第三十二話 双子の葛藤 後編

 俺は心の内に葛藤を抱えながら帰宅した。

 リビングに行くと、じいちゃんが新聞を読んでいる。

 どうやら、瑠璃はいないようだ。

 瑠璃は引きこもってから、昼夜逆転の生活をしているようで、昼間はめったに姿を現さない。

 かれこれ一か月ほど瑠璃とは会っていなかった。


 食事などはどうしているのだろう……。

 そんなことを一瞬考える。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。

 俺はすぐに考えるのをやめた。


「璃央、大事な話がある」


 リビングから出ようとすると、突然呼び止められる。

 じいちゃんの顔と声色は真剣そのものだった。

 たぶん、瑠璃と仲直りしろ、とかいう話をするつもりなのだろう。

 そんな話をこの一か月間、耳にたこができるほど聴いた。

 じいちゃんを無視して、リビングの扉のノブに手をかける。


「璃央、待ちなさい」


 じいちゃんは俺の手を掴んだ。

 掴む力は、痛みを感じるほど強い。


「じいちゃん、いてぇよ。離してくれ」

「ワシの話を聞くまでは離すつもりはない」


 本気を出せば、力ずくで手を離すこともできる。

 だけど、あまりにも真剣な顔をしているので、渋々話を聴くことにした。


「わかったよ、じいちゃん。聴くから、その手を離してくれ」

「……ありがとう。では、そこに座りなさい」

「ただし、瑠璃の話題が出たら、すぐに話を切り上げて自分の部屋に戻るからな」

「……わかった。今日の話は瑠璃に関してのことじゃないからの……」


 俺とじいちゃんはリビングのテーブルに座った。

 じいちゃんの反対側の席に座り、正面から向き合う。

 ……何かおかしくないか?

 いつも瑠璃の話しかしてこないのに、別の話題だと?

 しかも、なんでそんなに真剣な表情をしている?

 いったい、何の話をしようとしてるんだ?


「璃央、すまなかった!」


 じいちゃんはテーブルに頭をつけて、いきなり謝罪をしてきたのだ。

 突然のことで、俺はじいちゃんが何について謝罪をしているのか、理解ができなかった。


「じ、じいちゃん? いきなりどうしたんだよ?」

「……できれば、今日の話は最後まで聴いてほしいんじゃ」

「わ、わかったから、頭を上げてくれ。話はそれからだ」


 じいちゃんは頭を上げて、ゆっくりと椅子に座った。

 それから、再び向かい合い、俺をじっと見つめてくる。


「これから話すのは、お前の父親である明仁の話じゃ」

「父さんの話? なんでそんな話を今さ――」

「いいから最後まで話を聴きなさい」


 じいちゃんは厳しい目つきで圧力をかけてくる。

 こんなに怖い目をしたじいちゃんはいつぶりだろう。


「いいか、璃央? 単刀直入に言うぞ。明仁が自殺をした原因の一因はな、ワシにあるんじゃよ」

「……え?」


 父さんが自殺した原因が、じいちゃんにあるだって?

 どういうことだ? 

 俺は動揺しながらも、じいちゃんの話を黙って聴くように努めた。


「ワシと生前の明仁は、仲がそれほど良くなかったのじゃ。いや、ほぼ絶縁状態といってもいいじゃろう」


 じいちゃんと父さんが絶縁状態?

 いったいなんでそんなことに?


「理由はさまざまじゃが、根本的な問題は真澄ますみ……お前のおばあちゃんについてのことが大きいと思っている」

「真澄ばあちゃん……?」


 前々から、真澄ばあちゃんの存在は聞かされていた。

 でも、なんでここでその名前が出てくるんだ?


