第二十一話 双子の誕生日

 厳しい残暑が終わり迎え、心地よい風が吹き抜け、日に日に秋めいてくる十月のある夜。

 俺と瑠璃は駅の近くにあるファミレスを訪れた。

 いや、正確に言うと、剛志と弘人に呼び出されたのである。


 ファミレスに入店すると、店員に挨拶をされた。

 俺は、待ち合わせをしている、と店員に伝えたあと、店内をぐるっと見回してみる。

 すると、坊主頭で筋骨隆々な男が座っている席を見つけた。 

 間違いない、あそこにいるのは剛志だ。

 剛志は背が高いので、座っていても目立つのである。

 俺たちは、剛志と弘人が座っている席へと移動した。


「やあ、こんばんは。二人ともこんな時間に呼び出してごめんね」

「二人ともわざわざすまんな」

「おう、別に気にしなくていいぞ」

「こんばんは。剛志君、弘人君。璃央だけじゃなくて、私も食事に誘ってくれてありがとね」


 俺と瑠璃は並んで席に座る。

 すると剛志と弘人は、メニュー表を俺たちに渡してきた。


「お前らは何か頼まなくていいのか?」

「僕たちはもう決まってるから大丈夫」

「俺たちのことは気にするな。二人とも、好きなものを頼むといい」

「わかった」


 俺と瑠璃は遠慮せず、いつも食べている料理よりも少し高めの料理を頼むことにした。

 ついでにデザートも頼んだ。

 もちろん、ドリンクバーもセットにした。


 料理を頼んでから、四人で軽い雑談を交わしていると、次々と料理が運ばれてくる。

 四人全員の料理がテーブルに並び終えると、剛志と弘人はこちらを見て、何かを言いたそうにしていた。


「料理も揃ったことだし、お祝いの言葉を二人に送るとしよう。璃央、瑠璃ちゃん。お誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」


 今日は十月九日である。

 実は今日が俺と瑠璃の誕生日……ではなく、本当は明日が誕生日だ。

 明日は剛志と弘人が部活で忙しく、俺と瑠璃の誕生日を祝えないらしい。

 だから、「今日祝いたい」と二人から提案されたのだ。

 なんと今日は二人が奢ってくれるらしい。

 やはり、持つべきものは友だな。


「ありがとな。二人とも」

「ありがとう。でも、私までお邪魔して本当によかったの?」

「ああ、もちろんだ。なんたって、俺が一紗と付き合えたのは、お前らが協力してくれたおかげだからな。お前らにはデカい借りがある。当然、弘人にも感謝してるぞ。だから、今日はそのお礼に俺が全部奢ることに決めた。改めてありがとな、お前ら」

「え? 僕もいいのかい? さすが剛志、身体だけじゃなく、器も大きい男だね」

「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらうわね」

「そうだな」

「早く食わんとせっかくの料理が冷めるぞ。さあ、思う存分食ってくれ」

「そうさせてもらう」







「……そういえば、怪我の具合はどうなんだい?」


 食事が終わったあと、弘人が俺に尋ねてきた。

 剛志も興味津々でこちらを見ている。


 怪我をしてから約一か月。

 手足は順調に回復しており、つい先日ギプスも外れて、松葉杖生活ともおさらばしたところだ。

 現在は、松葉杖がない状態での階段の上り下りや、右手を使って食事をすることができるようになった。

 もちろん、風呂も一人で入れるし、ペンを持ってノートに文字を書くこともできる。


「怪我の痛みは、もうほとんどないな。ご覧のとおり、松葉杖なしで歩けるし、右手で箸を持って食事もできるぜ」

「それなら安心だね」

「璃央が怪我をしたときは本当に驚いたぜ。しかも、怪我をした理由が人助けだなんて、なんともお前らしかったな。やっぱり、警察官とか消防士に向いてるんじゃないか?」

「い、いや、そんなに大したことはしてないぞ」

「でも、葵月が無事だったのは、璃央のおかげなのよ。あなたは素晴らしい行いをしたんだから、そのことをもっと自覚するべきだわ」

「僕もそう思うよ。牧本を二回も救ってるのはすごいことだよ」

「そ、そうか……」

「牧本のやつ。もしかしたら、お前に惚れてるかもな。もし俺が女子だったら、お前に惚れてるところだ」

「そ、そんなことあるわけないだろ……」


 剛志は笑いながら、冗談を言ってきた。

 葵月の話題が出て俺は少しドキッとしてしまう。

 葵月が俺に惚れてる?

