第8話
水琴がランジェリーショップで店員のお姉さんに「なんでこんなサイズ合わないまま放置してたの!」と軽くお説教されながら採寸されているのと同時刻、水琴の高校の1年3組の生徒たちはお昼休みで各々弁当を広げたり、食堂に向かったりしていた。
「そういえば昨日さ、部活の先輩に蛇谷さん紹介してほしいって言われたんだったわ」
「自宅謹慎中だもんな、仕方ねぇよ」
窓際の席で活発そうな二人の男子生徒がそんなことを話していた。
2学期に入ってからこのクラスで蛇谷水琴のことが話題に上がらない日はなかった。夏休みデビューで眼鏡を外したことや、昨日の術式の退魔活動外行使の件など、前者に関しては水琴があまり理由を話さなかったため、後者は担任教師が詳細を生徒たちに明かさなかったせいもあるが、皆それらの理由を知りたがっていた。
「だから、既に公表されてる蛇谷さんの術式だと80mもジャンプしたりできないんだって」
「あー、たしか『結界』と『切断』だっけ?」
「正しくは『結界』と『分断』ね、先生は詳しく話さなかったけど、蛇谷さんには3つ目の術式があるんだよ!」
教室の別の場所では、眼鏡をかけたオタクっぽい容姿の生徒が水琴の術式に関する持論を述べていた。彼は退魔師に関する知識が豊富な生徒で、オタク気質な人間であったがこのクラスでは水琴の次にそういった事情に詳しい人間だった。
「3つ目の術式って、じゃあ今まで隠してたってこと?」
「いや、昨日退魔省のHPを見たら『非公開』として3つ目の術式が追加記載されてたから、たぶん夏休み中に修得したんだと思う」
夏休み中、という単語を聞いた早苗がその男子生徒に話しかけた。
「ねえねえ今の話、水琴が夏休みに新しい術式を修得したって聞こえたんだけど」
女子に慣れていないせいなのか、その男子生徒は吃りながら返答した。
「た、たぶんだけどね、あくまで予想でしかないけど……」
「そういえば水琴って先月中全くLINEとか連絡取れなかったんだよね、それと関係あるのかも」
早苗が水琴に夏休み中連絡を取れなかった理由を聞いたとき、水琴はその理由を教えなかった。
「術式の修得って、そんな簡単にできるものなの?」
早苗がその男子生徒にそう聞くと、彼はこう答えた。「滅多にできることじゃない。それこそ、死ぬ程厳しい修行でもしない限り不可能なんだよ」と。
それを聞いた早苗は、水琴のことを少し心配した。
夏休み中に連絡が取れなかったときは妖魔にやられてしまったのかと彼女は不安に思っていたが、そんなニュースも無かったのできっと大丈夫だと信じることにしていた。
実際、夏休み明けに元気な姿を見れたとき早苗はとても安心したが、まさかそんな厳しい修行をしていたとは予想していなかった。
「水琴はやっぱ凄いなぁ」
退魔師としての覚悟を決めている同い年の水琴を思いながら、早苗は尊敬の念を自宅謹慎中の友人へ向けた。
一方そのころ、水琴はランジェリーショップの店員に勧められるまま大量の下着を購入させられていた。採寸後の試着で店員のお姉さんに着せ替え人形のごとく扱われていたため、その表情は少し疲れ気味であった。
■■■
『じゃあPTAとの話し合いの結果から伝えるわね』
「はい、お願いします」
一通りの買い物を終えてから原付バイクに乗って自宅に戻ったところで、妖魔対策課の県庁職員、山下瞳さんから電話がかかってきた。
思いのほか早くPTAとの話し合いが終わったのだなと思いながら、その結果を聞く。
『とりあえず水琴ちゃんの自宅謹慎は当初の1週間から変更なし、来週からは普通に登校しても構わないわ』
「そうですか」
それを聞いてほっとした。自宅謹慎は確かにありがたかったが、しかしあまりにも長すぎると今度は出席日数が足りなくて留年してしまう可能性が出てくる。それを考えると、今回の措置は僥倖と言えた。
『ただし水琴ちゃんは今後体育の授業はずっと見学ね、可哀想だけれどこのあたりが親御さんたちの落とし所だから、ごめんね』
ホッとしていた私に告げられたのは体育の授業には今後出られないという内容だった。まあ、極めて妥当な落とし所だと思う。体育の成績に関しては私だけ別途筆記試験を受けることになるらしい。
『大丈夫、水琴ちゃん?』
「え、はい、すごく妥当な結論だと思います」
私が考え込んでいたのをショックを受けていると思われたのか、心配してきた山下さんにそう返答すると溜息を吐かれた。
『水琴ちゃん、ほんとに無理しなくていいのよ』
いや無理なんてしていないんだけど、なんだろう、今日の山下さんはいつにも増して優しい気がする。もしかしてPTAとの話し合いで何かあったのだろうか?
