第8話 「やっぱり、先輩はお姉ちゃんに未練があるんですね」

「ということは」

「有起哉は琴海のことを振ったというわけね」

 琴葉がいなくなった後、遅れてカフェを出ていた僕は、琴海とスマホでSNSをしていた。家に帰る途中にある、川沿いに続く土手の上を歩きながら。

「まあ、そうなるけど」

「それで」

「琴葉は?」

「いや、あっさりと受け入れてくれたみたいだけど」

「意外ね」

 琴海の反応に、僕は相手が目の前にいるわけでもなく、うなずいてしまう。

「それで」

「何か琴葉は言っていたのかしら?」

「言ってた?」

「例えば」

「わかりましたとかね」

「ああ、それなら」

 僕は立ち去る前に目を合わせてきた琴葉の姿を思い出す。

「わたしもちゃんと先輩に向き合わないといけないと思います」

「かな」

 僕がメッセージを送ると、琴海は既読になった後も、すぐに返事がなかった。

 何か考え事だろうか。

 しばらくして、琴海からのメッセージが届く。

「マズいわね」

「マズい?」

「ええ。マズいわね」

 同じ言葉を繰り返す琴海。ただ、マズいことだけはよく伝わってきた。

「有起哉、琴葉に連絡した方がいいわね」

「連絡って、して何を?」

「とにかく連絡ね」

 琴海のメッセージに、僕は何か危うい状況になっていることをうっすらと感じ取る。けど、具体的な内容については、なかなか思いつかない。

 と、着信でスマホが震える。

 見れば、琴葉からだった。琴海から連絡を求められているところで、丁度いいタイミングだ。

 僕は電話を取った。

「琴葉?」

「先輩は今帰る途中ですか?」

「まあ、そうだけど」

 僕は返事をしつつ、琴葉の電話からは車の走行音がひっきりなしに響いてくる。おそらく、交通量が多い国道とかを歩いているのかもしれない。ちなみに、近くには県境となる川が流れており、間を繋ぐ国道の橋が見えてきている。