 そんな馬鹿な。

 あいつは俺と一緒に寝ても普通にしてるようなやつだぞ?

 そんなことあり得るはずがないだろ……。


「あっ、もうこんな時間だよ、剛志」

「……これ以上遅くなると明日の部活に響くな。璃央、瑠璃。すまんが、祝ってやれるのはここまでのようだ」

「ああ、今日はありがとな」

「二人ともありがとう。楽しい時間だったわ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

「来年の誕生日もまたこうやって食事をするのはどうだ? それとも何かプレゼントでも渡したほうがいいか?」

「お気持ちだけでも十分だけど、私はまた璃央と食事に誘ってもらうほうが嬉しいわね」

「なら、来年も奢らせてもらうぞ」

「ありがとう」


 こうして誕生日の前祝いは終わり、俺と瑠璃は満足して帰路についたのだった。







 十月十日。

 今日が俺と瑠璃の誕生日である。

 俺と瑠璃は毎年、お互いにプレゼントを贈り合っている。

 よく考えてみると、少し照れくさい行為だな、と改めて思う。

 実は瑠璃へのプレゼントは、一週間前から用意してある。

 果たして瑠璃は、このプレゼントを喜んでくれるのだろうか。

 俺は少し不安になってしまう。


 でも、今さらそんなことを気にしてもしょうがないよな。

 自信を持つんだ、俺。

 きっと瑠璃は喜んでくれるぞ。


 さて、あとはこのプレゼントをいつ渡すかだが……。

 まあ、去年のように、夕食が終わったあと渡せばいいか。


 すると突然、家のチャイムが鳴った。

 どうやら、誰か来たらしい。

 そういえば瑠璃が、今日の午後から友達と外出する予定がある、と言っていたな。

 おそらく、米原か葵月か鈴音が来たのだろう。


 隣の部屋から扉を開ける音がして、すぐあとに階段を下っていく音がする。

 少し経つと、複数の足音が階段を上ってくるのが聞こえてきた。

 やはり、瑠璃の友達が来たようだ。


 だが、不思議なことに、足音はなぜか、俺の部屋の前で止まった。

 誰かが俺の部屋の前にいるようだ。

 そして、その誰かは扉をノックをしてきた。

 突然のことで驚いたが、とりあえず扉を開けてみる。


「よう、璃央! 誕生日おめでとう!」

「……誕生日おめでとう」


 扉を開けると、そこには葵月と米原がいた。

 二人は俺を祝う言葉をかけてくる。


「祝ってくれて、ありがとな。それにしても、二人ともどうしたんだ? 俺に用でもあるのか?」

「あるぞ。今日は璃央の誕生日だろ? だから、璃央にプレゼントを渡そうと思ったんだよ」

「お、俺にプレゼント?」


 これは予想外の出来事だ。

 まさか瑠璃以外の女子から、プレゼントを貰うことになるとはな。

 一年前とは大違いなこの状況に、俺は感動してちょっとだけ泣きそうになった。


「えーと……。あった! これだ! 受け取ってくれ!」


 葵月はバッグから、綺麗に包装された小さな箱を取り出した。

 見た目からは、何が入っているかを予想するのは難しい。


「ありがとな、葵月。それにしても、中身が気になるな。何が入っているのか訊いてもいいか?」

「それは開けてからのお楽しみってことで。じゃあ、またなー」


 葵月はすぐに瑠璃の部屋へ向かっていった。

 だが、米原はまだ俺の目の前に立っている。

 しかも、なぜか俺のことをにらんでいるようだった。


「よ、米原、どうしたんだ? 瑠璃の部屋に行かなくていいのか?」

「ねぇ、璃央。私、あんたに訊きたいことがあるんだけど?」

「お、おう。なんでも質問してくれ」

「じゃあ、訊くけど……。あんたさ……」


 米原は少しずつ俺との間合いを詰めてくる。

 なぜか表情が少し怖い。


