第二十五話 双子と学園祭 後夜祭

 俺は特別棟の屋上に向かっていた。

 そこで鈴音と待ち合わせをしている。

 一般公開も終わり、今は後夜祭の真っ最中だ。

 学校中の生徒と先生は、全員体育館に集まっているので、特別棟には誰もいない。

 俺の歩く音だけが棟内に響いている。


 なぜ鈴音は傷ついた敦の写真を俺に送ってきたのか?

 その真意はまだわからない。

 あの写真に映っていた敦は、昨日発見したときとまったく同じ状態だった。

 しかしながら、敦がまた襲われたわけではないらしい。

 昨日、千歳に連絡をして敦の無事を確認した。

 

 鈴音がこの件に関わっていることは、間違いないだろう。

 だけど、あんなに優しい性格の鈴音が、こんな行為に加担するとはとても思えない。

 もしかしたら、誰かに脅されてやらされている、という可能性もある。


 きっとそうに違いない。

 鈴音が人を傷つける行為なんてするはずがないんだ。

 俺は裏で鈴音を操っている人物に対して、怒りが込みあげてくる。

 俺の目的は「鈴音に告白をする」から、「鈴音を救う」というものに変わっていた。

 告白は鈴音を救ったあと、後日改めてすればいい。


 階段を上り切り、屋上へ出る扉の前に立つ。

 特に暑くもないが、緊張して嫌な汗をかいており、少し気持ちが悪い。

 額にかいた汗をハンカチで拭ってから、一度だけ深呼吸をして扉を開けた。

 扉を開けると同時に、ぬるい風が俺の身体を通り過ぎ、かいた汗を少しだけ乾かす。

 だが、それは気持ちいいとはいえず、むしろ中途半端に乾いたことで、気持ち悪さが助長する。


 そんな風が吹く屋上には、鈴音が一人で立っていた。

 どうやら、約束どおり一人で来たようだ。

 鈴音はこちらに気づくと、ゆっくり近づいてくる。

 俺も鈴音と話すことができる距離まで近づく。

 そして、俺と鈴音の距離が三メートルくらいまで縮まったところで、お互いに歩みを止めた。


「璃央君、待ってたよ。それで、話って何かな? もしかして、告白の返事をする決心がついたの?」

「いいや、違う。本当なら返事をしたかったんだが、事情が変わった」

「それは、昨日のことが原因なのかな?」


 鈴音はいつもと同じように笑顔を作り、話しかけてくる。

 だけど、今回だけはその笑顔がなんだか恐ろしく感じてしまう。


「……そうだ。単刀直入に訊くが、鈴音は敦の件に関わっているんだろ? なんでこんなことをしたんだ? もし、誰かに脅されてやったなら、そう言ってくれ。俺は鈴音を救ってやりたいんだ」