『……まあいいわ、連絡は以上だけど何か質問はある?』
「いえ特には」
『そう、じゃあまたね水琴ちゃん』
「はい、PTAの対応ありがとうございました」
山下さんとの通話が終わった。自宅謹慎が当初の予定通りの期間であることが確定したので頭の中で予定を組み直す。
(夏休みに手つかずだった分、この1週間で頑張って裏山の妖魔を間引いていかないといけないな)
今朝、原付の放置場所まで走っただけでもかなりの密度で妖魔が発生していた。無論、私が夏休み中放置せざるを得なかったせいだ。麓の民間人に被害が出てからでは遅いので、なるべく市街地に面している場所から積極的に間引いていかないといけない。
「あ、そういえば冷蔵庫の中身片付けないと」
冷蔵庫の中には賞味期限切れの肉や野菜が放置されたままだ。何を食べても土塊の味しかしない私にはもう必要ないものだし、龍神も普通の食事は一切取らないようなので、今の冷蔵庫の中身はすべて捨てなければならない。
その後、冷蔵庫の中身をすべてゴミ袋に移すと冷蔵庫の中は本当に空っぽになってしまった。電気代がもったいないと思いコンセントも抜いた結果、そこにはただの箱が残された。
いっそのこと粗大ごみに出してしまおうかとも考えたが、この冷蔵庫を家電量販店で選んだときの両親を思いだして、結局捨てられなかった。
■■■
蛇谷水琴との通話を終えた山下瞳は県庁舎7階の妖魔対策課の自分の机の上で溜息をついた。
(水琴ちゃん、絶対ショック受けてるよね……)
瞳は先月に現役高校生退魔師である水琴と初めて出会ったときのことを思い出した。
県庁舎のセミナールームで行われた退魔師会合、あのときの水琴は高校の制服を着ているためもあってか、周りからひどく浮いていた。
瞳の記憶に一番残っているのは、会合後の立食パーティーで窓の外を眺める蛇谷水琴の姿だった。何を見ているのか後ろから覗くと、窓の外のやや遠くのほうには夏祭りの花火が上がっていた。それを見てそういえば今日は地元の夏祭りの日だと思い出した。
瞳もこの地元出身の人間なので、その夏祭りには子供のころに何度も参加したことがあるし、高校生の時にできた初めての彼氏と一緒に見た花火は一生忘れない自信がある。社会人の瞳にとっては今更すぎるような夏祭りの風景も、まだ子供の水琴にとってはかけがえのない思い出になる可能性を秘めていたはずだ。
蛇谷水琴はまだ高校生、仲のいい友達や気になっている男の子と一緒に遊びに行きたい気持ちもあるのだろう。その気持ちを抑えて、彼女は退魔師としての使命を果たそうと頑張っている。自分より一回り年下の子供であるにも関わらず、彼女の自己犠牲の精神はあまりにも完成されすぎていた。
(第三の術式、いったいどんな厳しい修行をしたんだろ)
後天術式の修得は生半可な覚悟では達成できない。多くの退魔師がそれに挑戦しては失敗し、挫折を経験している。
蛇谷水琴は夏休みという学生にとって大切な時間をすべてその修行に費やしていたという事を、瞳は今日知った。
PTAの対応を終えたあと学校の廊下で水琴のクラスメイトと思しき女子生徒と話をする機会があったのだ。その早苗という少女によると水琴は八月の間、一切の他者との連絡を断っていたらしい。
それを聞いたときの山下瞳の無力感は酷かった。
それほどの苦労をしてやっとの思いで修得した術式、それが暴走した果ての自宅謹慎だ。頑張ったことを褒めてくれる両親もおらず、県庁職員の自分からは厳重注意を言い渡される。
あのときの水琴は何を思っていたのか、間違いなくショックを受けていたはずだと、瞳は考えていた。
『妖魔対策課』などという部署で行っている仕事は市民向けのアピールが主で、その一環の退魔師会合ですら水琴の負担にしかなっていない。各地の退魔師はそれぞれ独自の方法で自身のエリアの妖魔を間引いていて、県庁職員が口出しできるようなことはほとんどない。
「はあ……無力だなぁ……」
山下瞳はもう一度、大きく溜息をついた。
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