第43話
その後も鍛治川・絹蜜合同での研究発表会はつつがなく進行していった。どの家も一年間の研究成果をこの場に持ち込んできているようで、かなりの熱量が室内を満たしているのを感じる。
どの分野でも言えることだが、こういった研究発表の場にはトレンドというものが存在する。つまりメインストリームの流行りの研究と、それ以外の横道に逸れたようなマイナーな研究に大別されるのだが今回の発表会におけるトレンドは素人目で見てもはっきりとわかるものだった。
『災害級妖魔に有効打を与える霊具、あるいはその攻撃から身を守る霊具の開発』、ほとんどの家にとっての一丁目一番地はそこにあるようだった。
それも当然のことだと思う。
今年の日本で討伐された災害級の妖魔は3体、第一次と第二次の鬼神にリヴァイアサンだ。後半の2体を討伐しておいてなんだがここまで集中的に災害級妖魔が現れ、かつ討伐に成功したのは世界的にみても日本だけである。
最初に現れた鬼神に関しては討伐するのに一年半以上がかかっており、その間に夥しい数の人命が損なわれている。そういった昨今の妖魔情勢を考慮すると今回発表される霊具が対災害級の妖魔にばかり偏ってしまうのも仕方がないのだろう。
あとはやっぱり鉄斎の製造した『琴天津の剣』に追いつかんとする研究者たちの意志というか憧れもあるのかもしれない。冊子の最後の方のページを見ると発表会の大トリは鍛治川家、内容はもちろん『琴天津の剣』に関してだった。
そんな感じで大味な威力の霊具ばかりが発表されていく中、一つだけ全く違うジャンルの研究をしている家があった。わたしは内容を聞く前に資料だけ先に目を通すようにしているのだが、この家に関してはマジで何の研究をしているのか意味不明だったのだ。
たぶん基礎研究の一種なのだろうけど、知らない単位のよくわからない数値が羅列されている資料を見てもほとんど内容がわからない。
いざ発表が始まってみて頑張って集中して聞きながら横の鉄仁に助けてもらいつつ、ようやくこの研究の目的が『一般人でも小型妖魔を討伐するための霊具』、それを開発するための、更にその前段階の研究であるということがわかった。研究の骨子は霊力操作の技術に関するものである。
スクリーン横に座って説明をしているのは若い男の退魔師で、鉄仁に聞くところによるとこの家の当主らしい。
彼がマイクを使って説明を行っていくにつれて、会場の空気が徐々に冷えてくる。もうこの段階でこのあとの質疑応答の時間がやばいことになるという予感があったが、その予想は的中した。
質問タイムに入った直後、数秒間の沈黙を経て一人の退魔師がこう質問した。『この研究に意味はあるのか』と。前に座る若い退魔師の男は簡潔に『この研究が実を結べば、例えば一般人でも小型妖魔を討伐することができますので、ですから――』と言葉を続けようとしたところで、先程と同じ男が『だからそれに意味があるのかと聞いている』と重ねて質問した。
一般人が小型妖魔を討伐するための研究に何の意義があるのかという意見はこの会場内の大多数のそれと一致しているようで、前に座る若い退魔師は一気に言葉に窮しはじめた。
いやほんと、見てて居た堪れない。
基礎研究に対して『何の意味があるの?』という質問は禁止カードである。それに一般人が小型妖魔を討伐できるというのはあくまで一番近い具体的な応用例というだけで、たぶんこの研究はもっと広く活用される見込みなのではないかと素人目線で考察する。
発表者の彼なんてだんだん声が震えてきてるしあまりにも可哀想だ、と思っているうちに私個人の意見が決して彼を否定するものではないということに今更ながら気がついた。
『一般人でも小型妖魔を討伐できる霊具』
仮にこれが本当に開発できたとしたら私の仕事はかなり楽になる。妖魔の間引き管理が行き届かない土地が徐々に増え続けている現状、この技術にはそれを解決する糸口となるのでは思うのだがそれは私が戦闘系の退魔師だからなのだろう。製造系退魔師と戦闘系退魔師の認識の違いがここにあるような気がする。
一度自分の中で結論が出てしまうと、目の前で顔を真っ白にしている発表者の彼をこのまま見捨てるのが悪い気がした。いや違う、悪いどころかこの研究方針がここで打ち捨てられるのはあまりにも勿体ない。別にすべての家が災害級妖魔を打ち倒すための霊具開発に全力を注ぐ必要などないのだ。
製造系退魔師の業界にはある程度多様性を維持してもらったほうが、戦闘系退魔師の私達にも利益があるはずだ。
「……あの、素人質問で申し訳ないのですが本当に一般人が小型妖魔を討伐できるようになるんですか?」
恐る恐る左手を挙げてそう質問すると、発表者の若い退魔師と私の右に座る鉄仁は少し驚いた様子で私を見てきた。続けてそれ以外の後ろにいる退魔師からの視線を感じるが、左手に座る鉄斎に変わった様子はなかった。
私が質問をしたことで少しだけ息ができるようになったのだろう、若い退魔師は予め用意していたと思しき回答をこちらに返してきた。
