第38話

 11月29日の日曜日、記憶の混濁した頭を抱えながら私は神社の境内で掃き掃除をおこなっていた。妖魔退治の忙しさにかまけて放置していたせいで境内にかなり落ち葉が溜まっている。


(……昨日、家に帰ってからの記憶がない)


 リヴァイアサンを倒して、記者会見でやらかして、家には時間通りに帰宅できて……、そのあとの記憶がない。

 布団の上で龍神にぐちゃぐちゃにされているうちに、ぼんやりと少しずつ意識を取り戻していたような気もするのだが、どの時点から意識がはっきりしていたのかも確信が持てない。



 気を紛らすために竹箒で落ち葉をどけて参道からきれいにしていく。11月の終わりともなると境内の落ち葉もほとんど乾ききっているので軽くて助かる。


 無心になって作業をしているうちにあたりからは落ち葉が一掃されたので、本殿の拭き掃除に移行しようとしたところで賽銭箱に何かが挟まっているのを見つけた。


「うわ、万札じゃん」


 うちの神社の賽銭箱にお金が入っているという人生初の事態に戸惑ってしまい、思わずそんな独り言を呟いてしまった。風の無い、しんとした秋の終わりの空気にその独り言が思った以上に大きく響いたので、特に悪いことをしているわけでもないが周りに人がいないかキョロキョロと見回してしまった。


「そういえば賽銭箱の中身とかほとんど確認したことなかったな」


 すぐ横の自宅に戻り、取ってきた賽銭箱の鍵を鍵穴に差し込む。ピッキングされたら簡単に開けられそうなシンプルな鍵だが、果たしてその中身は無事であった。


「めちゃめちゃお賽銭集まってる、いつの間にこんなに参拝客が……」


 硬貨だけでなく小さく折りたたまれたお札もかなりの数が見受けられる。私がいない間にかなりの人数の参拝客が訪れていたことが一目でわかった。


 賽銭箱の抽斗を抜き取って、中身の硬貨や札をザラザラと麻袋に流し込んで家に持ち帰る。家の中で賽銭を検分しているうちに気づいたのだが、中には私宛の手紙のようなものまでが入っていた。賽銭箱に手紙を入れないで欲しいと思いつつも悪い気はしない。


 硬貨の種類毎に分ける整理が終わったところで、時計を見ると午後の2時を指している。


「って、境内の掃除の途中だった」


 拭き掃除のための雑巾とバケツをもって再び境内に戻り、掃除を続行した。



 ■■■



「ふぅ……、まあこんなところでしょ」


 神社の人目につくところから、社務所の内側まで一通りの掃除を終えた私は一人で悦に浸っていた。


 昨晩の記憶は戻らないままだが、年末年始に向けた神社の大掃除という仕事を終えることができた私の心のうちは晴れ晴れとしていた。


 秋空はまだ青さを多く残しており、日没までにはかなり時間的な余裕がありそうに見えた。このまましばらく、社務所のなかでぼうっとしているのも良いかもしれない、そんな風に考えていると3人組の参拝客が訪れた。


 20代くらいの男女3人組で、木陰にある社務所には気づかずにそのまま本殿に向かってお詣りし始めた。

 鈴の音や硬貨が賽銭箱の内側を跳ねる音を聞きながら彼らの後ろ姿を眺めていると、3人のうちの振り返った1人の女性と目があった。


 軽く会釈をするとその1人が他の2人に声をかけたところで残りの2人も私が社務所の中に座っていることに気がついたらしい。小走りで駆け寄ってきた女性に開口一番にこう聞かれた。



「あの、蛇谷水琴さんですよね!」

「あっはい、そうです」



 たった一言そう返答しただけだが、3人はお互いの顔を見合わせて、揃ったように弾けた笑顔で会話を続けてくる。

 どうもこの3人は関東のほうの大学の寺社仏閣巡りサークルに所属しているらしく、これまで色んな神社やお寺を巡ってきたのだと御朱印帳を見せながら語ってくれた。


 最寄り駅から徒歩30分のど田舎にあるうちの神社に、わざわざ関東から来てくれる人がいるというのに少し驚きつつ、改めて自分が有名人になったのだと実感した。


 3人の御朱印帳に蛇谷神社の御朱印を押印して日付を毛筆で記入していく。初穂料は無料なのでそのまま御朱印帳を返却すると、次に神社にいるのはいつになりそうかと聞かれた。


