第11話

現地に居た自衛隊は交渉力を持たず、武政と信之を中心に粘った結果、省庁の官僚が出てきた。そして、交渉を進めること数時間。落としどころは見つからず、国側から交渉の延期を告げられてお開きとなった。


その後、第八号ダンジョンは一時的に封鎖されることとなった。他のダンジョンが封鎖されなかったのは、その安全性を疑われる事が損失になると判断した国と企業の思惑だったのかもしれないし、もしかすると一度公開したものを無しにするのは躊躇われたからなのかもしれない。


信之らが解放されたのは日も明けた頃、薄暗くも朝日が照らす朝焼けの中だった。


信之と恭二は、それまで待機していた槇村を呼び出し、それぞれの自宅へと送り届けられていた。


「恭二、これからの話は俺に一任してくれるということでいいんだな」


「ああ、俺には交渉事はわからん。翔も一哉もまだ学生だ。押し付ける形になっちまったが、お前とあの武政が居れば大丈夫だ、と俺は信じるぜ」


「わかった。だが、まさか会社を辞めた後にもこういう役回りがくるとはな……」


 信之は何処か皮肉めいて口元を歪める。


「ぼやくなよ、俺が出張ったらきっと碌なことにならんぞ」


「それもそうだ」


停車したリムジンの戸を開けて信之は苦笑する。


「明日、というにはあれだ、明後日にでも会おう」


恭二は信之を見遣る。その表情は満足げで、それでいて次を見据えていると物語っていた。


「ああ、このままでは面白くないしな」


「そうだ、俺達はまだまだ道を究めちゃいない。あれじゃまだまだ足りんぜ。だから、頼んだ」


恭二の言葉に併せたわけではないだろうが、計ったようなタイミングでリムジンの扉は静かに閉じていった。



低くも静かなリムジンの排気音を背に信之は自宅の門を越える。目の前には、さして時も経っていないのにも関わらず懐かしい玄関があった。


静かな住宅街の中にあって増して静寂を包んだように錯覚する玄関の扉、そのドアノブに手をかけて引いて開ける。


家人は皆眠っているらしい。会社勤めの際、残業で遅くに帰宅したときよりもいっそう物静かに感じていた。

靴を脱いで玄関を上がり無意識にリビングに足を向ける。会社勤めで残業していた時なら迷わず風呂場に向かっていたし、その時は妻の涼子が迎えてくれていたが、この時は迎えもなく一人だし、習慣的にそうするはずもなかった。

ただ、何となくリビングを見てみたいと思っただけだった。


信之がリビングに入り見渡せば、テレビの前のソファに腰かけて眠っている妻、涼子の姿が目に入る。ソファ前のローテーブルには出立前に手渡した封筒が置いたままになっている。

信之はゆっくりと傍に寄って膝をついて、


「ただいま」


声に出して言っていた。

声を抑えて発したつもりだったその音で涼子の瞼が振るえ、その眼を開いた。


少し間を置いて、


「おかえりなさい」


信之を見据える涼子の瞳は喜びに満ちていて、徐々に潤みだす。


「いま帰った。ただいま」


その喜びに満ちた表情が嬉しくて、たまらなく恋しくて信之は思わず抱きしめ唇を交わした。

その際脳裏に走ったのは紙一重で死を免れた一瞬の出来事だった。それが影響したのか、もっと涼子が欲しくなった。


気が付けば信之は激しく涼子を求める自分に気が付く。居ても経っても居られず涼子を抱き上げると、信之は足早に寝室へと向かっていた。


その朝早く、息子である信一郎は二つ離れた部屋から聞こえてくる物音で目を覚ます。

抜き足差し足とはよく言ったもので、慎重に声の元を辿った信一郎は半開きの両親の寝室の扉の向こうに何とも気まずい光景を見て、そそくさと家を出て玄関の前に座り込んでしまった。


