第十六話 双子と夏の魔物 漆
今日は花火大会の日である。
夏休みも終盤にさしかかっていたが、俺はこの日を長らく待ちわびていた。
正確に言えば、待ちわびたのは俺ではなく、剛志と米原の二人だ。
先日の会議で決定した、米原の理想の告白シチュエーション。
俺と弘人は、剛志にそれとなく伝えておいた。
しかし、それだけでは少し心許なく思ってしまう。
なので、俺は剛志と米原を二人きりにするという決まりを破って、隠れて尾行することにした。
俺と一緒に行動する鈴音は、瑠璃たちと合流させてやろう。
鈴音とはいまだに気まずかったので、離れる理由ができてちょうどいいしな。
「……ねぇ、璃央。あなた変なことを考えてない?」
急に瑠璃に話しかけられて、俺は現実に戻った。
現在俺と瑠璃は、みんなとの集合場所である、駅前の公園に向かっている最中だ。
花火大会の会場は、駅から歩いていける距離にあるため、ひとまずそこで集まることになっている。
「別に変なことは考えてねーよ」
「ふーん……。どうせ鈴音のことでも考えたんでしょう?」
いつも考えていることが顔に出やすい俺だが、今回は大丈夫だったようだ。
いや、実際は顔に出ていたようだが、瑠璃の考えは珍しく外れていた。
「鈴音のことを考えてたら、何か変なのか?」
「……別に」
俺が答えた途端、瑠璃の機嫌が急に悪くなり、そのまま黙り込んでしまった。
瑠璃が何を考えているか、時々わからなくなる。
なぜ執拗に、鈴音のことばかりを訊いてくるのだろうか。
そうして、瑠璃の機嫌が直らないまま、駅前の公園に着いてしまった。
近くで花火大会が行われる影響なのか、駅前の公園はたくさんの人で賑わっている。
「おーい! 瑠璃、璃央! こっちだー!」
すると、どこからか牧本らしき人物の声が聞こえてくる。
どうやら、向こうから見つけてくれたようだ。
それから、俺たちは無事みんなと合流することができた。
俺たち以外は全員集まっており、俺と瑠璃が最後だったようだ。
予定どおり、女子たちは全員浴衣を着ていた。
去年までのことを考えると、浴衣姿の女の子を間近に見られるなんて奇跡に近い。
なんだか新鮮な気分だ。
「待たせて悪いな」
「大丈夫だよ。みんなも今さっき来たところなんだ」
「そうか。それじゃ、みんな揃ったわけだ。なら、さっさと行くとするか。早く行って、花火を観る場所を確保しようぜ」
「そうだね。おーい! みんな、そろそろ行こうよ!」
弘人が全員に声をかける。
そして、俺たちは花火大会の会場まで向かうことにした。
それにしても暑いな。
日は完全に落ちたはずなのに、気温は昼間とあまり変わっていないようだった。
おまけに湿度が高いせいか、少し歩くだけで玉のような汗が流れてくる。
女子たちは大丈夫なのであろうか。
浴衣は意外に涼しいものではない、と噂に聞いていたので少し心配になる。
「牧本、ちょっといいか?」
「何だ?」
「その……浴衣ってどうなんだ? 暑いのか? それとも涼しいのか?」
「んー、ハッキリ言うと結構暑いな。通気性もそんなにいいわけじゃないし。扇ぐものでも欲しいくらいだ」
「やっぱり大変なんだな。熱中症にならないように気をつけろよ」
「ありがとな。でもな、私はいつも部活で今以上に暑い環境にいるから、割と平気なんだ。私よりむしろ瑠璃とか鈴音に気を遣ってやれよ」
「ああ、わかったよ」
やはり、浴衣は見た目と違って暑いんだな。
そういえば、なんで女子たちは、そんな大変な思いをしてまで浴衣を着るんだ?
