第9話 「先輩、ギリギリでしたね」

 土手の上を過ぎ、車が行き交う国道の橋を渡り始めた僕は息が荒くなっていた。

「先輩、バテバテですね」

「バカ。琴葉を死なせたくないから、必死に走ってるっていうのに」

「さっき、わたしのことを振ったのに、助けようとするんですね」

 スマホ越しで聞こえてくる琴葉の言葉はどこか可笑しさを感じてるかのようなものだった。つまりは、振った女が死にそうになるのを助ける男は変だと思っているのだろう。

 僕はスマホ片手に走りつつ、橋の真ん中あたりへ目をやる。

 琴葉はまだ、欄干の近くに立っていて、飛び降りる動きをしない。もしかして、ハッタリなのだろうか。だったら、一度走るのをやめてみるとか。いや、もし、本気だったとしたら、琴葉は追いかけてこないとわかるなり、飛び降りるかもしれない。そうなれば、僕としては後で悔やむことになってしまう。

 と、琴葉はスマホを足元に置くと、橋にある欄干の上を跨ぎ始めた。

「おい、琴葉!」

「先輩、見ててください」

 スマホをスピーカーにしたのだろう、琴葉の声がよく聞こえてきた。距離としては後数十メートル、視界には琴葉が欄干の外側に立つ光景が映る。もはや、後ろの両手だけで欄干を掴み、体を支えている。

「ったく!」

 僕は舌打ちをするなり、スマホを切り、最後の力を振り絞って、琴葉がいる橋の真ん中に向かう。呼吸は荒く、脇腹が痛い。だが、途中で止まれば、琴葉は飛び降りそうな気がして、休むわけにはいかなかった。

「琴葉!」

 僕は叫ぶとともに、ようやく、欄干の外側にいる琴葉の片腕を握った。

 と、同時に。

 琴葉は体を支えていた両手を欄干から離した。

「バカ!」

 僕はすかさず、もう一方の手で、反対側の琴葉の腕を掴む。で、寸前で僕は琴葉を橋の下、川の中へ飛び降りることを何とか防ぐことができた。

「先輩、ギリギリでしたね」

 見れば、琴葉は綻んだ表情を浮かべていた。

 いや、そんなことする余裕があるなら、早く欄干の内側に戻ってきてほしいんだけど。

 僕は内心思いつつも、実際は安堵の深いため息を何回もこぼしていた。

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