 鈴音の顔は一瞬で無表情に変わった。

 輝いていた瞳からも光が消え失せる。


「璃央君は、私が誰かに命令されて南條敦を傷つけた、と思っているんだね」

「そのとおりだ。鈴音がこんなことをするとは考えられないからな。裏に誰かいるんだろ?」

「そう……」


 鈴音は一瞬思い詰めたような顔をする。

 それから、俺を改めて見つめた。


「璃央君。その推理は大はずれだよ。だって、南條敦を痛めつける計画を立てたのは……私だもの」


 鈴音は今まで見たことのないような、不気味な笑みを浮かべた。

 一方、俺は頭を金槌で殴られたような衝撃を受ける。


「お、お前が首謀者だったのか? でも、なんであんなことをしたんだよ? 鈴音が敦を怨む理由なんかなかったはずだろ?」

「南條敦を怨む理由ならちゃんとあるよ。……その理由はね、あいつが私の大事な大事な恩人である璃央君をいじめたからだよ!」


 鈴音の声がいきなり大きくなり、俺は若干気圧されてしまう。

 敦の話をしているときの鈴音の目は、普通じゃなかった。


「俺が敦にいじめられていたことは事実だ。けれど、よくそんなことを知ってたな。たしか、お前には話してないはずだが……」

「私は全部自分で調べたの」

「そ、そうなのか。もしよければ、こうなった理由を俺に詳しく話してくれないか?」

「……」


 鈴音は急に黙ってしまった。

 この沈黙の間が怖い。

 だが、俺は鈴音と向き合わなければならないのだ。

 だって、鈴音は俺が初めて好きになった女の子なのだから。


「……わかった。璃央君には全部教えてあげるよ。私がなぜ南條敦を憎み、傷つけることになったのか。その経緯をね……」


 鈴音の表情は、笑顔から真顔に変わる。

 それから、無表情のまま淡々と語り出した。

 

「花火大会の日に私は言ったよね? 小学校の頃、璃央君が私をいじめから救ってくれたって……。私はそのとき、璃央君のことを好きになったんだよ。でも、そのすぐあとに、お父さんの転勤が決まったんだ。そして、私はこの町から県外の遠い町まで引っ越したの。……璃央君は、過去の私のことを少しは思い出してくれた?」

「すまない、鈴音。俺はお前との記憶はいまだに思い出せていないんだ」


 鈴音は俺の回答に「そう……」と残念そうに答える。

 同時に、鈴音は表情を少し曇らせた。


「話を続けるね。私は璃央君と離ればなれになったあと、しばらく悲しくて何もできなかったんだ。だけど、私は思ったの。今は会えないけど、大人になったら会いに行けばいいんだ、ってね。それで、再会したとき、璃央君をびっくりさせるほど美人に生まれ変わろう。そう決意したんだよ」


 鈴音の表情は一瞬だが明るくなる。

 だが、すぐに真顔に戻った。


「私は璃央君にふさわしい女の子になろうと思って、何年もの間、毎日必死に綺麗になる努力を重ねてきたんだよ。そんなときに、お父さんの転勤先がまたこの町になったの。それを知ったとき、私はすごく嬉しかったんだ。璃央君にまた会える! ようやくこの気持ちを伝えることができる! 昔とは別人になった私を早く見せたい! ……ってね 」


 鈴音は両手を頬にあて、今度は喜びの表情を見せる。

 なぜか俺はそんな鈴音の姿を見て、身体が少しだけゾワッとした。


「お父さんの転勤が決まったのは、私が高校一年生のときなんだ。時期はたしか、十二月頃。それでね、私はすぐに下調べをすることにしたの。璃央君が今どんな状態で、どんな学校に通っているかをね。そのために、電車で片道五時間以上もかけて、一度この町に戻ってきたんだよ」


 片道五時間だと……?

 鈴音はそこまでして、俺に会いたかったのか? 

 鈴音の表情はまた無表情になる。


「この町に戻ってきて、まず最初に小学校の頃の友達に連絡を取ったんだ。でね、その友達は、小中と璃央君と同じクラスだったらしいの。私はその友達に璃央君のことをいろいろと訊いたんだ……」


 淡々と話していた鈴音が急に震え始める。

 俺には理由がわからないが、さすがに心配になってきた。


「おい、どうしたんだ? どこか体調でも――」

「私はそこで知ったの! 璃央君がいじめにあったことを! そして、交通事故に巻き込まれて病院に入院したことをね!」


 鈴音は急に大声で喋りだした。

 俺はその様子に驚き、ビクッと身体を反応させる。


「……急に大きな声出してごめんね。そのあと私は、璃央君の家を自力で調べて見つけたんだ。もちろん、この聖沢学園に璃央君が通っていることも知ってたよ」


 鈴音の発言に恐怖を覚える。

 俺の知らないところで鈴音はそこまでしていたのか。


「この高校に転校できたのはいいけど、璃央君と一緒のクラスなれるかはわからなかったんだ。でも、結果的に璃央君と同じクラスになって、しかも隣の席に璃央君がいる状況になった。やっぱり、私と璃央君は運命の赤い糸で繋がっているんだ。私はそう確信したんだよ」