よく考えてみると、そもそも浴衣を着る機会なんて、そう多くあるわけではない。
おそらく、こういった特別な日だからこそ、女子たちは自分をおしゃれに着飾りたいんだろう。
現に、浴衣を着た女性というのはいつもより、綺麗に見える。
具体的にどこが綺麗だとかは言えないが、とにかく雰囲気がいいのだ。
また、着ている浴衣の色はみんなそれぞれ違う。
瑠璃は青色、鈴音は桃色、牧本は紺色、米原は薄紫色、中城さんは薄緑色。
柄なんかも、全然違う。
花の柄や生き物の柄、西洋からきたと思われるモダンな柄など本当にさまざまだ。
浴衣っていうのはいろんな種類があるんだな。
「おい、璃央。お前、また私たちをいやらしい目で見てただろ? 二度目はないって言ったよな?」
「え?」
牧本が突然、俺にあらぬ疑いをかけてきた。
だが、今回は別にそういう目では見ていないので、冷静に反論ができる。
「単純に、浴衣を着た女子は綺麗だな、と思っただけだ。決していやらしい目で見てたわけじゃない。牧本の浴衣姿も綺麗だぞ。すごく似合ってる」
「そ、そうか。そ、それなら問題ないな。で、でも、本当に私なんかが、綺麗に見えるのか?」
「ああ、本当だ」
「そ、そうか……」
今回は無事に疑いの目を晴らすことができたようだ。
しかし、なぜか牧本は急に黙ってしまったな。
暑さのせいか?
そんなこんなで、花火大会の会場である河川敷に到着した。
俺たちは事前の計画どおりにペアを組み、剛志と米原を二人きりにさせる準備をする。
河川敷にはたくさんの屋台が並び、さまざまな食べ物の匂いが漂っていた。
そのうえ、会場は老若男女でごった返している。
会場内に流れる明るいBGM、会話音や足音、それらが夏らしい雰囲気を醸し出していた。
「花火大会ってやっぱりすごいんだね。まさか、こんなにたくさんの人がいるとは思わなかったよ」
「ああ、そうだな」
同じペアである鈴音が話しかけてきた。
鈴音と話すのは少し緊張するが、会話をしないのもまずいので一応返事はする。
俺はすぐに鈴音との会話を切り上げ、前方にいる剛志と米原を注視した。
先を歩く剛志と米原は、もうすでに二人きりだ。
どうやら、計画は成功したようだな。
俺と鈴音も二人きりになっているが、気にしたら負けだ。
「剛志君と一紗ちゃんは、無事二人きりになれたみたいだね。私たちはこれからどうしよっか? とりあえず、暑いからかき氷でも食べる?」
「すまん、鈴音。俺は今からあいつらを尾行する。やっぱり心配なんだ。悪いが瑠璃たちと合流してくれ」
「え?」
俺は鈴音から離れようとする。
しかし、鈴音が俺の手を握ってきたので、離れることができなかった。
そのまま恋人繋ぎにされ、俺は完全に動けなくなる。
「おい、離してくれよ。俺は――」
「私も一緒に行くよ。私だって一紗ちゃんを心配してるんだからね」
鈴音は真剣な眼差しで俺に訴えかけてくる。
迷っている時間も惜しかったので、渋々鈴音の同行を許すことにした。
「しょうがないな。じゃあ、行くか。一緒にあいつらが恋仲になるのを見届けてやろうぜ」
「うん!」
俺は鈴音の手を少し強く握り、剛志と米原を追いかけることにした。
「くそ! 見失っちまった!」
人波に呑まれた結果、俺たちはあっさり二人を見失ってしまった。
腕時計を見て、現在の時刻を確認する。
そろそろ花火が打ち上がる時間だ。
「おい! 千歳! ちゃんと狙えよ!」
「兄さんこそ、外してばっかりだよ!」
すると、どこかから聞き覚えのある声がしてきた。
声のするほうを見ると、そこには射的屋で遊んでいる敦と千歳がいたのである。
望み薄だが、敦と千歳に剛志たちを見かけたか訊いてみるか。
「敦、千歳、お楽しみ中のところすまない。ところで、坊主頭で背が高い男と紫色の浴衣を着た女子を見なかったか?」
「り、璃央!? 」
「璃央先輩!? 」
「悪いけど、すぐに俺の質問に答えてほしい。急いでるんだ」
敦と千歳は仲良く遊んでいるのを見られて、恥ずかしかったのだろう。
二人とも顔を赤くしていた。
まあ、俺も同じ状況に陥ったら、こんなリアクションをとってしまうかもしれないな。
「……ああ、見たぜ。あっちの方向に歩いて行ったよ。ガタイがいいから妙に目立ってたぜ」
