春はまだ青いか

西藤有染

春はまだ青いか

 ●

 青春。


 青春ってなんだろう。「青い春」なんて書くけど、春よりも「青」が似合う季節は他にいくらでもあるじゃん。他に三つしかないのに「いくらでも」はさすがに言い過ぎたかな。


 夏は春よりも草や木が青々としているし、秋は空気が澄んでいて空がいつもより一層青い。冬は、……なんとなくイルミネーションが青いイメージ。


 うん、我ながらあまりに酷いこじつけだ。まあでも、春よりも他の季節のほうが青のイメージが強いっていうのは結構共感してもらえると思う。クラスで多数決をしたら多数派になれるんじゃないかな。そんなことはしないけど。


 だから私はあえて問いたい。春はまだ青のままでいいのかと。


 そもそも、春は青いなんていうのは昔の中国の考え方だって前にテレビで見たような気がする。中国四千年の歴史がそう言うなら仕方ない、とでも言うと思った? むしろ古い伝統にこだわるのはやめて、今の日本らしさを取り入れていくべきだよ。日本といえば桜、それを今風にして「ピンク春」っていうのを思いついたけど、これ絶対違う意味になっちゃうよね。風紀とかそういうのが乱れてそうな感じ出ちゃってるし、どちらかと言えばアウトでしょ。そういえば海外だとそういう映画のことを「ブルーフィルム」なんて言うらしいけど、だったら「青い春」もアウトじゃない? 学生はそんなこと考えてないで純粋に青春を楽しめって? こんなことをノートに書いているような学生が青春を楽しめてると思う? こんなこと自問自答していてもも虚しくなるだけだけど暇なんだから仕方な


 ○


「おーい、さんし、それ何書いてんの?」


 すぐ近くで発せられた言葉に反応し、慌てて腕で紙を隠す。声を掛けてきたのは、最近の席替えで隣の席になったクラスメイト、木場こばだった。


「なっ、んでもない、ただの落書き」

「ただの落書きで休み時間に気づかない程夢中になるかよ、普通?」

 

 時計を見ると、休み時間が始まって既に五分が過ぎていた。周りの生徒は次の化学の教室へと向かっていて、教室にはほとんど人が残っていなかった。


「さんしって、そういうとこあるよな。なんというか、不思議ちゃん系?」

「不思議ちゃん言うな、さんしって言うな。三枝さえぐさだって言ってるでしょ」


 話すようになったのは席が近くなってからなのに、木場はやけに馴れ馴れしく話しかけてくる。

 呼び方だってそうだ。「三に枝って、『三枝さんし師匠』のさんし以外ありえないじゃん」なんて勝手な理由で、ずっと「さんし」と呼ばれ続けている。

 それでいて、当の本人は落語を最後まで見たことが無いというから質が悪い。落語好きでもないのに「さんし」呼びにこだわる意味が分からない。クラスでも「さえぐさ」と言わないのはこいつくらいだ。 


「っていうか、気づいてたならもっと早く教えてよ」

「何をー?」

「授業終わってたこと」

「んー、言おうと思ったんだけどさ。めっちゃ集中してそうだったから、邪魔するのも悪いかなーって」

「次の授業に遅れそうになるよりはいいでしょ」

「確かに、さんしならやらかしそうだな」


 笑って言う木場に、そんなことはないと反論したかったが、実際にやらかしたことがある以上、口をつぐむしかなかった。


「で、結局、何書いてたのさ?」

「だからただの落書きだってば」


 実際、落書きと言うのが一番正しいと思う。ただ頭に浮かんだことを適当に書いているだけなのだから。

 

 暇を持て余すと、「暇」だとか「眠い」だとか、そういうふと思ったことを気づいたら紙に書いてることがある。そうやってぼーっとしながら書いているうちに、なんとなく手が止まらなくなって、最終的にちょうど今手元に隠しているこの紙みたいな、独り言の寄せ集めになってしまうのだ。


「ただの落書き? 黒板写すのをそっちのけにして書いてたのに?」

「……あっ」


 言われて、授業の後半は全く板書を取っていなかったことに気づいた。日本史の草壁先生が、いつものように自分の世界に入り込んで教科書と全く関係のない伊那谷の歴史について語り始めたあたりで、こっちも自分の世界に入り込んでしまったんだろう。

 学者として研究をしていたのか、それとも趣味なのかは知らないが、草壁先生は授業中何かと「私が青春時代を過ごした伊那谷では……」と言って脇道に逸れ始めるのだ。ある程度話したいことを話すと、思い出したようにまた授業に戻る、というのがいつもの先生なのだが、私の思考は道を外れたまま戻ってこれなかったらしい。

