第二十八話 双子の過去
今から十七年前。
僕は「
僕たちはちょっと古めのマンションに住んでいたけど、生活するうえで特に困ったことはない。
強いて言うなら、お風呂がちょっと狭いのが欠点だった。
「ただいまー! ねぇ、母さん聞いて!」
「おかえり、璃央。話は手洗いとうがいをしてからね」
「うん! わかった!」
母さんは元々身体が弱かったので、働きには出ず、専業主婦をしている。
学校から帰ると、母さんはいつも優しい笑顔で僕を迎えてくれて、話をよく聴いてくれた。
「母さん、今日の夕ご飯は何?」
「今日は璃央の好きなハンバーグよ」
「やった!」
母さんの作る料理はなんでもおいしい。
特にハンバーグが絶品だった。
父さんは仕事でいつも帰りが遅い。
でも、休日になると近所の公園で一緒に遊んでくれたり、欲しいおもちゃを買ってくれた。
「璃央、父さんと遊んで楽しいかい?」
「うん、楽しいよ! 僕は父さんと遊べるこの時間が大好きなんだ! 父さんいつもありがとう!」
「……そうか。こちらこそありがとう」
父さんと母さんもとても仲良しだ。
二人とも僕にとても優しく接してくれている。
その証拠に、父さんと母さんから、怒られことはほとんどなかった。
しかし、そんな幸せな家庭を崩壊させる、不幸な出来事が起きる。
僕が九歳のとき、咲夜母さんが病気で亡くなったのだ。
母さんが亡くなってから一年間、僕は毎日が悲しくて、学校に行けない日が何日も続いた。
そんな僕を見た父さんは、いつも優しそうな笑顔で僕を慰めてくれたのだ。
父さんもつらいはずなのに……。
僕は知っている。
父さんは僕を寝かしつけたあと、毎日母さんの写真を見ながら涙を流していたことを……。
苦しそうに胸を押さえながら、母さんの名前を何度も何度も呼んでいたのである。
母さんが亡くなってから二年後、父さんは知らない女の人を家に連れてきた。
名前は「
「こんにちは。よろしくね、璃央君」
綺麗な長い髪をした、優しそうな女の人。
それが最初の印象だった。
父さんと朋恵さんはすでに仲良しだったようで、僕の知らない話題で盛り上がっている。
父さんは母さんが亡くなってから、無理に笑顔を作っていた。
だけど、朋恵さんと話しているときの父さんは、自然な笑みがこぼれていたように見える。
それを見て、僕はなぜか複雑な気持ちになった。
その日以降、休日になると朋恵さんがよく家に遊びに来るようになったのである。
朋恵さんは来るたびに、僕の好きなお菓子を買ってきてくれたり、ゲームを一緒にしたりして遊んでくれた。
だけど、僕はなぜか朋恵さんのことが好きになれなかったのである。
ある日、朋恵さんは女の子を連れてきた。
どうやらこの子は朋恵さんの娘らしい。
小柄で髪が肩まである女の子。
名前は「瑠璃」というらしい。
しかも、僕と同い年で誕生日も一緒のようだ。
僕はこの瑠璃という少女との出会いに、運命的なものを感じてしまった。
「初めまして、璃央君。これからよろしくね」
「あ、うん……。よろしく……」
僕は瑠璃を初めて見た瞬間から、胸のドキドキが止まらなかった。
もっとこの子と仲良くなりたい。
僕は心からそう思ったのだ。
それから一か月後、父さんと朋恵さんは結婚した。
僕はこのとき、「結婚」というものをあまり理解できていなくて、少しだけ混乱してしまう。
父さんからは「新しい家族ができるんだよ」とだけ言われた。
だけど、僕は朋恵さんを「お母さん」と思うことはできない。
だって、僕の「お母さん」は咲夜母さんだけなのだから……。
それから、朋恵さんと瑠璃は、僕と父さんの住んでいる家に引っ越してきた。
そして、家族四人での新生活が始まる。
朋恵さんは仕事を辞め、以前の咲夜母さんのように専業主婦になった。
瑠璃も今まで通っていた学校から、僕と同じ学校に転校してきたのである。