「ありがとな、敦。千歳も兄妹仲良く楽しめよ」
「お、おうよ」
「は、はい。璃央先輩も頑張ってください」
それから、俺と鈴音は敦に教えてもらった方向へ、早足で歩き始める。
しかし、なぜか鈴音の表情が暗くなっていることに気づく。
「ねぇ、璃央君。さっきの人って……」
「ん? ああ、あいつは千歳の兄の敦だ」
「……南條……敦……。やっぱり……」
「どうした、鈴音? 顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
「……私は大丈夫。それより、早く剛志君と一紗ちゃんを追いかけようよ」
「ああ、そうだな」
鈴音は俺が痛いと感じるほど強く、手を握ってきた。
本当に大丈夫なのだろうか。
いや、本人が大丈夫と言っているのだ。
今の俺は鈴音を信じるしかない。
俺たちは剛志と米原のあとを急いで追いかけた。
俺たちが剛志と米原を見つけるよりも先に、花火が上がり始めてしまった。
観客は皆一様に空を見上げている。
そんな中、俺たちはようやく剛志と米原を見つけた。
二人は大きな木を背にして、一緒に花火を観ている。
俺たちは人混みの合間を縫って歩き、二人が背にしている木の反対側まで移動した。
おそらく、この場所なら二人の声が聞こえるだろう。
「ねぇ、剛志。花火が綺麗だね」
「ああ、綺麗だ」
予想どおり、この位置からでも聴こえるな。
だけど、花火の音が大きいので、はっきりとは聴こえない。
「ねぇ、璃央君。花火が綺麗だね」
「そうだな。綺麗だ」
鈴音も米原と同じような感想を述べている。
俺も剛志と同じで、月並みな回答しかできなかった。
今の俺の表現力では、それが限界だったのだ。
「もぉ、そこは『鈴音のほうが綺麗だよ』とか言ってくれてもいいんじゃない?」
「残念だな。あいにく、俺はそんな歯の浮くような台詞を言うタイプじゃないんだ。だが、鈴音の浴衣姿は綺麗だと思ってるぞ」
「えへへ、そう? でも、さっき同じようなことを葵月ちゃんにも言ってなかった?」
「そ、そんなことはないぞ……」
「本当かなー?」
そういや、さっき牧本にも綺麗だと言ってしまっていたな。
しかし、あのときは鈴音との距離が結構あったので、俺と牧本の会話は聞こえてなかったはずだ。
鈴音は意外と地獄耳なのかもしれない。
「ふふ、別に気にしてないから大丈夫だよ。それよりも二人はどんな話をしてるのかな? もう少し近づいて聴いてみようよ」
「わかった。少しだけだぞ?」
俺たちは少しだけ剛志たちに近づいた。
すると、さっきよりもはっきりと会話が聴き取れる。
「……あたしさ。今日の花火大会を楽しみにしてんたんだ。一応、毎年観に来てはいるんだけどね。でも、今年は剛志と一緒に観ることができたから、去年よりも特別な花火大会になった気がするよ」
「俺も米原と同じで今日を楽しみにしてたんだ。こうして米原と一緒に花火を観ることができて、俺も嬉しいよ。もしよかったら、来年も一緒に花火を観に来ないか?」
「もちろん! いいよ!」
「それならよかった。だけど、来年は今年とは違う意味で特別な日にしたいんだ」
「え? それってどういう――」
「米原、俺はお前のことが好きだ。付き合ってくれ」
「ええっ!?」
「俺たちはまだお互いのことをあまりよく知らない。俺はもっと米原のことが知りたいんだ。もちろん友達としてではなく、それ以上の関係でな。来年は俺の恋人として、また一緒に花火を観てほしいんだ」
「剛志……」
「米原、お前の気持ちを聴かせてくれ」
「……あ、あたしも剛志のことが好き……だよ。告白してくれてありがとう。あたし、嬉しいよ。あたしももっと剛志のことが知りたい! あたしのことももっと知ってほしい! こんなあたしだけど、これからよろしくお願いします!」
「一紗!! 好きだ!!」
「きゃあ!! ね、ねぇ、剛志。こんなに人がいっぱいいるところで、抱きつかれると恥ずかしいんだけど……」
「す、すまん。だけど、我慢ができなかったんだ」
「でも、嫌じゃないかも、というかむしろ嬉しい。こうやって剛志の熱い体温を直に感じられるから」
「俺も嬉しいぞ! 一紗!」
「あ、あう……」
おめでとう剛志!