「葵月と鈴音どっちが好きなの?」

「……は?」

「だから、葵月と鈴音どっちと付き合うつもりなの?」

「し、質問が変わってないか?」


 米原からこれまた意外な質問が飛んでくる。

 なんで俺はこんな質問をされているんだ?


「あんたさー。花火大会のときに鈴音に告白されたんでしょ? でも、保留にしたそうじゃない。それなのに、最近葵月と仲良くしすぎじゃない? あたしも、あんたの恋を応援する、とは言ったけどさ。さすがに二股はよくないと思うよ?」


 なぜこいつは、鈴音が俺に告白したことを知っているんだ。

 しかも、二股だと?

 俺は断じてそんなことはしていない。


「た、確かに鈴音の告白はまだ保留にしている。でも、これには事情があるんだ。もちろん、鈴音も了承してくれてる。だけど、葵月は関係ないだろ。俺とあいつはただの友達なんだから」

「ふーん、そうなんだ。でも、最近のあんたと葵月って周りから見ると、恋人同士みたいだったよ。あれは鈴音がちょっと可哀想だったね」

「そ、そうなのか……」


 あの日以来、俺と葵月の仲が深まったのは事実だ。

 だが、決して俺は葵月に恋愛感情を抱いているわけではない。


 鈴音については、いまだに記憶が思い出せないので、まだ保留中なのだ。

 そういえば、保留にしてからもう一か月以上も経っている。

 よくよく考えてみると、俺は結構残酷なことをしているのかもしれない。

 事情を知らない米原からしたら、鈴音がひどい扱いを受けてるように見えてもしょうがないか……。


「あー、ごめんごめん。せっかくの誕生日なのに、気分を悪くさせちゃったよね? あたしも責めてるわけじゃないの。みんなには剛志の件で借りがあって、すごく感謝してるんだよ。だから、みんなにも幸せになってほしいんだよね」


 米原はこわばらせていた顔を和らげる。

 それから、笑顔になり、俺に詫びの言葉を述べた。


「安心して、あんたが悪い男じゃないってことはわかってる。けれど、決めるときはビシッと決めてあげてね」

「そう言ってもらえると助かるよ。心配かけて悪いな」


 話が終わったと思ったので、俺は扉を閉めようとする。

 しかし、なぜか米原は扉を閉めるのを邪魔してきた。


「……どうした? まだ俺に何か用なのか?」

「私からも璃央にプレゼントがあるんだよ。はい、これどうぞ」


 米原は、少し大きめの包装紙に包まれたプレゼントをくれた。

 妙に柔らかいな。

 もしかして、服か何かか?


「それじゃあ、またね」

「おう。プレゼントありがとな」


 米原はようやく瑠璃の部屋に向かっていった。

 さて、早速だが、貰ったプレゼントの開封をするとしますか。


 まずは葵月からのプレゼントを開封する。

 中に入っていたのは磁気ネックレスだった。

 血流を良くする効果がある、と同封されていた説明書に書かれていたので、試しに付けてみる。

 スポーツ選手なんかもよく身に付けているようなので、もしかしたら効果があるかもしれないな。


 次に米原から貰ったプレゼントを開ける。

 中から出てきたのは、なんとペンギンを模したデザインのパーカーだった。

 フードにはペンギンの顔が描かれており、とてもかわいらしい。

 フード以外の部位は、ペンギンらしい黒と白を基調とした配色となっていて、格好よかった。

 

 パーカーを着てみると、サイズもちょうどよく、着心地も悪くない。

 よく俺の服のサイズを知っていたな。

 まあ、大方瑠璃にでも教えてもらったのだろう。

 しかし、さすがに外で着るには少し恥ずかしい。

 これは部屋着として使わせてもらおう。


 そのとき、また扉をノックする音が聞こえた。

 葵月と米原がまた来るとは思えない。

 だとしたら、瑠璃か?

