第19話


 ■■■


 2009年


「実花もいいかげんお父様に謝ったらいいのに……ちゃんと筋通したらあの人だって許してくれるよ」

「無理して鍛冶川家に戻ろうとも思わないわよ、今更」

「あんたはそうでも水琴ちゃんのこと考えるんだったら戻ってきたほうが良いって絶対、まあ水琴ちゃんに【花名】入れなかったことは文句言われるでしょうけど……」


 つい最近新幹線の駅が新設されたのと同時に建てられた高級ホテルのラウンジスペースで、二人の女性とそれぞれの娘と思われる子供が二人座席についていた。


「水琴は将来、蛇谷神社継いで戦う退魔師になるんだもんねー」

「うん、戦う方の退魔師になりたい」

「ほらー水琴もこう言ってるし」

「母親が無理に言わせてるだけじゃない……」

「そんなことないわよ、水琴この年でめちゃめちゃ賢いし分別くらいはついてるって」


 蛇谷実花へびたに みかにそう言われた鍛冶川桃華かじかわ ももかはお互いの横に座っているそれぞれの娘を見比べる。


 実花の娘である水琴ちゃんは5歳にも関わらず何故かアフタヌーンティーに関するマナーが完璧で、サンドイッチはナイフとフォークで食べるもの、パンとスコーンは手で千切りながら食べるものだということを理解しているようであった。5歳児の手には少し大きすぎるナイフやフォークも実に器用に使いこなしている。


 一方の桃華の娘である京華は年相応というか、5歳児らしく両手に食べかけのサンドイッチを掴みながらリスの様に頬を膨らませて、美味しそうにそれらを食べていた。

 これを見せつけられると自分の子育てに自信がなくなると同時に、水琴ちゃんの分別がついているという話もほとんど間違いではないのかもしれないと桃華は思った。


 鍛治川家の姉妹である実花と桃華は同じ時期に妊娠出産を経験したこともあってか、絶縁状態ではあるものの本家には内緒でお互いの子供を連れてこうして食事にいくことが最近はよくあった。


 実花が鍛冶川家を出奔する前は姉妹であってもそれほど仲が良かったわけではないが、ライフステージが移るだけでこうも人間関係というのは噛み合い方が変化するものなのだと思い、あらためて桃華は自分が年を取ったことを実感する。



「お母さま……さっきのピンク色のお菓子もう1個食べたい……」


 サンドイッチを食べ終えた京華はソースで汚れたままの手で母親である桃華の袖を引き、先程食べてとても美味しかったと記憶している桃色のお菓子を食べたいとグズりだした。


 こうして汚される袖口に関してはいつもの事なので桃華ももはや気にすることなく、空になっているケーキスタンドを指差してそのお菓子がもう無いことを京華に伝えた。


 当然そんなことで5歳児が納得するわけもなく、グズり方が本泣きに切り替わり始めたところで水琴が自分のお皿を差し出した。


「京華ちゃん、ピンク色のやつはないけどこのお菓子あげる」


 水琴の手によって小皿に移し替えられたそのお菓子を見るやいなや、京華は目を輝かせて「ありがとうお姉さま!」と言いながらそのお菓子を小さな手で鷲掴みにするとすぐに自分の口に運び込んだ。


 再度リスの様に頬を膨らませてご満悦の京華を見ながら、母親の桃華は溜息を吐いた。


「ありがとうね、水琴ちゃん」

「いえいえ」


 そう言うと水琴はソーサーごとティーカップを持ち上げて静かに紅茶を飲み始めた。


 その様子を自慢げに見ていた実花は少し勝ち誇ったような笑みを浮かべており、それを見た桃華はさらに溜息を吐いてこう言った。「あんた見てると育児うつになりそうだわ」と。




 ■■■



 鍛冶川京華にとっての蛇谷水琴という少女は物心のつく前から見知っている姉のような存在であった。

 まだ幼稚園に通っていた頃は従姉妹と実姉の違いもわかっておらず、また母からよく言われていた『血の繋がりはあるが公の場で従姉妹として扱ってはいけない従姉妹』という複雑な関係についてもあまり理解していなかった。