「歳を考えてくれ、歳を……」


思わず苦々しく呟いた頃、姉が深夜バイトから帰宅するのを見て必死に家に入るのを止めるのだった。



そんな佐伯家の珍事のあった半月後、オーク討伐の報酬が国との話し合いの後確定し、戦闘に参加した者達への報酬が支払われる目途が立った。本来ならばもっと時間をかけて決定されるべきだ、と官僚省庁では意見が多かったが、世界各国に対して遅れを取るわけにはいかず、一つの基準が決定された。


 また、今回のように緊急時、戦闘が突発的に発生してしまった場合におけるマニュアルの整備も課題となった。特に自衛隊に配備されている携行火器が有効でなかったという事実から装備の見直しが早急に必要となり、多くの技術者や識者が集められることになった。

 この装備研究のため、オークの死体は全て国が買い取る事になり、今回に限って、戦闘参加者に支払われる報酬は少しばかり高額になっている。オークの死体は各研究施設や企業に提供、売却されるらしい。


「ほぉ、悪くねーな」



恭二は手渡された明細書を見下ろしながら口元を緩める。


「国側もいろいろ折れてくれたようだ」


信之は安堵して首元のボタンを緩め、大きく息を吐いた。

その結果を見て頬を緩めたのは翔もだが、一哉もこの先何とかやっていけそうだと肩の力を抜いたのだった。


それと並行して、メディアでは今回の事が大きく報じられていた。ダンジョン、もとい異界の空の元、異形の怪物たちと切り結ぶ英雄たちの姿を。銃弾の雨の中平然と暴れ回る化け物たちを刀や槍、薙刀で切り伏せる武芸者たちの姿を大々的に報じたのだ。


その後、彼らに触発された武術を嗜む者たちは挙って会社を辞め、探索者を目指したのだった。その陰には、アビリティ屋と呼ばれる謎のガチャで商売する集団があったことは特筆すべきだろう。

その年の離職率は実に高く、20代、30代の離職率は顕著で離職率の高かった昨年度と比べても2割も上昇していた。多くの者がそれだけ『ダンジョン』『異世界』に年甲斐もなく夢を見てしまったのだ。


動画の反響はそれだけではないが、ともかくとして全世界が大きく変貌し始め、新たな時代が到来したことを示していた。





東京都は八王子市にある道の駅、そこには少しばかり異様な雰囲気のキッチンカーが看板を出し商売をしていた。

一トントラックを改造した車体はシンプルな白で、軒先にはカラフルな看板やメニュー等はない。ただイーゼルに掛けられた黒板に白いチョークで『open』とだけ書かれている。ただそれだけのシンプルな看板で何の商売をしているのかをちょっと見ただけでは分からない。

だが、その販売車の前には人がそれなりに列を作っている。


販売車両の前には金髪紫瞳、年齢性別もよくわからない人物がスーツに前掛けというよくわからない格好で客の列を整理している。客が並ぶのはノスタルジーすら感じさせるガチャガチャの前である。

ガチャマシンにはコインの投入口はなく、その横に箱型のお札の投入口が設けられていた。

金額は一万円からとなっている。


ネットで話題のスキルガチャだ。


先日放送されたニュースの動画に影響を受けた連中が興味本位でガチャを回しに来たのだ。東京近辺でこの販売人が確実に居ると分かっているのはこの八王子にある道の駅だけなのだ。あとの販売人はダンジョンの近くなどに出現するが、いつ現れるのかも、何時までその場所で店を開いているのかも分からない。運が悪ければ出会えない。ならば、確実にガチャを引けるこの場所に人が集まってくるのは必然だろう。