「お正月の三が日はずっといるつもりです、妖魔が出ない限りは」


 さすがに年末年始まで妖魔の相手をするのはしんどい、災害級の妖魔が出ない限りは今年の正月はゆっくり過ごすつもりだ。


 ……今年の初め、まだ両親が生きていた頃、地元の人が数人訪れるからと神社を開けて母と2人で社務所に籠もっていたのがすこし懐かしい。今日確認した賽銭箱の様子や、目の前の3人組を見るに今年はそれなりに参拝客が来てくれるかもしれない。亡き父母が見たら喜んでくれるだろうか。


 そんなことをぼんやりと心の裏で考えながら3人と会話をしていると、「友達に自慢したいから一緒に自撮りしてもらってもいいですか」と遠慮がちに尋ねてきた。彼らの喜びように水を差すのも憚られたので、私はその依頼を快諾した。


 撮ったばかりの写真データが入ったスマホと、御朱印帳を大事そうに抱えながら3人は歩いて帰っていった。駅からここまで本当に徒歩で来ていたらしい。熱心な参拝客を見送ってから空を見上げると少し赤らんでいる。



 鳥居の真ん中に駒寄せを置いてから私は自宅に戻り、その日もいつもと同じように龍神に抱かれた。




 ■■■





 それから一週間後、私は県庁舎で担当の山下さんとともに東京から来た退魔省の官僚と契約書を取り交わしていた。

 契約書の内容はリヴァイアサンの妖結晶を20億で国に売却するという内容である。


 ボールペンで自分の住所と名前を記入し、実印を数か所ポンポンと捺印して無事に契約は完了した。

 これで数日後には私の銀行口座に20億円が振り込まれる。想像した以上に高く売れたことに驚きつつ、初めて手にした大金をどう扱うべきかはここ最近ずっと悩んでいる。


 とりあえず巫女服は新調するとしても数着買ったところで消費する金銭はわずか数千万円だ。……数千万円という単語にわずかという副詞をつけて自然と思考している自分に心の何処かで呆れつつ、契約書を検分する官僚と話を続ける。


「ありがとうございました蛇谷さん、書類関係はこれで大丈夫です」

「こちらこそありがとうございました、わざわざ東京から来ていただいて」


 国に妖結晶を売却したことで所得控除が適用されるため、このお金に掛かる税金はかなり安く済んだ。

 鬼神の分の税金も余裕で支払いできるので今回のリヴァイアサン討伐は大成功だったと言える。……記者会見の下着開示は考えないものとしてだけれど。


「リヴァイアサンの妖結晶の使い道はどうなるんですか?」


 興味本位で聞いてみたら男性官僚は、「官民共同での妖魔の研究に充てられる方針で進んでます」と答えてくれた。退魔省とつながりの深い家で一番大きいところといえばリヴァイアサンの妖結晶の鑑定をしてくれた式紙家なので、もしかするとそことの共同での研究になるのかもしれないと直感的に思った。



 霊具製造の御三家である『鍛治川』『式紙』『絹蜜』のうち、とくに式紙家が退魔省と強いパイプを持っていると言われている。関東を拠点にしている家だから地理的にも霞が関と親密になりやすいのだが、やはり当主の方針的なところもあるのだろうと感じる。なんとなく、祖父の鍛治川鉄斎はそういうのを嫌いそうな気がする。


 以前まで私が頻繁に購入していた霊符はその『式紙家』の分家のそのまた分家の製造したものであり、巫女服のほうも『絹蜜家』のかなり遠縁の分家が製造したものである。


 霊具製造を生業とする退魔師は御三家を頂点とした縦の繋がりでまとまっていて、また各家ごとに得意な霊具製造の分野が異なるので棲み分けもきっちりしている。



 次に巫女服を調達するんならいっそのこと『絹蜜』本家の製造したものがいいな、とんでもない金額になりそうだけど今の私なら余裕で支払えるだろう。





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