第34話
リヴァイアサンの背中の切り傷、というかサイズ的にもはや谷と言ったほうが正しいのだが、そこの中に入り込んでこの妖魔の妖結晶がどこにあるかを目視で探る。
(たぶん……こっちの方向に妖結晶があるはず)
感覚的な話ではあるが、半霊体化してから霊力の流れがよく見えるようになったおかげでこんな巨大な妖魔でもどのあたりに心臓部があるかなんとなく判別できる。
当たりをつけた方向に二撃目となる分断術式を叩き込み、その切れ目を揺蕩う霊力を見て、私の予想に間違いはないと確信した。
二撃目の慣性を利用しながらリヴァイアサンの背中を切り刻んで進んでいく。思った以上にサクサクと進めたのでその勢いで割と無茶な攻撃を行っているはずなのだが、リヴァイアサンの反応は未だ鈍い。
(身体が大きいから神経の伝達に時間がかかってる……? 妖魔に神経が通っているとは思えないけれど)
何にせよ好機であることに変わりはない。
とにかく突き進む、今はそれだけ考えていればいい。
■■■
山下瞳を含む妖魔対策課の職員たちはテレビに映る水琴の戦いぶりを見ながら、誰もが絶句していた。
心配するなんて烏滸がましい、思わずそんな無力感を抱いてしまうほどに山下瞳にとって蛇谷水琴の勇姿は輝かしく映った。
(鬼神のときは全力じゃなかった? それともあの羽子板みたいな霊具が水琴ちゃんの力を底上げしてるの?)
九州の鬼神との戦いで苦戦していた姿がかなり印象に残っているが、思い返せばあの時だって最後は一撃で仕留めていたのだ。いま目の前で行われているのが蛇谷水琴の本来の実力だったのかもしれない、山下はそうひとりごちた。
「うわ山下先輩、ネットの反応ヤバいっすよ、ほら」
隣に座っていた後輩の男性職員にスマホの画面を向けられた山下はそこに書き込まれている内容を覗き込む。
『水琴ちゃんヤバすぎて草』
『アメリカの祓魔師協会が7日間かけて1ミリも削れなかった鱗をあっさり叩き割るの凄すぎない?』
『霊具掲げてる水琴ちゃん神々しすぎ』
『軍用ドローンの追跡が全く追いついてなくてワロタ』
『今一番頑張ってるのは水琴ちゃんのクーパー靭帯』
……。
「あんた仕事中に何見てんのよ」
「いいじゃないすか、休日出勤ですし」
そう軽く言い返す後輩を睨みつつ山下は溜息を吐いた。それを見た後輩の男は、何かを憂慮するかのような口調でこう呟く。
「……でもコメントの中にチラホラ『人道派』っぽい意見が紛れ込んでるんですよね」
『人道派』、退魔師という生身で超常的な現象を起こすことが可能な人間を危険分子として排除したがる思想の人々を指す言葉だ。鬼神出現後はその思想は廃れた、というのが現代の共通認識である。
「『水琴ちゃんが本気になれば日本中の人間全滅させられるんじゃね?』ですって」
「水琴ちゃんがそんなことするわけ無いでしょ、馬鹿馬鹿しい」
そう言いつつもリヴァイアサンの背中の上で暴れまわる水琴の姿には本能的な恐怖を感じてしまっていることに、山下は今気がついた。
すぐに頭を振ってそんな考えは水琴に対して不誠実だと思いなおる。それでもやはり、画面越しの水琴を見るたびにあの力はただしく畏れ敬うべきものなのではないかと自問する。
あるいは、彼女こそが古い神話に登場する神に類似する存在なのかもしれない。思わずそんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい、蛇谷水琴の戦いぶりは凄まじかった。
■■■
(いくらなんでもおかしい、リヴァイアサンの反応が無さ過ぎる!)
