第20話
桃華はあらゆる言動でもって実花の鬼神討伐への参加を諦めさせようとした。
実花の無謀な考えや思慮の浅さをもって罵り、かと思うと今度は泣き落としで行かないでほしいと頼んだり、そしてまた実花に怒鳴り散らすことを数度繰り返した。どんどん感情的になっていく桃華の発言に対して、実花は極めて冷静にそれらの内容を聞き続けた。
桃華が実花を責めるなかで、話が娘の水琴に関する内容に移った。
「水琴ちゃんはどうするの!? 一人で残して行く気、まだ中学生なのよ!?」
「水琴には今晩話すつもり、あの子もたぶん理解してくれるわ」
「あんたのところの妖魔駆除の担当エリア、あんな広大な範囲水琴ちゃん一人で抑えられるわけないでしょ!?」
そう言われた実花は、いつかのような少し自慢げな勝ち誇った表情でこう返した。
「水琴なら大丈夫」
「――――っ、だから、そういうことを聞いてるんじゃないのよ!!」
感情を爆発させながらテーブルを叩いて叫ぶ桃華にも、実花はまったく動じなかった。
このときラウンジスペースには偶然二人以外の客がまったくおらず、またホテルの給仕係も二人が常連であることと、そして聞こえてくる話の内容が鬼神に関することであったことから桃華のマナー違反について声をかけることをしなかった。
何を言っても動じない実花に、とうとう桃華はこう言ってしまう。
「……水琴ちゃんがどれだけ困ってても、あたし助けられないわよ」
「うん」
「……っ! 馬鹿な母親のせいで、水琴ちゃんが山の中で妖魔に絞め殺されるかもしれないのよ!?」
「うん」
桃華は嘲るような口調で会話を続ける。
「ははっ、可哀想ね、誰も助けてくれる人がいない状況で中学生の女の子が一人孤独に死ぬのよ、きっと死体も見つからないわ」
「そうかもね」
今の日本の妖魔情勢を考慮した上で、自分の子供が妖魔に殺される想像をしたことのない親などいないだろう。桃華が眠る間を削って鍛冶川家に尽くし働いているのも、根本にあるのは娘の京華が平和に暮らせる未来を作りたいからだ。
先程からの実花の淡白な相槌は、そういった親としての義務感や責任感そのものを馬鹿にしているように感じられた。
「あんた自分の娘が可愛くないの!? それでもほんとに母親!?」
己の娘の死に際をむりやり想起させ、母親としての自覚のなさを責める桃華に対しても、やはり実花は同じような態度でゆっくりと紅茶を飲んでからこう返答した。
「もう一度言うわね桃華、水琴なら大丈夫」
笑みを浮かべながらそう言う実花に対して、遂に桃華は折れたふりをする。
「……もういいわ、気分が悪い。このあと会食にいかないといけないからあたしは帰る」
桃華はいそいそと財布からお札を取り出してテーブルの上に叩きつけ、ハンドバッグとトレンチコートを乱暴に掴んで立ち上がると実花に対して一度背を向けてから振り返り、最後にこう言った。
「あんたのそういうところ、昔からほんとに嫌いだった」
実花はそれに対して何か返答しようとする素振りを見せたが、桃華はヒールの音をわざと大きく立てて歩き、実花の言葉が聞こえないようにした。
鍛冶川桃華が別れ際に放った酷い言動はともすればヒステリックなものに思われるかもしれないが、実のところ彼女の得意とする交渉術の一環であったことは間違いない。
つまり、これほど酷い別れ方をしたまま実花が鬼神討伐に臨むことはないだろうという計算の元、この日の桃華はとりあえず呆れて折れたふりをしただけだった。
あの実花のことだからきっとまた二人で改めて食事に誘ってくるはず、そしてそのときに再び鬼神討伐への参加を諦めるように説得するのだと桃華は筋書きを考える。もちろん最善は実花がこのあとすぐに自分に電話をかけてきて、「やっぱり鬼神討伐には参加しない」と言ってくることだったが今日の様子からそれは期待できそうもないというのが桃華の結論だった。
(まあでも、さすがにLINEで一言くらいは何か送ってくるでしょ)
そう考えた桃華はホテルの地下駐車場に駐めてあるPEUGEOT508の車内でスマホを開きながらしばらく待ち続けた。地下ではあるものの電波の受信状況にはまったく問題ない。
だが桃華が運転席でスマホを構えたまま10分待ち、30分待ち、1時間が経過しても実花からは何の連絡もなかった。
実花と桃華が言葉を交わしたのはこの日が最後となった。
■■■
「ただいま京華、これお土産」
「おかえりなさいお母様、……あ、このお菓子っていつものホテルの……もしかして実花伯母様と?」
「さあ、あんな馬鹿な女知らない」
鍛冶川の本家に戻った桃華は娘にアフタヌーンティーのお土産の紙袋を押し付けると、そのまま何も語らずにお風呂に入って寝てしまった。
京華もこのときは中学3年生の冬で、通っている私立の女子中学校から高校への編入試験の勉強で忙しかったこともあり、不機嫌な様子の母親に何があったのかを追求することもなくこの日の出来事は自然と忘れてしまった。
