第二十六話 双子と心の傷

 気がつくと、辺り一面真っ白な空間が広がっていた。

 目の前には俺とそっくりな姿をした、白髪の男が立っている。


「やあ、こんにちは。璃央くん。つらいことがあったね。大丈夫かい?」

「……お前はこうなるってわかってたのか?」


 もう一人の俺は、俺を気遣うような言葉をかけてくる。

 だが、それを無視して、そのまま質問を返す。


「……今回の件については、僕にも予想できなかったんだ。確かに、鈴音さんの好意は度を超えていた。まさかこんなことになるとは思わなかったよ。……ごめん。僕はキミに何もしてあげられなかった」


 もう一人の俺は、俺に頭を下げた。

 今はこいつを責めてもしょうがないよな。

 

「……頭を上げてくれ。別にお前が謝ることでもないだろ。悪いのは俺だ。俺が鈴音をあそこまで歪ませてしまった。全部俺のせいなんだ」

「……キミは優しいね。でも、鈴音さんの件に関してはあまり悩まないでほしいんだ。君がすべての責任を背負う必要はないんだよ。だって、あんなことが起きるなんて夢にも思わなかっただろ? あれはしょうがない出来事だったんだよ。だから、あまり思い詰めないでほしいんだ」

「簡単に割りきれるものではないな。たぶん、しばらく引きずることになる。とはいえ、こんな俺のことを心配してくれてありがとな」


 俺はもう一人の俺にお礼を言った。

 自分自身にお礼を言うのも、なんか変な気がするが。


「別に変なことではないよ。自分自身に感謝をするのはとても大切なことだからね。僕は嬉しいよ。でも、自分を卑下するのはよくないな。そこを直してくれると、僕はもっと嬉しいんだけどね」


 もう一人の俺はさも当然のように、俺の心を読んで話しかけてくる。

 俺はこいつの考えてることが全然わからないというのに……。

 なんか不公平だな。


「とにかく、今のキミに必要なものは休養だね。もしも、つらくなったら家族や友達を頼るといい。きっとキミの力になってくれるはずだよ。じゃあ、今回の話はこれくらいにしておこう。キミは来るべき日のためにゆっくりと英気を養うといい」


 もう一人の俺が話し終えると白い空間が崩れだし、俺の意識も遠くなる。

 意識がなくなる直前、もう一人の俺が言っていた最後の言葉が、頭の中で引っかかった。


 「来るべき日」とはいったい何のことだろうか?







 十月三十日。

 今日は両親の命日だ。

 俺と瑠璃とじいちゃんは、自宅から離れた場所にある霊園を訪れていた。 

 目的は両親の墓参りである。

 

 俺は記憶喪失のせいで、父さんと母さんのことを覚えていない。

 父さんの名前は明仁あきひと、母さんの名前は朋恵ともえというらしい。

 生前の写真も見せてもらった。

 二人とも車の転落事故で亡くなったらしい。

 瑠璃もじいちゃんもさぞつらかっただろう。

 当時の俺も悲しんだに違いない。


 しかしながら、俺には両親という存在がいまいちピンとこないのである。

 両親がいなくても、寂しい、甘えたかった、という感情はまったく湧かなかったのだ。

 俺は薄情なのだろうか。

 いや、これはたぶん、瑠璃とじいちゃんがいてくれたおかげだろう。

 二人がいつも優しく接してくれたから、両親がいなくてもマイナスな感情を抱かなかった。

 本当に感謝してもしきれないな。


「璃央。何ぼーっとしてるのよ。もしかして、まだ体調が悪いの?」

「……ちょっと考えごとをしてただけだよ。体調なら大丈夫だ。心配してくれてありがとな」


 俺はまた瑠璃に嘘をついてしまった。

 本音を言うと、まだ体調は悪い。

 瑠璃に余計な心配をかけたくなかったので、つい嘘をついてしまったのだ。

 

