第十八話 双子と名誉の負傷


「璃央。はい、あーんして」

「おい、瑠璃。俺は子どもじゃないんだぞ?」

「いいから、早く食べなさい。学校に遅れるわよ」

「くっ! わかった。ほら、よこせよ」

「あーんして」

「あ、あーん……」

「はい、よくできました」


 俺は先日、学校の階段から落ちて大怪我をした。

 病院で診察してもらう前は、そんなに大した怪我ではないだろう、とたかをくくっていた。

 だが、俺の予想は大きく外れることになる。


 なんと、右手の人さし指と中指、薬指の骨にヒビがはいっていたのだ。

 さらに、右手首と右足首は捻挫していた。

 治療のために、右手の指と右手首と右足首にがっちりとギプスを巻かれてしまう。

 利き手である右手の指はすべてギプスで固められ、右手を固定するために、右腕にアームホルダーも付けた。

 それだけではなく、右足首の負担を減らすために、松葉杖を使わないと歩けない。

 要するに、右半身がまったく使えない状態なのだ。

 これでは箸やペンさえも持てない。

 階段を上るのにも一苦労である。


 風呂も基本湯船には入れず、シャワーしか浴びることができない。

 シャワーを浴びるときは、防水ギプスカバーを右手と右足に付けないといけないので、手間がかかる。

 恥ずかしいことに、片手だけでは身体も満足に洗えないため、瑠璃とじいちゃんの介助が必要だ。


 悪いことが重なりまくり、俺は絶望していた。

 一日でも早く怪我が治ってほしいと切望している。

 だけど、まだ患部がじんじんと痛むので、治るのは当分先になりそうだ。

 ちなみにこの怪我は、全治するのにあと一か月くらいはかかるらしい。

 その事実は、俺にさらなる絶望を与えた。


 おまけに食事をするときも、介助が必要だ。

 使い慣れていない左手では箸どころか、スプーンも満足に持てない。

 なので、食事は瑠璃に食べさせてもらっている。

 しかし、いくら姉弟でも、この歳で「あーん」はさすがに恥ずかしい。

 なぜか瑠璃は嬉しそうにしているが。


「いやー、今の瑠璃と璃央は、新婚の夫婦みたいじゃのー! 璃央、気分はどうじゃ?」

「じいちゃん……。治ったら、覚えてろよ……」

「ひっ! そ、そんなに怖い顔しなくてもいいじゃろ? 冗談じゃよ、冗談」

「璃央。ほら、あーんしなさいよ」

「……瑠璃はこんなことをして、恥ずかしくないのかよ?」

「私は別になんとも思わないわ。というか、意識するほうが問題じゃない? 私たち、姉弟なのよ? これくらいなんてことないでしょう?」


 くそっ!

 じいちゃんはからかってくるし、瑠璃もどこかおかしい。

 こんなの、あと一か月も耐えられるのか?


