第10話

「あなたが毎晩私を抱くのは、子供をつくるためですか?」


 そう聞いた私を見つめながら龍神はやや首を傾げながら、こう言ってきた。


「何だ、俺との子が欲しいのか?」


 そんなわけあるか。少しとぼけたような真顔でそんなことを言ってきた龍神に怒りを覚えつつ、すぐに彼の言葉を否定した。


「どのみち俺と貴様では子は作れん、妖魔とはそうやって増えるものではない」

「……そうですか、安心しました」


 それを聞いて心の底から安堵したと同時に、もしこの男の返答が真逆のものだったとしたら私はどうしただろうかと考える。


(もし子作りが目的だとわかったら自殺してたかもしれない、龍神が民間人に手を出してしまうことを承知の上で)


 こちらの世界での妖魔に対する忌避感は想像を絶する。妖魔のいる世界といない世界の両方を経験した私だからこそわかる。


 身近な具体例で言えば、前世でよく見たようなバトル物の少年マンガなんて即発禁になる。実際こちらの世界の創作物に化け物退治を題材とするものはほとんどない。

 90年代を最後に少年マンガという文化はほぼ消え失せた。


 毎日かならず世界のどこかで誰かが妖魔に殺されているのだ。前世でいえば、それこそ放射性物質に対する忌避感を遥かに凌ぐほどに妖魔とは忌み嫌われている。


 そんな世界で妖魔を産んでしまう、なんてことになったら本当に人類の敵になってしまう。他でもない、私自身が私をそうとしか認識できなくなる。


 龍神という妖魔を自宅に秘匿していることだけでも、私の倫理観はすでに限界ギリギリだというのに。



 ■■■



 龍神が居間に戻ったあとも、私は特に何もすることなくゴロゴロしていた。時刻はお昼過ぎだけれど食事も取れなければ、昼寝することも出来ないので本当にすることがない。


 ベッドの上に寝転がりながらスマホで動画サイトを適当に巡回していると、1階から電話の着信音が聞こえてきた。

 我が家の固定電話が鳴るのを聞くのが久しぶりだったので、誰からの電話だろうと考えながら階段を降りて受話器を取った。


「もしもし、蛇谷です」

『すまない蛇谷……助けてくれぇ……』

「──────っ! 妖魔にやられましたか!?」


 電話越しに聞こえてきたのは嗄れた老人の、助けを求める声だった。聞き覚えのある声だ。

 間違いない、伊野家の爺さんの声だった。


 伊野家は蛇谷家の担当エリアと隣接した地域を保安している退魔師の家系である。家系といっても、今は70歳を過ぎた爺さん一人だけしか残っていない。本当は後継者である息子さんがいたのだが、半年前の鬼神討伐に参加して殉死している。


 そんな退魔師の爺さんからの救援要請だ、間違いなく何かあったのだろう。


「急いでそちらに向かいます! 待っててください!」

『頼む……』


 電話を切ってすぐに自室に戻り巫女服に着替える。

 机の上の原付バイクの鍵が一瞬目に止まったが、山沿いを自分の足で走った方が早い。


 家を出てすぐに山の方にジャンプする。


「『一面結界』」


 木々をすり抜けて走るのではなく、空中に一面だけ結界を展開して、それを足場にしてジャンプする。

 その方がほぼ直線距離で目的地へ向かえるので時間を短縮できる。


「伊野の爺さん、大丈夫かな……!」


 孤独な老人の退魔師のことを考えながら、山の尾根をいくつか超えていくと、私の担当エリアと伊野家の担当エリアの境界線に差し掛かったあたりであることに気がついた。


 妖魔が一匹もいなくなっていた蛇谷家のエリアの方に、伊野家のエリアから妖魔が漏れてきている。越境している猪型の妖魔を何匹か確認したところで、伊野家のエリアに入った。


