第37話

 記者会見を終えたあと、私は山下さんの運転する公用車で蛇谷神社へ向かっていた。無言でうなだれる私を横目に気遣ってくれる山下さんも先ほどからずっと口を閉じたままだ。

 やや気まずい沈黙が支配する車内で、とりあえず私は会話を始めることにした。


「記者会見なんてするもんじゃないですね、はは……」

「だ、大丈夫よ水琴ちゃん! 下着が写ったのは一瞬のことだし、そこまで噂が広まったりは――――」


「Twitterのトレンドに『下着の色』って上がってます」

「……」


「というかブランドまで特定されちゃってます」

「……」


「オンラインショップで一瞬で完売したらしいですよ、私のと同じやつ」

「……」


 信号待ちで停車したあと、サイドブレーキを引いた山下さんの左手が私のスマホ画面に覆いかぶさるように差し出された。


「水琴ちゃん、それ以上SNSは見ちゃダメ」

「あっ、はい」


 言われた通りにスマホの画面をオフにする。

 信号が青になったので再びハンドルを握り始めた山下さんはこう続けてきた。


「とにかく、今日は家に帰ってお風呂に入って休み―――って夜は夜で退魔師の仕事があるのよね、ええと……とりあえず明日の遠征は無しにするから、ゆっくり休みなさい。もちろんその間もSNSとかネットはあまり見ないようにね!」



 本来、今日の予定になかった記者会見を提案されたのは私が戦闘機で空自の基地に戻ったタイミングだった。その時の私は今晩の龍神の夜伽がどれほどハードなものになるか予想ができておらず、率直に言えばかなり怯えていた。


 記者会見の提案を受けた理由は、ただ単に家に帰りたくなかったからなのだ。時間も短い会見なので当たり障りのないコメントだけ残して今日の仕事を終えるつもりだったのだが、結果的に最悪の記者会見になってしまった。



 リュックサックを開けて中身を見る。全国生放送で公開された私の黒色の下着が中に入っている。


 言い訳をすると、この下着はショップの店員に半ば無理やり購入させられたものだ。その店員に恋人の有無を聞かれ「いません」と答えると、彼女は確信に満ちた表情でこの下着を差し出してきて、『あなたならすぐにこういう下着が必要になるから』と言ってきた。反論するのも面倒くさかった私はそのまま学校用の下着と一緒にこれを購入したのだった。


 誰がどう見ても勝負下着だとわかる黒色のものなので当然制服の下に着るわけにもいかず、私服で外出するときの数回しか着用したことがない。


 使用頻度の少ないものなので最悪リュックサックごと失くしてしまっても構わない、そういった理由でリヴァイアサン討伐の際の着替えとして持ってきたのだが完全に裏目に出た。せめてもうちょっと大人しいデザインのものだったらダメージも少なかったろうに、と変な後悔の仕方をしてしまったがそもそも霊具に引っ掛かってカメラに映った時点で女としてはアウトである。


 下着を衆目に晒してしまった後も失敗した。

 何かインパクトのある情報で誤魔化そうと思って、私と鍛冶川鉄斎が血縁関係にあることを咄嗟に発表してしまった。


 鍛冶川鉄斎のマスコミからの印象はかなり悪い。第一次の鬼神討伐の際に行われた記者会見で彼がブチギレたことがその理由だ。まあこれに関しては退魔師業界に身を置く立場の人間からすると記者の質問内容が悪かったようにも思えるのだが、それでも公の場で怒りの感情を爆発させるのは悪手である。


 先ほどまで見ていたTwitterで『記者会見でブチギレるのが鍛冶川鉄斎、ブラチラするのが蛇谷水琴』というツイートがバズっていたのを思いだしてやっぱ記者会見なんかしなけりゃよかったという後悔が襲ってきた。




「それじゃあ水琴ちゃん、お疲れ様」

「はい、山下さんも色々とありがとうございました」


 蛇谷神社のすぐ横、一見すると玄関とは思えないほど草木に隠蔽された門扉の前で車からおろしてもらい、山下さんと別れの挨拶をした。


 休耕地と少しの住宅が広がる近所を去っていく山下さんの公用車を見送ってから、私は自宅の門扉をくぐる。

 境内の塀の外側を沿うように張られた石畳を進み、とうとう私の自宅の玄関までたどり着いてしまった。

 普段通り鍵を開けた後、引き戸の取手に手をかけたところで私の体は硬直してしまう。


(……確実に今晩の夜伽は一晩じゃ終わらない)


 今日の私が消費した霊力を補うためには、いったいどれほどの期間を時差結界の中で過ごせば赦されるのだろうか?


 取手にかけた右手が震えていることに今さら気がついた。

 震えを止めようとしても止まらず、果ては建付けが悪くなってきている我が家の扉までガタガタと音をたてる始末だ。一度そこから指を離してしまうと、もはや家に入る気力すら無くなってしまった。


 空を見上げるとすでに東の空は赤茶けており、日没が近いことは自明だ。けれども往生際の悪い私は玄関の横の庭に入り、観賞用の岩の上に腰掛けた。


 このような先延ばしに意味があるとは思えない。

 空を眺めるのに飽きて、左手首に巻き付けていた安い腕時計の秒数が進むのを見つめているとスマホの着信が鳴った。画面には自宅の固定電話と表示されている。


「……もしもし」

『赦してやる、さっさと帰ってこい』


 その一言を聞いた瞬間、あの色情狂の妖魔にも人の心があったのかと驚くとともに、ひどく安堵してしまった。

 妖魔に屈することなど退魔師としてはあってはならないことだと思いつつも涙声で通話を切り、私は玄関に向かった。



 玄関扉をくぐったところで、普段ならすぐそこにあるはずの廊下が全く見えず、肉が轟く音のする闇としか言いようの無いものに体が吸い寄せられたところで、私の記憶は途切れている。



「不特定多数の人間に下着を見せた事、それだけは赦してやろう」



 最後にそんなことを呟いた龍神の声だけはよく憶えている。



 ■■■




 東経新聞(電子版) 

 2020年12月7日 夕刊


『リヴァイアサンの妖結晶、鑑定額は20億円に』


 退魔省は7日、妖魔リヴァイアサンの妖結晶を20億円で蛇谷家から買い取ったと公表した。横須賀基地に保管されていたリヴァイアサンの妖結晶は同日付けで独立行政法人妖魔研究所の施設に移送された。


 退魔省の田村大臣は会見で「歴史上もっとも巨大な妖結晶であることは間違いない。官民共同で研究を行い今後の妖魔対策に活かしたい」とコメントしている。


 鑑定を行った式紙家の担当者によると「これ程の霊力量と密度を兼ね備えた妖結晶の鑑定は初めてだ。鑑定方法は推定される霊力量を基準に行い20億円という結論に至った」と語っている。





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