「璃央、早くあーんして」

「あーもうわかったよ! どんどん持ってこい!」


 悲しいことに、今は開き直って、この状況をただ受け入れることしかできなかった。







「すまん、璃央。今日は送迎ができんのじゃよ。最近、仕事が忙しくてな」

「気を遣ってくれてありがとな。送迎はじいちゃんの都合がつくときでいいよ。まったく歩けないわけじゃないからな」

「そうか。では行ってくるぞい。気をつけて登校するんじゃぞ」

「ああ、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい、おじいちゃん」


 じいちゃんは最近仕事が忙しいようだ。

 もう歳も七十近いというのに、朝早くから夜遅くまで、身を粉にして働いてくれている。

 俺たちのために頑張って働くじいちゃんには、改めて尊敬の念を覚えた。

 いつもありがとな、じいちゃん。


「私たちも準備をしましょうか。階段は一人で上れそう?」

「……すまないが、少し手を貸してくれ」

「わかったわ」


 俺が怪我をしたとき、瑠璃はひどく動揺していた。

 だが、今は冷静に俺を介助してくれている。

 瑠璃は俺が怪我をしてから、また一緒に登校してくれるようになった。

 さすがに、こんな状態の俺を一人にするのは心配なのだろう。

 きっと逆の立場でも、俺は瑠璃と同じようにするはずだ。

 学校に行く支度をして、家から出ようとしたとき、チャイムが鳴った。

 どうやら、あいつが来たようだ。


「瑠璃、璃央。おはよう!」

「おはよう、葵月」

「おはよう、牧本」


 あいつとは牧本のことである。

 先日、俺と牧本は一緒に階段から落ちた。

 俺とは違い、牧本は一切怪我をしておらず、無事だったのだ。

 大切な友達を守ることができて、本当によかった。


「璃央、歩けるか? 荷物は私が持つからな」

「ああ、助かる」

「そんなに気を遣わなくていいのよ。あなたが悪いわけじゃないのだから」

「いいや、これは私の責任だ。璃央が完全に治るまで、手伝うからな」

「そう……」


 そもそもの原因は、俺が階段の近くで牧本を無理に引き留めたことが関係している。

 だから、牧本は何も悪くない。

 しかし、牧本自身は自分に責任があると思い込んでいるらしい。

 

