第32話

 日の昇る間際、布団の上から離れようとする龍神にリヴァイアサンについて聞いてみた。無視されるか、あるいは何も知らないと言われるかのどちらかだろうと思っていたが予想に反して龍神はこう呟いた。



「奴は深淵に飲まれた結果、とうの昔に正気を失っている。自分たちの当初の目的も忘れ、今となってはこちらと深淵を無駄に行き来するだけの憐れな存在だ」

「……! 深淵ってなんですか、それってリヴァイアサンの能力と何か関係が―――」


 ピシャリと襖が閉められる音だけを残し龍神は床の間から出ていった。初めてあの男が私に有益な情報を提供してくれたと一瞬感じたものの、龍神の言う深淵とやらの意味がわからない。だがあの様子だと、きっとリヴァイアサンに関してはこれ以上何も教えてくれないだろう。


 カーテン越しの陽の光で照らされる自分の汚れた肉体を見るのが嫌だったので布団に包まりながら龍神の言葉の意味を考察する。


(『深淵』という言葉が具体的に何を指すのかはわからないけど、リヴァイアサンの行方不明になる能力と関連しているのは間違いない)



 リヴァイアサンの大きさはかなり正確な数字がアメリカのエクソシスト協会から報告されている。全長54Km、全幅24km、そして全高は10kmである。リヴァイアサンが上陸した場合、世界最高峰の山脈であるエヴェレストすら余裕で超えてしまうのだ。



 この情報だけで地理に詳しい方ならおかしな現象が起きていることに気が付かれるかもしれない。世界一深い海の底である『マリアナ海溝』の最深部でも海面からは10kmしかない。それも大陸プレート間の沈み込む裂け目の本当に奥の奥のような場所で計測しての数字だ。


 つまり、リヴァイアサンが全身で潜ることの可能な海域は物理学上存在しないということになる。実際、チリに現れ海に戻った当初はリヴァイアサンの行方など追わずとも人工衛星から確認できた。船で近づけば巨大な島が移動しているようにも肉眼で見えるため、地元の漁師が撮影した記録写真もいくつも残っている。かなり遠方からでも視認できるほどリヴァイアサンの背鱗は海面から大きく飛び出ていたのだ。


 数日後、リヴァイアサンがゆっくりと海深くに沈み始めるまでは。


 後のアメリカの調査で判明したことだが、リヴァイアサンが通ったあとの海底には移動した痕跡が全く確認されなかった。あれだけの巨体を引きずれば海底など真っ平らにされてしまいそうなものだが、そうはならなかった。

 ちなみにその海底を調査したアメリカの潜水艦は移動するリヴァイアサンの足元に近づいた瞬間、消滅した。



 リヴァイアサンの術式は現状不明だが、これらのことから空間系の術式であるのだろうと推論されている。




 ■■■




 シャワーを浴びて制服に着替えたところで山下さんから着信があった。リヴァイアサンに関する討伐会議の結果について、電話越しにざっくりとした概要だけ教えてもらう。


 討伐作戦の決行は明後日、11月28日の土曜日となった。

 参加する退魔師は私ひとり、冬至が近く日の出から日没までの時間が約10時間しかないため、かなりキツいスケジュールになるが頑張るしかない。



「改修されたばかりの護衛艦『いずも』に複座式の戦闘機『F-35X』ですか、ある意味神がかったタイミングでしたね」

「……注目する所そこなの、水琴ちゃん?」


 当日の朝に私は自衛隊のヘリでまず近くの航空自衛隊の基地に向かう。そこで二人乗りの戦闘機であるF-35Xに乗せてもらい、リヴァイアサンの近くで現在も監視を行っている護衛艦いずもに着艦、そこからは再びヘリに乗り換えてリヴァイアサンの上空まで連れていってもらい戦闘開始という流れだ。


(F-35Xって確か垂直離陸できるやつだっけ……それのために護衛艦を改修したみたいな新聞記事を最近読んだ気がする)