 俺は何も考えずに扉を開けた。


「やっほー! 璃央君! お誕生日おめでとう!」


 そこには瑠璃ではなく、テンションが高そうな鈴音がいた。

 テンションが高いときの鈴音は、何をするかわからない。

 なので、俺は少し身構えてしまった。


「よ、よお、鈴音」

「あ、そのパーカーかわいいね。自分で買ったの?」

「いや、これは米原から貰ったんだ」

「へぇー、そうなんだ。なかなか似合ってるね」

「ありがとな」

「そのネックレスも格好いいね。それも貰い物?」

「ああ、これは葵月から貰ったんだ」

「……ふーん、そうなんだ。葵月ちゃんから……」

「それで、鈴音は何の用事があって来たんだ?」

「璃央君。本当はわかってて訊いてるんでしょ? 今日は璃央君のお誕生日なんだから、私もプレゼントを渡しに来たんだよ」

「まあ、そうだよな……」

「じゃあ、お邪魔しまーす」

「え? あ、おい!」


 鈴音は俺の脇を抜けて部屋に入り、ベッドに腰かけた。

 同時に、猫が飼い主をふみふみするように、ベッドの感触を確かめる。


「これが璃央君が寝ているベッドかー。前来たときはわからなかったけど、寝心地よさそうだね」

「おい、鈴音。プレゼントを渡すだけなら、わざわざ部屋に入る必要はないだろ?」

「璃央君ってプレゼントだけが目当てなの? ひどーい」

「そういうわけじゃないんだが……。鈴音ももっと警戒しろよな。一応、俺も男なんだぞ?」

「え? 璃央君って自分の部屋に女の子が入ったら、そのまま襲っちゃうような悪い狼さんなの? あ、今はペンギンさんだったね」

「お、おい、誤解を招くような発言はするなよ!」


 まったく、鈴音の言動にはヒヤリとさせられる。

 毎回思うが、俺をからかうのがそんなに楽しいのか?


「あはは、ごめんね。少し璃央君とお話もしたかったんだ。ささ、座って座って」

「ここは俺の部屋なんだけどな……」


 俺は鈴音に促され、同じようにベッドに腰かける。

 すると、鈴音は持っていたバッグを探り、何かを取り出した。


「まずはプレゼントから渡すね。はい、どうぞ」


 鈴音から包装されている小袋を貰った。

 葵月から貰った物よりもさらに小さいな。


「開けてみてよ」

「わかった」


 鈴音に促され、俺は小袋から中身を取り出す。

 中には、シンプルなデザインの赤いリストバンドが入っていた。

 しかし、リストバンドは片手分だけしか入っていない。


「私からのプレゼントはリストバンドでした! ねぇ、璃央君。早速付けてみてよ」

「ああ」


 俺はリストバンドを右手に付けた。

 ちなみに右手に付けた理由などは特にない。


「あ! 璃央君は右手に付けたんだ」

「ん? 何かまずかったのか?」

「ううん、違うの。ほら、これ見て」


 鈴音は俺に左手を見せてきた。

 鈴音の左手首には、俺と同じ赤いリストバンドが付けられている。


「じゃーん! 実はこのリストバンドは私とお揃いなんだよ!」

「そ、そうなのか……」

「あ! 璃央君、なんか反応が冷たいなー。なら……。えい!」


 鈴音は突然、自分の左手と俺の右手を絡ませてくる。

 その結果、強制的に恋人繋ぎになった。


「ちょっ……! いきなり何するんだよ!」

「えへへ。どう? これならお揃い感アップだね」


 鈴音は笑顔で俺を見つめてくる。

 鈴音はそのままゆっくりと俺に近づいてきた。

 手を解こうとしても、なかなか外れない。

 だんだん鈴音の顔が近づいてくる。

 このままではまずい……!