「そうですか。先輩はご帰宅中なんですね」

「琴葉も同じ?」

「はい。ですが、今ちょっと寄り道をしています」

「寄り道?」

「はい」

 はっきりと返事をする琴葉。

「先輩は、わたしが立ち去る時に言った言葉、覚えてますか?」

「言葉って、もしかして、『わたしもちゃんと先輩に向き合わないといけないと思います』とか?」

「正解です。さすが先輩ですね」

 琴葉の声とともに、ひとりでだろう、拍手をする音が聞こえてくる。

「でも、そんなにすぐに答えが出てくるなんて、もしかして、その言葉について、さっき誰かと話していたりしていましたか?」

「いや、僕は今、ひとりで帰ってるところだし」

「別に一緒にいなくても、SNSとかでも同じですよね?」

 どうも、琴葉は僕が誰かとやり取りをしていたのではないかと疑っているようだった。

「もしかして、その、疑ってる?」

「何をですか?」

「いや、その、さっきのカフェで話したことを誰かと話していたとか」

「そうですね。もしかしたら、お姉ちゃんとそういうことを話しているんじゃないかとわたしは思っていました」

 やっぱり、相手が琴海だということは見透かされていたらしい。というより、僕の行動がバレバレ過ぎるのがいけないのだろう。

「でも、ほらさ、琴葉の姉で幼馴染となれば、振られた相手といっても、そういうことは話しても」

「やっぱり、先輩はお姉ちゃんに未練があるんですね」

 どこか悲しみを帯びたような調子の琴葉。いや、呆れているようにも感じられる。

「やっぱり、わたしはもう少しちゃんと先輩と向き合わないといけないと思います」

「向き合う?」

「先輩」

 琴葉は僕を呼びかけた後、一呼吸置き、続けて言葉を発する。

「先輩って今、土手の上を歩いていますよね?」

「えっ?」

 僕は驚き、思わず足を止めてしまった。

 まさか、ストーキングされていたとか。僕はすぐに周りへ目を動かす。

 だが、琴葉らしき女子中学生はどこにもいない。いるとしたら、ジョギングをする男性や自転車で通り過ぎる中年の女性くらい。

「ど、どうして、わかった?」

「簡単です。先輩のスマホに追跡アプリを入れてみたんです」

「えっ?」

 僕はすかさず、スマホのアプリ一覧を確かめる。スクロールしていけば、確かに見覚えがないアプリが入り込んでいた。

「琴葉、その、いつの間に?」

「いつの間にでもないですよ。今朝、先輩が目覚める前にわたしが入れておきました」

「入れておきましたって、いや、それはマズいよね?」

「どこがマズいんですか? わたしが常に先輩のいる場所を知っておきたいだけの理由ですよ?」

「いや、それがマズいって」

 僕は言いつつ、電話が終われば、すぐに追跡アプリをアンインストールしようと決意をする。なので、早く話を打ち切りたかった。

「とりあえず、話はそれだけ?」

「冷たいですね、先輩」

「いや、追跡アプリを入れられるとか、その、さすがにと思うから」

「でもですね、先輩」

「何?」

「その追跡アプリ、GPSの精度が悪くて、それだけだと、先輩が土手の上を歩いてるかどうか、わからないんですよね」

「それがどうしたの?」

「だから、最後はやっぱり、自分の目で確かめるしかないってことなんです」

「目?」

 僕は耳にした瞬間、背筋に寒気が走った。

 やっぱり、琴葉はどこかで僕のことを見ている。

 でも、どこから?

 一方で、琴葉の電話からは相変わらず、車の走行音が響いてくる。

 近くには交通量の多い国道の橋があった。

「まさかだけど、琴葉」

「何ですか?」

「国道の橋にいる?」

 僕の問いかけに。

 琴葉は間を置いてから、「正解です」と口にした。

「さすが、先輩です」

「寄り道って、そういうこと?」

「そうですね。ちょっと、先輩に振られてしまったので、川でもぼんやり眺めてみようかなと思って、橋のところでぼんやりしています」

 琴葉の言葉に、僕はすぐに橋の方へ視線をやる。

 確かに、真ん中あたりの欄干に寄りかかるセーラー服姿の女子がいる。スマホらしきものを片方の耳に当てていた。顔までは距離があってわかりづらいものの、他に琴葉みたいな人物はいないので、本人だろう。

「でもですね、先輩。わたしはわかっているんです」

「わかっている?」

「はい。その、追跡アプリを入れるとかなんて、本当はおかしいってことに」

「そうなの?」

「そうですよ。わたしは先輩のことが大好きだからといって、度を過ぎたようなことは極力控えたいと思っています。そうしないと、先輩から嫌われるかもしれないですしね」

 琴葉は言うなり、笑いをこぼしていた。いや、追跡アプリは入れているし、朝いきなり、自分の部屋にいたりするけど。すごく突っ込みたくなるが、したら、揉めそうな気がしてきたので、今の場では堪えることにした。

「なので、そういったことを踏まえて、先輩とちゃんと向き合おうって思っています」

「それは僕に謝るってこと?」

「それに近い感じです」

「近い?」

「はい」

 琴葉の声に、僕は内心安堵をしたくなってくる。おそらく、今まで僕に迫ってきたことを何らかの形で反省をするのではと思った。

 だが、僕の予想に反して、琴葉の発したことはまったく異なるものだった。

「なので、わたしはこれから、ここから飛び降りようかなって思います」

「えっ?」

 僕ははじめ、琴葉が何を言っているのか、意味がわからなかった。

 話の流れから、なぜ、橋から飛び降りるという結論に至ってしまうのだろうかと。

「ちょ、ちょっと待って」

「焦ってますね、先輩」

「いや、焦るって」

 僕は足を動かすと、琴葉がいる国道の橋へ走り始める。

「とりあえず、落ち着いて。まだ、その、死ぬとか早すぎるから」

「何でですか? これがわたしの先輩とちゃんと向き合うっていう覚悟なんですよ?」

「いや、そんなのは覚悟でも何でもなくて、単なる自己満足だって」

「自己満足でもいいじゃないですか」

「いや、琴葉が死なれたら、色々と」

「困るんですか? わたしのことを振ったのに」

 不満げに声をこぼす琴葉。

 僕はどうにかして、飛び降りを止められないかと必死に頭を巡らせ続けた。

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