第21話


 下着姿のままクローゼットの前に立ち、目の前に吊るされている衣服の中からどれを着ていくべきか思案する。


 少し高価なワンピースか、学校の制服か、あるいは巫女服か。どの服もこれから向かう場所にはある程度馴染みそうな感じはあるものの、かといって完全な正解でもないような気もする。


 しばらくクローゼットの前で悩んでいるとインターホンが鳴った。時計を見ると時刻は朝の9時半、約束の時間まではあと30分だ。


 ラインで京華に『もう少しだけ待って』と送ってから、私は手早く着替えた。結局選んだのは巫女服だった。


 鬼神の角と妖結晶が入った紙袋を片手に玄関に向かう。

 居間でゴロゴロしている龍神に軽く声をかけてから、私は家を出た。


 神社の裏手にある自宅から玄関口の門の前に向かうと、スーツを着た高齢の男性と京華が立っているのが見えた。


 そのすぐ後ろにはSクラスのベンツが駐まっている。


「おはようございますお姉様、その服は……」


「何が正装なのかわからなかったから、取り敢えず巫女服にしといた」


 京華と一緒に後部座席に乗り込む。最高級のドイツ車の内装に圧倒されながら、さすが鍛治川家は金持ちだななんて思っていると車が出発した。


「あの……お姉様」


「何?」


 京華は私に対して何かを言いかけようとして一度やめてから、再度口を開いて躊躇いがちにこう言ってきた。


「……おそらく、御爺様はかなり嫌なことを言ってくると思います」


 京華は私が鍛治川鉄斎に会いにいくことにかなり消極的だ。けれども彼女が鉄斎から私を鍛治川家に連れてくるよう命令されていることは何となく察していた。鬼神の角のこともあったので鍛治川家に行くのは私からの希望でもあったし、多少の嫌味を言われるくらいで霊具を製造してくれるのなら安いものである。


 手元の紙袋を掲げながら京華に向かって話しかける。


「この国で『鬼神の角』を霊具にできる退魔師なんて、鍛治川鉄斎くらいしか思いつかないからね」





 ■■■




「やっぱり鍛治川家って本当にお金持ちだね」

「そんなことないですよ、普通です、普通」


 とんでもない面積の日本庭園を横目に、本邸へ向かう石畳の道を京華と一緒に進む。車庫に止まっている数十台の車がすべて高級車で揃えられているのにも驚かされたが、見渡す限りのすべてが綺麗に整えられ、ぱっと見ではどこに塀があるのかすら分からない程広いこの庭園を見ていると格の違いを思い知らされる。私の家の庭の何倍の広さなんだよ。



「ようこそいらっしゃいました、広間で大旦那様たちがお待ちです」


 少し歩いてようやくたどり着いた本邸の玄関をくぐると和服を着たお手伝いさんにそう言われて、館内を案内される。言われるがままに進んでいるが、今来た道をそのまま戻れと言われてもほぼ戻れない自信があるほどには館内も広い。

 お手伝いさんと京華は迷いなく進んでいる。


「こちらが大広間で御座います」


「案内ありがとうございます」


 優美な装飾が施された襖の奥に何人かの人の気配を感じる。

 鍛治川鉄斎とは一度だけ話したことがあるが、このような公式の場で会うのは初めてなのでかなり緊張する。


 固くなっている私を横目に、「お客様をお連れしました」と京華が襖の向こうに声をかけた。

「入りなさい」と返された声は聞き間違いでなければ京華の母親である桃華さんだろう。私の母が亡くなってからはほとんど連絡を取れていなかったので、少し懐かしく思った。


 向こう側から開かれた襖を抜けると、想像していたよりも多くの人間が室内に座っているのが見えた。


(あれが鉄斎で、その隣が私の叔父……で従兄弟はあの人かな、それ以外はたぶん分家の人たちか)


 ざっと数えた限りで、この広間に20人程度が集まっている。

 鍛治川ほどの家になると分家も含めればこれくらいの人数になって当然かとも思うが、私が鉄斎に会うだけでここまでの人数はいらないんじゃないだろうか。


 というか割と周りからの視線が鋭い、ぶっちゃけ睨まれている。私の母親のせいだろうか。あの破天荒な母親は一体何をしでかしたら娘の私までこんな睨まれるようなことになるんだよ。