 俺はなんとか手を解き、鈴音の肩を掴んだ。

 そして、鈴音を後退させ、距離を取った。


「……璃央君、どうして?」

「どうしても何も、俺たちはまだ友達だろ? こういうのは恋人同士がするもんだ」

「……」


 鈴音は沈黙してしまう。

 今日の鈴音はいつにも増して積極的であり、どこかおかしい。

 俺は距離をさらに取るため、立ち上がろうとした。


 次の瞬間、鈴音は一瞬の隙をついて力いっぱい抱きついてきたのだ。

 俺はそのままベッドに押し倒しされてしまう。

 鈴音は上体をあげて、俺の顔の両側に手を置き、逃げられないようにした。


「す、鈴音! な、何のつもりだ!?」

「璃央君が悪いんだよ? 私の告白の返事を一か月以上も先延ばしにして、ほかの女の子と仲良くするから……」

「ご、誤解しないでくれ! 俺と葵月はそんな関係ではないぞ!」

「じゃあ、なんで葵月って呼ぶようになったの? 今までずっと名字で呼んでたのに」

「……葵月から名前で呼んでほしいって言われたんだよ。友達なんだから、名前で呼ぶのは普通のことだろ?」

「……ふーん、そうなんだ」


 鈴音の声は少しずつ低くなり、凄味が徐々に増してきているように感じる。

 同時に、鈴音の目には涙が溜まり始めた。


「鈴音。お前、泣いてるのか?」

「ねぇ、璃央君。私は璃央君の返事を待つことにしたけどさ。私にも限界があるんだよ?」

「……俺もそのことは理解してるよ。だけど、まだ鈴音の記憶が………」

「記憶なんて、付き合ってからでも思い出せるんじゃないの? それとも、本当は私のことが好きじゃないのかな?」

「そ、そんなことはない。俺は鈴音のことは……す、好きだぞ……」

「え? それって……」

「ただし、今は友達としてだ。鈴音は大切な友人だと思ってる。だからこそ、こういうことは慎重に決めたいんだ。本当に申し訳ないが、あともう少しだけ時間をくれないか?」


 鈴音のことは嫌いじゃない。

 むしろ、好きだ。

 出会った当初から俺に優しくしてくれたことを今でも感謝している。

 鈴音の言うとおり、ここまできたら、記憶などもう関係ないかもしれない。

 今この現状を本当の意味で解決させる方法は、受け入れるか断るかの二択だ。

 しかし、俺は今まで女子と付き合ったことがない。

 このまま鈴音と付き合っても、どうしたらいいかわからないのだ。


 そんな漠然とした、恐怖に近い感情が心の中にある。

 この気持ちはどう処理をすればいいのか。

 考えれば考えるほど、沼にはまるようだ。

 それに、俺という存在が鈴音の足枷になってしまわないか心配だった。

 加えて、自分が本当に鈴音の恋人としてふさわしい男になれるのか、という疑念も抱いている。


 どうしても自虐的になるのだ。

 そう考えると昔の俺はすごいな。

 昔の俺なら自信を持って、すぐに決断していただろう。

 

「……わかった。今はまだ璃央君の意見を尊重するよ」

「ありがとな、鈴音」

「だけど――」


 すると、突然鈴音の顔がどんどん迫ってきた。

 まずい!