「やっぱり、間引きがあまり出来ていない!」


 空から山を俯瞰すると一目瞭然だった。

 まったく妖魔の気配を感じない蛇谷家のエリアに対して、伊野家のエリアからは中型クラスの妖魔が複数確認できる。


「もっと早く気づくべきだった……」




 蛇谷神社から伊野家の寺まで、最短距離を全力で駆け抜けたので十分もかからずに目的の場所まで到着した。

 古めかしい木造建築の寺の門を飛び越えて、その中にある社務所に入る。


「伊野さん! 大丈夫ですか!?」


「……ああ、もう来てくれたのか、救急車よりも早いとは驚いた」


 狭い社務所の畳の上に血まみれの僧服を着た老人が横たわっていた。包帯を巻いて応急処置を施した白髪頭からは血が流れていた。怪我をした腕で自分に包帯を巻くのが難しかったのだろう、巻き方が雑でガーゼが傷口をすべて覆えていない。


「酷い怪我ですね……、大型妖魔が出ましたか?」


「いや、中型だ。いつもの猪の妖魔だったが不覚をとった。わしも年だな」


 痛みがひどいであろうにも関わらず、そんなことをいって力なく伊野さんは笑っていた。


「急に呼びつけてすまなんだ。蛇谷、お前に頼みたいことが────」


「わかってます、妖魔を市街地に出さないよう間引いておきます」


「頼む……くれぐれも無理はしないでくれ、小型の妖魔を祓ってくれればよい。複数の中型妖魔に関しては県に要請して、応援を呼んで討伐してくれ」


 伊野の爺さんは以前の私の実力しか知らないので、その指示は適切なものだった。実際、龍神に犯されて半霊体化する前の私であれば、中型妖魔の討伐は対象が一匹でギリギリ、複数体の中型妖魔に囲まれたらまず間違いなく死ぬだろう。


「大丈夫です伊野さん、全部私に任せてください」


 少し遠くのほうから救急車のサイレンの音が聴こえた。

 しばらくして到着した救急隊員に伊野さんを預けて、私は山に向かった。


 伊野家の担当範囲が全て見渡せるくらいの高さに結界を展開し、飛び跳ねてその上に着地する。

 ざっと見渡した限りでも妖魔の気配がかなり濃い。


「あと数日この状態が続いていたら麓の民間人に被害が出てたかも……」


 山の外からは妖魔の痕跡が見られないので、まだ被害は出ていないはずだ。麓に近いところから順に間引いていこう。門限の日没まではかなり時間があるし、今の私の力なら三日とかからずにこの地域を平定することができるだろう。


「どのみち、いずれ私が引き継ぐ予定のエリアだしね」


 後継者のいない退魔師が引退した場合、その退魔師の担当範囲は近隣の退魔師に引き継がれる。もし伊野の爺さんが退魔師を引退したらこのあたりの猪型妖魔を間引くのは私の仕事になる。


 夏休み前の半霊体化する前の私では抱えきれない範囲だったので、もし引き継ぐことになったらどうしようかと偶に悩むこともあった。その悩みが解決したのは龍神のおかげではあるのだが、到底感謝する気持ちにはなれなかった。



 ■■■





 数時間かけて山の中を駆け巡り猪型の妖魔を討伐した。

 市街地に面しているエリアは中型から小型の妖魔まですべて、山の奥の方は中型を優先的に討伐してその分広範囲にわたって妖魔を間引いた。


 伊野の爺さんが搬送された病院に行く前に、一度自宅に戻って着替えた。

 もちろん、自宅に戻る途中で蛇谷家のエリアに漏れ出した猪型の妖魔もしっかり討伐しておいた。これで抜かりはないはず。

 さすがにこれだけ間引いて市街地に妖魔が進出することはないはずだ。しばらく放置したとしても、蛇谷家のエリアも伊野家のエリアも問題はないくらいに妖魔の数は減らしたのだから。