「それじゃあ、お墓参りを始めようかの」


 俺たちは、ご先祖様と両親が眠っている墓の前に到着した。

 毎年お墓参りをしているので、いつもどおりの手順で行う。


 お墓の面積は畳二枚ほどである。

 中に落ちている、枯れ葉などのゴミをすべて拾ったあと、大きな墓石を柔らかい布で拭いていく。

 拭き終えたら、打ち水をして、墓石を清める。

 その後、花立に持ってきた菊の花束を立て、水鉢に水を入れ、線香をあげて三人で合掌をした。

 最後に後片付けをして、お墓参り完了だ。


 帰り際、俺は墓誌を眺めていた。

 そこには両親の名前とともに、ご先祖様の名前も刻まれている。

 そういえば、毎年お墓参りに来ているが、墓誌をしっかりと見たことがなかったな。

 墓誌を改めてよく確認してみると、気になる表記を発見する。


 そこには「咲夜さくや」という人物の名前が刻まれていた。

 しかも、その咲夜という人物が亡くなった時期は、俺の両親が亡くなった時期と近い。 

 しかし、咲夜という人物について、俺は何も知らなかった。

 とりあえず、じいちゃんに訊いてみるか。


「じいちゃん。この咲夜っていう人は、俺たちとはどんな関係なんだ?」

「……咲夜はな、明仁の姉じゃよ。八年前に病気で他界したんじゃ」

「そうなのか。ということは、俺の伯母さんなんだよな? じゃあ、咲夜さんの分もちゃんと合掌しないとな」

「……そうじゃな。そうしてくれると、咲夜もきっと喜ぶ」


 俺は咲夜伯母さんの分も合掌した。

 そして、俺たちはお墓に一礼し、お墓参りを終えた。







 翌日、俺は一週間ぶりに葵月との早朝ランニングを再開した。

 まだ完全に調子が戻ったわけではない。

 とはいえ、走っているときは、嫌なことを忘れることができる。

 ランニングは、今の俺にはちょうどいい『精神安定剤』のようなものなのだ。


「おい、璃央。もう少しペースを落としたほうがいいんじゃないか? 走るのは久々なんだろ? あまり無理をするなよ」

「おいおい。いったいどうしたんだよ、葵月? いつもは俺を気遣ったりしないじゃないか。心配しなくても、このとおり元気だぜ?」

「長年スポーツをやってる私の目はごまかせないぞ。この先の公園まで走ったら、そこでいったん休憩にしよう。それに話したいこともあるしな」

「……わかった。葵月の言うとおりにするよ」


 公園に到着した俺たちは、ベンチに座って休憩し、話をすることになった。

 さっきまでは、まだまだ走りたい、と思っていたが、やはり体力は衰えていたらしい。

 俺は肩で息をするほど消耗していた。


「……そ、それで、話ってなんだよ?」

「まず、話をする前に息を整えてくれ。ここまでよく頑張って走ったな。つらかっただろ?」

「は、はぁ? さ、さっきも言っただろ。俺は元気だって……」

「表面上は元気そうに見えるが、空元気だってばればれだぞ。瑠璃も心配してた。鈴音の件で、お前は相当落ち込んでるって聞いてるぞ」

「……」

 