クラスにはなれなかったけど、僕は瑠璃と毎日一緒に登校できることが嬉しかった。
朋恵さんと瑠璃が新しい家族になって、一年が経過した。
だけど、僕はいまだに朋恵さんのことを「お義母さん」とは呼べないでいたのだ。
朋恵さんは父さんとも仲良しだし、僕を本当の息子のように思ってくれている。
父さんも朋恵さんが支えてくれたおかげで、だいぶ元気を取り戻したようだった。
もちろん、朋恵さんには感謝をしている。
けれども、僕はどうしても「お義母さん」とは呼ぶことができなかった。
朋恵さんとはいつも敬語で話をしていたのである。
朋恵さんは僕との距離を縮めようと、一生懸命努力をしていたと思う。
そんな朋恵さんを見るたびに、僕の心はよりいっそう朋恵さんから離れていった。
なぜなら、僕が本当に「お母さん」だと認めているのは、咲夜母さんだけなのだ。
このことが僕の中で覆ることは決してない。
「一度決めたことは曲げない」という、僕の悪い癖がこのときは出ていたと思う。
「ねぇ、璃央。なんであなたは、朋恵お母さんのことをお義母さんって呼ばないの?」
家で留守番をしているとき、突然瑠璃がそんな質問してきた。
瑠璃はかなり真剣そうな顔をしている。
「……僕にとっての『お母さん』は咲夜母さんだけだ。だから、朋恵さんのことはお義母さんとは呼べない」
僕は本心を瑠璃に話した。
すると、瑠璃の顔がみるみる不機嫌なものに変わっていく。
「何よそれ? じゃあ、あんたはお母さんのことを認めないってこと? この一年間ずっと私たちの面倒をみてくれて、あんなにも優しくしてくれたじゃない」
「そのことは感謝してるよ。でも、それとこれとは別だ。僕の考えは変わることはないよ」
このときの僕は、考えを改める気などさらさらなかった。
一方、瑠璃はそんな僕の態度が気に入らなかったようで、鋭い目でこちらをにらみつけている。
「そんなんだから、あんたはクラスでいじめられるのよ。少しは物事を柔軟に考えなさいよね」
「僕はいじめられてなんかいない。ただみんながいじってくるだけだ」
瑠璃は話題をそらして僕をなじる。
このときの僕は、確かにいじめられていたかもしれない。
少なくとも「いじられキャラ」ではあった。
理由は単純で、僕の走り方が変だったからだ。
小学生の頃は少しでも変なことをすると、笑い者や除け者にされ、いじられる。
僕は自分でもわかるほど、変な走り方をしていた。
しかし、僕はクラスで一番足が速かったのだ。
それゆえに、いじめまではいかなかった。
僕はクラスで笑い者にされる「いじられキャラ」の地位を確立していたのだ。
もちろん、笑い者にされることは好きではなかった。
でも、そうするしかなかったのだ。
「あんたはそう思ってるかもしれないけど、傍から見れば、いじめられているとしか思えないわ。もしあんたがお母さんを認めるのなら、私が助けてあげてもいいわよ。これでも一応、あんたの姉なんだし」
瑠璃が取り引きを持ちかけてくる。
別のクラスの瑠璃が、この問題を解決できるかはわからない。
というか、解決はほぼ無理だろう。
いずれにせよ、いじめの問題と朋恵さんをお義母さんと呼ぶかは関係ない。
瑠璃の提案で僕の考えが変わることはなかった。
「悪いけど、瑠璃の提案には乗らないよ。僕は朋恵さんのことをこれからもお義母さんとは呼ばないし、思わない」
「なっ……!?」
瑠璃の顔色がみるみる真っ赤に染まっていく。
その意味はさすがの僕でもわかる。
瑠璃はとても怒っているのだ。
「私は仕方なく義父さんと仲良くしてるのに、あんただけそんな態度なのは気にくわないわ! 自分勝手よ!」
「仕方なくってどういう意味だよ? 瑠璃は父さんのことをそんなふうに思ってたの?」
「私だってお義父さんって呼ぶのは好きじゃないわ。お母さんのために我慢してるの」