 鈴音はすごく嬉しそうな顔をして、俺の目をまっすぐに見つめてくる。

 鈴音の目はとろんとしていて、そのまま見ていたら、吸い込まれそうだ。


「ごめん、話が脱線しちゃったね。ええと、南條敦を痛めつけた理由が知りたいんだよね?」

「あ、ああ……」


 鈴音の顔がまた無表情に戻る。

 いや、無表情ではない。

 威嚇をする前の犬のような顔をして、今にも怒り出しそうな表情を作っていた。


「南條敦を痛めつけた、その理由はね……」


 鈴音は今にも吠えそうな顔をして、口を開こうとしている。

 いったい次はどんな発言をするのだろう。


「いじめのせいで、璃央君が自殺をしようとしたからだよ」

「……は?」


 自殺? 俺がか?

 確かに、敦のいじめは壮絶だった。

 今もたまに思い出して、身体に不調をきたすことがある。

 だけど、俺は今まで死にたいなんて思ったことはない。

 それに、過去の俺が自殺を図ろうとしていたなんて初耳だ。

 瑠璃やじいちゃんも、そんなことは教えてくれなかった。


 ……ダメだ。

 頑張っても思い出せない。

 いや、逆に思い出さないほうがいいのか?

 ぐるぐると余計な思考がめぐる。


「璃央君……。苦しそうだけど大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。続けてくれ」


 本当は大丈夫ではなかった。

 しかし、今は鈴音の話の続きを聴かなければ……。


「じゃあ、続けるよ。璃央君が自殺をしようとした、っていう情報は誰から聞いたと思う? 実は、教えてくれたのは、千歳ちゃんだったんだ」

「……何だと?」

「南條敦について調べてたら、妹がいるってわかったんだ。それで、千歳ちゃんから璃央君の情報を訊き出すために、私はわざわざ変装して接触したんだよ」

「おい、待てよ。千歳が言ってた怪しい女って……」

「そう、それは私のことだよ」


 鈴音は表情を崩さずに淡々と答えた。

 千歳を傷つけたのは、鈴音だったのか。

 俺の心の中では、小さな炎が立ち始めていた。


「あの子なりに悩んでたみたいだけど、璃央君のことについては真剣に悩んでなかったと思うよ。たしか、謝罪したいけど居場所がわからない、とか言ってたよね? でも、そんなことはちゃんと調べればすぐにわかることなのに……」

「違う! 千歳は本当に――」

「だから、私はそんな怠け者に試練を与えたの。『璃央君と同じ学校に入って直接謝罪をしなさい』って強く促してあげたんだよ。『あなたのお兄さんがやったことは、あなたも同罪なんだよ』ってね。それと、『もしかしたら、あなたたちは警察に捕まっちゃうかもね』ってことも教えてあげたんだ」

「鈴音! お前は――!」


 俺は反射的に鈴音と距離を詰める。

 そして、鈴音に掴みかかろうとした。


「そこまでよ」


 俺は動きを止め、声のするほうに振り返る。

 この声は聞き覚えのある声だ。


「る、瑠璃……」


 そこにいたのは、やはり瑠璃だった。

 けど、どうしてここにいるんだ?

 鈴音とここで話をすることは、瑠璃には言ってないぞ……。


「あれ? 瑠璃ちゃんも呼んだの? 二人きりで話したいって言ってたのに?」

「ち、違う! 俺は――」

「璃央は何も言ってないわ。私が勝手に璃央のあとを付けてきただけ。今朝から璃央の様子がおかしかったから、心配になってずっと監視してたの。だから、璃央は悪くないわ」

「ふーん、そうなんだ。相変わらず、瑠璃ちゃんは弟想いのいいお姉ちゃんなんだね。でもね、私と璃央君は今大事なお話をしている最中なんだ。ちょっと席を外してもらえるかな?」


