第9話

 術式の退魔活動外使用による自宅謹慎が終わり高校に復帰してからも色々あった。やたらクラスの男子生徒に放課後遊ぼうと誘われたり、古めかしいことに下駄箱にラブレターが入っていたりと、はたから見るとモテ期とでも言うべき状態になっていた。


 前世が男だったころの意識がまだだいぶ残っているので、恋人を作ろうとは思わない。というか、龍神がなにをしでかすかわかったものじゃないので恋人なんて作れるわけがない。


「さすが水琴、モテモテだね」


 お昼休み、目の前でお弁当を広げる早苗にそう言われた。

 ちなみに私の前には文庫本が置かれているだけ。私が食事を取れないことはすでにクラスメイトに周知されている。

 最初は結構引かれてしまったけれど、今はみんな慣れてしまったみたいで、こうして早苗がご飯を食べている前で小説を読んでいても何も言われない。


「そういえば自宅謹慎中は何してたの?」


「特には何も、ああ、妖魔の討伐は毎日してたけどそれくらいかな」


「真面目だなぁ」


 朝から夕方まで山中の妖魔を討伐して、夜は龍神に抱かれるという生活を自宅謹慎中ずっと繰り返した結果、蛇谷神社の付近の山からは妖魔が一掃された。


 しばらくは放置したとしても、民間人に被害が出ることはないだろう。霊体化した肉体のスペックを最大限活用して全力で妖魔を討伐しつづけたのだ。私の担当エリアはほぼすべてが安全圏となっている。


 亡き父母ですらここまで大規模な範囲を平定することはできなかったので蛇谷家的には結構な偉業なのだけれど、誰もわかってくれる人がいないので若干寂しい。

 龍神? あいつは私の退魔師として活動には何も口出ししてこない、たぶんほんとに興味がないんだろう。


「来月の林間学校楽しみだね、九州だっけ? 水琴は九州行ったことある?」


「そういえば行ったことないかも」


 前世では何度か九州を訪れたことはあったが、今世ではまだ行ったことが無かった。この世界の日本は妖魔の存在が公にされていること以外は大まかな歴史は同じなので、九州の風景に関してもそこまでの差異はないだろうけれど。


「林間学校の班決め揉めるだろうなぁ、水琴と同じ班になろうとする男子めちゃめちゃ多そうだし」


「そんなことないでしょ」


「いやマジだって、私に頼んでくる男子だっているくらいなんだから」


 このクラスで私と一番仲が良いのが早苗だからだろう、そんなことになっているなんて予想外だった。

 まあ、龍神のせいで外泊なんて不可能なので林間学校は仮病で休むつもりだ。


「てことで、とりあえず水琴は私と同じ班ね!」


「はいはい」


 林間学校か、ちょっと行きたかった気持ちもあるけれど仕方がない。そういう青春は前世で十分経験したし、私には退魔師としての仕事がある。仮病で休むことを隠して早苗に適当な返事をした。




 その日の夜、いつもの通り龍神に抱かれる直前、少し試すつもりで聞いてみた。


「もし私が一晩自由にしてほしいと言ったら、どうしますか?」


「……なんだ、外泊でもしたいのか?」


「まあ、そんなところです」


 私がそう言うと、龍神は少し考え込んでからこう言ってきた。


「貴様を毎夜抱くと決めた以上、俺の方からその決め事を破るつもりはない。もし貴様がどうしてもそれを望むのであれば……そうだな、代わりの女を10人連れてくるならば許してやろう」


 私が一晩自由になるかわりに10人の女性を犠牲にしなければいけない。もちろん論外だ。


「試しに聞いてみた私が馬鹿でした……」


 私の個人的な遊興のために他人を犠牲にするわけにはいかない。やはりこの龍神は妖魔だ、絶対に相容れない存在だと改めて認識してからその夜も私は布団の上で弄ばれた。



 ■■■



 10月上旬の林間学校初日の朝、私は学校に電話をかけた。数秒ほどコール音が鳴ったあと、私のクラスの担任の声が聞こえる。


「おはようございます、蛇谷です」


『おはよう蛇谷さん、どうしたのこんな朝早くに電話なんて?』


 林間学校の初日なので、バスの運転手との連絡や他の教師との打ち合わせで忙しいのだろう、まだ七時前であるにも関わらず電話越しの向こう側はやや騒がしかった。


「すみません、今朝から体調を崩してしまいまして……今日からの林間学校なんですけど、お休みさせてください」


『あら、昨日は元気だったのに……、わかったわ、お大事にね』


 体育の授業で術式を使ってしまったときはしばらく担任の先生には警戒されていたが最近はだいぶマシになっている。担任教師は悪い人ではないけれど、林間学校に私が参加できないと聞いて少しホッとしているような雰囲気があった。


 まあ、林間学校では九州の山奥に泊まって課外活動で林業体験を行ったりと少しアクティブなイベントが続くので私がいないほうが都合が良いのだろう。さらば林間学校積立金、君のことは忘れない。