 私服に着替えたあと原付に乗って、救急隊員に聞いておいた病院へ向かう。

 診察口に伊野さんの名前を告げると、彼が入院している病室を教えてもらった。

 病室前の名札に彼の名前があることを確認して、ノックしてから中に入った。


 窓際のベッドに包帯を巻いた老人が寝ていた。私が近づくと伊野さんはすぐに目を覚まして、上半身を起こそうとしたがとても辛そうにしていたので、そのまま安静に寝転んでいてもらうように言った。


「うちの寺の裏山はどんな感じだ、県からの応援要員は無事に呼べたか?」


 そういえば県に応援要請をするように言われていたのをすっかり忘れていた。


「いえ、応援を呼ぶ必要はありませんでした。伊野家の担当エリアに湧いていた妖魔はほとんど私が討伐しましたから」


 私がそういうと、伊野さんは驚いたと言わんばかりに細い眼を見開き、そしてすぐにいぶかしむような表情へ変わった。


「お前さんが一人でか?」


「はい、8月くらいに後天術式の修得に成功したので、それで中型以上でも討伐できるようになりました」


 口で言うだけだと証拠に乏しいので、鞄からスマホを取り出してフォルダに保存したばかりの動画を見せた。

 動画の内容は私が中型の猪型妖魔を討伐するところを撮影したものだ。以前の私では絶対に展開することのできない強度の結界で妖魔を閉じ込め、分断するシーンが記録されている。


 以前の私の実力をよく知っている伊野さんなら、この動画を見るだけで私の言葉が嘘でないことはわかるはずだ。


「中型妖魔をこうも一瞬で討伐できるとは……」


「伊野家のエリアのほとんどの妖魔を間引いておいたので、しばらくは放置しても問題ないと思います、もちろん伊野さんの入院中は私も定期的に巡回するつもりなので安心してください」


「……これも世代交代ということか、ありがとう蛇谷。息子を半年前に鬼神事件で喪ってから自分の担当範囲をどうするべきかずっと悩んでおったが、これで心配が無くなった」


 そう言った伊野さんは安心したかのように目を瞑り、ほっと息を吐きだした。

 ゆったりとした僧服ではわからなかったが、簡素な入院着ごしに推測される彼の肉体はかなりやせ細っていた。無理もない、息子を失ってからほぼ一人であの広大な範囲の妖魔に対処していたのだ。心労も肉体的な疲労も限界に近かったのだろう。


 日没が近い。


「じゃあ、私はこれで帰りますね」


「ああ、妖魔の討伐でしんどかったろうに、見舞いにまで来てくれてありがとう」


 病室を出て入院病棟の廊下を歩く。

 今のところ病室には十分に空きがあるように見える。もし今回の伊野家のエリアの対応が数日遅れていたら、多くの怪我人や重傷者がこの入院棟に運び込まれていたかもしれない。



 実のところ、今回のような退魔師の後継者不足は業界全体の問題になっている。先の『鬼神事件』のせいで多くの退魔師がこの世を去った。伊野さんの息子のように後継者と目されていた人物が亡くなったり、家系そのものが断絶したような事例もある。


 後継者不足はずっと前から問題になっていたが、『鬼神事件』のせいでその深刻度は一気に加速した。今後、退魔師が管理しきることのできない地域は間違いなく増える。鬼神のような災害クラスの妖魔が出てこなかったとしても、日常的に湧き続ける妖魔を処理しきれなくなるのだ。被害は全国的で、かつ多発的なものとなるだろう。


 退魔師業界では常識レベルの後継者問題であるが、あまり公のメディアではこの事実は語られていない。国民の不安をいたずらに煽ってしまうことになるという理由で、やんわりと隠されている。




 ■■■



 その日の夜、私が龍神に抱かれる準備をしている最中、居間でなんとなしにつけていたテレビから緊急速報のテロップが流れた。不吉な電子音とともに表示された白文字で、画面上部にはこう書かれていた。


『九州の□□県△△市にて鬼神と思わしき妖魔が発生』


 その県は今まさに、早苗や私のクラスメイトが林間学校で滞在している場所だった。


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