第三十四話 双子の対峙 中編


「……璃央、どうしたんだい?」

「えっ……?」


 意識を取り戻したとき、亡くなっているはずの明仁父さんが、目の前に現れた。

 父さんの目線は俺よりかなり高いところにある。

 不思議に思った俺は、自分の姿をすぐに確認した。

 信じられないことに、なんと俺は中学生のときの姿に戻っていたのだ。

 そして、俺は今、どこかの病院にいる。

 ここには病院特有の独特なにおいが漂い、無機質な白い壁が一面に広がっていたからだ。


「父さんはこれから先生と大事な話があるんだ。璃央は、先に朋恵お母さんのいる病室に行きなさい」

「う、うん。わかったよ。と、ところで、瑠璃はいるの?」

「ん? 瑠璃は今トイレに行ったじゃないか」

「そ、そうだったね」

「じゃあ、行ってくるよ」

「あ……待って父さん!」


 しまった!

 思わず父さんを呼び止めてしまった。


「どうしたんだい?」

「い、いや、何でもないよ……」

「……話したいことがあれば、またあとで時間を作るよ。じゃあ、行ってくるね」

「う、うん。行ってらっしゃい……」


 父さんはニコッと笑ってから、先生のところへ行ってしまった。

 ……いったい何がどうなってるんだ。

 なんで俺はここにいる?

 もしかして、もう一人の俺がまた俺の知らない記憶を見せているのか?

 いや、だったらなぜこんな主観的な状態になっているんだ?


「キミ、どうしたのかな? もしかして道に迷った?」


 悩んでいると、看護師さんが話しかけてきた。

 まずい、今の俺はまるで不審者だ。

 なんとか誤魔化さなければ……。


「そ、そうなんですよ。看護師さん、羽ヶ崎朋恵さんってどこの病室にいるのかわかりますか?」

「羽ヶ先朋恵さんの病室なら、キミの目の前にあるけど……」


 看護師さんの言葉に思わず驚いた。

 俺の目の前にある病室の入り口には、『羽ヶ崎朋恵様』と大きく書かれたネームプレートがあったからだ。


「キミ、大丈夫? もしかして……」

「あ、ありがとうございます! それでは、早速お見舞いに行ってきます!」


 俺は看護師さんの言葉を遮った。

 そして、勢いよく扉を開け、病室の中へと入る。


「はあ、はあ、危なかった……」

「ど、どうしたの、璃央くん? そんなに慌てて……」


 病室に入ると、そこには朋恵さんがいた。

 朋恵さんはベッドの上で本を読んでいる。


「と、朋恵さん……!?」

「今日はどうしたの? もしかして、一人でお見舞いに来てくれたのかしら?」

「えっ……、いや、父さんは先生と話があるらしくて……。あ、あと、瑠璃はト、トイレです」

「そう……。みんなで来てくれたのね。久しぶりに璃央くんも来てくれて嬉しいわ。ありがとね」

「は、はい……」


 くそっ!

 朋恵さんと話すのは、やっぱり緊張するな。


「……ちょうどいいわね」

「な、何がいいんですか?」

「璃央くん、あなたに大事な話があるのよ」

「は、はい……」


 朋恵さんは、真剣な顔をして俺と向き合う。

 それから、ゆっくりと口を開いた。


「実はね、私の命はもう長くないみたいなの」

「……え?」

「先生が言うにはね、病気が思ったよりも進行していて、手術をしても治る確率は低いらしいのよ。このことはまだ、瑠璃には言ってないわ」

「そ、そんな……」

「だからね、私がいなくなる前に、あなたに頼みたいことがあるのよ。私のお願い、聞いてくれる?」


 なんでそんな大事なことを俺に……。

 そんなふうに言われたら、頷くしかないじゃないか。


「……はい」

「ありがとう。あのね、私のお願いは……。私がいなくなっても、瑠璃と仲良くしてほしいの」

「る、瑠璃とは仲良くしてますよ」

「……無理しなくていいわ。あなたと瑠璃の仲があまり良くないのは知っているのよ。その原因が私ってこともね」

「な、なんでそれを……」

「見ていればわかるわ。だって、自分の子どもたちのことだもの。それに、あなたが私のことをよく思っていないことも知ってるわ。やっぱり、新しいお母さんを受け入れるのは難しいものね。今まで迷惑をかけてごめんなさい」


 どうやら、俺と瑠璃の仲が悪いのはばれていたようだ。

 この口ぶりだと、父さんも気づいていたのかもしれないな。


「め、迷惑だなんて……。お、俺がまだガキだからいけないんです。俺がもう少し大人になればいいだけの話です……」

「気を遣ってくれてありがとう。だけど、本当に無理しなくてもいいのよ。これは『子どもだから』とか『大人なら』って問題じゃないの。嫌なことは、正直に『嫌だ』と言ってもいいのよ」