 牧本には何度も謝罪をされた。

 全然気にしてないし、別に責任を取る必要もない、と伝えてはいる。 

 だが、牧本は朝練を休んでまで、俺を介助する、と言ってくれた。

 最初は断っていたのだが、あまりにもしつこ……真剣だったので、仕方なく承諾することにしたのである。

 なので、俺の怪我が治るまで、毎朝一緒に登校することになった。 

 牧本には、主に俺の荷物を持ってもらっている。

 いつも部活で鍛えられているだけあって、俺の荷物を持つくらい割と平気なようだ。


 ここで俺の外出するときの装備を紹介しよう。   

 まずギプスを着けた右足首には、ギプス用のサンダルを履いている。 

 右腕はアームホルダーで固定されていて、左腕は松葉杖でふさがっていた。

 まだ松葉杖というものに慣れていないせいか、バランスをとるのが難しい。

 そのため、倒れないように一歩ずつ慎重に歩かなければならず、登校するのにも一苦労だ。


 以上のことを踏まえて、瑠璃と牧本は俺が転ばないように、両サイドから補助をしてくれている。

 牧本に仕事が集中しているが、本人は嫌な顔ひとつせず、淡々と俺を介助してくれた。

 二人のおかげで、学校に通うことができているので、本当に感謝している。

 だけど、その反面、俺はこんなみっともない姿を二人には見られたくなかった。







 俺たちは登校中、コンビニの前を通る。

 普段なら鈴音がここで待ち伏せているのだが、怪我をしてからはそれがなくなった。

 どうやら、鈴音なりに配慮をしてくれたらしい。


「ん? どうしたんだ、コンビニなんか見て? あっ、そうか! 腹が減ったんだろ?」

「違う、特に意味はない。気にしないでくれ。というか、それはお前の願望だろ?」

「へへー、ばれたか」

「朝飯を食ってないのか?」

「いや、しっかり食べたぞ。なんならご飯をおかわりしたくらいだ」

「それならなんで腹減ってんだよ……」

「私はまだまだ育ち盛りだからな! 朝練のあとや部活前には、いつも何か食べないと腹が減って力が出ないんだ」

「今は朝練してないだろ」

「これは癖というかなんというか……」

「そうか……。それでどうする? 寄るのか?」

「璃央を置いてそんなことをするわけないだろ? 私のことは気にするな、ほら行くぞ」

「ああ」


 その後、学校に到着し、昇降口で上履きに履き替える。

 そして、最後の難関である階段が俺たちの前に立ち塞がった。


 俺たちの教室は二階にあるので、必然的に階段を利用しなければならない。

 しかし、俺はまだ松葉杖の使い方に慣れておらず、階段を上れるかわからないのだ。

 たぶん、一人で上ったら、バランスを崩して転倒してしまい、余計な怪我を増やしてしまうだろう。


「璃央、大丈夫か?」

「大丈夫だ。今はお前らが支えてくれてるからな」

「そうか、じゃあ上るぞ」

「おう」


 瑠璃と牧本のおかげで、なんとか教室までたどり着くことができた。

 無事に自分の席に座ることができて、ホッとしている。


「おはよう、璃央君。怪我の具合はどう?」


 ホッとしたのも束の間、鈴音が話しかけてきた。

 席が離れているのにもかかわらず、鈴音は毎朝、わざわざ俺のところまで話をしに来る。

 鈴音から好意を持たれている、とわかったうえで話すのは少し照れくさい。


「おはよう、鈴音。俺に何か用事でもあるのか?」

「用がなかったら、話しかけちゃいけないの? 私たち『友達』なのに?」


 鈴音はわざとらしくそう言って、笑顔を作る。

 「友達」という単語に妙な引っかかりを覚えるが、気にしてはいけない。

 変に動揺したら、からかわれるだけだ。


「私にも何か手伝えることはないかな? 璃央君のためなら何でもするよ?」


 ありがたいが、普通何でもするとか自分で言うか?

 鈴音のアプローチは若干重めだな。

 しかし、鈴音からの厚意を無下にしたくはない。


「じゃあ、また前みたいにクッキーを作ってきてくれないか?」

「えっ? クッキー? 別にいいけど、日常生活のこととかは手伝わなくていいの?」

「その辺は瑠璃と牧本で間に合ってる。それに、俺はこれ以上、誰かに迷惑をかけたくないんだ」

「私は迷惑だなんて思わないよ? でも、璃央君が、クッキーを食べたい、って言うのなら明日から作ってくるね」

「ありがとな、鈴音。お前の作るクッキーを食べると元気が湧いてくるんだよ。今の俺には必要なんだ。よろしく頼むな」

「そ、そうなんだ……。なんか照れるなぁ……。よし! 明日から毎日頑張るぞー!」

「お、おい、別に毎日じゃなくてもいいからな?」


 どうやら鈴音は、かなり張り切っているようだ。

 本当に毎日作ってきそうなテンションだったので、俺は少しだけ心配になった。







 現在数学の授業の真っ最中だ。

 みんなが必死で問題を解いている中、俺は暇を持て余していた。

 理由は簡単で、利き手が使えないからである。

 左手でも書けるだろ、という意見もあるとは思う。

 だが、いざ左手で書こうとすると、手が震え、ミミズがのたくったような字しか書けないのだ。

 俺には黒板に書かれた公式と解き方を丸暗記することしかできない。


 これはすべての授業にもいえることだが、板書の時間がなくなると、意外と暇を持て余す。

 別に授業を真面目に受けていないわけではないが、どうも手持ち無沙汰なのだ。

 ちなみに、ノートはあとで瑠璃に写させてもらえればいいと思っている。

 だから、俺のノートは真っ白だ。


 ……これは甘えなのだろうか。

 まあ、こんな状態なのでしょうがないよな。

 ここは割り切って、授業に集中することにしよう。







「ほら、口を開けろよ」

「お、おい、牧本。何もそこまでしなくてもいいんだぞ?」


 俺と剛志と弘人は、いつも空き教室で昼食をとっている。

 しかし、俺が怪我をしてからは、自分たちの教室で昼食をとるようになった。 

 怪我のおかげで、女子たちからの圧力はほとんどない。

 だけど、問題が一つあった。

 その問題とは、牧本が俺たちと一緒に昼食をとるようになったことである。


 俺は左手だけじゃ満足に飯も食えない。

 なので、昼食のときは牧本に介助をしてもらうことになったのだ。

 当初、俺の食事の世話は瑠璃が行う予定だった。

 だが、責任を感じていた牧本は、私がやると言って譲らなかったのだ。

 牧本のしつこさに、さすがの瑠璃も根負けしたらしい。


 そのような背景があって、牧本が手伝ってくれているのだが、また問題が発生した。

 牧本は、瑠璃が俺に朝食を食べさせていたように「あーん」をしてきたのだ。

 確かに今の俺は箸も持てない。

 だからといって、公衆の面前で「あーん」はどうなんだ?