「じゃあ、瑠璃も『明仁さん』って呼べばいい。無理して呼ぶ必要もないよ」
「それだと家族の空気が悪くなるでしょ!? そんなこともわからないの!? 私はお母さんに幸せになってほしいの! お母さんは『あいつ』に散々ひどいことをされたから、今は笑っててほしいのよ……」
瑠璃は泣きそうになりながら、僕に訴えてくる。
「あいつ」というのは、きっと瑠璃の本当の父親のことだろう。
どうやら瑠璃の本当の父親は、あまりよくない人物だったようだ。
だけど、今の僕には関係ない。
瑠璃の言葉は僕にはあまり響かなかった。
「ごめん。それでも僕は考えを変えるつもりはないよ」
その言葉を聞いた途端、瑠璃の顔から感情が消えた。
そして、僕に対して冷たい視線を向ける。
「……そう。あんたがそのつもりなら、私はあんたを家族だと思わないわ。いじめからも救ってやらない。あと気安く話しかけてこないでね、あんたのこと大嫌いだから。だけど、お義父さんとお母さんの前では表面上仲良くしてあげる。お母さんのためにもね」
瑠璃はそう吐き捨て、自分の部屋に戻っていった。
こうして、僕と瑠璃の仲は決裂したのである。
一年後、僕と瑠璃は中学生になった。
瑠璃も僕と同じ学校に進学している。
幸運なことに、僕と同じクラスではなかった。
瑠璃との仲は決裂したままなので、そのほうが都合がよかったのである。
しかし、中学生になって悪い出来事が立て続けに二つも起きた。
一つ目は、朋恵さんが病気を患い、病院に入院したこと。
瑠璃は毎日お見舞いに行っていたようだ。
父さんも休日はお見舞いに行っている。
僕も数回だが、お見舞いに行った。
朋恵さんはお見舞いに行くたびに痩せ細っていき、明らかに元気もなくなっている。
二つ目は、「南條敦」が僕と一緒の学校になったことだ。
敦と一緒のクラスになり、僕はいじめの標的になった。
僕が敦に目をつけられた理由は単純だった。
小学生の頃、敦は誰よりも足が速かったらしい。
だけど、僕のほうが速かった。
ただそれだけの理由で、僕はいじめられることになったのだ。
「なあ、璃央。俺の荷物代わりに持ってくれよ」
「……わかったよ」
「じゃあ、俺のも頼むわ」
「俺も俺も」
最初は軽いいじられ役だった。
僕は敦とその取り巻きたちに茶化されたり、頼みごとを聞いたりしていたのである。
だけど、だんだんと行為がエスカレートしていく。
最初のいじめの入口は、帰宅時の荷物運びだった。
帰宅するときに、敦と取り巻きたちの荷物をほとんど全部持たされて、それぞれの家まで運んだ。
荷物が軽いときはなんとか運べたが、荷物が重いときは倒れそうになるほどつらかった。
「そういえば、欲しいものがあるんだけどよ。今の俺のお小遣いじゃ足りねぇんだわ。悪いけど金貸してくんねぇか?」
「お、お金……?」
「俺たち友達だろ? 頼む、貸してくれよ。ちゃんと返すからよ」
「い、いくら貸せばいいの?」
「んー? とりあえず、三万あればいいな」
「えっ? 三万……」
「三万くらい余裕だろ? 貸さないとどうなるかわかるよな?」
「わ、わかったよ……」
「さすが俺の友達だぜ。ありがとな」
最初の数週間は荷物運びだけだった。
でも、次第にお金までカツアゲされるようになったのだ。
要求された金額が足りないときは、父さんの財布からお金をこっそり抜いたりもした。
敦一人ならまだ反抗できたかもしれない。
だけど、敦にはいつも複数の取り巻きがいた。
以前、敦たちのお願いを断ったら、敦と取り巻きたちからリンチを受けたのだ。
それ以来、僕は抵抗するのはやめたのである。
痛い思いはできるだけしたくなかった。
僕は敦たちの暴力に屈したのだ。
学校から帰ったあともつらかった。
父さんは仕事で忙しく帰りが遅い。
朋恵さんは入院している。
瑠璃は毎日朋恵さんのお見舞いや友達の家に遊びに行っていた。