「ご、ごめんなさい。こちらこそ気を遣わせてしまって……」

「……璃央くん、ちょっと大人びたわね。この前来たときは会話もしてくれなかったけど……」

「あ、いえ、そんなことはないです。この前は、すみませんでした」


 この頃の俺が、朋恵さんに対してよくない態度をとっていたことはわかっている。

 だけど、無視はダメだろ。

 俺は過去の自分に少し苛立ちを覚えた。


「……話が脱線しちゃったわね。ごめんなさい。それでね、私がいなくなったら、瑠璃と仲良く……。ううん、仲良くしなくてもいい。ただ、家族としての繋がりを切らないでほしいのよ。瑠璃をひとりぼっちにしないであげて」

「繋がり……ですか?」

「そう、繋がりよ。私の両親はすでに他界しているうえに、ほかに頼れる親戚もいないの。私がいなくなったら、瑠璃の家族はあなたと明仁さんだけになってしまうわ。だから、形だけでもいいから、家族として瑠璃に寄り添ってあげてほしいの」


 朋恵さんの声は震えていて、声量もそんなに大きくはない。

 それでも、なんとか声を絞りだして最後まで俺に伝えようと必死だった。

 朋恵さんは言葉を最後まで発したあと、俺に深々と頭を下げる。

 朋恵さんは本気で瑠璃の身を案じているようだ。

 そんな朋恵さんの姿を見た瞬間、俺は考えるよりも先に、ある言葉を反射的に発していた。


「わかりました。瑠璃のことは俺に任せてください。……朋恵義母さん」

「……ありがとう、璃央くん。勝手なお願いで本当にごめんなさい。私の娘をどうかよろしくお願いしますね」


 朋恵義母さんは笑顔を作り、俺にお礼を言った。

 闘病生活ですっかり痩せ細って、顔色も悪い朋恵義母さんだったが、このときだけは本来の元気を取り戻したようだった。  

 その直後、突然空間が歪み、同時に俺の意識はなくなった。







「……はっ!」

「璃央くん、お疲れ様。大丈夫かい?」


 気がついたら、俺は公園のベンチに寄りかかるように座っていた。

 隣にはまだ、もう一人の俺が座っている。


「……お前、よくも騙したな。瑠璃の記憶が最後じゃなかったのかよ?」

「ごめん。どうしてもキミにあの記憶を見てほしかったんだよ」

「あの記憶は何だよ? 今までの記憶とはなんか違った感じがするが……」

「今の記憶はね。僕が、いや、僕たちが意図的に封じこめていた記憶だよ」

「……それは、どういう意味だ?」


 もう一人の俺に詰め寄った。

 もう一人の俺はこちらを見ずに、公園の景色を遠い目で眺めている。


「言葉どおりの意味さ。今のは、僕たちが揉み消した記憶なんだよ」

「揉み消した……記憶……?」

「キミも薄々気づいているだろう?」

「……何?」

「あの頃の僕たちは、まだ朋恵さんのことをお義母さんとは認めていなかった。そもそも、僕たちには、朋恵さんの話を真剣に聴く余裕すらなかったんだよ。実はね、今さっきキミが追体験した記憶は、ほとんど妄想だったんだ。僕たちは朋恵さんを、『お義母さん』と呼んだことは一度もないんだよ」

「なっ……!」


 思い出した。

 思い出したぞ……。


 あの頃の俺は、懇願する朋恵義母さんを前にしても、何もしなかった。

 いや、いじめのせいで、精神が麻痺して何も感じない状況にあった、というのが正しいか。

 しかし、いくら自分がつらい目にあっていたとしても、あんな大切な話をされて、無反応だったなんて……。

 昔の俺はなんて最低だったのだろう。


 しかも、朋恵義母さんを「お義母さん」と認めない、ということに異常に固執し、意図的に忘れていたなんて……。

 俺には本当に人の心が宿っているのか、疑問に思ってしまう。

 考えれば考えるほど、自分のことが嫌いになる。

 悔しくて、涙が出そうだ。


「……でも、さっきはありがとう」

「……え?」

「たとえ、さっきの記憶が妄想だったとしても、キミは朋恵さんを『お義母さん』と呼んでくれた。キミはすごいよ。何せ、僕にはできないことだったからね……」


 もう一人の俺は右目から一筋の涙を流していた。

 その姿を見て、俺はあることに気づく。

 なんと、俺の左目からも一筋の涙が流れてきたのだ。


「……お前は全部知っていたんだよな?」

「……そうだね」

「今までつらかっただろ。お前はお前でよく頑張ったよ。それに、お前は俺をここまで導いてくれた。お前がいなかったら、俺は瑠璃をずっと憎んだままだったかもしれない」


 俺が気を遣ってそう言うと、もう一人の俺は目を丸くしてこちらに振り返った。

 なんでそんな驚いたような表情をしているんだ?


