第39話
銀行のATMで記帳した20億円という数字を見ながら、やっぱり『絹蜜』本家の巫女服が欲しいと改めて思った。
ということでさっそく懇意にしている石原霊具店に向かい、普段と変わらぬ様子の老店主に絹蜜の霊具を取り扱ってるか聞いてみた。
「うちみたいな零細店じゃ絹蜜のは仕入れられねぇよ」
「そうですか……あっ、じゃあ紹介状とか書いてもらったりできませんか?」
私がダメ元でそう言うと石原氏は少し呆れたようにこう返してきた。
「まあ分家経由の紹介状なら書けるけどよ……お前さんならもっと良い伝手があるじゃねぇか」
「鍛治川のことですか?」
「そうだ」と短く言う石原氏だが、個人的には鍛治川家にはあまり頼らずに退魔師としてやっていきたいのだ。下手に分家扱いされると色々と大変そうだし、『蛇谷家は一人当主の独立した家です、よろしくお願いします』という感じで今後もやっていきたい。
そんな私の考えを知る由もない石原家の老店主はこう呟いた。
「たしか……8年くらい前だったか、鍛治川に絹蜜の直系の娘が嫁に入っただろ、このまえ鍛治川に行ったんならその時に会ってるんじゃないのか?」
まさかと思い名前を聞いてみると鍛治川に嫁に入った女性は『絹蜜春花』、私の従兄弟である鍛治川鉄仁の奥さんだった。私が鉄仁の妾になる気満々で来たと勘違いしてめちゃくちゃ睨んできた女性である。当然、もう誤解はとけているので私と春花さんの間にはわだかまりは無いのだけれど、それでも面と向かって話すとやっぱり気後れしてしまう。たぶん春花さんの方も私に対しては同じような気持ちを抱いているとは思う。
しかし春花さんが絹蜜の人間であることを知ってしまった以上、彼女を通さずに絹蜜本家へ依頼を持っていくと、今度こそ彼女のメンツを潰してしまいかねない。絹蜜に巫女服を作ってもらうのであれば、もはや彼女に話を持っていくしかなくなった。
まあでも、ある意味これで良かったのかもしれない。
鍛治川に『琴天津の剣』を作ってもらって、絹蜜にも新しい巫女服を作ってもらうことで御三家に対する蛇谷家のスタンスを平準化できる……、いやそれなら式紙家にも何か依頼をするべきだろうか?
……さすがに変な気を使い過ぎか。
別に鍛治川家と密接な分家関係になろうが、嫌なことは嫌と断ってしまえばよいのだ。もともと絶縁されていたのだから最初に戻っただけと考えれば多少気が楽になる。パワハラ糞ジジイに何を遠慮することがあろうか。
■■■
そんな訳で従姉妹の京華に『絹蜜家』に依頼をしたいので春花さんと話をしたい、と電話するといつもの国際ホテルで会うことになった。その場所ならアフタヌーンティーだろうかと思ったのだが、意外なことに待ち合わせ場所はホテルのスイートルームの一室だった。
地下駐車場に原付を置いてからホテルのエントランスに向かうと京華とお付きの高橋さんが立っているのが見えた。声をかけるとそのまま29階のスイートルームまで連れられる。
豪奢な廊下を抜けてスイートルームに入るとまず、酒臭さが私の鼻をついた。
お付きの高橋さんはそのまま部屋の外で待機するみたいで、一緒に入室したのは京華だけなのだが彼女も酒臭さに少し顔をしかめていた。けれどもそれは彼女にとっては既知の情報らしく、そのままズンズンと豪奢な室内を進みリビングと思しき風光明媚な部屋にたどり着いた。
開放感のある大きな窓ガラスの側にあるソファーベッドに2人の女性が腰掛けていた。いや、腰掛けているのは叔母の桃華さんだけで、もう一人はソファーにうつ伏せで倒れている。
長い黒髪と腕がソファーの上から床まで垂れていて、床に触れている左手にはシャンパングラスが握られていた。幸い中身は空のようで高価そうな絨毯に汚れはない。
なんだこの状況はと思って叔母の桃華さんを見ると、彼女もシャンパングラスを握りながら悪戯っぽい笑みでそこに寝ている女を起こすようなジェスチャーをしてきた。
まさかと思いながらソファーに突っ伏している女の肩に手をかけて揺すると、ダルそうに頭を上げた彼女と目があった。
途端、その女性は瞳を大きく開くと何かとても恐ろしいものを見たと言わんばかりの表情で、喉の奥で声にならない悲鳴を鳴らすと私から遠ざかるようにソファーの上を後退りした。
「ななななななななっ……!?」
「……お久しぶりです、えーと、春花さん?」
彼女が私の会いたかった鍛治川春花であることはもう確信しているのだけれど、以前会ったときと雰囲気が違いすぎて語尾が疑問形になってしまう。
「ちょっ……えっ! 桃華さんどういうことですか!?」
「ごめんね春花さん、スペシャルゲスト呼んじゃった」