「どうしたんだ? 早く食べないと昼休みが終わっちまうぞ。今さら恥ずかしがるなよ。私たち友達だろ?」


 いくら友達といっても、さすがに異性から食べさせてもらうのは恥ずかしい。

 しかも、剛志や弘人だけではなく、ほかのクラスメイトも興味深そうに見ているのだ。

 これなら、まだ瑠璃にしてもらったほうが、気恥ずかしさや抵抗感もなかったのではないか。

 

 俺は少しだけ後悔をしていた。

 だが、ここまできたら文句も言ってられないのだ。

 この状況を終わらせるためには、昼飯を早く食べるしかない。 

 牧本は真剣にやってくれている。

 ここは素直に食べさせてもらうことにするか。


「あ、あーん」

「お! やっと観念したか? ほらよ」

「ん、ありがとな」

「こうやって、誰かに食べ物を食べさせるなんて、初めてのことだから不思議な感じだ」

「嫌だったら、無理してやらなくてもいいんだぞ?」

「別に嫌なわけじゃねぇよ。むしろ、ちょっと楽しいな。なんか新たな自分を発見した感じだ」

「お前たち。イチャイチャするのは構わんが、ここは学校だぞ?」

「もしかして、僕たちはお邪魔かな?」

「イ、イチャイチャなんてしてねぇよ。牧本、早く残りも食わせてくれよ」

「あ、ああ、わかった。私たち、周りからはそう見られてるのか……」


 牧本は剛志と弘人に茶化されて、少し顔を赤らめていた。

 おいおい、勘弁してくれよ。

 お前がそんな顔をすると、こっちも気まずくなるだろうが。

 それからいろいろあったが、俺は無事に昼食を食べ終えることができた。


 それにしても、周りからの視線が気になったな。

 特に鈴音からの突き刺さるような視線が、痛いほど伝わってきた。

 自分の告白を保留にしているやつが、ほかの女子と楽しそうに食事をする姿なんて見たくはないだろう。

 しかも、しょうがないとはいえ「あーん」までさせている。

 これはさすがに怒られても仕方がないよな。


 しかしながら、鈴音についての記憶は、まだ戻っていない。

 鈴音はいつまで俺の返事を待ってくれるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、授業も終わり、下校する時間になっていた。


「璃央、帰るわよ」

「そうだな。それで、悪いんだが……」

「階段を下りる補助が必要なんでしょ? 大丈夫、任せて」

「私も手伝うぞ」

「助かる。二人ともありがとな」


 俺は登校したときと同じように、瑠璃と牧本に手伝ってもらい、昇降口までたどり着いた。

 あとは靴を履き替えて、歩いて帰るだけだ。


「じゃあな、瑠璃、璃央。本当は下校するときも一緒にいてやりたかったんだけどな」

「気持ちだけ受け取っておくよ。今日もありがとな、牧本。あんま責任を感じるなよ。お前が悪いわけじゃないんだからな」

「あ、ああ……」

「璃央の言うとおりよ。あなたがそこまで背負う必要はないわ。自分の時間も大切にしなさい」

「お、おう、わかったよ」

「じゃあ、また明日な」

「また明日ね」


 俺と瑠璃は牧本と別れ、校門まで来た。

 しかし、そこにはなぜか鈴音が一人で立っていた。

 どうやら、俺たちを待っていたようだ。


「鈴音、何か用か?」

「うん、ちょっとね。……ねぇ、二人とも。何か手伝えることはないかな? 私も二人の力になりたいんだよ」

「気持ちは嬉しいが……」

「気を遣ってくれてありがと。でも、気持ちだけで十分よ。それに、鈴音の負担になるのは悪いわ」

「そ、それくらい気にしないよ!」

「でもあなた、最近バイトで忙しいんでしょ? 無理に手伝わなくていいのよ。璃央のことなら、私と葵月で対処できるわ。あなたは自分のことを優先したほうがいいんじゃない?」

「そ、そうだね。ごめん、璃央君。何にもできなくて……」

「なんで鈴音が謝るんだよ? 鈴音は今回の件には関係ないんだから、あまり気にするなよ」

「関係ない……。そうだよね……」

「じゃあね、鈴音。また明日」

「また明日な、鈴音。バイト頑張れよ」

「うん……。また明日ね……」


 鈴音を説得したあと、俺と瑠璃は家に帰る。

 そういえば、瑠璃の言葉には少し棘があったような気がしたな。

 喧嘩でもしたのか?