僕は夜遅くまでずっと一人だったのだ。
ある日、僕は父さんの代わりに家事をしようと決心する。
父さんは仕事で忙しくて、家事がまったくできておらず、家の中は大変な状態になっていた。
僕は父さんの負担を少しでも減らすために、家事をしようと決めたのだ。
初めは料理も上手く作れなかったが、おいしくなるように毎日頑張って作った。
洗濯や掃除、買い物なんかも何とかこなせるように努力したのである。
学校では居場所がなかった僕だけど、家事をすることで、居場所ができたような気がして嬉しかった。
「璃央、今日も夕食を作ってくれてありがとう。このハンバーグおいしいよ。ところで、学校での生活はどんな感じだい? 友達とは上手くいってるのかな?」
夕食のとき、父さんは学校での生活を訊いてきた。
ちなみに今日の夕食は、僕が作った特製ハンバーグだ。
母さんが作ったハンバーグよりは多少劣るけど、それなりにおいしく作れたと僕は思っていた。
「学校生活は順調だよ」
「そうか。瑠璃はどうだい?」
「私も毎日楽しいわ」
「それならよかった」
父さんの質問に僕と瑠璃は無難に答える。
父さんに余計な心配はさせたくない。
だから、表面上は瑠璃と仲良くしていたのだ。
当然、学校でいじめられている、なんてことはとてもじゃないけど言えなかったのである。
そんな微妙な時期を過ごしているとき、さらに悪い知らせが僕たちに届いた。
朋恵さんが余命半年と宣告されたのである。
朋恵さんが余命半年と宣告されてから、数か月が経った。
朋恵さんはほとんど寝たきりの状態になり、かなり衰弱しているのがわかる。
瑠璃と父さんは、ほとんど毎日お見舞いに行っていた。
もちろん、僕もお見舞いには行っている。
しかし、月に数回だけしか行けていなかった。
なぜなら、同時期に敦たちのいじめが激化していて、お見舞いどころではなかったのだ。
敦たちから受ける理不尽な暴力。
敦たちは機嫌が悪いと、すぐに僕に暴力を振るい、溜まったうっぷんをはらす。
悪口、罵倒。
死ねや消えろなどの暴言は当たり前だった。
教科書や机への落書き。
油性のペンで書かれた文字は消すのが大変だった。
大勢生徒がいる中で下着を脱がされた。
本当に恥ずかしかった。
給食を全部牛乳まみれにされた。
無理やり全部食わされた。
靴を隠され、上履きで帰った。
お気に入りの靴がなくなった。
生きている虫を食わされた。
激しく嘔吐して、しばらく吐き気が止まらなかった。
好きでもない女の子に、「告白をしろ」と強要された。
振られて心が無駄に傷ついた。
水泳の授業で溺れる直前まで水の中で押さえつけられた。
息ができなくて、本当に死ぬかと思った。
掃除を全部一人でやらされた。
疲れたし、帰りも遅くなった。
川や池に落とされた。
とても寒かったし、教科書や制服がびしょびしょになって乾かすのが大変だった。
このようないじめが、数か月も続いていたのである。
正直僕はもう、限界だった。
クラスのみんなは、いじめが目の前で起きているのに、誰も止めようともしない。
話しかけても無視をされる。
おそらく、僕と関わると自分もいじめられる、とでも思っていたのだろう。
僕はクラスのみんなから、除け者にされていたのである。
ある日、僕は勇気を出して先生に相談をしてみることにした。
判断が遅かったかもしれない。
でも、ようやくいじめのことを誰かに打ち明けようと決心したのだ。
「残念だが、先生はお前を救ってやれない。クラスのみんなは、お前がいじめられているのを知っている。だがな、クラスではお前以外、いじめを受けていないんだ。もしかすると、お前の告発でほかの生徒にも危害を及ぶかもしれない。だから、クラスの平穏のために今は我慢してくれ。二年生になればクラス替えがある。それまで頑張って耐えてくれ」
……なんだって?