 今の俺には逃げ場がない。


 俺は目を閉じ、顔を横にして、鈴音と正面から向き合わないようにした。

 目を閉じているが、鈴音の顔が俺の首筋の辺りにあることがわかる。

 首筋には鈴音の熱い吐息がかかっているのだ。

 次の瞬間、鈴音は首筋に唇を当て、力強く吸い付いてきた。


「な!? あっ、ううっ……」


 初めての感覚に身を悶えさせ、思わず変な声を出してしまう。

 鈴音が首筋に吸い付いてから、三分ほど経った。

 鈴音は満足したのか、ようやく首筋から唇を離す。


「……これでしばらくは、璃央君に悪い虫が寄ってくることはないね」

「鈴音……。お前なぁ……」

「今日のところはこれで勘弁しといてあげるよ。それにしても、璃央君ってあんな声も出せるんだね。ちょっと可愛いな、って思っちゃったよ」


 鈴音は俺から離れ、ベッドから降りる。

 俺は態勢を立て直し、ベッドに腰かけた。


「璃央君。はい、これもあげるよ」


 鈴音は俺がさっきもらった小袋より大きな袋を渡してきた。

 今度はいったい何をプレゼントしてきたのだろう。


「……これは?」

「璃央君が大好きな、私特製のクッキーでーす。いつもより心を込めて、たくさん作ったんだよ? いっぱい食べてね」

「あ、ああ、クッキーか。いつもありがとな」

「私は璃央君のこと信じてるよ。だから、もう少し待つことにするね」

「俺のわがままに付き合わせて悪いな」

「大丈夫。でも、できれば私以外の女の子とはあまり関わらないでほしいんだ」

「それは葵月や米原も含まれるのか?」

「その二人ならギリギリ許容範囲かな。でも、私の前で仲良くするのは禁止ね」

「わ、わかった。善処するよ」

「あ、でも答えを出すのを遅くされても困るなー。あんまり待たせると……」

「ま、待たせると?」

「私、何するかわからないからね?」


 鈴音は不敵な笑みを浮かべながら、部屋から去っていった。

 俺は手鏡で鈴音に吸い付かれた箇所を確認する。

 案の定、そこには赤い虫刺されのような痕が残っていた。

 幸運なことに、なんとか服で隠せそうな位置にある。

 この程度なら、バレる心配もないだろう。

 ……大丈夫だよな?


 鈴音から貰ったクッキーを一つ手に取り食べてみる。

 相変わらず、鈴音の作ったクッキーは市販で売っているものより断然おいしかった。







「誕生日おめでとう! 瑠璃! 璃央!」


 夕食の時間になり、俺と瑠璃はじいちゃんに誕生日を祝ってもらっていた。

 これから、毎年恒例の誕生日パーティーが開かれる。


「お前たちのために今日は奮発して、出前の寿司と特別なケーキを買ってきたぞい」

「ありがとう、おじいちゃん」

「ありがとな、じいちゃん」


 テーブル上には、寿司と『お誕生日おめでとう』というメッセージが書かれたホールケーキが準備されていた。

 ちなみに、ケーキは定番の白い生クリームとイチゴのケーキである。


「よし! 蝋燭もちゃんと十七本立てたぞい。火をつけるから、二人でフーッと息を吐いて消すんじゃぞ」

「いや、恥ずかしいから俺はいいよ」

「璃央、せっかくおじいちゃんが準備してくれたんだから、一緒にやりましょうよ」

「……しょうがないな。わかったよ。やればいいんだろ。ほら、さっさとやるぞ」


 じいちゃんは蝋燭に火をつけたあと、部屋の電気を消す。

 そして、わくわくしながら蝋燭の火を消すのを待っていた。

 というか、じいちゃんはいつまで俺たちのことを子ども扱いするのだろうか。

 瑠璃を見ると意外にもノリノリで、深呼吸をして、火を消す準備をしている。


「璃央、いくわよ」

「了解」


 俺と瑠璃は呼吸を合わせて、蝋燭の火に息を吹きかける。

 幸いにも、蝋燭の火は一息で全部消すことができた。


「瑠璃、璃央。誕生日おめでとう! これは誕生日プレゼントじゃ。受け取ってくれ」


 じいちゃんは部屋の明かりをつけてから、俺たちに長形の封筒を手渡してくる。

 中身を確認すると、中には一万円札が二枚封入されていた。


「誕生日プレゼントが現金じゃいけなかったかのぉ? 最初は去年のように物を送ろうと思ったのじゃが、お前たちももう大人に近い歳じゃから、欲しい物は自分で選びたいじゃろ? だから、現金にしたんじゃが……」