「ええ、はい……まだ出力の弱さに課題がありますが、非術師が霊力を操作するための補助器具の試作にはすでに成功しています」
それって普通にすごい技術なのではと思ったが、やはりまだ小型妖魔を倒すほどの威力を出すためにはいくつかネックとなる部分があるらしい。たぶんそれを解決するためには人手もお金も足りないのだろう。
そのタイミングで今まで黙っていた鉄斎が口を開いた。
「蛇谷、お前は非術師が小型妖魔を討伐できる霊具があれば助かるのか?」
「……はい、大量生産が前提ですけどあれば助かります。まあそれを使って戦ってくれる一般人がいるかどうかはこちら側の問題になりますけど」
仮にそんな霊具があったとしても一つだけだったら意味がないし、また大量生産が出来たとしてもそれを使う一般人の協力者がいなければ意味がない。そういう観点からもやっぱり実用的な研究じゃないよな、まあ素人の意見だし許してくれるだろう、と思っていると鉄斎は続けてこう言った。
「
その鉄斎の言葉にはさすがに会場内がどよめいた。
前に座る蔵人家の当主は目を白黒とさせながらこう答えた。
「いえ、まだこの研究はあくまで基礎研究の段階でして……」
春までに完成させてなおかつ大量生産なんて不可能だ、と言外にそう言いたそうな彼だったがそんなことをガン無視するのが鉄斎だ。
「俺の言った意味がわからなかったか? 来年の春までに完成させるのに必要な人手と金はいくらかと聞いている。今この場で答えられないのなら後日改めて聞きに行く、俺からは以上だ」
鉄斎はこれ以上話すことはないという感じで目を瞑り腕を組んで黙りこくった。
蔵人家の当主は震え声で「はい、春までに絶対完成させます……」と言った。
■■■
蔵人家の研究発表が思った以上に長引いたので、私はそろそろ帰宅しなければいけない時間になってしまった。鉄仁に邸宅の外まで案内してもらおうと席を立ったところで、座ったままの鉄斎が前を向いたままこう言ってきた。
「蛇谷、蔵人家にはその霊具を必ず作らせる。退魔省の役人どもにはお前から話を通しておけ」
一般人でも扱える霊具となればその販売先は間違いなく国になる。なので私に退魔省へのパイプ役になれということなのだろう。チラッと蔵人家の当主に目を向けると彼は死にそうな顔で頷いてきた。
いやまあ、こんなことになってしまったのは一部私の責任でもあるので協力するのは吝かではないし、上手く行けば私にとっても利益になる話なのだけれど、本当にこの糞ジジイに周りへの配慮といったものは無いのだろうか、無いんだろうな、無かったし。
「まあ、こちらのことは私に任せてください、退魔省でもyourtubeでも利用できるものは何でも利用しますから」
それだけ伝えて鉄仁と一緒に部屋から退出した。
鉄仁に先導されながら広い邸宅内を歩いていると彼が話しかけてくる。
「いやぁ、まさかあんなことになるなんでびっくりしたよ、水琴さんはこうなるって予測して蔵人に質問したの?」
「そんなわけないじゃないですか、どう考えても鉄斎の暴走ですよ」
自分がそれに加担したことは棚に上げて、とりあえず鉄斎のせいにしておく。
「でも、もし本当に蔵人家が霊具開発に成功したら私の仕事はかなり楽になると思います」
「……そんなに?」
「実際、妖魔の間引きが不十分な土地は増えてきてますし、戦闘系の退魔師の数もしばらくは減る一方ですから」
妖魔がもっとも活性化する真夏、その時にどこまで被害を食い止められるかが勝負になる。私の来年の夏は休みなんてないと思ったほうがいい。常に日本のどこかで中型以下の妖魔の相手をしつづけなければならないはずだ。
そんな自分の予測を鉄仁に伝えると、退魔師の数が減っているという部分に反応したのだろう。彼はこう質問を返してきた。
「僕が妾を取るように言われてる話は聞いてるんだっけ?」
「ええ、まあ大体は」
「それを聞いてどう思った?」
答えづらい質問だと思いつつ、私は自分の意見を述べた。
「鉄仁さんに妾を取れとは言えませんよ、私は春花さんの友人ですから」
この間、ホテルの一室で春花さんと話したことで私個人の感情はかなり彼女に寄っている。なので今言ったことは間違いなく私の本心だ。けれども鉄仁はその答えに納得できなかったらしい。
「退魔師としての水琴さんの意見を聞きたい」
歩きながら話していた鉄仁が足を止めたので、後ろに続いていた私は前に進めなくなる。きちんと答えるまで案内はしないという鉄仁の言外の意思だろうか。
腕を組みながらどう答えるべきか思案する。
「答える前にいくつか質問してもいいですか?」
「いいよ、何でもどうぞ」
「鉄仁さんの妾候補の女性は主に戦闘系の退魔師の家出身ですよね」
「うん、殆どがそうだね」
鬼神討伐で殉職した退魔師の許嫁だった人ならば、ほとんどは戦闘系退魔師の家系出身の女性のはずだ。戦闘系の退魔師は戦闘系の退魔師家系の女性と、製造系の退魔師は製造系退魔師家系の女性とそれぞれ婚姻する傾向にある。そういった観点からも私の父と母の婚姻はかなりイレギュラーなのだが、まあこれは別にどうでも良い。