 鈴音の表情はあまり読み取れないが、声色でわずかに不機嫌になっていることがわかる。

 そんな中、瑠璃は立ち去ろうとはせず、俺の隣までゆっくりと歩いてきた。


「本来ならそうしたかったけど、あなたの話を聞いたら気が変わったのよ」

「へぇ、瑠璃ちゃんは、私と璃央君の会話を盗み聞きしてたんだ。それはよくないことだと思うけどなー?」


 鈴音は腕を組みながら淡々と話す。

 瑠璃はそんな鈴音を真剣に見つめていた。


「まだあなたの話が終わったわけじゃないでしょ? 早く続きを話してちょうだい」

「おい、瑠璃! そんなことはもうどうでもいいだろ!」

「璃央は黙ってて」

「あ、やっぱり、瑠璃ちゃんも気になるんだ。そうだよねー。実の弟を追い詰めた南條敦のことだもんねー」

「お、おい……」


 俺の意見はすぐに無視される。

 正直、俺はもう鈴音の話を聴きたくはなかった。


「いいよ、話してあげる。えーと、どこまで話したっけ? ああ、千歳ちゃんの話までしたんだっけ? でもね、千歳ちゃんとの関係はそこで終わり。それ以上は特に何もしてないよ」

「私が聴きたいのは敦への復讐の経緯よ。あなたはいつからその計画を企てていたの?」

「そうだねー……。最初は本気で復讐したいとは思ってなかったんだ。南條敦も制裁は受けてたらしくて、廃人寸前まで追い詰められてたようだし。まあ、これは自業自得だよね」

「そうね……」

「復讐心が再燃したのは、璃央君と初めて会ったときかな。まさか記憶喪失になってるなんて思わなかったよ。璃央君が私のことを覚えていないと知ったとき、南條敦への怒りが再びこみあげてきたんだ。それで、計画を立てたの。あいつに報復するためにね」


 鈴音は表情ひとつ変えずに話を続ける。

 瑠璃も眉ひとつ動かさず聴いていた。


「計画の目的は南條敦を痛めつけること。あいつには、その身をもって璃央君にしたことを償わせたかったの。そのために、私はいろいろ頑張ったんだ。私だけじゃ、難しいと思ったから、人を雇おうと思ったの。だけど、人を雇うためにはお金がいるから、まずは頑張ってバイトしたり、読モをしたりして、お金を貯めたんだ」


 鈴音は若干早口になりながら言葉を並べる。

 鈴音がバイトをしていた理由はこのためだったのか。


「お金がそこそこ貯まってきたときに、嫌な事件が立て続けに起こったんだよ。それは南條敦とは関係なかったけど、私はその事件でものすごくストレスが溜まったんだ。それがきっかけになって、私は計画を本格的に実行しようと思ったの」


 鈴音は身振り手振りを交えて饒舌に語る。

 嫌な事件……?

 それはいったい何なんだ?


「ネットで知り合った人たちをお金で雇ったあと、南條敦を一日中監視してもらって、一人になる機会をひたすら待ったの。だけど、あいつはいつも誰かと一緒にいて、一人にはならなかった。そんな中、もしかしたら学園祭に一人で来るかもって山をはったんだ。それで、いつでも計画が実行できるように準備してたんだよ。そしたら、あいつが一人でやってきた、って連絡があったの。私はこれを好機だと思って、すぐに計画を実行したんだよ。そして、昨日やっと私の目的が達成できたの。あのときは、ものすごく嬉しかったよ」