「いいえ、むしろ嬉しいわ。ありがとう、おじいちゃん」

「そうだな。じいちゃん、気を遣ってくれてありがとな」


 じいちゃんは俺たちを子ども扱いしているように見えたが、それは勘違いだったようだ。

 ありがとな、じいちゃん。







 俺は自分の部屋のベッドに腰かけて瑠璃を待っていた。

 これから、毎年恒例の瑠璃とのプレゼント交換だ。

 この行事は、俺が意識を取り戻した年から始まった、比較的新しい行事である。

 事故に遭う前は、なぜかしていなかったらしい。

 俺はそのことに疑問を抱いたが、あまり気にしないことにした。


 さて、今年のプレゼント交換はどうなるのだろう。

 少し照れくさいのは確かだが、俺はこの行事を密かに楽しみにしていた。


「璃央? 入ってもいい?」

「来たか。いいぞ、入ってくれ」


 俺は部屋に入って来た瑠璃の姿を見て驚いた。

 なんと瑠璃は、黒猫を模したパーカーを着ていたのだ。


「に、にゃあ……」

「……」

「ちょっと、何か言いなさいよ。恥ずかしいじゃない」

「瑠璃、お前なんて格好をしてるんだよ」

「……璃央には言われたくないわね」


 実をいうと、俺は瑠璃には文句を言えない立場なのである。

 なぜなら、俺もペンギンのパーカーを着ているのだ。

 しかも、フードを被り完全にペンギンそのものになっている。

 瑠璃もさぞかしびっくりしただろう。


「ぷっ……あはは! 結構似合ってるじゃない。かわいいわね、そのペンギンのパーカー」

「ふっ……。瑠璃も似合ってるぞ」

「一紗から貰ったの?」

「そうだ。瑠璃も米原から貰ったのか?」

「ええ、そうよ。一紗のプレゼントはなかなかセンスがいいわね」

「俺もそう思うよ」


 瑠璃は笑い終えてから、俺の隣に腰かけた。

 この黒猫もなんだかいつもより距離が近いな。 

 

「そういや、ほかに何を貰ったんだ?」

「葵月からは磁気ブレスレットを、鈴音からはハンカチを貰ったわ」

「そうか」

「璃央は何を貰ったの?」

「葵月からは磁器ネックレスを、鈴音からは赤いリストバンドを貰ったよ」

「へー、ネックレスとリストバンドもらったのね。……そういえば、鈴音も赤いリストバンドを付けてたわね」

「ああ。どうやらお揃いらしい」

「そう……」


 なぜか瑠璃は沈黙してしまう。

 何か問題でもあったのだろうか?

 しかも、俺の首筋をチラチラと見ている気がする。

 まずい、痕があることに気づかれたか?


「……それじゃあ、プレゼント交換しましょうか」

「お、おう、わかった。じゃあ、俺から渡すからな」

「ええ……」

「誕生日おめでとう、瑠璃。これからもよろしく頼む」


 俺は事前に用意していたプレゼントを瑠璃に渡す。


「ありがとう。確認してみてもいい?」

「ああ、いいぞ」


 瑠璃は包装を丁寧に解いていく。

 そして、中に入っていた小箱を開けた。


「え? これって……」


 瑠璃の手の中には、白い犬と黒い猫がデザインされたキーホルダーがあった。

 俺は恥ずかしい気持ちを抑えるために、ポリポリと頭をかく。


「前に犬猫どっちが好きかって訊いたとき、片方だけ選ぶのが難しいって言ってたよな? だから、犬と猫が両方デザインされたキーホルダーにしたんだ。少し子どもっぽかったか?」