 鈴音の件については、みんなにも伝えてある。

 米原は怒っていたし、剛志と弘人とじいちゃんは信じられないといった顔していた。 

 瑠璃と葵月に至っては、鈴音の身勝手な復讐対象になっていたのだ。

 だから、俺は鈴音に謝罪をさせた。

 しかし、鈴音が謝罪をしても、瑠璃と葵月は鈴音を赦さなかったのである。


 最終的に、みんなは鈴音と縁を切った。

 それから、俺を励ましてくれたり、優しくしてくれたのだ。

 そのことについては感謝している。

 だけど、俺の心はひどく消耗していた。

 できれば、今は鈴音についての話をしたくない。

 思い出すだけで、胸が苦しくなるのだから。


「すまん、葵月。その話題はちょっと……」

「私は鈴音のしたことが赦せないんだ」

「……え?」

「私は、大切な友達を傷つけた鈴音を赦せそうにないんだよ」


 急に葵月の声が低くなり、顔に暗い影を落とす。

 こんな表情をした葵月は、今まで見たことがない。


「おかしいよな。つい最近まで鈴音とは友達だったはずなのに、今は憎くてたまらないんだ。あんなに純粋でいい子な千歳を脅迫し、恐怖を植えつけた鈴音のことが憎いんだよ」

「お、おい、葵月……。落ち着けよ」

「そのうえ、璃央の心に傷を作り、瑠璃にもひどいことをしようした。私の大事な友達になんてことを……」


 葵月の様子を見て、あのときの鈴音を思い出す。

 憎しみが連鎖していく、この気持ちの悪い感覚。

 この状態の葵月を放っておいてはダメだ。

 何とかして俺が止めないといけない。

 憎しみの連鎖は、ここで断ち切らなければならないんだ。


「葵月!」


 俺は葵月の両肩を掴み、真正面で葵月と向き合う。

 向き合ってみて、わかったことがある。

 葵月の目は、あのときの鈴音の目とそっくりだったのだ。


「璃央、痛いぞ。離せよ」

「いいや、離さない。お前は鈴音と同じ目をしている。間違っても、鈴音に報復しようするな。考えを改めるんだ」

「別に報復したいとかは……考えてない……。だけど、私のこの気持ちはどうしたら抑えられるんだ? なあ、教えてくれよ、璃央?」


 葵月は俺に難しい質問をぶつけてきた。

 俺は鈍い頭をなんとか回転させ、どうすればいいか考えてみる。

 しかし、いい言葉がすぐには思いつかない。

 だが、迷っている時間もないのだ。

 葵月を鈴音のようにさせないためには、頑張って言葉を紡いでいくしかない。


「……葵月。その憎しみの気持ちを抑える必要はない」

「は? 何言ってんだよ? 意味わかんないぞ」

「大切な友達を傷つけた鈴音が憎いのは理解できる。だけど、鈴音も制裁を受けているんだ。これ以上、鈴音を追い詰めるのはいじめと同じなんだよ。その感情を、今の鈴音にぶつけるのは正しい行いじゃない」

「そんなことはわかってる。璃央は何が言いたいんだよ?」

「言っただろ? その気持ちを抑えるんじゃない。否定したりしないで、ありのまま全部受けとめるんだ」

「……それは難しいな。私にできるか不安だ」

「憎しみを受け入れるのは、つらくて苦しいことだ。容易じゃない。だけど、何回も何回も受け入れているうちに、だんだんと気持ちを抑えられるはずだ」

「本当に……本当にそれで抑えられるようになるのか?」

「ああ。ただ憎んでるだけでは、自分自身も疲れてしまうからな。でも、もし全部の憎しみを受け入れるのが難しいのなら……。まずは憎しみを赦せない自分だけを受け入れればいい」

「それは、どういうことなんだ?」

「赦せないものは赦さなくていいんだ。今は赦せない自分をそれでいいと何度も受け入れ続けるんだよ。そうすれば、憎しみの感情も次第に薄らいでいって、鈴音に執着する気持ちも少しは減るはずだ」


 これが今の俺が精一杯捻り出した答えだ。

 もちろん、この言葉は俺自身にも刺さる言葉でもある。

 葵月はしばらくの間、無言でうつむいていた。

 果たして、俺の想いは葵月に届いたのだろうか。


「……葵月、大丈夫か?」


 心配になり葵月に声をかける。

 すると葵月は、突然顔を上げ、自分の頬を両手でぱんっと叩く。

 そして、笑顔を作り、俺を見つめてきた。


「璃央、ありがとな。お前のおかげで少し楽になれたよ。まだ鈴音が憎い気持ちはあるけど、お前の言うとおりにしてみるよ。心配かけて、ごめんな」


 葵月は憎しみの感情から解放されたようだった。

 先ほどまで影を纏っていた顔には光が差している。     

 どうやら俺は葵月の力になれたようだ。

 本当によかった。


「葵月、もう少し走らないか? 俺はまだ走りたい気分なんだ」

「おう、いいぜ。だけど、無理はするなよ。璃央の体調が少しでも悪くなったら、そこで終わりだ。私が無理やりにでも中断させるからな。わかったか?」

「ああ。ありがとな、葵月」







「なあ、璃央。お前昼飯はそれだけで足りるのか?」


 俺と剛志と弘人は、教室でいつものように昼食をとっていた。

 剛志は俺の昼飯に疑問が湧いたのか、そんな質問をしてきたようだ。


「ちょっと食欲がなくてな。まあ、心配するな。そんな大したことじゃない」

「そうやって、ごまかすのはよせよ。君は美藤の件以降、昼食はいつもそれだけじゃないか。しかも、明らかに身体が前より細くなっている。その様子だと、朝食や夕食も満足にとれてないんだろ?」