 幼少期の水琴の印象はとにかく優しくしてくれるお姉様という感じで、実際そのころの京華の思い出に残っている水琴はホテルの中で迷子になった自分を助けてくれたり、お菓子を分けてくれたりする凄く優しい女の子であった。


 美味しいお菓子が食べられる綺麗な建物に行くときしか会えないお姉様というのも、幼少期の京華にとって水琴の特別感を高める要因のひとつであった。


 そんな京華が生まれて初めて強烈な劣等感を感じた瞬間がある。それは京華が小学校に入学したばかりの4月に母親に連れられて例のお菓子が食べられるホテルに行った時であった。


 この頃の京華はまだ小学校というシステムをあまり理解しておらず、赤いランドセルを背負って幼稚園の次の段階の学校に6年間通う必要があるということくらいしかわかっていなかった。


 また小学校は6学年で分けられており、数字が大きいほど大人に近いということだけは何となく知識として知っていた。

 自分はまだ小学校に入学したばかりの1年生であるということははっきり理解していたので、じゃあ水琴お姉さまは何年生なのだろうと、お菓子を食べながらふと思ったのだ。


「水琴お姉様はいま何年生なの?」

「京華と同じ1年生だよ」


 京華はこの時まで水琴と自分が同い年であることを知らなかった。正確には一番最初に会ったときに母親の桃華から二人が同い年であることを伝えられていたのだが、その頃の京華はまだぼんやりとした記憶能力しか持っておらず、その後の大人っぽい水琴の立ち居振る舞いから自然とお姉様呼びをしていたためいつのまにか水琴は年上だという認識が京華のなかでは当たり前になっていた。


 その認識の誤りを小学校の学年という社会システムで擦り合わせて突然訂正されたのだ。


 そしてふと、京華は自分と水琴の手元を見比べた。

 ナイフとフォークで綺麗に切り分けられたサンドイッチを上品に口に運んでいく水琴に対して、自分は手と口を汚しながら何も気にすることなくサンドイッチを頬張っている。


 水琴の前にあるお皿は一部の汚れを除けば白く磨かれた陶器の表面が綺麗なまま広く残っており、自分の前にあるお皿はボロボロこぼれたサンドイッチの具材、お菓子のクズやソースを引き延ばした跡で滅茶苦茶になっていた。


 同じ小学1年生であるということを踏まえながら自分と水琴の違いをはっきりと理解した瞬間、京華は自分という存在が何か極めて恥ずかしいもののように感じられた。


 それが劣等感という言葉で定義されているということも、この頃の京華は当然知らなかった。呆然とし始めた京華に母親たちから、誕生日が水琴のほうが早いからお姉様って呼ぶのは間違いではないこととか、早生まれだから仕方がないよねといったことを聞かされたが、ショックを受けていた京華の耳にはあまり入ってこなかった。



 この出来事以降、京華は常に心のどこかで水琴のことを意識してしまうようになっていた。テーブルマナーに関してもそうであったし、水琴が学校でとても勉強ができると聞いたら自分も必死に教科書を開いて追いつこうと勉強しはじめたり、水琴の会話内容が大人のそれとほとんど遜色ないものであることに気が付くと自分もそれに合わせようとして上手くいかなかったり、とにかく京華にとって蛇谷水琴という同い年の少女の存在は常に何かの指標であり続けた。



 京華が小学校高学年になる頃には叔母である蛇谷実花がかつて自分の生家である鍛治川家から勘当されたことや、「水琴」という名前に【言霊呪名ことだまじゅめい】の一種である【花名】が含まれていないこと、つまり一般的な退魔師の家系の女とは異なり優秀な術式を持った子供を産む確率が低くなっていることなどを知ると、当時どの分野でも水琴に追いつけず不貞腐れはじめていた京華はその事実を取り上げて子供らしい悪口を直接言ったりするようになった。


 子ども特有の残酷さで水琴に対してはかなり酷いことを言ったのだか、水琴本人は少し困ったように眉根を下げるだけで、むしろ京華のそうした言動に一番怒りを露わにしたのは実母の桃華であった。


