第十七話 双子の転変

 俺はまた過去の記憶を思い出した。

 しかし、その記憶は、先日告白された女の子についての記憶ではなかったのだ。

 新たに思い出した記憶は、いつも身近にいる親しい女の子との記憶であった。


「そうか、お前も昔の俺と出会っていたんだな」


 俺は小中学生のときの記憶を、断片的に取り戻した。

 どうやら俺は、小学生の頃もいじめに遭っていたようだ。

 だけど、それは中学のときほど、ひどいものではなかった。

 いじめというより、過剰ないじりを受けていたのだ。


 当時、俺は「いじり」を「いじめ」ほど深刻なものだとは考えていなかった。

 むしろ、いじりくらいあって当たり前だ、と思っていたのである。

 だが、今こうして思い出してみると、「過剰ないじりはいじめと同じ」ということを改めて実感した。







 気がつくと、俺は真っ白な空間に立っていた。

 目の前にはもう一人の俺が笑顔で立っている。


「やあ、こんにちは。璃央くん」

「よお、久しぶりだな」

「久しぶりに会えて僕も嬉しいよ。ところで、今年の夏は満喫できたかい? よかったら、夏の思い出を是非とも聞かせてほしいな」

「それはお前だって知ってるだろ。お前も俺なんだから」

「ふふっ、それもそうだね」


 もう一人の俺は、わざと意地悪な質問をしてきた。

 こいつは夏休みに何があったか知っているはずだ。

 俺はからかわれるのが、あまり好きではない。         

 からかってくる相手が自分と同じ顔であるなら、なおさらだ。


「そういえば、また過去の記憶を思い出したみたいだね? 大丈夫かい?」

「……今回の記憶はそんなに衝撃的ではないな」

「そうなのかい? じゃあ、今回はあまり苦しまずに済みそうだね」

「そう願いたいよ」


 今回の記憶で思い出したことを、本人に言うべきなのだろうか。

 少し迷ったが、俺は心のモヤモヤを晴らすために、記憶の中の人物と話をしようと決心した。


「……それで、キミはほかに言いたいことがあるんじゃないのかい? たとえば、花火大会のときのこととか……」

「そうだ! 花火大会のとき、俺は鈴音に告白されたんだ! だけど、俺は記憶が戻るまで待ってほしいと言って保留にしてしまった。鈴音についての記憶はいったいいつ戻るんだ? お前なら何か知っているんじゃないのか? もし知っていたら教えてくれよ」


 もう一人の俺は、腕を組み、思い悩んでいるような表情を作る。

 こいつが悩むなんて珍しいな。


「今までだって、きっかけがあれば思い出せただろ? でも、今回は鈴音にあそこまでされても、全然思い出せなかったんだ。俺はもっと鈴音のことを知らないといけないのか?」

「うーん……。今回はなんとも言えないね、早ければ明日思い出すかもしれないし、遅くて十年くらいかかるかもしれない。いや、最悪、一生思い出せない可能性もあるかもね」

「そ、そんな……」


 心の中で急に焦りの気持ちが湧いた。

 一生思い出せないかもしれないだって?

 それじゃあ、意味がない。


「そんなに悩むのなら、あの場で鈴音さんを受け入れたほうがよかったんじゃないかな?」

「……あのときは鈴音に対して罪悪感があったんだ。大事な過去を思い出していないのに、付き合うなんて、俺にはできなかった」

「そういう真面目なところは、キミの長所でもあるね。でも、鈴音さんとすぐに付き合わなかったのは英断だったと僕は思うよ」

「……は? それは、どういう――」


 質問をする前に白い空間が崩れ始める。

 そして、俺の意識はあっという間になくなってしまった。







 夏休みが終わり、二学期が始まった。

 学校では、日に焼けた生徒を大勢見かける。

 みんなそれぞれ夏を楽しんだのであろう。

 俺も今年の夏休みは楽しめた。

 まあ、去年がひどすぎただけかもしれないが。

 そんな中、俺の周りの環境は少しずつ変化していた。

 