「ううん、そんなことないわ。嬉しい。早速明日から鞄に付けて登校しようかしら」

「別にかまわないが、なんかちょっと恥ずかしいな」

「冗談よ。鞄なんかに付けたら、落として失くすかもしれないじゃない。とりあえず、使い道を決めるまでは、大切に保管させてもらうわ」

「そ、そうか。大事にしてくれるのは嬉しいよ。ありがとな」


 瑠璃はキーホルダーをゆっくり小箱に戻す。

 さて、瑠璃は何をプレゼントしてくれるのだろうか。


「じゃあ、次は私の番ね。誕生日おめでとう、璃央。はい、どうぞ。これからもよろしくね」

「ありがとう。俺も今開けていいか?」

「ええ」


 俺は瑠璃から貰った小袋の包装を開けた。

 中には高品質そうな黒色の靴下が三組入っている。


「おお、靴下か。ちょうど新調したいと思ってたところだったんだ。嬉しいよ。ありがとう」

「璃央には、実用的なものをプレゼントしたほうがいいと思ったのよ。少し不安だったけど、気に入ってくれたようで安心したわ」


 さすがだな、瑠璃。

 俺のことをよくわかっているじゃないか。

 今年のプレゼント交換も無事に終わってよかった。

 だけど、やっぱり俺のプレゼントは子どもっぽいよなぁ……。


 幸い、瑠璃にプレゼントを渡す機会はまだある。

 それは、クリスマスのときだ。

 次はもっと女子が喜ぶようなプレゼントを選ぼう。

 そのためにネットや雑誌で調べたり、米原たちの意見を参考にさせてもらうとするか。


「ねぇ、璃央は知ってる?」

「ん? 何をだ?」

「プレゼントにはね、贈る相手や物によって、それぞれ意味があるのよ」

「そうなのか? それは知らなかったな」

「わかりやすいものの代表例は指輪ね。璃央は指輪を渡す意味はわかる?」

「俺でもそれくらいはわかるぞ。指輪なんだから『私のものになってください』とかだろ?」

「正解よ。同じように、今日あなたが貰ったものにも、ちゃんと意味があるのよ。まあ、意味をあまり理解せずにプレゼントしちゃって、誤解されることも多いらしいけど」

「へー。プレゼントって意外と奥深いんだな。ちなみに、この靴下はどういう意味があるんだ?」

「そ、それは……」


 瑠璃が珍しく狼狽えている。

 なんだよ自分から言い出したくせに。

 俺は携帯で靴下をプレゼントする意味を調べてみた。


 えーと、男性から送る場合は……『貴方を見下しています』だと?

 なんだそりゃ?

 じゃあ、女性から送る場合は……『私を好きにして』だと?


 いやいや、瑠璃も今言ってただろ。

 誤解することもあるって。

 これはただ単に実用的なものをくれただけだ。

 でも、せっかく本人が目の前にいるので、確認してみるとするか。

 たぶん、大した答えは返ってこないと思うが……。


「瑠璃、この靴下の意味は――」

「わ、私、眠くなってきちゃったわ! もう寝るわね! おやすみ、璃央! また明日ね!」

「そ、そうか……。お、おやすみ、瑠璃。また明日な」


 瑠璃はベッドから素早く立ち上がり、足早に部屋から出て行ってしまった。 

 瑠璃の言動はなんだか怪しかったな。

 まあ、そんなに気にすることでもないか。

 靴下を机の上に置いたあと、俺はベッドに寝転がる。

 それから、今日貰ったプレゼントの意味を調べようとした。

 そのとき、急に眠気が襲いかかってくる。


 仕方ない、今日はもう寝るとするか。

 プレゼントの意味を調べるのは、別に今日じゃなくてもいいしな。

 それと、さっき瑠璃に言われたことは、話半分に聞いておくことにするか。

 深読みして恥をかくのは嫌だからな。


 それにしても、今年の誕生日はいろんな人から祝ってもらって嬉しかった。

 今度誰かが誕生日のときは、今日みたいにちゃんと祝ってやろう。

 俺は心の中でそう思いながら、そのまま眠りについたのだった。

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