「……どうやらキミも、瑠璃のことは赦せたようだね? 安心したよ」

「な、何を言ってるんだ? 俺は……」


 その瞬間、自分自身が発した言葉を思い出す。

 同時に、俺はある違和感に気づいた。

 先ほどまであった、瑠璃に対しての憎悪がいつの間にかなくなっている。

 激しい怨みの感情も、まるで神隠しにでもあったかのように消えていたのだ。

 そのおかげなのか、今は頭と胸の痛みもまったくない。


「い、いったい、何がどうなってるんだ?」

「まったく……。キミはもう少し自分に素直になったほうがいい」

「な、何だと?」

「キミはもうすでに、瑠璃を赦すことができているんだよ。気づかないふりをしているけどね」


 そ、そんなわけがない。

 俺にあんなことをした瑠璃を赦せるはずが……。

 

 でも、なぜだろう……。

 俺は今ものすごく瑠璃に会いたい。

 そんなふうに思ってしまっている。

 さっきまでとは違い、俺の頭の中は、瑠璃へのプラスな感情であふれていた。


「お、俺は……瑠璃を……赦せたのか? でも、なぜ……?」

「おいおい、僕に全部言わせる気かい? さすがに勘弁してほしいな。……まあ、簡単に言うとね。キミは過去の記憶と対峙して、乗り越えることができた。それだけさ」


 もう一人の俺は涙を拭って、ベンチから立ち上がる。

 そして、座っている俺の真正面に立った。


「……それで、これ以上の説明は必要かい?」

「い、いや、大丈夫だ……」

 

 まだ気持ちの整理が上手くできていないが、とりあえずそう答える。

 気持ちはまだまとまらないが、俺は心の中で瑠璃に対してある想いを抱いていた。

 

「キミの気持ちは、僕にもしっかりと伝わっているよ。キミにはその正直な気持ちをずっと持っていてほしい。それに……」

「そ、それに?」

「僕が驚いた理由はそれだけじゃない。まさか、キミに慰められるとは思わなかったんだよ。何だか変な気分だ。でも、一応お礼は言わせてもらうよ。……ありがとう」

「お、おう……」

「じゃあ、そろそろ行こうか。僕たちには、まだやることがあるからね。キミもわかっているだろう? 過去のことを引きずって、ただ嘆いていてもしょうがないからね」


 もう一人の俺はまた手を差し出してきた。

 どうやら今度は記憶を渡すつもりではないらしい。

 今となっては、こいつの想いやしたいことが、俺にもはっきりとわかるようになっていた。

 

 ……だって、こいつはもう一人の俺なんだからな。


「ああ、行こう。瑠璃のところへ。瑠璃に謝罪とこれまでの感謝の気持ちを伝える。同時に、過去の瑠璃の言動を赦して、罪の意識から解放してやろう。それに、朋恵義母さんとの約束もきちんと果たさないといけないしな」


 俺は差し出された手を握り、立ち上がる。

 やっと気持ちの整理がついて落ち着いてきた。

 その結果、俺は心の中で抱いていた想いを、ようやく言葉にすることができたのだ。 

 次の瞬間、もう一人の俺の身体は謎の光に包まれ、徐々に消えていく。


「な、何だ!?」

「璃央くん、今までありがとう。キミと過ごせて楽しかったよ。あとはキミに全部任せてもいいかい?」


 突然のことで驚いたが、不思議とこの現象をすんなりと受け入れることができた。

 たぶん、もう一人の俺の役目は終わったのだろう。

 もしかしたら、俺の身体に還る準備をしているのかもしれない。

 

「ああ、全部俺に任せておけ。俺もお前がいて本当によかったと思ってる。……今までありがとな」


 もう一人の俺は今まで見たことがない、満面の笑みを浮かべている。

 ものすごく嬉しそうだ。


「どうやらキミは、僕の想像以上に成長していたようだね。これなら安心して瑠璃を任せられそうだ。僕はいつでもキミを応援しているよ。さあ、キミの新たな旅立ちに祝福を!」

 

 もう一人の俺の姿は完全に光の中に溶け込んだ。

 その光は、繋いでいた手を通して、俺の身体全体に流れていく。

 俺の身体を優しく包んでいた光は、次第に身体の中へと入り込んでいき、完全に消え去った。


 いや、消えたんじゃない。

 俺と完全にひとつになったんだ。 

 この瞬間、俺は『ひとりの人間』として、再びこの世界に誕生したのである。


「よし! 行こう!」


 俺は心の中で再度決意を固め、瑠璃のもとへ勢いよく走り出した。

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