傍から見れば明らかに私が優位に思われるはずの戦闘だが内心ではかなり焦っていた。
リヴァイアサンの心臓部である妖結晶を目指して一心不乱に背中の鱗を叩き割って肉を裂きここまで来たが、あまりにも無反応過ぎて幻覚でも見せられているのではないかと不安になる。
そうしているうちにリヴァイアサンの妖結晶があると思しき場所の真上に到着した。真上と言っても、体高だけで約10キロある化け物の背中の上だ。ここからリヴァイアサンの体内をより深く掘り進めていく必要がある。
背中を切り刻まれてなお沈黙を続けるリヴァイアサンを見下ろしながら思案する。
(もう妖結晶の位置はほとんどわかってる、あとはそこに届く一撃を叩き込むだけでいい)
どこから切り込もうか考えているうちに、私は自然と右手に握っている『琴天津の剣』の板面を見つめていた。
蛇行して流れる川の紋様が美しく彫り込まれている。
これを受け渡された時の鍛冶川鉄仁の言葉を思い出した。
『水琴さんも知っての通り、分断術式の源流は治水工事だ』
『山から流れる水が川となり大地を二つに分かつ様に、人の手によって水の流れを作り土地を分かつ治水、それこそが分断術式のはじまり』
『蛇谷さんは結界術式と併用しているからどうしても綺麗な断面で妖魔を分断しようとするけれど、本来それは効率が悪い』
『キリトリ線を無視してハサミを入れるようなもの、といえば解りやすいかな』
琴天津の剣には私の術式を最大限サポートして威力を増幅する効果がある。先程まではその増幅された効果だけを頼りにしていた、というのも妖結晶の位置を探るだけならそれで良かったからだ。
『直進する川なんて存在しないし、真っ直ぐ進む蛇もいない。それらは自然の流れに沿って自ずから蛇行している』
『だからまあ、何が言いたいかというと……うん、『分けやすいように分けなさい』ってところかな』
ものは試しだ、この霊具は一撃一撃の威力が高すぎるので試し打ちがしづらく、先程までの攻撃もほとんどぶっつけ本番のような感じだった。そんな霊具でも、これだけ振り回せば細かい癖もなんとなく理解できる。あとはそれを鉄仁の言うような分断方法に合わせるだけでいい。
リヴァイアサンの妖結晶の位置はわかっている、あとはそこまで繋がるような道筋に沿ってこの妖魔の身体を真っ二つにする。
眼下に広がる巨大な谷間、リヴァイアサンの傷口を見つめて、これまでよりもさらに集中して霊力の流れを確認していく。
(あそこだ、霊力の流れが一部逆転していて、ほんの少しだけど隙間があるような気がする)
「一撃で決めたい、やれるかどうか……」
深呼吸を2回して、私は足元のリヴァイアサンに向けて分断術式を放った。
「『分断』」
その瞬間、甲高い重低音という矛盾した音が海上に響き渡った。それがリヴァイアサンの叫び声だと気づいたのが2秒後、放たれた分断術式によってリヴァイアサンの妖結晶の付近まで亀裂が入ったと直感的に理解できたのが3秒後、そして4秒後、リヴァイアサンが海中に向けて一気に潜行し始めた。
■■■
総理官邸の会議室には総理大臣および各省庁の担当大臣が一同に会していた。壁に備え付けられた大型モニターには海上に立つ蛇谷水琴の姿を映し出しているが、その足元にリヴァイアサンの黒鱗は見当たらない。
その部屋に一人の若手官僚が短いノックと共に入室し、こう報告した。
「海上自衛隊から通信が入りました、海中のリヴァイアサンに向けたソナー反応が3年前のアメリカの事例と酷似しているとのことです」
「……つまり?」
「リヴァイアサン、撃退成功です」
おお、と室内に座る人間たちの安堵した、それでいて未だ緊張を僅かに含んでいるような声が響いた。
「いやぁ、なんとかなりましたな総理」
「おめでとうございます」
「これで次の選挙も何とかなるでしょう」
仕立ての良いスーツを着た大臣たちがそれぞれ思い思いの言葉を総理に投げかける。
「しかしリヴァイアサンは未だ健在で、次またどこに現れるかもわからないんだろう?」
そう心配そうに言葉を発する総理に対して、室内にいる大臣たちがそれぞれ返答しはじめる。
「まあでも、リヴァイアサンを例の亜空間に追い込んだだけ良しとしましょう、この妖魔の特性からいって海上での討伐は不可能だと思っていましたから」
「今回の作戦で彼女の術式がリヴァイアサンに通用することがわかりましたし、次にどこか……ええ、まあ大陸のあたりに上陸された場合に救援として送り込むのがよいかと思われます」
「国際問題ですよ、大臣」
「こりゃ失敬」
軽いジョークをきっかけにして、緊張感から開放された政治家たちは笑いながら会議室で会話を続けていた。
「いやぁ、それにしてもめでたい、今夜は祝杯と行きたいところですな」
「一昨日から緊張しっぱなしでしたし、久しぶりに呑みに行きたいものです」
「ああ、ちょうど赤坂に良いナマズ料理を出す店がありましてね、よろしければそちらの予約をしておきます」
お互いに気心の知れている、同じ派閥の大臣たちはすでに今夜の料亭をどこにするかの話まで進めていた。
「ほうナマズですか、何でまた急に?」
「リヴァイアサンを見ていたらナマズを食べたくなりましてな……あれ? リヴァイアサンってオオサンショウウオに似ていたんでしたっけ?」
「ははは! 関大臣の健啖家ぶりには恐れ入る」
それを見ていた若手官僚の青年は心の中で溜息を吐きつつ、自然と会議室の奥のモニターに視線をうつした。
「あれ?」
「ん、どうした?」
「いや、あの……蛇谷さんが何かしているように見えて」
官僚の青年が指差した方向に、室内にいたすべての人間の視線が集まる。モニターに映る蛇谷水琴は、腰に取り付けた巾着袋から何かを取り出したところだった。
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