ここに私がいることに驚いて様子の春花さんが桃華さんをそう問い詰めると、桃華さんは先ほどと同じ悪戯が成功した子供みたいな返事をした。
一気に酔いがさめた様子の春花さんは一言断ってからお手洗いに向かっていったので、室内には私と京華と桃華さんが残された形となった。「部屋がくさいです」と言って窓を開けて換気をし始めた京華を横目に、桃華さんに何をしていたのか聞くと、どうも最近ストレスを溜めていた春花さんを気遣って無理やり休みを作りこのホテルで飲み会をしていたらしい。
ちなみに開いたシャンパンは2本目、飲み会をしていたというわりに室内に食べ物の気配が全くないのは私に気を使ってくれてのことだろうか。
予想外の事態にすこし呆れつつ、とりあえず私もソファーに腰掛けて桃華さんと話を続けた。
「春花さん、最近また辛そうにしてたから息抜きさせてあげなきゃと思ってね。ごめん水琴ちゃん、驚かせちゃって」
あまり酔ってなさそうな桃華さんはグラスに口をつけながら鍛治川春花という女性について語り始めた。
■■■
鍛治川春花、旧姓絹蜜の彼女が鍛治川家に嫁に来たのは今から8年前のこと。霊具製造の御三家のうち、『鍛治川』と『絹蜜』の直系の男女の婚姻ということで周囲からの期待はそれはそれは大きなものだったらしい。
ここでいう周囲からの期待とは即ち、『強い退魔師の子供を成すことができるかどうか』、というものである。
退魔師の家系に生まれた女性にはかならず、退魔師としての高い素養を持った子供を産むための言霊呪名である『花名』がつけられる。この事からもわかる通り、強い退魔師の子供を産むことはこの業界の女にとっての至上命題なのだ。まあ私は母親が母親だったせいで『花名』は無いのだけれど、これは完全なイレギュラーである。
さて、政略結婚で結ばれた2人だが気が合ったのだろう、特に性格上の不一致などもなく良好な夫婦関係を築くことができたため、周囲は2人の間にはすぐに子供が出来るのだろうと期待していた。
ところが、『今年はきっと子供を授かるだろう』と正月のたびに言われる親戚の予想を外しつづけて気づけば数年が経ち、春花さんは鍛治川家内での立場がどんどん弱くなっていった。鉄仁も春花さんも子供を作る能力に問題があるわけでもないし、それなりに夜は2人で行為をしていたそうなのだが、結婚から5年が経過しても妊娠の兆候は見られなかった。
以前、私が鍛治川家に呼ばれたときは鉄仁の妾になるように言われたが、そもそも鉄仁に妾をつける話は私が最初というわけでは無かったようだ。鉄仁と春花さんに一向に子供ができる気配がないため、周囲がやんわりと圧力をかけて妾を取るように仕向けていたそうだ。候補の女性の内諾も取れており、あとは鉄仁が同意すればすぐに関係を持てる状態だったとか。しかし鉄仁はそれを固辞して春花さん以外の女性と関係を持つ気はないと宣言した。
鉄仁も男らしいところがあるじゃないかと思ったが、それはそれでまた春花さんが責め立てられる口実になったらしい。つまり『子供も作れないくせに鍛治川家次期当主の嫡男を独占する
桃華さんの語り口に聞き覚えがあったので、おそらくこの話は母と2人で桃華さんと京華とアフタヌーンティーに行っていた時に耳に入っていたのだろう。記憶にはほとんど残っていなかったが。
それでも改めて詳細を聞くとなんとも地獄みたいな話である。花の20代のうちの数年間を朝から晩まで毎日、針のむしろ状態での生活なんて、私なら気が触れてしまう気がする。
実際、末期の春花さんはほんとうにヤバい状態だったらしい。不妊治療を何年か続けたあと、とうとう産み分け指導まで追加されてしまったあたりが春花さんのストレスのピークだったそうだ。
「……産み分け指導ってなんですか?」
「簡単にいえば子供の性別を望む方にするためにする作業のことね。リンカルっていう薬を飲んだり、あとは……まあ色々と準備したりって感じ」
不妊治療に加えて産み分け指導までが追加されてしまったのは、つまり春花さんの年齢を気にしてのことだ。20代前半の嫁だったら周りの親戚も『一人目は女の子で、二人目が男の子のほうがいいわよ』みたいな感じで接してくるそうだが、20代後半に差し掛かった春花さんの場合は『年齢のこともあるし最初から男の子産んでね、頼むから』みたいな風になるらしい。
……この話を聞いて、零細退魔師の家の娘として『花名』も無く生まれてきた自分の幸運に感謝した。前世が男の自分が春花さんみたいな環境におかれたら間違いなく発狂すると思う。
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