 弘人の言葉が俺の心に刺さる。

 指摘されたように、鈴音の件以降、食事が喉を通らなくなっている。

 この一週間、朝食も昼食も夕食もゼリー飲料だけだ。

 それが原因で体重も減った。

 あまり食べていないせいか、ふらつくことも多い。


「確かに食事はあまりとれてない。だけど、しょうがないだろ。食欲がでないんだから。無理に食っても戻すだけだ」

「そりゃ、無理に食べろとは言わないけどさ。……とにかく、僕たちは璃央のことを心配してるんだ」

「前にも言ったが、つらかったら俺たちを頼ってくれていいんだぞ?」


 二人が俺のことを気遣ってくれているのはわかる。

 それは、とてもありがたいことだ。

 でも、この状態を相談しても、今すぐ何かが変わるわけじゃない。

 時が過ぎるのを待つしかない、と俺は思っていた。

 ある程度時間が経過すれば、この複雑な気持ちも少しは落ち着くはずだ。


「……まあ、相談しただけじゃ何も変わらないこともあるだろう。だから、無理に話さなくてもいい。お前が落ち着いて相談したいと思ったとき、俺たちを頼ってくれ。そのときは存分に協力してやるからな」

「剛志……」

「剛志の言うとおりだよ。そのときがきたら、遠慮せずに何でも言ってほしい。僕もできるかぎりのことは協力するからね」


 どうやら二人は、俺の気持ちを汲んでくれたようだ。

 本当にありがたい。


「剛志、弘人、お前らが友達で俺は嬉しいぜ。気持ちが軽くなったよ。ありがとな」

「おう」

「うん」


 俺は二人に感謝の言葉を伝えたあと、昼飯のゼリー飲料を一気に飲み干した。







 放課後、俺は机に突っ伏していた。

 今日もなんとか一日を乗りきれたな。

 疲れたし、さっさと帰るとするか。


 教室から出ようとしたとき、ふと鈴音の机が目に留まる。

 鈴音は、もうかれこれ一週間以上も登校していない。

 俺は余計な感情が湧き出す前に、足早に帰宅した。


「おかえりー」

「……なんでお前がここにいるんだ?」


 自宅のリビングにはなぜか米原がいた。

 しかも、ソファーに座ってお菓子を食べながら、テレビを観ている。


「瑠璃はどうした?」

「瑠璃なら買い物に行ったよ。さっき買い物したんだけど、買い忘れがあったみたいで……って、ちょっとどこ行くの?」

「……自分の部屋に行くだけだが?」

「まあまあ。瑠璃が帰るまで、お菓子を食べながら、あたしとおしゃべりでもしようよ」


 俺は別に米原と話すことはない。

 しかし、米原にはきっと大事な話があるのだろう。

 過去の言動からだいたい予想がつく。

 俺は仕方なく米原の隣に座って、話を聴くことにした。


「……ちょっと近くない?」

「お前が座れって言ったんだろ」


 これでも気を遣って結構距離を空けてるつもりなんだが?

 それに、これ以上離れるのは物理的に無理だ。

 もうすでに俺はソファーの端にいるんだぞ。


「それにしても、ちょっと距離が近いんじゃない? あたしには彼氏がいるんだけど?」

「わかった。俺は自分の部屋に戻る」

「ま、待って! 冗談だよ、冗談。会話の導入を円滑にしようと思ってさ」

「どんな冗談だよ。……それで、お前の話したいことはなんだ? 導入なんて気にしないでいいから、さっさと話せよ」


 米原はテレビのほうに顔を向ける。

 こいつは何がしたいんだ?


「米原、テレビなんか――」

「瑠璃と葵月を……あたしの大切な友達を守ってくれて、ありがとう」


 米原は俺に感謝の言葉を述べてきた。

 なぜかテレビのほうを向きながら。


「鈴音の様子がおかしいのは、薄々気づいてた。だけど、まさかこんなことになるとは思わなかったんだ。あたしは何もできなかった。でも、璃央は情けないあたしの代わりに、大切な友達を守ってくれた。そのことは本当に感謝してる」


 どうやら、瑠璃も葵月も米原も、互いに大切に想い合っているようだな。

 俺にも十分伝わってくる。

 しかし、米原は頑なに俺を見ようとはしなかった。

 よく見てみると、米原の耳が真っ赤になっていることに気づく。 


 もしかして、照れてるのか?