 鈴音はなぜか満足そうな顔をして、話を終わらせる。

 俺の頭の中は、いろんな情報でぐちゃぐちゃになっていた。


「話してくれてありがとう。あなたのことが理解できたわ」

「瑠璃ちゃん……! そうだよね! 瑠璃ちゃんも南條敦のことを――」

「鈴音、あなたは本当に愚かで最低な人間ね」

「……え?」


 鈴音は驚いた表情をしている。

 一方、瑠璃は冷ややかな表情をしていた。


「な、なんで、そんなこと言うの? 瑠璃ちゃんだって、南條敦を憎んでるんでしょ?」

「ええ、そうね。私は今も敦を赦していないわ」

「じゃ、じゃあ、私の――」

「だけど、璃央は敦を赦したのよ」

「――っ!? ……璃央君、今瑠璃ちゃんが言ったことは本当なの?」


 鈴音は信じられないといった顔で俺を見た。

 今の俺は普通に話せる状態ではない。

 だけど、俺は鈴音に納得のいく答えを示さなければならない。

 大きく深呼吸をしたあと、鈴音と向き合った。


「……ああ、本当だ。俺は敦を赦した」

「そ、そんな! ありえないよ! あんなにひどいことをされたのに!?  どうして!?」

「確かに敦はひどいことをした。それは、消えることがない事実だ。だけど、あいつも制裁は受けた。そして、自分のためじゃなく、千歳の……大切な家族のために、俺に頭を下げたんだ。本当に反省してないと、そんなことはできない。だから、俺は敦を赦したんだ」

「鈴音、聴いて。私だって、最初は璃央の言葉が信じられなかったの。だけどね、璃央が赦すと言ったからには、私も受け入れるしかなかったのよ」

「……」


 鈴音は俺たちの話を聴いて沈黙する。

 これで少しは解決に向かえばいいのだが。


「……ない」

「す、鈴音?」

「私は……受け入れられないよ。璃央君……」


 鈴音は今にも泣き出しそうな顔をして、なんとか言葉を絞り出す。

 その表情には、俺自身も悲しくなるくらい悲壮感が漂っていた。


「鈴音、あなたの気持ちはわかるわ。だけど、あなたも敦と千歳に悪いことをしたのよ。今日じゃなくてもいいから、あの兄妹に謝罪を……」

「私は受け入れられないよ!!!」


 突然鈴音が大きな声で叫びだす。

 いきなりのことだったので、俺と瑠璃は二人揃って動揺してしまった。


「私は正しいことをした! あの兄妹に謝罪する必要なんてない! 璃央君もおかしいよ! 普通あんなことをされたら、赦せるはずがないよ!」

「す、鈴音! とりあえず、落ち着けよ!」


 俺は鈴音を落ち着かせるために、近づいてなだめようとした。

 しかし、俺の前に瑠璃が立ち塞がる。


「今の鈴音は何をするかわからないわ! 近づくのは危険よ!」

「だ、だけど……!」


 すると、鈴音は急に大人しくなった。

 だが、鈴音の目はギラギラと光っていて、こちらをにらみつけてくる。


「……璃央君。私がさっき言ったことを覚えてる?」

「ど、どうした、鈴音? 覚えてるって、どのことだよ?」

「私が南條敦への報復を決心した理由だよ」

「嫌な事件が立て続けに起きたってことか? 今そのことが何か関係あるのかよ?」

「あるよ。だって、私のストレスの原因は瑠璃ちゃんと葵月ちゃんのせいでもあるんだから。もちろん、璃央君も関わっていることだよ」

「おい、それはどういう意味だ?」


 鈴音はまた表情を消して、話を続けた。

 激しい落差に、俺の情緒もおかしくなりそうだ。


「まず最初のきっかけは、南條敦。告白を保留にされて落ち込んでいるとき、あいつが女の子と仲良く一緒に歩いてるのを見ちゃったんだ。そのとき、思ったの。なんであいつが異性と付き合えて、私と璃央君が付き合えないんだ、ってね。……これが一つ目」


 ……ちょっと待て。

 今鈴音が言ったことは本当なのか?

 敦が誰かと付き合っているのはありえない。

 だって、あいつには彼女なんかいないはずだ。

 そうでなければ、昨日のハニートラップにまんまと引っかかったりしないだろう。

 鈴音はきっと何か勘違いをしているんだ。


「す、鈴音、俺の話を――」

「二つ目は璃央君。君が原因だよ」

「お、俺か?」

「もちろん、理由はわかるよね? 勇気を出して告白したのに、まさか一か月以上も返事を待たされるなんて思わなかったよ。これでも結構傷ついたんだよ?」


 鈴音に正論を叩きつけられる。

 何も反論ができず、俺は沈黙するしかなかった。


「三つ目は葵月ちゃん。私が告白したのを知っているくせに、あの子は璃央君との距離をどんどん縮めていったよね? 璃央君もまんざらでもなさそうな態度をとってたし……。しかも、いつの間にか下の名前で呼ぶようになってたから、嫉妬で狂いそうだったよ」