 昼食のときは、仲良く一緒にいたような気がしたが……。


 それにしても、鈴音がバイトをしているなんて初耳だ。

 そういや、雑誌で読んだな。

 読モはほとんど自費だから、服代とかでいろいろとお金が必要らしい。

 毎回違う服装の写真をSNSにあげたりするのは、さぞ大変だろう。

 女性用の服って高いからな。

 服代を稼ぐために、バイトで忙しいのも納得できる。

 どうやら、鈴音も鈴音で苦労しているようだ。


 安易に、クッキーを作ってくれ、なんて言うんじゃなかったな。

 俺は後悔の念を抱きながら帰宅した。







 そんなこんなで、一週間があっという間に過ぎ、登山の日になってしまった。

 今日の天気は快晴であり、絶好の登山日和だ。

 登山日の天候というのは大変重要らしく、台風が来たりすると、すぐに中止になってしまうらしい。

 クラスメイトの半分くらいは、台風が来て中止になるのを望んでいたらしいが、どうやらそれは叶わなかったようだ。

 まあ、登山に行けない俺には関係のないことだがな。

 せいぜい俺の分も楽しんできてくれ。


 それはさておき、俺の怪我の状態は以前より良くなっていた。

 痛みはかなり治まり、松葉杖生活にも慣れ始めてきている。

 今では補助無しで、階段の上り下りもできるようになった。

 しかしながら、左手を使って食事をすることは、無理だったのである。

 フォークは使えるが、スプーンと箸が使えないのだ。

 左手でスプーンや箸を持つと、ガクガクと震えて、食べ物を上手く口まで運べない。

 なので、いまだに瑠璃や牧本に食事の世話をしてもらっている


 我ながら恥ずかしいことだが、できないものはしょうがない。

 一応、使えるように努力はしているが、たぶん上達はしないだろう。

 なんとなくそんな気がした。


 話は変わるが、今日から明日の昼まで、この家の住民は俺だけになる。

 というのも、じいちゃんは県外に用事があって、明日の昼まで帰ってこないのだ。

 瑠璃が登山を終えて帰ってくる時間帯も、明日のお昼頃になるだろう。

 瑠璃は直前まで、登山を休んで俺の面倒を見ようとしてくれていた。

 だけど、さすがにそこまでさせたくなかったので、なんとか説得して見送ってやったのだ。

 実のところ、家で一人きりになるという機会があまりないので、少しだけ気分が高揚している。

 とはいえ、何か特別なことをするわけでもないのだがな……。


 そんなことを考えながら、リビングでテレビを観ていたとき、突然家のチャイムが鳴った。

 現在の時刻は午前九時。

 ……こんな時間から誰だ?


 別に宅配物も頼んでないし、出る必要もないよな。

 どうせ胡散臭い勧誘かなんかだろう。

 俺はそう思い、居留守をすることにした。

 しかし、何度もしつこくチャイムが鳴る。

 俺はついに耐えきれなくなった。

 文句の一つでも言ってやろうと思い、足を引きずりながら玄関まで行き、扉を開ける。


「おい! うるさいぞ! こっちは怪我を――」

「おはよう、璃央。やっぱりいるじゃないか。何度もチャイムを鳴らして悪かったな。璃央のことが心配だったんだよ。それじゃあ、上がらせてくれ」


 そこには、リュックを背負い、登山服を着た牧本が立っていた。

 よく見ると、両手は買い物袋でふさがっている。

 なぜか牧本は家の中へと入り、荷物を下ろす。

 そして、俺のことを不思議そうに見つめる。


「おい、いつまでそうやって突っ立ってるんだよ?」

「ま、牧本? な、なんで勝手に人の家に上がってるんだよ? というか、登山はどうした?」

「登山は休んだ」

「な、なぜ?」

「だって今日と明日、この家には璃央と源一さんしかいないんだろ? 源一さんは毎日仕事で忙しくて、家事をするのも難しい、って瑠璃から聞いてるぞ? だから私が、源一さんの代わりにお前の世話をしに来たんだ。そういうことでよろしくな、璃央」


 牧本は笑顔でそう言い放つ。

 こうして俺と牧本は、明日の昼まで、一つ屋根の下、二人っきりで生活することになってしまった。

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