってきた琴海の問いかけに対して、無言を貫く琴葉。
僕は手にしている包丁を見つつ、さてどうしようかと頭を悩ませる。
「一応、聞きたいんだけど、これで琴葉は何をしたかったの?」
「言えないです」
答える琴葉は目を逸らしてしまう。さらには着ているパーカーのフードを深く被り、両方の手をポケットに突っ込んでしまった。明らかな拒否な姿勢だ。
「仕方のない妹ね」
「琴海?」
「おおよそだけれど、それでわたしを脅そうとしたわけね」
「脅す?」
「ええ。おそらく、『二度と先輩に近づかないでください』とか言って」
「それで断ったら?」
「そこまでは想像したくないわね」
「昨日、『物事は最悪の事態を想定して動いた方がいいと常日頃から思っているから』とか言ってなかったっけ?」
「よく覚えてるわね。感心したくなるわね」
琴海は言いつつ、笑みをこぼす。僕はどう反応をすればいいか戸惑い、結局、「それはどうも」と曖昧な反応に終始をした。
「やっぱり、お姉ちゃんが邪魔です」
「琴葉?」
「先輩も先輩です。どうして、お姉ちゃんに振られたのに、まだ未練がましく諦めきれないんですか?」
ようやく顔を上げてきた琴葉の表情は歪んでいて、悲痛で満ちているように感じられた。
「お姉ちゃんもお姉ちゃんです」
琴葉は次に、僕の横にやってきていた琴海の方へ体を向ける。
「お姉ちゃんは先輩を振ったんですよね? それなのに、どうして、今日は体育館裏で二人で話したりするようなことをするんですか」
「琴葉。わたしはあくまで、有起哉と付き合うのを断っただけで、幼馴染の友達としての関係までをなくしたいわけじゃないから」
「それでも、わたしからは、お姉ちゃんが先輩のことを実は好きなんじゃないかって疑ってしまいます」
「そうなの?」
「それは気のせいね」
僕の淡い期待を抱いた問いかけに、琴海はあっさりと首を横に振ってしまう。間違っても、肯定をしてくれれば、僕としては嬉しい気持ちになったりするのだが、現実は非情だ。
「というより、わたしとしては、有起哉のことを恋愛対象としては見ていないから」
「そうなんですか?」
「ええ。あくまでも仲のいい幼馴染という関係を続けたいという想いがあるだけだから」
「あのう、琴海。そういうことを本人の前で改めて言うのはその、色々と傷つくかなって」
「そうなの?」
「いや、そういうことを自覚して話してるよね?」
僕の突っ込みに、「そうかもしれないわね」と曖昧な答えをこぼす琴海。やっぱり、Sだ。
「だそうです、先輩。それなら、お姉ちゃんのことを完全に諦めるしかないですよね」
「いや、僕はそう簡単に諦めたくは……」
「一途を通り越して、強情ですね。先輩が大好きなわたしも少し呆れたくなってしまいます」
琴葉は僕の未練がましさを突くなり、強気な姿勢になってくる。というより、未だに持っている包丁はどうすればいいのやら。
「有起哉」
「何?」
「やっぱり、お試しに琴葉と付き合った方がいいと思うわね」
「ここでそういうこと言う?」
「そうしないと、わたしの命が危なそうだから」
「いや、それなら、僕を犠牲にするより、学校や親とかに相談するとか、色々あるんじゃ」
「包丁を今手にしている人にそういうことを助言されても、説得力に欠けるわね」
琴海の指摘に、僕は痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。いや、包丁はそもそも、琴葉が隠し持っていたのであって、僕のものではない。でも、それを言っても、何だか無駄な抵抗と思ってしまう。
「先輩」
一方で、琴葉は僕の前に歩み寄ってくると、フードを再び外し、顔を合わせてくる。瞳は真剣味を帯びていて、逸らせば、琴海から嫌味をぶつけられそうだ。
「お姉ちゃんの言う通り、まずはお試しに付き合ってみませんか?」
「橋から川に飛び降りそうになって、で、さっきはこの包丁で琴海に何をするかわからなかった琴葉と?」
「はい」
僕が手にしている包丁の方へ目をやりつつ、こくりとうなずく琴葉。
僕は悩んでしまう。
というより、お試しで付き合う彼女としてはどうなのだろう。
そもそも、僕は琴海のことをまだ諦めていない。Sっ気がある琴葉の姉を。
とはいえ、仮に再び振るようなことをすれば、琴葉はどうするのだろう。
もしかしたら、ここからいなくなるかもしれない。そして、どこかの走っている車に飛び込んでしまうという結末を迎えるのでは。琴葉は僕とお試しでも付き合えないなら、やりかねない。というより、橋から川に飛び降りようとした前例があるのだから。
僕は髪を掻きつつ、色々と考えた末、意を決することにした。
「わかった」
「先輩、今何て言いましたか?」
「その、お試しだから。あくまでも付き合うのは」
僕がぶっきらぼうに返事をすると同時に。
琴葉は正面から僕に抱きついてきた。
突然のことに僕は驚き、手にしていた包丁を足元に落としてしまう。
「ちょ、琴葉」
「嬉しいです、先輩。お試しでも、わたしは大好きな先輩と付き合えるんです。ここまで嬉しいことってないです!」
「いや、とりあえず、その、落ち着いて」
「こんな状態で落ち着くことなんてできないです」
琴葉は顔を僕の体に埋めつつ、離れようとしない。
僕は困ってしまい、琴海に助けを求めようとしたのだが。
「これはわたしが家の台所に戻しておくわね」
見れば、琴海は僕が落とした包丁を拾い上げ、提げていた学校の鞄にしまい込んだ。
「って、琴海は逃げるわけじゃないよね?」
「逃げるわけじゃないわね。二人の時間を邪魔するわけにもいかないから、失礼するというだけの話だから」
「いや、それって、逃げるってことじゃ」
僕は声をこぼすも、無情にも琴海は手を振るなり、そそくさと立ち去ってしまった。
一方で、琴葉は相変わらず、僕の体に顔を埋めている。
「あのう、琴葉。そろそろ、離れてくれると嬉しいんだけど……」
「その言い方はおかしいですよね? お試しでも、わたしは先輩の彼女さんになったんです。そのわたしに対して、『離れてくれると嬉しい』って言うのは失礼だと思います」
顔を上げてきた琴葉は不満げに頬を膨らませ、言葉を漏らしてくる。
僕はため息をつくなり、「わかった、その、ごめん」ととりあえず、謝る。
「わかればいいんです」
琴葉は表情を綻ばすと、再び僕の体に顔を埋めてしまった。
僕は頬を指で掻きつつ、困りながらも、じっとするしかない。
結局、僕は薄暗い住宅街の舗道にて、今後数十分ほど、琴葉にずっと抱きつかれていた。
お試しとはいえ、人生で初めて彼女となった中学生の子に。
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