 こんな様子の米原を見るのは初めてなので、なんだか新鮮な感じだ。

 剛志、お前の彼女には意外と可愛らしいところもあるじゃないか。


「俺は当たり前のことをしただけだよ。瑠璃と葵月は俺にとっても大切な存在だ。それに、米原が情けないわけじゃない。あまり自分を責めないでくれ。瑠璃も葵月も、米原がいてくれるだけで嬉しいと思っているはずだ。いつもありがとな。これからも瑠璃と葵月をよろしく頼むよ」


 俺は米原に感謝の気持ちを伝える。

 その言葉を聴いて、米原はやっとこちらを向いてくれた。


「……ありがとう、璃央。あんたがいてくれてよかったよ」

「どういたしまして」

「ただいまー。あ、璃央、帰ってたのね」


 米原との湿っぽい会話が終わった直後、瑠璃が買い物から帰ってきた。

 咄嗟に俺と米原は、平静を装うために、テレビのほうに顔を向ける。


「おかえり。お前が買い忘れなんて珍しいな」

「私だってミスすることくらいあるわよ。一紗、待たせて悪かったわね。それじゃあ、私の部屋に行きましょうか」

「うん。じゃあね、璃央。また学校でね」

「おう、またな」


 米原はお菓子を持って、そそくさと二階の瑠璃の部屋まで行ってしまった。

 その様子を見て、瑠璃は不思議そうな顔をしている。 


「ねぇ、璃央。一紗と何話してたの? あの子の耳が赤くなっていたけど……」

「普通に雑談してただけだ。……って、なんだその顔は?」

「もしかして、一紗を口説いてたの? 剛志君がいるのに?」

「そんなわけないだろ!? そんなことしたら、俺が剛志に殺されちまうよ!」

「なんでそんなに焦ってるのよ。冗談よ、冗談」

「冗談にしては、顔が怖かったけどな……」


 まったく、米原も瑠璃も冗談を言ってからかうのはやめてほしいぜ。

 米原がいなくなってからも、なぜか瑠璃はリビングにとどまっている。 

 瑠璃は身体をもじもじとさせながら、俺に何かを伝えようとしていた。


「ところで、お願いがあるんだけど。こ、今晩、私の部屋に来てくれる? 璃央に話したいことがあるのよ 」

「ん? 今日は瑠璃の部屋で話すのか?」

「ええ、そうよ。それで返事は?」

「……じゃあ、今夜お邪魔させてもらうよ」

「わかったわ。またあとでね」


 瑠璃は俺と約束を交わしたあと、自分の部屋に戻っていく。

 特にやることもない俺は、ソファーに寝転んでテレビを観ることにした。







 時刻は午後十時。

 俺は言われたとおり、瑠璃の部屋の前まで来た。

 扉をノックをすると、部屋の中から「どうぞー」という声が聞こえてくる。

 俺はゆっくりとノブを回し、扉を開けた。


「いらっしゃい」

「おう、邪魔するぞ」


 シンプルな部屋着姿の瑠璃がベッドに腰かけている。

 そういや、瑠璃の部屋に入るのは久しぶりだな。

 好奇心に負けて、つい部屋の中を見回してしまう。

 瑠璃の部屋はきちんと整理整頓されている。

 棚には本や雑貨が綺麗に並べられており、勉強机にも無駄なものは置かれていない。

 一方、ベッドにはクッションや人形が置いてあって、女の子らしさも感じられる。


「ねぇ、璃央。恥ずかしいからあんまりジロジロと見ないでほしいんだけど……」

「わ、悪い。久しぶりなもんで、つい見ちまった」

「そんなことより、早く隣に来なさいよ」

「ああ」


 俺は躊躇なく瑠璃のベッドに腰かけた。

 一方、瑠璃はなぜかそわそわしているように見える。 


「それで、話したいことって何だよ?」

「ち、ちょっと待って。その前に少しの間、目を閉じててほしいの」

「はぁ? どうしてそんなことをしなきゃいけないんだよ?」

「い、いいから目を閉じなさいよ」

「はいはい」


 俺は瑠璃の圧に負けて仕方なく目を閉じた。

 その瞬間、俺の背中に柔らかくて温かいものが覆いかぶさってくる。

 おい、これはまさか……。


「璃央。もう目を開けていいわよ」


 目を開けると、瑠璃が後ろから俺を抱きしめていた。

 瑠璃の温かい体温と女子特有のいい香りに、俺は包みこまれる。


「おい、瑠璃! 何してるんだよ!?」

「夜中なんだから大きな声を出さないで。これはね、バックハグよ。今夜は璃央を癒してあげようと思って部屋に呼んだの。ほら、前にハグしたとき、ストレスが多少は軽減できたでしょ?」