 すでに次の授業の時間が迫っていることもあり、黒板は律儀な日直によって綺麗に消されてしまっていた。木場は、ボールペンで表紙に「日本史」と書かれたノートを、目の前でひらひらさせながら言った。


「素直に白状したら、さっきのノートを貸してしんぜよう」

「そこは普通に貸してよ」

「だって、毎回はぐらかされてるし、こうでもしないとさんしが何書いてたのか素直に教えてくれないでしょ?」


 さっきから一応素直に答えてるんだけど、なんて言い訳は通じないだろう。きっと木場は、私の落書きがどういうものかを知りたいんだ。

 いや、そこまで私の落書きに興味津々な理由が分からないけど。かといって、我を忘れるほど一生懸命ひとりごとを書いてました、なんて言ったら変なやつに思われてしまう。


 少し考えて、答えをひねり出す。


「手紙、みたいな」


 かなり苦しい言い訳だが、嘘は言っていない。実際に、今まで書いた落書きは手紙風に便箋に入れて保管しているのだ。

 本当は文通してみたかったけど、知らない人に住所を知られることが怖くて妥協した結果、そうなった。このご時世、プライバシーの保護は何よりも大切だからね。

 それに、たまに読み返すと日記みたいで面白くて、人からの返事が無くても案外楽しかったりもする。


「へえ、誰に渡すのそれ?」


 木場の質問に、一瞬思考停止する。


 え、そこまで追求してくんの? そこは「へーそうなんだ」、で流すところじゃない? ほんと何でそんな知りたがるの? そんなに私に興味津々なの? 三枝学でも専攻しようとしてんのっていやそれよりなんて答えようなんて誤魔化そうああ駄目だ何も思いつかないもう良いや成るようになっちゃえ。


「……私」


 絞り出すように答えた私の顔は、思い切り赤くなっていたと思う。

 タイムカプセル埋める訳でも文集書く訳でもないのに自分宛ての手紙を書いてるって、とんでもなくイタいやつじゃん。変に誤魔化そうとしたせいで、もっと恥ずかしい思いをしている気がする。そもそも何で手紙仕立てなんかにしてたんだろ、文通に対する興味を変に拗らせた昔の自分が憎い。


「自分宛てって、マジかよ! それ、寂しくならない?」


 案の定、木場は愉快そうに笑い始めた。あからさまに引かれなかっただけマシだと思ったほうが良いのかな。それでも恥ずかしいことに変わりはないけど。


「ほっといてよ、私の勝手でしょ」

「ごめんごめん。でも、自分で書いて自分に出すのって普通に勿体なくない?」

「仕方ないじゃん。出す相手もいないし、そもそも人に読んでもらう様な内容でもないし」

「なら、今度から俺宛てに書いてよ、手紙」

「へ?」

 

 余りに急な木場の提案に、再び何も考えられなくなる。辛うじて絞り出せたのは、


「何で……?」


 その一言だけだった。


「さんしの字、綺麗だなって前から思ってたから」


 突然の褒め言葉に、頭がさらに混乱する。いや、褒められたのは素直に嬉しいけど、でもそれは木場に手紙を書く理由になってなくない? 


「あと強いて言うなら、春が青いことにそこまで反対してるのが面白いから、かな」


 木場の言った言葉の意味を少し遅れて理解して、


「読んだの!? いつ?!」

「ついさっき」

「勝手に見ないでよ!」

「書くのに夢中になって気づかないさんしが悪い」

「だからって覗き見していい理由にはならないでしょ! プライバシーの侵害じゃん!」

「でも、ピンクってだけでアウトって、案外むっつりだよな、さんしって」

「どこまで読んでんの! この変態!」

「それより、そろそろ遅刻するから次の教室行こうぜ」

「ちょっと、話逸らさないでってば!」

「いやあ、さんしの手紙、楽しみだなぁ」

「まだ書くなんて一言も言ってないでしょーが!」

「それまでに青以外の色も考えとくわ」

「考えとかなくていい!」


 ●


 拝啓、私へ。

 春はまだ青いままでいいと思います。


 ○


「うっ、わー……」

「どうした、そんな変な声出して」

「なんでもない。ただ、昔のノートめくってたらめちゃくちゃ青臭い落書きが目に入ってそれ関連で色々思い出して、ちょっと悶えそうになってただけ」

「ああ、さんしってそういうところあるもんな」

「だからさぁ」

「ごめん、つい癖で」

「いい加減慣れてよ、もう三枝じゃないんだから」

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