第31話

 思わずリヴァイアサンから得られる利益ばかりに目を向けていた私だったが、冷静になって考えるとこの妖魔がどれほどの強さを持っているのか全くわからないのが現状だった。



 第一次の鬼神は約500人の退魔師が総攻撃を仕掛けることで討伐することが出来た。


 翻ってリヴァイアサンはというと、アメリカの祓魔師エクソシスト達が数百人で7日間に渡る総攻撃を行ってもビクともせず、祓魔師からの攻撃を受けている間、奴はただ眠りこけているだけだった。


 その事実だけを考慮するとリヴァイアサンは間違いなく鬼神よりも格上の妖魔だということになる。……龍神に一度リヴァイアサンに関して聞いてみるべきか、いや素直に教えてくれるとも思えないのだけれど。


「ねぇねぇ水琴、今スマホのニュースで見たんだけど、このリヴァイアサンって……」

「たぶん、私も討伐に駆り出されることになるかな」


 スマホを片手に不安そうに聞いてくる早苗に私はそう返答した。そうだ、どの道わたしは国家指定退魔師なのだから退魔省の要請があれば自らの意志に関わらず戦わなければいけない。


 勝てるかどうかじゃない、勝たないといけないんだ。


「ごめん早苗、ちょっと電話してくるね」

「うん、退魔師の仕事?」

「そうそう」


 早苗以外にもスマホ等でリヴァイアサンのニュースを知った生徒が多かったのだろう。誰か一人が知ればすぐに教室中に周知されてしまうので、結果的に私はクラスメート達からチラチラと視線を向けられることになる。


 こんなに見られながら山下さんと電話をするのも憚られる。教室を出て人気の少ない階段の踊り場で山下瞳の携帯番号をタップすると彼女はワンコールで応答してくれた。


「もしもし水琴ちゃん、あのニュースは見た?」

「はい、リヴァイアサンのニュースなら見ました。退魔省の方はどんな感じですか?」

「このあと東京で対策会議があるの、私もそれに参加するから今から新幹線に乗るところ……あっ、ちょうど今新幹線が来たわ」


 電話口の向こうでは新幹線の駅と思しきアナウンスが聞こえる。山下さんが、リヴァイアサンに関する私の意見が聞きたいと言ってきたので、取り敢えず戦う前には奴を直接目視で確認する機会が欲しいとだけ伝えた。テレビ越しの映像では霊力の密度や量もわからないし、私で討伐できるレベルの妖魔なのかも判断がつかないからだ。


「わかったわ水琴ちゃん、会議の結果によっては今週の土日の遠征予定が変わるかもしれないから、また連絡するわね」

「はい、よろしくお願いします」


 山下さんとの通話はそれで終わった。国家指定退魔師になってから私も忙しくなったが、担当してくれている山下さんも仕事は滅茶苦茶増えたはずだ、電話の話し方が疲れている人間のそれだった。


「山下さん大丈夫かな……無理してないといいけど」




 ■■■




 新幹線の自由席車両に乗り込んだ山下瞳は、自分の座席を確保すると腰を下ろせることに安堵するかのように目蓋を閉じた。その目蓋の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。


 先程から精神的に張り詰めていたため結局眠ることはできず、彼女は今日の会議に関することと、それが終わったあとにやらなければならないことを半ば無意識のうちに頭の中でまとめだす。


(対策会議が終わったら今晩はとりあえず東京に泊まって明日の朝イチで県庁に戻って……、今受けてる要請で未処理分ってあとどのくらい残ってたっけ、ヤバい、仕事が溜まりすぎて死にそう)


 今月に入ってからの彼女の平均退庁時刻は23時半だった。蛇谷水琴のサポート、他県への遠征に関する打ち合わせや調整、自衛隊との連絡やスケジュール管理、それと通常業務、山下のやらなければならない事はあまりにも多かった。もちろん山下も上司や同僚、後輩を巻き込んで手伝ってもらいながら仕事を進めているが、それでも根本的な忙しさは解決しない。蛇谷水琴を頼りたいのはどの都道府県も同じだった。


 半開きの眼で車窓の外を眺める山下だったが、ふと自分が空腹であることを思い出した。ちょうどそのタイミングで車内販売のカートが彼女の真横を通りすぎるところだったので、とにかく何か口に入れようと思い販売員に声をかける。