「真澄はな、明仁が高校生のときに亡くなっているのじゃよ。咲夜さんと朋恵さんと同じように、病気でな」


 真澄ばあちゃんも病気で亡くなっていたのか。

 それは初耳だ。


「ワシはの、明仁にワシのクリニックを継いでほしてくて、幼い頃から厳しい教育をさせていたんじゃ。明仁は文句も言わず、ワシの教育方針に従っていた。その結果、明仁は学力の高い高校に進学できた。しかし、厳しくしすぎたせいで、ワシは明仁に嫌われてしまったのじゃよ。そんなときに、いつも明仁を陰ながら支えていた真澄が病に倒れたのじゃ。そして、真澄は病院に入院することになった」


 じいちゃんがスパルタ教育?

 今とは真逆じゃないか。

 ちょっと想像できないな……。


「ワシはな、真澄が入院しているとき、できるだけお見舞いに行こうとはしたんじゃ。じゃが、その時期は仕事が忙しくて、あまり見舞いに行けなかった。明仁は毎日見舞いに行っていたようじゃがの」


 そうか、じいちゃんも大変だったのか。

 父さんも毎日お見舞いに行くだなんて、よっぽどばあちゃんのことが心配だったんだな。


「ある日、明仁はワシに初めて反抗した。それから、こう言ったんじゃ。『父さんは母さんと仕事どっちが大切なんだよ』とな。その質問にワシははっきりと答られなかった。そうして、ワシと明仁の心の距離はさらに離れてしまったのじゃよ」


 父さんの気持ちもわかるが、それはちょっといじわるな質問だよな。

 じいちゃんはきっとどっちも大切だったはずだ。


「明仁が高校三年生の頃、最悪な出来事が起きてしまった。真澄が……亡くなったのじゃ。真澄が亡くなったときは、ワシも明仁も混乱していてな。何日間も喧嘩をしたのをよく覚えている。『父さんが母さんに会わなかったから、病状が悪化した!』とかいろいろと言われたもんじゃよ」


 喧嘩か……。

 そんな大変な状況の中で、親子喧嘩をするのはさぞつらかっただろうな。


「実はな、真澄からは仕事を優先してほしいと言われていたんじゃよ。ワシの稼ぎがなくなったら、明仁が大学に行けなくなる可能性があったからの。ワシは素直に真澄の言葉を受け入れて、あえて仕事に集中したのじゃ。当然、明仁にこのことを伝えようと思ってはいた。じゃが、もうその頃にはワシと明仁の関係は決裂していて、お互いに話す機会すら作れなかったのじゃよ」


 じいちゃんと父さんは、そこですれ違ってしまったのか。

 なかなか心が痛くなる話だな。


「そんな状態で明仁は高校生活を終えたのじゃ。それから、明仁は大学には進学せず、就職することを選んだ。ワシは猛反対をしたのじゃが、明仁は聞く耳をもたなかった。しかも、明仁は知らない間に就職先を決めており、すぐに働きに出てしまったのじゃ。その結果、ワシと明仁は、同じ家に住んでいながら、ほぼ絶縁状態になってしまったのじゃよ」


 そうだったのか。

 同じ家にいるのに、絶縁状態というのは苦しかっただろうな。


「その後、明仁は咲夜さんと出会い、結婚した。それを機に、明仁はこの家から出ていき、咲夜さんとの二人暮らしを選んだのじゃ。そして、璃央が生まれた。実を言うとな、その頃はまだ、ワシと明仁は完全に絶縁していなかったのじゃよ」

「……え?」


 どういうことだ?

 何か理由があったのか?


「咲夜さんがな、ワシと明仁の間を取り持って、何とか仲直りをさせようとしてくれていたのじゃよ」

「……咲夜母さんが?」


 咲夜母さんがそんなことを?

 もしかしたら、咲夜母さんは父さんとじいちゃんに、何か思うところがあったのかもしれないな。


「じゃが、咲夜さんの努力も虚しく、結局、ワシと明仁の仲は改善されることはなかった。その影響で、ワシはお前の顔を見ることもできなかったのじゃよ。そんなときに、咲夜さんは病におかされ、亡くなってしまった。その結果、ついにワシと明仁は完全に絶縁してしまったのじゃよ」


 だから、俺はじいちゃんに会ったことがなかったのか。

 しかしながら、父さんがそこまでじいちゃんを怨んでいたとは驚いた。

 さすがに、ちょっと異常じゃないか?