 まず一つ目の変化は、牧本との早朝ランニングがなくなったことだ。

 厳密に言うと、俺も牧本もランニングは続けているが、それぞれ一人で走ることになったのである。

 牧本は理由を詳しく話してくれなかった。

 しかし、これは牧本自身が望んだことなので、俺は仕方なく受け入れたのである。


 二つ目は、瑠璃が俺と一緒に登下校しなくなったことだ。

 二学期が始まってもう一週間が経過した。

 しかし、俺はまだ一度も瑠璃と登下校をしていなかったのだ。

 いつかこんな日が来るとわかってはいたが、突然のことで最初は少し驚いた。

 だけど、今では、無事弟離れしてくれてよかった、と思っている。


 そして、三つ目の変化だが……。


「おーい! おはよう、璃央君!」

「……おはよう、鈴音」

「なんだか表情が暗いみたいだけど、大丈夫? はい、これでも飲んで元気出してよ」

「あ、ああ、いつもありがとな」


 俺は鈴音と一緒に登校するようになったのだ。

 登校するとき、いつも複数のコンビニの近くを通る。

 鈴音はそれを狙って、毎日どこかのコンビニで待ち伏せしているのだ。

 その結果、一緒に登校するようになってしまった。


 しかも、毎日コンビニで買った飲み物を渡してくる。

 さすがに毎日貰うのは気が引けたので、たまにでいいとは伝えた。

 だが、今もこうして渡してくるのだ。

 ちなみに今日は葡萄ジュースを渡された。


「どうしたの? もしかして、葡萄ジュース嫌いだった?」

「い、いや、そんなことはない。むしろ、好きだよ」

「よかったー。私もこの葡萄ジュース好きで、今日は自分のも買ったんだよ。私たちお揃いだね」

「そ、そうか……」


 花火大会が終わったあと、鈴音は特に何のアプローチもしてこなかった。

 だが、学校が始まった途端に、一気に距離を詰めてきたのである。

 告白される前の俺は、普通に鈴音と接することができていた。

 しかし、告白されてからは、どうしても意識してしまい、上手く話すこともできない。

 こんな調子でこれからやっていけるのかよ。

 少しだけ不安になった。





 


「ねぇ、璃央君。今日の放課後だけど空いてたりするのかな? もしよければ、一緒にクレープでも食べに行かない?」


 ホームルーム前に鈴音が話しかけてきた。 

 おいおい、まだ一限目の授業すら始まっていないんだぞ。

 それなのに、もう放課後の話をしている。

 ちょっと積極的過ぎないか?


「……せっかく誘ってくれて悪いんだが、あいにく今日は用事があるんだ。すまないが、また別の日にしてくれないか?」


 これは本当のことだ。

 決してでまかせではない。

 放課後はある人物と会って、話をする約束を取り付けてある。


「そ、そっかー。わ、わかったよ。また別の日に誘わせてもらうね。なんかガツガツしてて、ごめんね」


 鈴音は一応、自分が積極的過ぎることを理解しているようだった。

 理由を問い詰めてくるかと思ったが、意外とあっさり引いてくれたのである。

 そこら辺は自重してくれているようだ。


 鈴音は話が終わると、自分の席まで戻っていった。

 二学期になってから、席替えをしたので、もう俺の隣に鈴音はいない。

 今回はあまり話さないクラスメイトたちに囲まれてしまった。

 もし席替えをしていなかったら、鈴音のアプローチがきっとすごかったことだろう。

 これはこれでありな気がしてきたぞ。 

 それから、チャイムが鳴り、稲田先生が教室に勢いよく入ってきて、ホームルームが始まった。


「みんな、おはよう! 夏休み気分はもう抜けたか? 今日のホームルームは一週間後の『登山』についての話をするぞー!」


 クラスのみんなはあまり喜んでいないようだ。  

 微妙な顔をしている者がほとんどだった。

 かくいう俺も嬉しいとは思っていない。

 なんと、俺たちが通っている聖沢高校には、『修学旅行』などという行事は存在しないのだ。


 では、代わりになんの行事があるのか?

 高校三年間、毎年九月頃に「登山」をするのだ。

 しかも、全学年合同で最低でも一泊二日の登山。

 俺はそれを知らずに、入学してしまった。

 そのせいで、去年の登山のときはかなりつらい思いをしたのを覚えている。


「現在体育の時間を使って、登山のための体力作りをしているが、みんなどうだ? 体力はついてきたか? もし、不安だったら学校が終わってからも運動をして、最低限の体力はつけておくんだぞ」