今はまだ十月だぞ?
来年の四月まで耐え続けるなんて絶対無理だ。
「それに、クラスでいじめがあると、私の経歴や学校の評判にも傷がつく。お前が我慢してくれれば、すべて丸く収まるんだ。わかってくれ」
僕は先生の言葉に絶望した。
自分のために僕を犠牲にするのか。
大人は汚く、信用できない。
けれど、僕もいけなかったのだ。
ほかの先生や外部の機関に、いじめのことを伝えていれば、また違ったかもしれない。
だけど、このときの僕は視野が狭く、そんなことは思いつかなかったのである。
……そうだ。
家族に打ち明けよう。
だけど、父さんはダメだ。
仕事と朋恵さんのことでいっぱいいっぱいなのに、これ以上悩みを増やすわけにはいかない。
瑠璃に打ち明けよう。
瑠璃とはいまだに仲が悪い。
だけど、今の僕の状況を知れば、少しは力になってくれるかもしれない。
「……はぁ? いじめを受けてる?」
「そ、そうなんだ。僕はもう耐えられそうにない。もう限界なんだよ。だから、助けてほしいんだ」
「別にそうは見えないけど? あんたはいつも、友達と楽しそうにはしゃいでいるだけじゃない」
「ち、違う! 僕は毎日あいつらにひどいことをされてるんだ。お願いだ、瑠璃。僕を助けてほしいんだ」
「へー、そうなんだ。私、クラスが違うからわからなかったわ。それより、あんた。なんで最近お母さんのお見舞いに行かないのよ?」
「い、今その話は関係ないだろ。お見舞いには行こうとは思ってるさ。でも、今は体調が悪くて――」
「一番体調が悪くて、苦しんでいるのはお母さんなのよ? つらいのはあんただけじゃないの。そもそも、あんたがつまらない意地を張って、お母さんのことを認めようとしないから、私との仲が悪くなったのよ。それと同じで、今いじめられている原因も、あんた自身が作っているんじゃないの?」
「ぼ、僕が原因……?」
「そうよ。全部あんたのせい。私は関係ないわ。助ける気もまったくないから。せいぜい変われるように努力することね」
「そ、そんな……」
「それに、あんたが全然抵抗しないからいじめに遭うんでしょ? 男だったら喧嘩の一つや二つ、やってみなさいよ。まあ、あんたにそんな度胸はないだろうけど。あんたみたいなやつが弟で心底情けなくなるわ」
「ご、ごめん……」
「この際だから言わせてもらうけど、あんたはなよなよして気持ち悪いのよ。少しは男らしくできないの? できないからいじめられるのよ。こんな簡単なこともわからないなんて、あんたはやっぱり頭が悪いのね」
「うう……」
「あと前々から言おうと思ってたけど、あんたには料理の才能がまったくないわよ。全然上達しないじゃない。あんなまずい料理を出されて、こっちは毎回苦痛なの。だから、これからは無理に作らなくていいわよ。はっきり言って不快なだけだから」
瑠璃に相談をしたのは失敗だった。
僕自身が余計に傷ついただけだ。
瑠璃に罵倒されて、僕はもう本当にどうしていいかわからなくなっていた。
同じ家族として、少しは情けをかけてくれるかと思ったけど、瑠璃は僕をはっきりと拒絶したのだ。
これも全部僕が悪いんだよな。