 1つだけ用意された座布団、その隣に京華が正座をしたので私は座布団に腰を下ろす。


「蛇谷水琴さまをお連れ致しました」


 京華はその一言だけ残して、すぐに脇の方の下座に移動した。横目ではあるが彼女の母親の桃華さんもすぐ隣に見えた。


 一人ポツンと鍛治川鉄斎に対面する下座に残された私は、上座に腰を下ろしている老人を見つめる。


 頭髪はほとんど白髪になっているものの和服の下から覗く肉体はがっしりとしていて、すでにかなりの高齢の筈であるがそうとはまるで思えないほど精力的な見た目の老人だった。


(私が子供の頃に会った時よりは白髪が増えたかな)


 しばらくお互いに無言で見つめあう時間が過ぎたあと、あ、これ私の方から声をかけなきゃいけないのかと思い、咄嗟に三つ指をついてこう言った。


「お初にお目にかかります、蛇谷家の当主を務めております、蛇谷水琴と申します。本日はお招き頂きありがとうございます」


 格式高い家での言葉遣いとか正直わからないので、適当にそれっぽい敬語だけ使って自己紹介したけれど大丈夫だっただろうか、周りの反応が無反応だからよくわからない。


「鍛治川家当主、鍛治川鉄斎だ。蛇谷家とは絶縁関係であるものの我が要請に応じ来訪してくれたこと、感謝する」


 要請? 

 そんなものあっただろうかと思って京華の方をチラ見すると申し訳無さそうに目を逸らされた。


 京華が私を連れてくるように命令されてるのは何となく察していた。けれども何らかの要求をされることまでを知っていたのなら先に聞かせてほしかった、そう思いつつも深く追求しなかった私の落ち度でもある。取り敢えず鍛治川鉄斎の方に向き直って話を続けた。



「昨今の退魔情勢がこのようなものですから、絶縁中の家同士と言えども互いにお願い事があるのも無理はありません」


 退魔情勢が悪いよ退魔情勢が、なんて言いながら取り敢えず私の頼み事から先に伝えることにする。


「蛇谷家からの依頼は1つ、当家の保有する『鬼神の角』を用いて霊具を製造していただきたい」


 そう言いながら紙袋から鬼神の角と妖結晶を取り出して畳の上に直置きする。


 これが災害級の妖魔の素材だぞ、高級外車がなんぼのもんじゃいという感じで見せびらかすと、私に向けられていた棘のある視線が好奇の視線に変わり目の前の角に注がれる。


 霊具製造を生業とする鍛治川家とその分家の男たちは、鬼神の角を見ながらヒソヒソと話し始めた。一体目の鬼神の素材は戦闘の余波で粉々になってしまったので、私が倒した鬼神から得られた素材が日本においては初めての災害級妖魔の素材である。彼ら職人たちからすると垂涎ものの妖魔素材に違いないと思っていたが反応を見る限り想像通りだ。


 その後しばらく、分家の男たちがあーでもないこーでもないとヒソヒソ話をする時間が続いた。


 さて、私から鍛治川鉄斎に伝えたいことは伝えられたので、次はそちらの番だぞと視線で訴えかけながらじっと待ち続ける。



(鍛治川鉄斎からの要望って何なんだろう、どこかの妖魔を倒して素材を取ってきてほしいとかそんな事だろうか?)


(ああでも京華が確か、鉄斎が私に嫌なことを言ってくるととか言ってたっけ? てことは────)


 パン、と鉄斎が扇子を叩いた音で思考が途切れた。

 周りでヒソヒソと話していた男たちも顔を引き締めて無言で座り直している。


「蛇谷家からの要望については然と聞き届けた。ではこちらからの要望を伝える」


 鍛治川鉄斎は目を開いてこう言ってきた。



「蛇谷水琴、お主には我が孫である鍛治川鉄仁の妾となってもらいたい」


 その言葉が大広間全体に響き渡った瞬間、京華は俯き、鉄仁氏と思しき私の従兄弟は申し訳無さそうな表情を浮かべ、その隣に座る彼の妻と思しき女性は私を悲しげな顔で睨んできた。




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