「水琴ちゃんにあんな態度取るんなら二度とアフタヌーンティーには連れて行かない」と帰りの車の中で母親に言われたときには、京華は号泣しながら自分が永遠に大人の女性になることができないのではとすら思った。


 およそ鍛治川京華という少女の反抗期は蛇谷水琴に対して消費されているようであった。


 京華が中学校に上がる頃にはそうした劣等感も次第に落ち着き始め、水琴との仲もずいぶん良化したのだが、日本国内の妖魔被害が深刻化するにつれて実花と桃華の食事をする回数は徐々に減り始めた。


 それに不満を持った京華が母親に文句を伝えると「じゃあ水琴ちゃんと二人で行ってくればいいじゃない」と言われて、それもそうかと思った京華はそれ以降、側仕えの高橋とともに隣県の国際ホテルまで行き水琴とアフタヌーンティーを楽しむようになった。


 そして京華と水琴が中学二年生になったころに、第一次の鬼神事件が発生した。



 ■■■


 2019年


「……ごめんよく聞こえなかったんだけど、もう一回言ってもらっていい?」

「旦那と二人で鬼神討伐に参加することにした」

「馬鹿じゃないの!?」


 国際ホテル27階の夕焼け空がとても綺麗に見渡せるラウンジスペースにて、二人の女性が話し合っていた。

 椅子に座っている女性、鍛治川桃華はファンデーションでも隠し切れないような隈を目の下に抱えながら向かいのソファに座る蛇谷実花を問い詰める。

 そうした桃華の剣幕にも動じることなく、実花は落ち着いた様子だった。


「あんな無茶な討伐作戦に参加するなんてどうかしてるとしか思えない……、おまけに旦那一人ならまだしも、あんたまで参加する必要ないでしょ!!」


 霊具製造において日本国内にて三本の指に入るほどの鍛治川家、その内務を取り仕切っている桃華はここ数年忙しすぎてずっとストレスを溜めていた。鬼神があらわれてからというもの日本の退魔業界は恐ろしいほどに追い詰められ、鍛治川のような歴史のある名家、特に霊具製造を生業とするような家系の追い詰められ方は凄まじかった。


 鬼神に挑む退魔師に霊具を提供するたびにそれらは全く効果を発揮せず、挑んだ退魔師はみな殉死した。桃華本人が霊具を作成するわけではないが、外部との交渉役や鍛治川家の内政を任されている心労が祟って、ここ数年で一気に老けてしまったように見える。


「でももう決めたことだからさ」

「あんた一人増えたところで何も変わらないわよ!!」

「変わるよ、その一人の差で鬼神が討伐できるかもしれない」


 そう言った実花の様子は、かつて鍛治川家を出奔すると伝えにきた時と同じように桃華には見えた。あのころは姉妹仲もそれほど良くなかったため実家を出ると聞いた時もそれほど気にせず、馬鹿なことをするもんだと思っただけだが今は違う。


 ここ数年の実花と桃華の付き合いはお互いにとって非常に重要なものになっていた。妊娠した時から出産に至るまでの不安を話し合ったことから始め、退魔師の家系特有の子育て事情やプライベートな悩み事まで、一番最初にそういう相談をする相手がだれかと問われれば実花も桃華もお互いを真っ先にあげるだろう。


 お互いの娘同士も一時期は京華が水琴を嫌っていたこともあったが、中学生になってからは二人だけで遊びにいくことも増えたと聞いており、なんとなく母娘のこうした関係が今後も続くものだと桃華は思っていた。


 鬼神関連の対応で最近は特に忙しくなった桃華に対して、どうしても二人で話したいことがあると言われてわざわざ来てみれば実花から伝えられたのは鬼神討伐に参加するという発言だった。



『鬼神討伐作戦』


 一年半かかってもなお討伐することができない災害級の妖魔である鬼神に対して、とにかく大人数の退魔師の物量でもって挑み討伐しようとする退魔省主導の作戦のことを指す。霊具製造を得意とする鍛治川家のものとしてはその物量頼みの討伐作戦に思うことはあったが、それでも心のどこかでは仕方がないと思うようになっていた。


 けれども、それに実花が参加するということについて桃華は個人的な感情からどうしても承諾できなかった。


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