クレープ異論
青条 柊
第1話
冷蔵庫に入っていたクレープが一つ。
いつのクレープなのだろうか。
冷え切った空気が漏れ出てくる。
窓の外は新月。
ぎいと音を立てて窓を開けば、これまた冷えた空気が入ってくる。
初夏とは思えない涼しさだ。雲一つない夜だから、お月様の光も入ってこないから、星々がキラキラと強く輝いている。何とも引き込まれそうで、美しい。
なんだ、このクレープは贅沢にイチゴを使っているな。フルーツのクレープだったんだろうか。
窓の桟の部分に腰かけて、Tシャツ一枚という格好でまだ冷たいクレープをかじる。
カチカチと時計の針が進む音がやけに響く。
外ですら何も音はしない。眼下に望める街並みも真っ暗闇の中だ。
ふと思い立ち、冷蔵庫に向かった。
―――酒飲みは甘党じゃないとかいうが、酒と甘物はそんなにも合わないんだろうか。
ぷしゅっとプルタブが開く。
がぶりと大口を開けてクレープに食らいつく。
呑み込みすぐさま、ビールを流し込む。
まっず。
まず過ぎて笑えてくる。
涙目になりながらも飲み干した。口の中の甘ったるい感覚に苦めのホップの風味らしきものが絶望的に合わない。
舌ににがりを乗せられているみたいだ。
夜空を見上げれば星々が呼んでいる。
ああ、ぽえみーになっちゃった。
向こうの方に見える港、背中を向けているのは山。
この家は西日が酷く入って来るんだ。
夜中じゃあ分からないけれど。
かぶりついたら生クリームがちょっとはみ出た。下唇で掬うように舐める。これが一番べとつかないし、よく取れる。
空っぽになった缶をぶらぶらと三本指でぶら下げる。
桟の上で膝を曲げる。
膝に額を付ければ、ふぅっと脳内の悪感情が閉じられていくみたいだ。
これはアルコールの力か?
それともこのクレープの力か?
もうクリームものこっていない、生地だけの三角形を口の中に放り込む。
ゆっくりと、目を閉じる。
ああ、人生で一番まずいお菓子だった。
浮遊感、そして、痛みを感じる前に、何もなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『遠い町の、なんの関係もない君へ。』
その文章から始まる数枚の手紙が公開された。
『いじめに入っていないものでも人は死にたくなる位に絶望する。例えば、ただ何も知らないうちに誰かをいじめていることにされたりとか。
先日、クラスメイトが死んだ。
そのクラスメイトが死んだのはクラスメイトにハブられていじめられたかららしい。正直全く知ったことじゃなかった。
一人一人が自分の人生を生きることに必死なんだし、そもそも友達が少ない奴がクラスで誰とも話していなくても何の違和感もなかった。
自分自身友達が少ないし、全く喋らない日だってあったと思う。
そいつとも交流はほぼない。
精々席が隣だったから、消しゴムを拾ってやったくらいの間柄だった。
けど、いつの間にか大人の中では僕が一番の悪人に仕立て上げられていた。
「隣なんだから気付けたはずでしょう」
「何故助けてあげなかったの」
「アナタが何にも話しかけてくれないことがとても怖かったし辛かったと言っていたのよ、ウチの息子を返してよ!」
だんだん、知らないうちに僕が元凶の様にされた。
もう一度言うけど、話した記憶もない奴が日に日にやつれてるとか知ったことじゃない。そもそも、そんなに僕を罵倒するんなら自分で助ければよかったじゃないか。
ある日、クラスメイトの一人に話しかけられた。
また職員室に来いと呼び出されたすぐ後だった。
「どんまい」
そんだけだった。
まあ、そりゃそうだと思う。僕だってこんな状況の他人が居たらその程度の気持ちだっただろう。
けど、大概腹が立った。だってそいつが虐めていた張本人らしいのだ。
でも、そんなのはどうでもよかった。
この立場を変わってくれやしないんだから関係ない。
こいつが実行犯ですと言っても、責任逃れだと喚かれるだけだ。
キモチ悪いことに、もう自分は最大の悪人であると印象が固まったようで、大人たちは何を言っても穿った見方でしかとらない。
ていうか、そもそもハブられたって何だよ。
誰にも話しかけられなかったとかよくあることだし、そんなことがいじめになるのなら、図書館利用者の九割はその時にいじめられているのか?
話しかけられるのを嫌がったって言われても、本に集中しているのに話しかけてくる方が悪いと思う。
いや、こんな話が言いたかったんじゃない。
僕が言いたかったのはたった一つだ。
出来れば覚えていてくれ。
“次は君かもね”』
クレープ異論 青条 柊 @aqi-ron
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