おめでとう米原!
俺はお前らを心から祝福するぞ!
本当におめでとう!!
剛志のことだから、何かやらかすのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
剛志、お前の告白は格好よかったぜ。
「おめでとう……。よかったね、一紗ちゃん……」
鈴音も、米原のことを祝福しているようだ。
しかし、いつまでもここにいると、剛志たちにバレてしまう可能性がある。
さっさと退散したほうがいいな。
「剛志たちにバレないように、ここから移動するぞ。俺たちも別の場所で花火を楽しもうぜ」
「わかったよ。あ、でも、私花火がよく見える場所知ってるよ! 付いてきて!」
「お、そうなのか? じゃあ、任せる」
そういえば、鈴音はこの町の花火大会は初めてだと言っていたような……。
事前に調べたのだろうか?
とにかく、ここは鈴音に任せることにするか。
俺は鈴音に引っ張られる形で、剛志と米原のいる場所をあとにしたのだった。
俺と鈴音は花火会場から離れた、雑木林のあるところまで来た。
この辺りは人気がなく、照明もないのでかなり暗い。
「なあ、鈴音。ここは本当に花火の見える場所なのか? 木が邪魔で全然花火が見えないぞ」
「……」
鈴音は歩くのをやめ、こちらを向いた。
辺りが暗いので、鈴音がどんな表情をしているのかよくわからない。
「お、おい。どうしたんだよ、鈴音?」
「……さて、問題です。なんで私はこんな人気のないところに璃央君を連れてきたのでしょうか?」
「お、俺にはさっぱりわからないな」
「……嘘つきだね、璃央君は」
鈴音は繋いでいた手を離し、さらに接近してくる。
近づいてわかってしまった。
鈴音が妖艶な笑みを浮かべていることに。
「ち、ちょっと近くないか?」
「私はもっと近くがいいんだよ」
すでに鈴音の顔が、俺の目の前まで迫って来ている。
次の瞬間、鈴音はそのまま俺に抱きつき、胸に顔を埋めてきた。
「……ここまですれば、私がどういう気持ちなのかわかるよね? 璃央君?」
鈴音の熱い体温が徐々に俺の身体に伝わってくる。
さっきまでの夏の暑さは消え去り、今は鈴音の火照ったような体温だけしか感じ取れない。
この行為がどういう意味を持つのか、馬鹿な俺でも理解できる。
……というか、これは剛志と米原の状況とまったく同じじゃないか。
「ねぇ、璃央君」
「な、何だよ……」
「私ね……」
「璃央君のことが好きなんだ」
鈴音は埋めていた顔を上げ、息がかかるほどの距離で俺に告白をしてきた。
どうやらこれはからかっているわけでも、冗談のつもりでもないようだ。
鈴音は本気で告白している。
「……告白してくれてありがとな。好きという気持ちを向けてくれるのは素直に嬉しい。だけど、なんで俺のことが好きなんだ? 理由を訊いてもいいか?」
俺は緊張していたが、なんとか勇気を振り絞ってそう訊いてみた。
俺にはわからない。
なぜ鈴音は俺なんかを好きになったんだ?
「璃央君は、せっかく人が勇気を出して告白したのに、理由を訊くんだね。理由がなければ人を好きになっちゃいけないのかな?」
「た、たしかに、好きという感情に理由は必要ないかもしれない。告白だって、本当はものすごく嬉しいんだ。でも、鈴音がこんな俺を好きになるなんて信じられないんだよ。だから、理由があるなら教えてほしい。……頼む」
鈴音は一瞬思いつめたような顔をした。
それから、顔を下に向ける。
しかし、すぐに顔を上げ、俺と向き合った。
「理由はね。優しいところとか。友達想いのところとか……」
鈴音の言葉はすぐに詰まった。
なんだ、やっぱり俺のことはそこまで好きじゃ……。
「えっとね。全部好きなの」
「え?」
「だから、璃央君の全部が好きなの。頭の上から足の爪先まで全部だよ」
す、鈴音は何を言っているんだ!?
全部好き!?
そ、そんなことあるはずがない!