 この行事の嫌なところの一つに、「登山のためのトレーニングをする」ということが挙げられる。

 楽しい体育の時間が体力トレーニングで潰されるのはつらい。


「まあ、みんなそれぞれ、自分の体力に合った山を選んだと思うから、そんなに心配はしてないがな」


 この登山での最大の良心は、自分が行きたい山を選べるところだ。

 ちゃんと初心者、中級者、上級者用の山を選べるようになっている。

 運動系の部活をやっていなくても、若さだけで登れる山も複数あるので、そこは安心していい。

 ……といっても、運動系の部活をやっている生徒もやっぱり登山は面倒くさいらしい。

 そのため、初心者用の山に行く生徒が多いのも事実である。


 ちなみに俺は、弘人と一緒に中級者用の山に登る予定だ。

 剛志は部活の仲間と一緒に、上級者用の山を登ると言っていた。

 仲の良い女子たちには、まだどこの山に登るかは訊いていない。

 たぶん、牧本は上級者用の山に挑戦するだろうな。

 ほかの面子は体力がなさそうなので、初心者用の山に行くのが容易に想像できる。


「先日配った登山のしおりを、各自しっかり読んでおくようにな。登山で規則を破ったり、忘れ物をしたりするのは、生死に関わるからな。特にカッパや雨具は忘れるなよ! 絶対にだ!」


 そういえば、去年の登山のオリエンテーションのときも、同じようなことを言われたな。

 どうやら、登山ではカッパや雨具が重要視されているようだ。

 なんでも登山では体温の維持が大切らしく、雨が降ったとき、カッパや雨具が必須だといわれている。

 雨に濡れて体温が奪われると、低体温状態になるおそれがあり、それが生死に関わる問題になるらしい。 

 なので、カッパや雨具は二、三万円くらいの高くて、通気性のいいものを購入することになっている。


 そして、この登山で最も難易度が高いのが、登山用品を全て買い揃えることである。

 一式買うと約五、六万は下らないだろう。

 高すぎである。

 しかも、このほかに雑費もかかってしまう。

 いくら三年間使うといっても、普通の修学旅行に行くより金がかかっているのではないだろうか。


 俺たちの高校は公立なので、金銭面で負担をかけたくない家庭もきっとあるはずだ。

 一応高校の事前説明で、登山があることは公にされていたらしい。

 しかし、俺みたいに知らなかった生徒も少なからずいるだろう。

 登山はこの高校の伝統らしいが、そういった理由で俺はあまりいい行事とは思っていなかった。


「よし! じゃあ、ホームルームはこれで終わりだ! 今日も頑張ろうな!」


 こうして、あまりよくない雰囲気の中、ホームルームが終わったのである。

 クラスのみんなの様子を見ると、そんなに盛り上がってはいなかった。







「なあ、剛志。本当に昼飯は、今までどおり俺たちと一緒でいいのかよ?」


 昼休み、俺と剛志と弘人は、いつものように空き教室で昼食をとっていた。

 それ自体は別に悪いことでもなんでもない。

 しかし、剛志はついこの間、米原と付き合ったばかりだ。

 付き合ったからには、一緒に昼食をとるのが普通ではないのか、と思っていた。


「なんだよ、璃央。お前、もしかして気を遣ってるのか?」

「そうだよ、悪いか?」

「気持ちは嬉しいが、メシはお前たちと食ったほうがうまいからこのままでいいぞ」

「剛志……」

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


 実に剛志らしい発言だな。

 俺は少し嬉しくなった。

 弘人も喜んでいるようだ。 

 だが、疑問はまだある。


「だけどいいのか? お前はいつも部活があるから、米原と一緒に帰ったりできないだろ? それだと、二人の時間がなかなか作れないんじゃないのか?」

「それは少し心配し過ぎじゃないかな?」

「弘人の言うとおりだ。毎日連絡はとってるし、たまに米原は、部活が終わるまで待ってくれているときもあるからな」

「そ、それならいいが……」

「璃央にはまだわからないことかもね」

「おい、弘人。俺はお前が隠れて彼女を作ってたことをまだ許してないからな」

「ご、ごめん。今度男女の付き合い方について、いろいろと教えるから許してくれないか?」

「……その内容次第だな」


 剛志と弘人は、すでに俺とは別の次元に行ってしまったようだ。

 親友に彼女ができて、本当によかったと思っている。

 この感情は嘘じゃない。

 けれども、少し複雑な気持ちになってしまっているのも事実であった。







 放課後、俺は特別棟の二階にある多目的室へ向かっていた。

 そこで、ある人物と二人きりで会う約束をしているのだ。

 多目的室前まで行くと、人の気配がした。

 どうやら、あいつはすでに教室の中にいるようだ。

 俺は気持ちを落ち着かせ、深呼吸をしてから、扉を開けた。


「よう、璃央。私に何か用なのか?」

「ああ、お前に訊きたいことがあるんだ、牧本」


 俺が思い出した記憶、それは牧本との記憶だったのだ。

 まさか、牧本も俺の過去に関わっているとは思わなかった。

 思い出したときは、驚いたものだ。


「……それで、話ってなんだよ? もしかして、早朝のランニングの件か?」

「いや、それとは関係ない」

「なら、なんだよ? 二人でいるのを誰かに見られたら、勘違いされるかもしれないだろ? そうなると鈴音に悪いし……。それに、私は今日も部活があるんだ。早く用件を言ってくれよ」


 なんでそこで鈴音の名前が出てくるんだ?