僕の今までの言動がいけなかったんだ。
先ほどの瑠璃の言葉が、鋭い刃物のようになって、僕の心に深く突き刺さった。
つらい……つらいよ……。
敦たちのいじめで肉体をやられ、瑠璃の言葉によって精神をひどく乱された。
その結果、僕は正常な判断ができなくなっていたのである。
僕はこれからどうすればいいのだろうか。
来年の四月まで、この状況を耐えられる自信なんて、今の僕にはない。
僕はこのとき初めて「死にたい」と思い始めた。
そして、そんなときに特大の凶報が届く。
今度は人生最悪な事件が、二つも立て続けに起きたのだ。
一つ目は、朋恵さんが亡くなったこと。
二つ目は、父さんが、山の中で首を吊った状態で見つかったことだった。
父さんと朋恵さんのお葬式が終わった。
お葬式は父さんのお父さん、つまり、僕のおじいちゃんがすべて執り行ってくれた。
これからはおじいちゃんが、僕と瑠璃を引き取って面倒を見てくれるらしい。
僕におじいちゃんがいるだなんて、父さんから教えてもらったことはなかったので、少し驚いた。
「瑠璃、璃央。ワシの息子が迷惑をかけてすまん。これからは、ワシがお前たちの親代わりじゃ。今は疲れが溜まっていて、つらいだろう。とにかく、今はしっかりと休みなさい」
僕と瑠璃はおじいちゃんの家に引き取られた。
しかし、僕は学校には行かず、自分の部屋でずっと引きこもっていたのだ。
なんで、父さんは僕たちを残していなくなってしまったのだろう。
詳しい理由はわからない。
おじいちゃんもよくわからないと言っていた。
これからどうしたらいいか、僕にはわからない。
父さんと朋恵さんが亡くなったことで、僕は精神的にもかなり追い詰められていた。
今の僕は、ただただ自分の部屋に引きこもることしかできなかったのだ。
いじめの次は親がいなくなる。
僕は自分のことを、世界で最も不幸な人間なのではないかと思ってしまう。
涙も次々とあふれてきて止まらなかった。
一方で、瑠璃もとても不安定な状態のようだ。
瑠璃は朋恵さんが亡くなってから、毎日ずっと泣いていた。
たぶん、今も隣の部屋で泣いているだろう。
瑠璃の部屋の前に行くと、いつもすすり泣く声が微かに聞こえてくるのを僕は知っていた。
それから数日経った頃、僕と瑠璃はリビングで偶然鉢合わせてしまった。
こうやって直接顔を合わせるのは久しぶりだ。
瑠璃は見るからにやつれていた。
髪の毛はボサボサで、目のまわりは真っ赤に腫れ、頬もこけている。
今この家には、僕と瑠璃しかいない。
僕は瑠璃と話せる状態ではなかったので、急いで自分の部屋に戻ろうとした。
「……ちょっと待ちなさいよ」
意外にも、瑠璃は僕に声をかけてきた。
正直、今の瑠璃と話すのは不安しかない。
しかし、今の瑠璃を無視するのも、悪手のように感じる。
僕は覚悟を決めて、瑠璃と話をすることにした。
「……どうしたの? 何か用?」
「あんたはこんな状況になっても、平気そうな顔をしてるわね。どうせ私のお母さんがいなくなって、喜んでるんでしょ?」
瑠璃はいきなりとんでもないことを言い出した。
僕のことを犯罪者か何かだと勘違いしてないか?