 やっぱり、葵月のことも影響してたのか。

 これも弁解できないな……。


「最後は瑠璃ちゃん。瑠璃ちゃんは最初、私に協力してくれたよね? でも、璃央君が怪我をしたあたりから、急に私を遠ざけた。私には意味がわからなかったよ。ちょっとブラコン過ぎて気持ち悪いよ?」


 鈴音の指摘に俺は胸が苦しくなった。

 正論でもあるし、鈴音の自分勝手な部分も見えてくる。


「……鈴音、やっぱりあなたって最低ね。今言った原因のほとんどは、あなた自身のことが上手くいってなかったからじゃない」


 鈴音の発言で瑠璃はかなり怒っているようだ。

 冷徹な目で鈴音をにらんでいる。


「瑠璃ちゃんはそういう言い方をするんだね。瑠璃ちゃんも私とあまり変わらないのに……。ところで、璃央君は知っているのかな? 過去に瑠璃ちゃんが行った最低な行為について……」


 鈴音は無表情ながらも少しだけ口角をあげる。

 そして、不気味に笑いながら質問をしてきた。


「璃央、真面目に聴くだけ時間の無駄よ。今の鈴音は狂ってるわ」

「それじゃあ、話すね」


 鈴音は瑠璃の言葉を歯牙にもかけず話を続ける。

 これ以上鈴音の話を聴くのはつらい。

 早く鈴音を説得しなければ。

 ……でも、どうやって?


「璃央君たちが去年起こした事件。学校中の女子のスカートの中を覗き見した、とかいうふざけた事件のことなんだけどね……」

「そ、それと瑠璃に何の関係があるんだよ?」

「実はね、最初に先生たちに報告したのは瑠璃ちゃんだったんだよ」

「……なんだって?」


 これは初耳だ。

 瑠璃のほうを見るが、表情を変えずに鈴音だけを注視している。


「なんで瑠璃ちゃんがそんなことをしたのか、疑問に思わない?」

「そ、それは、ほかの女子たちのためだろ。それに不祥事を起こした俺の責任を負って――」

「残念。それが違うんだよね」

「……じゃあ、何が理由なんだよ?」

「私と瑠璃ちゃんは似た者同士だから、その辺はよく理解できるんだ」

「……何が言いたいんだ?」

「私が聞いた話によるとね。事件が起きる前に、ある女の子が璃央君に告白しようと思ってたんだって」

「は? 俺に告白?」

「そうだよ。璃央君は格好いいからね。その女の子の気持ちもわかるよ」


 鈴音の発言に俺は頭を抱えた。

 果たして、鈴音は本当のことを言っているのだろうか?


「それを知った瑠璃ちゃんは、なんとか告白を阻止したいと思っていたんだよ。 そんなときに、璃央君たちが不祥事を起こしてくれた。瑠璃ちゃんはそれを上手く利用したんだと思うよ。ほかの女の子が璃央君に近づかないようにするためにね。たぶん瑠璃ちゃんは、孤立した璃央君を自分に依存させようとしたんじゃないかな? 私だったらそうするよ」


 俺が孤立したとき、瑠璃に慰めてもらったことは事実だ。

 だけど、俺の知っている瑠璃は決してそんなことはしない。

 これは情緒がおかしい鈴音の戯れ言だ。

 俺はそんなことを信じたりはしない。


「悪いが鈴音。お前の言葉を信じることはできない。瑠璃のことは、俺が一番よくわかってるつもりだ。それに、今の発言は、瑠璃に対してあまりにも失礼じゃないか? 鈴音、瑠璃に謝ってくれ」


 俺は瑠璃の隣まで進み、鈴音に言い放つ。

 それから、瑠璃の手を優しく握った。


「璃央……。ありがとう」

「ふーん。やっぱり仲良し姉弟だね。そういうところ、ほんとに気持ち悪いよ? ……よし、決めた。次のターゲットは瑠璃ちゃんにするよ」

「……何だと?」


 鈴音は謝罪もせずに、さらっととんでもないことを言い出した。

 次のターゲット?