「すみません、サンドイッチ一つください」

「680円になります」


 山下は財布から取り出した千円札を渡し、お釣りとサンドイッチを受け取る。三切れほどが詰められたサンドイッチのビニール包装を見ながら彼女はこう思った。


(このサンドイッチで680円はさすがに高すぎない? 具材も全然入ってないし、ああでも確か妖魔被害のせいで小麦とか野菜とか値上がりしてたっけ……、そういえばお惣菜とかも最近やけに値段が高い気がする)


(昨日の夜って何食べたっけな、思い出せない。ああもう、こんな生活続けてたらホントに結婚が遠のく……いや別に結婚願望とかあんまり無いけど)


「……って誰に言い訳してるのよ私は」


 山下は小声でそう自問しながらサンドイッチの包装を開け、袋の中から一切れを取り出して必要以上の力でそれを齧り咀嚼して飲み込んだ。


「まっず……」





 霞ヶ関の退魔省本庁舎にて行われたリヴァイアサン対策会議が終わったのはその日の19時だった。政治家や官僚、地質学の専門家に現役退魔師、自衛隊の幕僚など様々な立場の人間が集まった会議だったが、山下瞳が『船頭多くして船山に登る』という言葉をこの日ほど実感した日は無かった。

 

「どいつもこいつも、水琴ちゃんのことを何だと思ってんのよ!」


 ビジネスホテルの一室内でサイドテーブルにビール缶を叩きつけながら山下はそう叫んだ。壁際のテーブルにはすでに350mlの缶が3本ほど開けられており、ベッドの上で4本目を飲む彼女の頬はかなり赤らんでいる。


 会議が終わったのは19時なので当然日没後、この時間の蛇谷水琴は電話どころかLINEやメールすら見ることができないので、山下は明日の朝に連絡することを決めて酒を飲んでいた。彼女はアルコールで回らなくなった頭でつい先程まで行われていた会議の内容を思い出す。



(リヴァイアサンと戦うのが海上である以上、水琴ちゃん以外に参加できそうな退魔師がいないのは理解できる。……でも戦闘時の水琴ちゃんの姿をテレビで生中継するってのは本当に意味がわからない)


 第二次の鬼神と蛇谷水琴の戦闘が生中継されたのはある種の不可抗力が働いた結果だっただけで、今回のように作戦を立てて災害級妖魔の討伐に臨む場合にまでそれを行うのはおかしな事だと山下は思う。実際、第一次の鬼神戦や、第二次の鬼神に集団で挑んだ退魔師達の記録映像は関係者以外には一切公開されることはなかったのだ。


 蛇谷水琴と鬼神の戦いによって、その常識は崩された。


「『日本が災害級の妖魔を抑え込むことができるということを広く国民に知らしめるため』―――ってふざけんな、くたばれあのクソハゲ政治家ぁ!!!」


 狭いホテルの部屋なので山下瞳の大声はかなり反響したのだが、酔っ払った彼女はまったく気にする事はなかった。ここまで彼女が荒れる原因はアルコールのせいだけでなく、最近の仕事の忙しさからくるストレスもあったのだろう。



 少なくとも今日の会議においては、妖魔に関して詳しくない人間ほど水琴の勝利を信じて疑っていないように見えた。だからこそ災害級妖魔と退魔師の戦闘を生中継するなんていうお花畑な発想が出てくるのだろう。土日の度に行われる各地への遠征は中型妖魔の集団と戦うことが多いためマスコミの空撮を半ば黙認していたが、今回のリヴァイアサンは災害級の妖魔で危険度が桁違いだ。


 第二次の鬼神のときのように水琴が勝利する瞬間を生で見たいという人間は会議室の中でも過半数を占めているように思われた。


(リヴァイアサンは恐らく鬼神よりも強い。水琴ちゃんもそれはわかっているはず、そんな化け物と戦う彼女のストレスになるようなことは極力避けるべきなのに……)



 あまり考えたくはないことではあったが、万が一水琴がリヴァイアサンに致命的な敗北を喫した場合、彼女の死ぬ瞬間を日本国民全員が見てしまうということになるのだ。


 第二次の鬼神戦のときは水琴自身、自分の戦いがテレビで生中継されている事など全く知らなかったと言っていたのを山下は思い出す。「生中継されてると知ってたらもっと緊張したかもしれませんね」と彼女は言っていた。



 今日の会議に参加していた連中のうち、高校生の女の子を死地に送り出すという自覚をはっきり持っていた人間が、一体何人いたのだろうか。


 何より山下を苛立たせたのは、蛇谷水琴のリヴァイアサン討伐作戦にあたり無遠慮に注文をつけてくる政治家連中だった。


 彼らは皆口を揃えてこう言った。

『なるべく沖ノ鳥島に影響がないように戦って欲しい』と。





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