 

「そして、明仁は朋恵さんと再婚し、お前と瑠璃は義理の姉弟となったのじゃ。しかし、朋恵さんもまた病気で亡くなった……」

「……そうだな」

「母親を失い、二人の妻も失い、明仁の心はきっと限界だったのだろう。おそらく、それが自殺の原因の大元だったはずじゃ。しかしながら、明仁の選択は間違いだった。お前たちを残して自死するなど、決して褒められたことではない。……ワシがそんなことを言えた義理ではないがの」


 じいちゃんはどこか悲しげな表情をしていた。

 身体を震わせながら、自分のこぶしを強く握りしめている。


「ワシは後悔しているんじゃ。明仁と絶縁していなければ、こんなことにはならなかった。ワシが近くにいれば、明仁は死なず、お前もいじめから救えたんじゃないか、とな。ワシと馬鹿息子のせいでお前たちを傷つけてしまって、申し訳ないと思っている。それに、お前を騙していたことも……。本当にすまなかった。赦してくれとは言わん。じゃが、ワシはこれからもずっと、命を削ってでも罪を償うつもりじゃ。それだけはわかってほしい」


 じいちゃんは滂沱の涙を流しながら、再び頭を下げて謝罪をした。

 そんなじいちゃんを見ていると、俺の心の中に嵐のような風が吹き荒れ、大きな波を立て始める。


「……じいちゃん、頭を上げてくれ。俺はじいちゃんのことを赦すよ。じいちゃんが今まで、俺たちのために頑張ってくれていたことはわかってる。だから、もう自分を責めるのはやめてくれ」

「璃央……。すまん……ありがとう……」


 俺はじいちゃんを赦した。

 この話はこれで終わりだ。

 聴いていて気持ちのいい話じゃないしな。

 でも、じいちゃんはなぜこんな話を今したのだろう。


 まるで自分を悪者だと思わせるようなことを……。

 ……そうか、読めたぞ。

 きっと、じいちゃんは俺の怒りの矛先を瑠璃から自分に向かせようとしたのだ。

 だから、このタイミングでじいちゃんはこんな話をしたのだろう。


 じいちゃんの謝罪は本物だ。

 もちろん、俺はそれを受け入れる。

 だからといって、瑠璃を赦すか赦さないかは、また別の問題だ。

 そこだけは決して揺るがない。

 じいちゃんには悪いがな。


 もしかしたら、じいちゃんはこの流れで瑠璃のことについて、何か言ってくるかもしれない。

 そのときは、俺がまだ疑問に思っていたことをぶつけて、瑠璃の話をさせないようにしよう。


「……璃央、だから、る――」

「じいちゃん。そういえば、一つ気になっていたことがあったんだ。それを訊いてもいいか?」

「 ……わかった。言ってみなさい」


 案の定、じいちゃんは瑠璃の話をしようとしていた。

 俺は作戦どおりに、ある疑問をぶつける。


「じいちゃん、ちゃんと答えてくれよ? ……俺を車で轢いたやつは、今どうしてるんだ?」

「……」


 じいちゃんはなぜか黙ってしまった。

 何だか言いづらそうな顔をして、口をモゴモゴとさせている。


「おい。じいちゃん、しっかりしてくれよ。 早く答えてく――」

「亡くなったんじゃよ」

「……え? ……どういうことだよ?」

「車に乗っていた人物は、ワシよりも年上の老人でな。その老人は心臓に病気を抱えていたらしい」

「心臓の……病気?」

「あるとき、その老人の病気が悪化したのじゃよ。不運なことに、コンビニの駐車場でな。その際、アクセルを誤って踏んでしまった。その結果、車がコンビニに突っ込んだのじゃ。そして、そのときの衝撃で、車を運転していた老人は亡くなったのじゃよ」