 鈴音はいったい何を言っているんだ?


「鈴音、次のターゲットって何だよ? いったい瑠璃をどうするつもりだ?」

「何って……次の報復対象だよ。だって、璃央君にひどいことをしたのは、南條敦だけじゃないでしょ? 中学生のとき、瑠璃ちゃんは璃央君がいじめられてるのに、何もしなかったんだよ? そんなのいじめをしている側と何ら変わらないんじゃないかな? そういえば、葵月ちゃんも同罪か」

「私だけじゃなく、葵月もなの!? 葵月は関係ないじゃない!」

「葵月ちゃんも璃央君と同じクラスだったのは、瑠璃ちゃんも知ってるんでしょ? 葵月ちゃんも何もしなかったんだよ? 葵月ちゃんにとって璃央君は恩人なのに……。しかも、璃央君に怪我もさせたんだよ? だから、葵月ちゃんも南條敦と同じ目にあわせなきゃいけないと思うんだ」

「鈴音! あなたは本当におかしいわ!」

「そんなに大きな声を出してるけど、もしかして、次のターゲットになるのが怖いの?」

「ち、ちがっ――」

「やっぱり、瑠璃ちゃんでも怖いんだ? 瑠璃ちゃんはかわいいから、もっとひどいことされちゃうかもね」


 その言葉を聴いた瞬間、俺の中で何かがプツリと切れたような音がする。

 俺はまだ鈴音を救える、和解できると本気で思っていた。 

 しかし、それはただの思い上がりだったと確信する。

 今の鈴音は、大切な人たちを手にかけようとしている、悪魔のような存在だ。


 鈴音がこんな状態になってしまったのは、半分俺のせいでもあった。

 本当に申し訳ないと思っている。 

 しかし、それでも今の発言は看過できない。

 つい先日まで抱いていた、鈴音への恋の炎。

 それが、今は怒りの炎となって、俺の身体の中で燃え始めていた。


「……鈴音、ちょっと歯をくいしばれ」

「……え?」


 俺は鈴音との距離を一気に詰める。

 そして、鈴音の左の頬に平手打ちをした。

 衝撃が強めだったせいか、鈴音は大きくのけ反り、その場に倒れ込む。


 俺は生まれて初めて、怒り任せに暴力を振るった。

 しかも、相手は女子だ。

 いや、性別は関係ないか。

 暴力を振る行為自体、やってはいけないことだ。

 それは、重々承知しているつもりだった。

 

 だけど、俺は怒りを抑えられなかったのだ。

 鈴音を叩いた俺の右手は痛みを感じている。

 暴力は相手だけじゃなく、自分も傷つけるのだ。

 鈴音にも理解してほしい。

 暴力で人を恐怖に陥れることは、もうしてほしくないんだよ。

 俺も、人に暴力を振るうのはもうこれっきりだ。


「り、璃央……」

「ごめんな、瑠璃。俺って最低だよな。女の子を殴っちまった」

「そんなことないわ。璃央は、私と葵月を助けようとしてくれたんでしょ?」

「ああ、でもこの行為は、決して正当化されるものじゃない……」


 俺は改めて鈴音のほうを向く。

 鈴音は殴られた頬を手でおさえながら、座りこんで、ぶつぶつと何かを呟いていた。

 目にはうっすら涙が溜まっている。


「鈴音、大丈夫か?」

「り、璃央君……。わ、私、どうかしてた。ご、ごめんなさい。みんなにひどいことをしようとするなんて……」

「鈴音、俺に謝罪は必要ない。まずは、瑠璃に謝ってくれ。そして、敦と千歳にも謝罪をするんだ」

「え? でも……」

「謝罪を!! するんだ!!」

「わ、わかったよ。瑠璃ちゃん、ごめんなさい……」


 鈴音は俺に殴られてから、なぜか素直になっていた。

 さっきまであんなに狂った姿を見せていたというのに……。

 鈴音は二重人格か何かなのだろうか?