「はい、それでは失礼します」


 自宅の固定電話を切って今度はスマホを取り出し、同じ班の早苗に体調不良で林間学校に行けないことを伝えるLINEを送った。


 速攻で既読がついたと思ったら、すぐに電話がかかってきた。


「もしもし早苗?」


『水琴、体調不良ってマジなの?』


「ほんとほんと、熱出しちゃってさ」


 思いっきり嘘だけれど適当にそう答える。今の私に体調不良なんて起こるわけがないのだ。


『ぜったい嘘じゃん……例の一件のせいで遠慮してるだけでしょ』


 早苗のいう例の一件とは体育の授業での術式無断行使のことだろう。林間学校でも同じような問題を起こさないように私が遠慮したと思われているらしい。


『少しくらいあたしのことも頼ってよ、サポートくらいするからさ……』


 悲しげな声の早苗にそう言われて一気に罪悪感が出てくる。

 私にとっては今更な感じのする林間学校という青春も、早苗にとっては高校生活最初の一大イベントなのだ。本当に早苗のことを考えるのであれば、最初から同じ班になろうと言われたときに断っておくべきだったか、そんなことを考えてしまった。


「なんか、ごめん……」


『いいよ、帰ったらまたカラオケ行こ、約束だからね!』


 電話越しにそう言ってきた早苗は、そろそろ家を出るからと言った。三泊四日分の荷物を抱えての歩きながらの通話はしんどいだろうと思い、そのまま通話を終えた。


 LINEのアプリを閉じてホーム画面に戻ると時刻はすでに七時半、今から四日ほど暇になってしまうので何をしようかと考える。


(私の担当範囲はほとんど妖魔がいなくなったから、最近はあんまりやることがないんだよね……)


 自宅謹慎中に積極的に間引きすぎたせいか、ほんとに妖魔の姿を見なくなった。たまに見かけたと思ったら発生したばかりと思しき小型の妖魔ばかりで、最近は退魔師としての仕事を三日に一度くらいのペースに抑えてある。


 何も思いつくことがないまま自室に入り、ベットに腰掛ける。このベットも龍神が来てからはほとんど使っていない。

 何となく横たわって部屋のなかをぼうっと眺める。


(ああー、やることがない)


 読書でもするかと思い本棚に目を向ける。何を読もうかと背表紙の列に目を通していくと、ふと視界の端に気になるものがあった。気になる、というか以前は頻繁に使っていたのに最近は触れることすらしていなかったので、久々にその存在を思い出したというべきか。


 濃紺色のちょっと小綺麗なパッケージに包まれたもの、すなわち紙ナプキンなのだけれど、私はこの存在を1ヶ月近く忘れていた。いや、8月を含めると実に2ヶ月くらい意識したことが無かった。


「最後に生理きたの……いつだっけ?」


 一気に首から上が冷たくなったような錯覚、頭から血の気がひいた。妖魔と人間の間に子供ができるなんて聞いたことがない。


 女性を襲う妖魔というのもいるにはいるのだが、過去に子供ができたという例は聞いたことがない。人間と妖魔では子供を作ることができない、というのが退魔師としての一般常識である。


 だが、半霊体化した人間と妖魔ならどうなるのだろうか? 

 無意識に下腹部を抑えていた右手に気づくと、咄嗟に発狂しそうになった。


 龍神との子供を身籠るなんて冗談じゃない。ただでさえ、妖魔を秘匿しているという退魔師として致命的な背信行為を行っているのだ。


 その上に、龍神の子供まで産んでしまう? 

 あんな化け物の仲間をさらに増やしてしまう可能性に思い当たったとき、真っ先に考えついたのは自殺することだった。いや、でも私がいなくなったらあの龍神は間違いなく市街地の民間人に手を出そうとするだろう。

 だから私は死ぬわけにはいかない。


 じゃあどうする、龍神との子供ができてしまったら産むのか? 

 それはありえない。


 子供ができる度に毎回堕胎させるか? 

 龍神はそれに対して何と言う? 


 なにが最善かわからなくなって、仮定の先で想像される未来はどれも最悪な結末ばかりだった。


 そんな風に退魔師としての責任の取り方を考えていると、いつの間にか龍神が背後に立っていた。自室の扉が開けっ放しだったとはいえ、全く気づかなかったのは私が慌てていたからだろう。


「貴様、今日は学校には行かんのか?」


 龍神が聞いてきたのはそんなことだった。


「ええ、今日からは林間学校で同級生はみんな九州に行ってます。外泊できない私は行けませんので……」


 そこまで答えたところで、こちらからも質問を投げかけた。つい先程まで悩んでいたことの答えを知らなければ、その答えがどちらにせよ私は決断することができない。


「一つ聞いていいですか」


「なんだ?」


 ゆっくりと息を吸って吐いてから、こう聞いた。


「あなたが毎晩私を抱くのは、子供をつくるためですか?」


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