 中国の海洋進出を牽制するために導入された機体だったはずだが、まさか初の実戦投入が妖魔討伐だとは誰も予想していなかったに違いない。


 その他にも会議では色々なことが決まったらしい。


「戦闘中の私をテレビで生中継……マジですか山下さん」

「本当にごめんね、水琴ちゃんの精神的な負担にしかならないと思うけど……会議でそう決められちゃって」


 国家指定退魔師の担当役といっても、山下さんの年齢じゃ会議で発言する機会なんてほとんど与えられないだろう。それにも関わらず申し訳無さそうにする山下さんはやはり根が優しい。


(日本中に生放送されるなかでリヴァイアサンに攻撃して、全くダメージ与えられなかったら滅茶苦茶恥ずかしいことになるな……)


 映像の撮影は自衛隊の軍用ドローンで行われる。リヴァイアサンの体の各所と、私を映すために合計で30機が運用される予定らしい。


「当日の詳細なタイムスケジュールはあとでメールするわね、暫定的なものだけれど」

「はい、お願いします」


 山下さんとの通話を終えると、ちょうど家を出る時間だったので学生カバンを持って玄関を出た。通学路を歩きながらスマホのアプリで新聞記事を読みつつ、リヴァイアサン討伐作戦に関して改めて考えてみる。


 昨日の会議は色んな立場の人が参加していたようだ。参加メンバーの肩書を見ると誰も彼もがそれぞれの分野のお偉い方たちで、方向性をまとめるだけでも苦労しそうな地獄のような会議だと思った。


 会議を受けた首相の発言がその新聞記事に記載されていて、『日本における妖魔情勢が完全なコントロール下にあるということを、この作戦を通して国際社会に示したい』という内容だった。ひょっとするとテレビの生中継案は官邸の口入れなのかもしれない。陸続きならまだしも、海を越えて複数の国家で暴れまわった妖魔は現状リヴァイアサンくらいしかいない。リヴァイアサン討伐は国際社会からの注目がかなり集まることだろう。





 翌日の金曜日、私は蛇谷神社からもっとも近くに位置する航空自衛隊の基地で打ち合わせを行っていた。学校は休むことになってしまったが、山下さんが口利きしてくれたおかげで公休扱いになったのはありがたい。


「これがGスーツと言いまして、F35に乗る際はこちらを着用していただきます」

「わかりました、明日は私服で来て護衛艦に着いてから巫女服に着替えることにします」


 体内の血流を上半身に上げることで強いGがかかっても意識を失わないようにする特殊なGスーツというのがあるらしい、それの着用や乗りこみ準備にどれくらいの時間がかかるかを検証したりしつつ、明日の具体的なタイムスケジュールに関して話し合う。……ぶっちゃけ私にはGスーツとか必要ない気もするが、万が一ということもありえるのでここは指示に従っておくことにした。


 リヴァイアサンの討伐方法に関しては私に一任されているが、結界越しでも無線通信やドローンの操作がきちんと行われるかが気になったのでそちらも確認を行った。予想通り、どちらも結界越しで問題なく使用できた。


「護衛艦はリヴァイアサンの北西側約50kmの位置をキープする予定です」

「そこから軍用ヘリでリヴァイアサンの中心部まではどれくらい時間が――――」


 私の隣では山下さんが詳細なタイムスケジュールをさらに細かく正確なものにするために自衛隊の各担当者に質問を投げかけている。日没までに神社に戻らなければならないという制約を一番気にかけてくれているので本当にありがたい。



 津波の問題や沖ノ鳥島に悪影響がでないように気を使わなければいけなかったりと、海の妖魔だけあって懸念事項が滅茶苦茶多い。


 特に個人的に一番ヤバいのは沖ノ鳥島の問題だと思う。万が一私のせいで沖ノ鳥島が消滅しました、とかなったら蛇谷神社に極右団体から火炎瓶を投げられかねない。

 うちの神社が物理的に炎上する光景など考えるだけでも恐ろしい。―――という内容の発言をジョークっぽく山下さんにだけ伝えたら、彼女はものすごく悲しげな表情を浮かべるだけで何も言ってくれなかった。




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