それを思い出すことになるのは鬼神討伐が成功し、その殉職者の中に蛇谷夫妻の名が連ねられていたことが判明してからだった。
蛇谷夫妻の殉死について京華が知ったのは高校に入学した4月のことだった。
水琴の両親が二人とも鬼神討伐に参加することすら知らなかった京華は、母親の桃華に対して何故教えてくれなかったのだと問い詰めた。けれども桃華もそれに関して何かショックを受けている様子であり、京華はそれ以上踏み込むことができなかった。
さらに京華にとって残酷なことが伝えられる。京華からみて祖父にあたる鍛冶川家の現当主に呼ばれて奥座敷に入った京華はこう言われた、「今後一切、蛇谷水琴との関わりを禁ずる」と。
京華も自分が呼ばれたのはきっと蛇谷家に関することだろうと予想はしていたし、もしかすると自分を経由して裏から蛇谷水琴を援助するように言われるのではとすら期待していた。けれども実際に伝えられた内容はそれとは真逆で、当然京華も祖父に反論した。
「桃華と京華があの馬鹿娘とそのまた娘のところに行っていたのは知っている、だが今後は駄目だ」
「――っ! 御爺様、それはどうしてですか?」
「退魔師の家系同士の絶縁ってのはそんなに軽いもんじゃねえ、向こうの当主が蛇谷水琴になっている以上お前を会わせることは許可できない」
鍛冶川家の現当主、
自分の孫の鍛冶川京華は今年で高校生であり来年には結婚もできる年になった。なので一度、鍛冶川家の人間としての意識の持ち方を教えておきたい、つまり個人的感情と家の方針が異なっている場合の折り合いの付け方を実地で学んでおいて欲しかったのだ。
そういった方面において蛇谷水琴という自分のもう一人の孫娘は良い教材であり、ここで活用しないのは勿体ない。
正直なところ鍛冶川家当主としての目線から言ってしまえば、蛇谷家などという零細退魔師の家系などどうでもよい。最後まで自分に謝罪せず、鬼神に挑み殉死してしまった馬鹿娘に思うところがないことはないが、かといって死人は最早どうすることもできない。
また蛇谷水琴という退魔師としても、また『花名』がないことから女としても価値のなさそうな孫娘にもさして興味が湧かない。
育てたい花の周りに生えている雑草を抜くことでよりその花に栄養を行き渡らせ成長を促す。このとき鍛冶川鉄斎の行ったことはその一言で要約される。
けれども、雑草だと思っていたものが実はたいそう価値のあるものだと判明した。それを受けた鍛冶川鉄斎はすぐに孫娘の京華を呼び出し、とある仕事を彼女に与えた。
もう一度言おう、鍛冶川鉄斎は教育的な人物である。
■■■
「ひっぐ……ぐすっ……!」
「落ち着いた?」
「……はい、すみませんでしたお姉様」
ようやく泣き止み始めた京華と話を再開する。
彼女がとつぜん蛇谷家と鍛治川家の絶縁を解消するように爺様に進言すると言い出した時は驚いたが詳しく聞いてみると、どうも京華は私が一人になってから何も援助することができなかったことにずっと負い目を感じていたらしい。
私の両親が鬼神討伐で殉職したのが今年の3月、その後すぐに高校に入学したり、蛇谷家の家督を相続したり、両親の通夜と葬式を取り仕切ったりとバタバタしてしまって、おまけに担当エリアの妖魔の間引きも一人で行う都合上かなり忙しく、そんなときに龍神に1か月ずっと監禁凌辱されていたせいもあってここ最近まで京華とはほとんど連絡を取っていなかった。もちろん、私が蛇谷家の当主となってしまったことから、絶縁中の鍛治川家のご令嬢に直接連絡を取る行為が憚られたことも理由の一つではあるのだが。
私が当主になってしまってから鍛治川家との関係をどうするべきかはかなり悩んだ。私の母親の実花と叔母の桃華の非公式の付き合いは、あくまで二人がそれぞれの家に対して何らの実権を握っていないからこそ成り立っていた部分もある。
零細とはいえ蛇谷家の実権がすべて私に集約された状態で、桃華叔母さんと京華とこれまで通りの関係を続けるのはあまりよくないことの様に思えた。そういったこともあり、私はこの二人を両親の通夜と葬式に呼ばなかった。
私が自分の身の回りのことで手一杯になっている間に、京華がここまで私のことを心配してくれていたのには少し驚いたが、とはいえ彼女のこうした感情は私にとって少し都合がよい。
「絶縁に関してはとりあえず置いとくとして、実は京華にお願いしたいことがあるんだ」
「何ですか、わたしにできることなら何でもします」
紆余曲折あったが、ようやく私にとっての本題に入ることができた。
「私が保有している『鬼神の角』を材料にして、鍛治川鉄斎に霊具製造を依頼したい」
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