 いや、そんなことはどうでもいい。

 どんな理由があったとしても、鈴音は俺の大切な人たちを傷つけた。

 傷つけようとした。

 この事実は変わらない。

 そして、俺は鈴音に対してある決心をした。


「……鈴音」

「な、何? 璃央君?」

「千歳と敦に謝罪をしたあと、俺たちとはもう金輪際関わらないでくれ」

「……え?」

「俺の家族や友達を傷つけるやつは、誰であっても許さない。たとえ相手が鈴音であっても、容赦しないからな」


 俺は鈴音に迫る。

 すると鈴音は、なぜか震え出した。

 もしかしたら、今の俺は鬼のような形相をしているのかもしれない。


「は、はい……。も、もう何もしません……。ご、ごめんなさい……」


 鈴音はガタガタと震えながら、謝罪の言葉を口にしていた。 

 鈴音に要求したのは俺たちとの絶縁。

 鈴音と俺たちの関係は、たぶん修復不可能なものだろう。

 みんなも鈴音の犯した罪は赦さないはずだ。

 俺は鈴音より瑠璃や葵月の味方でいることを選ぶ。

 瑠璃や葵月がいつも俺の味方でいてくれるように。

  

 これからは、お互いなるべく関わらないほうが穏便に済むだろう。

 これが俺の選択だ。


「今までありがとう、鈴音。でも、これでさよならだ。これも返すよ」

「り、璃央君! 待って! 私……」


 俺は付けていたリストバンドを鈴音の目の前に置く。

 そのあとすぐに瑠璃の手を取って、俺たちは屋上をあとにした。







 校舎を出たときには、もう後夜祭が終わっていて、校庭には大勢の生徒がいた。

 ちょうどファイヤーストームが始まったようだ。

 大勢の生徒がお祭り騒ぎをしている中、俺の心は虚しさでいっぱいだった。

 今の俺に、このイベントを楽しむ余裕はない。

 俺はこのまま何もせず、家に帰ることを選択した。


「瑠璃、悪いがこのまま家に帰るぞ」

「えっ? 別にいいけど……その……」

「どうかしたのか?」

「璃央は……大丈夫なの?」


 瑠璃が俺を心配して声をかけてくれる。

 握っている手にも力が入っているのがわかった。


「本音を言うと、全然大丈夫じゃないな。だから、早く家に帰りたいんだ。瑠璃は学校に残るのか?」

「……私は璃央に付いていくわ。璃央は大切な家族だもの。弟が落ち込んでいるときは、そばにいて慰めてあげるのが姉の役目よ」

「……そうか、ありがとな」


 帰宅している最中、俺は鈴音との会話をふと思い出す。

 鈴音の話には疑問に思うことがいくつかあった。

 一応、瑠璃に本当かどうか訊いてみるか。


「なあ、瑠璃。俺って本当に死のうとしたのか?」

「……あれは鈴音の妄言よ。気にしなくていいわ」

「わかった。俺は瑠璃の言葉を信じるよ」


 こうして、高校二年生の学園祭は終わりを告げた。

 この学園祭での出来事は悪い意味で、一生忘れることはないだろう。


 さよなら、俺の初恋。







 後日、鈴音を南條兄妹のもとへ連れていき、これまでの経緯を話したあと、二人に対して謝罪をさせた。

 敦は複雑な表情をして謝罪を受け入れたが、千歳は謝罪を受け入れなかったのである。

 敦は千歳を制してから、「この件については警察沙汰にしたくない」と言って、謝罪だけで済ませてくれた。


 しかし、謝罪はこれだけでは終わらない。

 次の謝罪の対象者は瑠璃と葵月である。

 なぜなら、鈴音は二人に危害を加えようとしたからだ。

 そして、鈴音は南條兄妹と瑠璃たちに謝罪をして以降、学校を頻繁に休むようになった。

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