「……その人に家族はいたのか?」

「その老人は天涯孤独の身でな、親戚もいなかったらしい。だから、今まで誰も謝罪に来なかったのじゃよ」

「……」


 そうか……。

 そうだったのか……。

 なんとも胸糞悪い話だ。

 けれども、これで事件についての疑問はなくなった。

 じいちゃんの口から瑠璃の話題が出る前に、さっさと自分の部屋に戻るとするか。


「……待ちなさい、璃央」

「何だよ、じいちゃん。話は終わっただろ? 離してくれよ」


 リビングから出ようとしたとき、またじいちゃんに腕を掴まれた。

 じいちゃんの手には先ほどよりも力が込められていて、腕が痛い。


「……瑠璃を……赦してやってくれ……」

「またその話かよ。俺はまだ瑠璃を赦せない。昨日も言ったろ? いいから離してくれ」


 俺は本気に近い力で、腕を振り払った。

 しかし、じいちゃんの手は離れない。


「瑠璃は過去のことを反省して、必死に罪を償おうとしていたんじゃよ。ワシはずっと瑠璃を見ていたからわかるんじゃ。璃央もそれは薄々感じているじゃろ? 瑠璃はお前を本当に大切に想っていたのじゃよ」

「うるさいな! もうその話をするのはやめてくれ!」


 じいちゃんは涙を流しながら瑠璃の話をしている。

 少しためらったが、俺は本気の力で腕を振り払った。


「ぐっ……!」


 じいちゃんは、勢いに押され、しりもちをつく。

 俺は一瞬じいちゃんの身体を心配した。

 しかし、そのままリビングを出て階段を駆け上がる。

 ごめん、じいちゃん……。


 自分の部屋に入ろうとしたとき、瑠璃の部屋の扉が視界に入る。

 そのとき、俺は米原とじいちゃんの言葉を思い出した。


『 いつでもあんたの味方でいてくれたじゃない』

『瑠璃はお前を本当に大切に想っていたのじゃよ』

   

 気づけば、俺は瑠璃の部屋の前まで移動していた。

 そして、無意識に扉をノックしようとしたのだ。

 部屋の中からは、瑠璃の声が聞こえてくる。


「璃央……ごめん……ごめんね……」


 なんと、部屋から瑠璃のすすり泣く声が聞こえてきたのだ。

 俺はその声を聞いて我に返り、すぐさま自分の部屋に戻る。


「くそっ……! 何なんだよ、この気持ちは……!」


 瑠璃のせいで、俺の体調はまたおかしくなった。

 胸のあたりが急に苦しくなる。

 あまりにも苦しかったので、俺はベッドで安静にすることにした。

 だけど、体調はなかなか良くならない。

 それどころか、今度は頭の中で瑠璃についての記憶があふれ、精神的にもつらくなる。

 そして、記憶とともに湧き出てくる、瑠璃に対するさまざまな感情が、頭の中で反響し始めたのだ。

 そのせいで、俺は満足に睡眠をとることができずに、そのまま朝を迎えることになった。







 翌日の昼頃、俺はふらりと家を出た。

 天気はあいにくの曇りで、気温も零度以下。

 雪でも降りそうな天気だ。


 そんな中、俺はとある公園のベンチに座り、うなだれていた。 

 こんなよくない天気でも、この公園には、さまざまな年代の人たちが行き交っている。

 そんな場所で、俺は瑠璃への複雑な気持ちを処理できずに、独りで苦しんでいた。


「俺は……どうすれば瑠璃を……赦せるんだ?」


 独り言を呟きながら、両手で頭を抱える。

 客観的に見たら、今の俺は不審者に見えるかもしれないな。


「俺は……俺は……」

「キミ、どうしたんだい? もしかして、体調でも悪いのかな?」


 誰かが俺に話しかけてきた。

 声色から男性だとわかる。

 最初、俺は無視しようと思った。

 しかし、その男性の声はどこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。

 俺は思いきって顔を上げ、その人物が誰なのかを確かめることにした。


「やあ、こんにちは。璃央くん」


 俺は目の前にいる人物の姿を見て驚いた。

 なぜなら、俺の前に現れた人物は、夢の中でしか会ったことのない『もう一人の俺』だったからだ。

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