その日は平日にも関わらず多くの人間が詰め掛けている。

時間は既に正午を回ろうというのに列が途切れる様子もない。


そんな販売車両はガチャの他に直接アビリティを売買するためのカウンターも設けられている。


カウンター向こうには気だるげにモニターを眺める小汚い恰好の中年男と、小ざっぱりした感じのエリートのような雰囲気さえ持つ青年が番をしている。

そんなカウンターに列を避けて一人の客がやって来る。


「いらっしゃい。何が欲しい?」


青年はにこりともせず、客を見る。


「追跡術を一つ。あと、ちょっと聞きたいんだが、ここで買ったスキルを使った後でもあのガチャは初回一万で引けるのか?」


二度目以降は十万かかる。それがどの場所のガチャであれ、彼らと彼らの販売機械は引いた回数を把握しているらしく、別の場所で初めてだと偽ることは出来ない。


「ええ、初回であれば」


青年は立ち上がるとカウンター向こうの戸棚から五センチ四方くらいのアクリルケースを持ってくる。


「70万円。支払いは現金かクレジットカードの一括のみ」


無愛想にそう告げる。

そんな青年の態度に男は気を悪くした様子もなく上着のポケットから封筒を取り出し青年に手渡す。

青年は無言のまま封筒を受け取ると中身をマネーカウンターに掛ける。暫くその場に機械の駆動音とお札の弾かれる音だけが聞こえる。

一分も経たないうちに計数も終わり、表示された数字を青年が確かめるとアクリルのケースを男に手渡す。


「領収書は?」


「必要ない」


男はケースを受け取ると中身を確かめることもせず、中にあった碁石状の透明なタブレットを口に入れて飲み込んだ。


「これは返すよ」



男はケースをカウンターに置いてからガチャマシンに並ぶ人の列を横目に見て鼻を鳴らすと興味を失ったように駐車場へ向かって去って行った。


「ゼロ点」


だらしなく椅子に座る男はモニターから目を離すことなく口にした。モニター脇のスピーカーから聞こえてくる音声から、中年男がアニメを見ていることがわかる。


「何が」


青年は男の方を見ようともしない。


「お前のその接客態度が、だ。あと、あれはスキルじゃない、アビリティだ。訂正しとけ」


青年は眉間に皺を寄せ、


「見てなかったのか、問題なく男は欲しいものを買っていった。それに呼び方は好きにさせることになった」


「そうだったな、そっちはまぁいい。だが、もうちっと人間味って奴を学んだらどうだ? ほら笑ってみろ、せっかく美形に造られてんだ、ちょっと微笑んだら女どもが寄ってくる」


「必要ないことはしない」


「そうかい」


男は機械のように次の客が来るのを待つ青年を、目だけ動かし視界に入れため息を漏らす。

視線に気が付いたのか、それともため息が聞こえたのか青年はその無機質な相貌を男に向ける。


「あなたの、その態度は問題があるように思います。動画視聴を止め此方に立っているべきでは?」


「表と違ってこっちには殆ど誰も来ねーんだ、お前一人で十分だろ。それにこのあにめーしょんの視聴は俺にとってのライフワークだ邪魔すんな」


男は足元のクーラーボックスからビール缶を取り出すと封を開けて喉を潤した。男の見ているモニターの向こうでは小柄な女の子たちが日常を謳歌する映像が流れている。そのアニメは何故だか男の登場人物が登場しないし、英雄譚らしい盛り上がりもあるわけでもないが、何となく男はそれを気に入って何度も視聴していた。


何話目かのオープニングで女の子たちが手を繋いでジャンプしたあたりで、


「いらっしゃい、何が欲しい」


また客が来た。


「えっとスキルの一覧を見せてほしいんですが」


客の要求に青年は無言で応え、リストを手渡す。

複数人で訪れたらしい客はああでもないこうでもない、と仲間うちで話で盛り上がっている。


「スキルじゃねぇアビリティだってんだ」


男は小さくひとりごちた。

集団の客が去った後、


「この国の連中は……」男の呟きに青年が反応して男を見る。「何でスキルなんて言うんだろうな」


「短くて言いやすいから、と推測する」


「だと良いがな。まったく、貧乏クジだよ」


うんざりした口調で男は吐き捨て、心を鎮めるようにモニター向こうの物語へと没頭しはじめるのだった。


その年、日本国内に置ける探索者の死亡率が3割を超え、免許取得条件の改定が早々に行われる事になった。


世界に訪れた混沌は留まることを知らない。

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異世界来たりなば脱サラ多し ジョージ・ドランカー @-hrwu-g

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