「そ、そんなわけないだろ……。 嫌いだから死んでよかった、なんて思うほど僕は薄情じゃない」
確かに、僕は朋恵さんのことを好きにはなれなかった。
本当に申し訳なかったと思っている。
だからといって、朋恵さんが死んでよかった、なんてこれっぽっちも思っていない。
人が死んで喜ぶやつなんているのか?
僕はそこまで落ちぶれてはいない。
「私にはそう見えるのよ。隠さなくてもいいわ。あんたが最低な人間ってことは知ってるの。ほら、本当のことを言ってみなさいよ。私のお母さんが死んで嬉しいんでしょう?」
「や、やめてよ……。ぼ、僕の気持ちを勝手に決めつけないでくれ……」
「じゃあ、なんでそんな平気そうな顔してるのよ!? 私はずっと部屋で泣いていたのに、あんたはのうのうと生活してた! 普通もっと落ち込むはずでしょ!? やっぱり、あんたはどこかおかしいのよ!」
瑠璃は僕の気持ちを汲み取りもせずに、暴言を吐いてくる。
もちろん、父さんと朋恵さんが亡くなって、平気なわけではない。
僕だって、食事や睡眠を満足にとれていないのだ。
だけど、瑠璃は僕の気持ちを自分勝手に決めつけて、激しく責め立てた。
鋭利なナイフのような言葉で僕を傷つけたのだ。
……これ以上、瑠璃とは話したくない。
僕は瑠璃に背を向けて、すぐにリビングから出ようとした。
一刻も早く、この場から離れないといけない。
そうしないと、僕の心が壊れてしまう。
「まだ話は終わってないわよ! 逃げるつもり!?」
肩を強く掴まれ、僕は強制的に瑠璃と対面させられる。
瑠璃の顔は怒りと涙でぐちゃぐちゃで、とても見ていられない。
そんな状態の瑠璃が僕をにらみつけ、何かを言おうとしていた。
今度はいったいどんな暴言を吐かれるのだろうか。
「私はあんたのことが大嫌い。あんたとは出会わなければよかったわ。それに、お義父さんとお母さんが死ぬ必要なんてなかった。お義父さんとお母さんじゃなくて……」
「あんたが代わりに死ねばよかったのに」
僕の心の中で何かが壊れる音がした。
同時に、僕の心の中の「死にたい」という気持ちが一気に込み上げてくる。
瑠璃の言動が、ボロボロだった僕の心にとどめをさしたのだ。
こうして僕は「自殺をしよう」と決心したのだった。
僕は何かに取りつかれたように「自分を殺す方法」について調べまくった。
そして、僕は一つの答えにたどり着いたのである。
その答えとは、よりにもよって父さんと同じ方法だったのだ。
僕はまず自分の部屋を綺麗に整理整頓した。
その後、調べた情報をもとに、必要な道具を買い揃えたのである。
これですべての準備は整った。
もうすぐ僕はこの世界からいなくなる。
つらい現実からやっと解放されるのだ。
このときの僕は、「自殺をする」という行為が間違いだと気づけなかった。
今考えてみると、本当に愚かなことをしようとしていたと思う。
買い物が終わって、家に帰る途中、僕はコンビニに立ち寄った。
僕は残った数百円ほどの手持ちで、『最期の晩餐』をすることにしたのである。
僕はコンビニの肉まんが好きだ。
なので、肉まんを一つだけ買った。
そういえば、小さい頃、母さんがよく買ってくれたよなぁ。
母さんと一緒に食べた、あの肉まんの味は今でも鮮明に覚えている。
あの頃に戻りたいなぁ。
父さんと母さんと僕の三人で、普通に暮らしていたあの頃に。
そして、コンビニから出ようとしたとき、突然目の前に車が迫ってきたのだ。
僕は突っ込んでくる車を回避できず、そのまま意識を失った。
これが僕の……
……俺の忘れていた過去の記憶だ。
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