「つまり鍛治川の援助を受けた戦闘系退魔師の子供が何人も期待できるってことですよね」
「その通り」
ここまで提示された条件で、退魔師としての私の結論は一つだ。
「20年後のことを考えるのであれば、鉄仁さんにはなるべく多くの妾を取ってもらう方が良い、それが退魔師としての私の意見です」
「……そういうところ、水琴さんは正直だよね」
シニカルな笑みを浮かべる鉄仁の表情を見つめる。
以前から思っていたことだが鉄仁はかなり女にモテるタイプの男だ。見た目も良いし、女性との話し方にも卒がない。家柄も血筋も退魔師としての素養もすべてを兼ね備えている。桃華さんが彼を超優良物件と評したことに間違いはないし、政略結婚とはいえ春花さんがぞっこんになるのも当然だろう。妾なんて取ってしまえばその女性のほうが鉄仁に入れ込みすぎて問題を起こさないか心配なくらいだ。
「まあでも、異母兄弟が多すぎるせいで鉄雄くんがグレて不良少年になったら困るので今のままで良いと思いますよ」
これ以上この会話を続けるのも不毛なので、私はそう話にオチをつけた。そもそも鉄仁だって私がなんと言おうと妾を取る気なんて無かったのだろう、一つ頷いてから彼は前を向いて廊下を進み始める。
私も組んでいた両腕をほどいて前を向き、大きく一歩を踏み出した。
改めて言っておくと、このとき私が着ていたのは京華から借りている着物である。歩幅が著しく制限される服装で大きく一歩踏み出したりなんてすると、当然バランスを崩して倒れてしまう。
「あっ!」
気づいたときには私はすでに前のめりに倒れかけていた。
こういうときってやけに周りの景色がスローになる。その間、私は頭の中で京華に借りた着物に傷が入ってしまうことを謝りながら反射的に目を瞑った。
板張りの廊下に倒れ込む感触を予想していたのだが、むしろ何か柔らかいものに抱き抱えられる感触が倒れた先にあった。
目を開けると、私は鉄仁を下敷きにして倒れていた。
鉄仁の両腕は私の腰を抱きかかえるかのように巻かれていて、その表情は私の胸で隠れてしまっているのでわからない。
「あっ……すみません鉄仁さん、受け止めてもらって」
「……」
「もう離してもらっても大丈夫ですよ」
「……」
「あれ、鉄仁さん?」
「……」
鉄仁に話しかけても反応がない、もしかして気絶してる?
倒れたときの感触を思い出すと、確かに私の胸の下で何か硬いものが床にぶつかったような気がする。たぶんあれは鉄仁の頭で、後頭部を床にぶつけて気絶してしまったのだろう。
頭部にそんな衝撃が入ったまま放置するのはまずい、すぐに救急車を呼ばなければと思って自分の身体を起こそうとしたが鉄仁の両腕が想像以上にガッチリと私の腰を捉えていて離してくれない。
足でなんとか起き上がろうとしても着物なので両足の可動域が狭く上手く身動きが取れない。
「あれ、これヤバくない?」
本気で振りほどくことは造作もないが、半霊体化している私が力加減をミスると鉄仁に大怪我を負わせてしまいかねない。ただでさえ後頭部をぶつけて気絶しているのに、そんなことになってしまえば本当に命の危機である。
助けを呼びたいのだが、この状況を誰かに見られるのもまずい。どうすべきか頭の中で思考をぐるぐる回転させていると、私の後ろのほうの廊下に面した襖が開いた。
「何を、しているんですか、水琴さん?」
その部屋から出てきたのは私が今一番会いたくない人物である春花さんだった。おまけに彼女は私の下敷きになっている人物が鉄仁であることに気づいている様子である。
絶対零度の眼差しで春花さんはこちらを見つめている。
一言目、そう一言目が重要だ。
この状況があくまでも事故によるものだということを簡潔に彼女に伝えなければならない。そう思って口を開く。
「ご、誤解です! 私が着物で転けてしま――――ひゃんっ!!」
春花さんに話しかけている途中で、鉄仁の頭が動いて彼の鼻先が私の胸のある部分を強く圧迫した。何重にも重ね着している着物でも一点集中で強く圧迫されると防御力が無くなるらしい。あと、そもそも私の身体が龍神に開発されまくってるからそのせいもあるのだろう。
従兄弟の嫁に喘ぎ声を聞かれるという最悪の事態だ。
甘い声を吐いたばかりの喉を震わして私は言葉を続けた。
「あのっ……春花さん、これは、ぁん……! そういうことじゃなく――っ!! 鉄仁さんの腕、ほどけなく……ひゃい!!」
これもう態とやってるんじゃないかというくらいに鉄仁の頭の位置が絶妙なところにあるせいで全然まともに喋ることができない。
確変に入ったパチンコ台の気分があるとすればこんな感じなのだろうとバカな現実逃避をしながら、私はこの三景をどう考えるべきなのか自問した。
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