 なぜ牧本も瑠璃と同じことを言うのかと疑問が湧いた。

 だが、今はそんな話をしたいわけじゃない。


「じゃあ、単刀直入に訊くぞ。牧本は小中学生のとき、俺と同じクラスだったよな? なんで教えてくれなかったんだ?」

「……え?」

「昨日やっと思い出したんだ。プールのときに言ってたやつって俺のことだろ? 俺なんかが人に影響を与えるなんて信じられなかったけどな……」

「そ、そうか、記憶が戻ったんだな。い、今まで隠してて悪かったよ。よ、用事はそれだけか? わ、私はこれから部活だから……。じゃあな」

「おい、待てよ。まだ話したいことがあるんだ」

「璃央にはあるかもしれないが、私から話すことは何もない!」


 牧本は早歩きで廊下に出て、階段へと向かっていく。

 俺も多目的室を出て、階段の前で牧本の腕を掴んだ。


「牧本、どうした? お前何か変だぞ?」

「う、うるさい! 私に触るなよ!」


 牧本は掴まれた腕を振り払う。

 俺はその勢いの強さに、思わず掴んでいた牧本の腕を離してしまう。

 腕を離したせいで、牧本の身体は自分の腕の勢いに引っ張られた。

 そして、体勢を大きく崩し、倒れそうになる。

 しかも、最悪なことに、倒れる先は階段の方向だ。

 このままでは、牧本が階段から落ちてしまう。


「うあっ!?」

「牧本、危ない!」


 俺は咄嗟に牧本の腕をもう一度掴んだ。

 一瞬、牧本の身体が静止した。

 しかし、牧本の身体はすでに階段から落ちかけている。

 手すりを掴めなかった俺も、牧本の身体に引っ張られ、そのまま一緒に階段から落ちていく。

 俺はなんとか牧本を守ろうとして、空中で胸元に引き寄せる。

 結果、俺の身体は牧本を包みこむような形となった。

 そして、俺と牧本はその状態のまま、一緒に階段から落ちてしまったのだ。







「……おい! 璃央! 大丈夫か!? 返事をしてくれ!」


 牧本の叫ぶような声が聞こえてくる。

 どうやら俺は、少しの間意識を失っていたようだ。

 俺は牧本を安心させるために、返事をしようとした。


「だ……大丈夫だ。それよりも……牧本は大丈夫なの……か?」


 声を出そうとしたが、掠れた声しか出せなかった。

 背中を強く打ったらしく、そのせいで声が上手く出せないようだ。

 今は呼吸をするのもつらい。


「よかった、意識はあるみたいだな。 私は平気だぞ。璃央が守ってくれたおかげでな。今先生を呼んでくるから、少し待っててくれ」


 牧本は急いで先生を呼びに行ってしまった。

 ありがたいことだが、少し大げさじゃないか?


 俺は立ち上がろうとして、右手を床につけた。

 その瞬間、右手に激痛が走る。

 右手を見てみると、人さし指と中指、薬指が大きく腫れ上がっていた。

 それに加え、右手首がまったく動かない。

 不運なことに、手首も怪我をしているようだ。


 これはまずい。

 下手したら折れてるんじゃないか?

 今まで体験したことのない痛みに、若干恐怖を覚えながら、右手を使わずに立ち上がろうとした。

 しかし、立った瞬間、今度は右足首に痛みが走ったのだ。

 俺は痛みに耐えられず、その場に倒れ込む。

 最悪なことに、右足首も怪我をしているようだ。


 これは参ったな。

 俺の身体はボロボロだ。

 これじゃ、来週の登山は厳しそうだな。

 すまん弘人、悪いが一人で登ってくれ。


 俺はその場にだらしなく寝転がる。

 情けないことに、今は動けない自分を自嘲しながら、牧本と先生をただ待つことしかできなかった。

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