「いくら姉弟でも、バックハグはダメだろ。離してくれ」

「あら、璃央は前からのハグのほうがいいの?」

「そういう意味じゃねぇ……」

「いいから黙って受け入れなさいよ。落ち着くでしょ?」

「こんなことで落ち着くわけ――」


 ……あれ? おかしいな。

 なぜか前にハグをされたときより、心が落ち着いている。

 瑠璃の言うとおりだ。


「……まあ、前よりはそこそこ効いてる気がするな」

「そう、それならよかったわ」


 瑠璃は腕の力を少しだけ強めた。

 俺は抵抗せずに、そのまま受け入れる。

 

「璃央、私はね。鈴音の件で心に深い傷を負ったあなたが心配なの。あなたは周りに気を遣って元気なふりをしているでしょ? でも、ご飯も食べられないほどやつれているのは、みんな知ってるのよ。それに、睡眠も満足にとれていないんじゃない? 目の下の隈もすごいわ」


 瑠璃の発言はすべて的を得ている。

 実は睡眠も十分にとれているとはいえない。

 寝つきが悪いし、寝ても一時間くらい経つと起きてしまう。


「私たちは双子の姉弟なんだから、つらいことも二等分できる。私をもっと頼ってもいいのよ。つらいなら、つらいって言ってもいいの。だから、今のあなたの気持ちを正直に話してほしい。全部私が受けとめるから」


 瑠璃の手が優しく俺の頬に触れる。

 瑠璃の優しさに触れたことで、今まで抑えていた感情があふれてきそうだった。


「……聴いてくれ、瑠璃。鈴音にあんな行為をさせてしまった原因は、俺自身にあると思ってるんだ。でも、みんなは俺のせいじゃないって言ってくれている。だけど、俺と関わったせいで、鈴音が憎しみに囚われたのは事実なんだ。俺がいなければ、鈴音はもっと楽しい人生を送れていたんじゃないか、って思うんだよ……」


 俺は頬に触れていた瑠璃の手を震えながら握る。

 瑠璃はその手を優しく握り返してくれた。


「今朝、葵月も鈴音と同じような目をして、憎しみに囚われそうになってたんだ。そのときは、なんとか防ぐことができた。けれども、俺は怖かったんだ。俺のせいで誰かが狂うのは、もう見たくないんだよ」


 俺は自然と涙を流していた。

 誰にも言えなかった本当の気持ち。

 やっとそれを打ち明けることができたのだ。


「話してくれてありがとう、璃央。あなたの本音が聴けて嬉しいわ」


 瑠璃はさらに強く俺を抱きしめた。

 同時に、瑠璃の柔らかな部位が背中全体に押しつけられる。 


「でも、自分と関わらなければよかった、なんて思わないでほしいの。あなたは周りの人たちに希望を与える存在なのよ。それは、自覚してほしいの」


 瑠璃はさらに自分の身体を俺の背中に密着させる。

 俺は瑠璃の熱い体温に包まれた。

 別に嫌な気持ちではない。

 今の俺にとっては心地いいくらいだ。


「鈴音をいじめから救ったこと。葵月を助けたこと。一紗と剛志君を恋仲にしたこと。南條敦を赦し、千歳の心を解放してあげたこと。そして、いつも私の味方でいてくれたこと。あなたは多くの人たちに希望を与えていたのよ。そのことを忘れないで」


 瑠璃は俺の耳元で優しく語りかけてくる。

 ……そうか。

 そういう見方もできるのか。

 どうやら、俺は悲観的になりすぎていたのかもしれないな。


「……ありがとう、瑠璃。おかげで心が楽になったよ。瑠璃が家族で本当によかった」

「私も璃央の力になれて嬉しいわ。じゃあ、そろそろ離れるわね。ごめんなさいね、いきなり抱きついたりして」

「あー、そのことなんだが。もう少しこのままでいいぞ。なんか今日は、瑠璃と密着してると妙に落ち着くんだよ」

「えっ? やだ、もう璃央ったら……。そんなに私のことが好きなの? なんか照れるわね」

「おい、照れるなよ。こっちも恥ずかしくなるだろ」


 俺はしばらくの間、瑠璃にハグをしてもらった。

 気が済むまで堪能したあと、おやすみの挨拶をして、俺は自分の部屋へと戻る。

 今夜は瑠璃のおかげでよく眠れそうだ。

 ありがとな、瑠璃。

 こうして、心が安定した俺は、久しぶりに翌朝までぐっすり眠ることができたのだった。

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