「鈴音、それは嘘だよな? 全部好きとかさすがにおかしいよ。俺は欠点だらけな人間なんだぞ」
「確かに璃央君は、私以外の女の子の顔と身体を見たり、私以外の女の子を褒めたりするよね。でも、私はそういうのも許してあげられるよ」
「ほ、ほかにも悪い部分ならたくさんあるぞ」
「たとえば、女の子をスカートの中を覗いちゃうとか?」
「なっ!?」
なぜ鈴音が過去の事件のことを知っている?
俺はまだ教えてないぞ?
「なんでそのことを知ってるんだ、って顔してるね? 簡単なことだよ。私は、瑠璃ちゃんたち以外の女の子から事件のことを聴いたの。まだ根に持っている子もいて、すぐに教えてくれたよ」
「じ、事件のことを聴いたなら、鈴音も俺に失望したり、嫌悪感を持っただろ?」
「え? ううん、全然赦すよ。だって私は、璃央君の味方だもん」
そういや前にも、瑠璃が似たようなことを言っていたな。
でもまさか、鈴音の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「鈴音が俺のことを好きなのは理解できた。しかし、今言った理由のほかにも、何か強い動機があるんじゃないか?」
「璃央君は疑り深いね。でも、正解。璃央君を好きになった一番の理由はもちろんあるよ」
「やっぱりそうなのか。それを教えてくれ……」
「その理由はね。小学生の頃、私が璃央君に救われたからだよ」
「……え?」
「私、前に言ったよね? 私が今の自分に自信を持つことができている理由」
『わ、私ね。昔は、背も低くて、体型も太ってて、自分自身が嫌いだったの。でも、ある日、ありのままの私のことを、可愛い、って褒めてくれる人に出会ったんだ。その人にもっと可愛いと思われたくて、頑張ってダイエットしたり、美容に気をつけるようになったの。今の私がいるのは、その人のおかげなんだよ』
……思い出した。
恩人がいるとは聞いていたが、それがまさか俺だとは思ってもみなかったな。
「思い出した? でもね、私、まだ大切なことを言ってなかったんだ」
「大切なこと?」
「それはね……」
「私がいじめられていたことだよ」
「……いじめ?」
「そうだよ。私は小学生の頃、いじめられてたんだ」
「そうなの……か」
「璃央君は私をいじめから救ってくれた。そのうえ、私のコンプレックスだった容姿を褒めてくれたんだよ。容姿を褒められたのは初めてだったから、私はすごく嬉しかったんだ。私はそのときから璃央君のことが好きになったんだよ。だけど、その喜びも束の間、お父さんの転勤で私はこの町からいなくなったの。だから、私は璃央君と再会するまで、もっと綺麗な女の子になろうと努力したんだよ」
昔の俺はそんなこともしていたのか。
だけど、俺は鈴音に関しての記憶は、まったく思い出せていない。
鈴音は、俺が記憶喪失だということを知っているのだろうか?
もし知らないのなら、教えておいたほうがよさそうだな。
「鈴音。俺は昔、お前のことを救ったかもしれない。だけど、俺は事故で記憶喪失になっているんだ。お前のことは何も覚えていないんだよ」
「……やっぱりそうなんだ」
「知ってたのか?」
「そうなんじゃないかな、って薄々思ってたの。転校してきたとき、璃央君は私のことを覚えていなかったよね? でも、璃央君が私を忘れるはずないもの。何か理由があるんじゃないか、とずっと疑ってたんだ」
鈴音はずいぶんと昔の俺を美化しているみたいだな。
俺のことを好きになってくれるのは嬉しい。
だけど、俺はまだ記憶が戻っていないのだ。
なので、鈴音の言うことが、どこか他人事のように感じてしまう。
「この町に戻ってきたとき、璃央君に会えるかもしれないと思って、私はすごく喜んだんだよ? しかも、転校した学校も一緒、クラスも一緒、そして、席も璃央君の隣の席になれたの! これはもう運命としか思えないよね!?」
鈴音は再び俺の胸に顔を埋め、さっきよりも強く抱きしめてくる。
苦しいと感じるほどに……。
そうか……鈴音はそこまで俺のことを……。
俺は鈴音のことが好きだ。
だがしかし、それはまだ友達の範疇を超えてはいない。
それに、今の鈴音は、昔の俺にかなり固執しているように思える。
今の鈴音と俺にはかなりの温度差があるのだ。
鈴音は運命的な出会いだと思って浮かれているが、俺の気持ちは正直そこまで盛り上がっているわけではない。
さすがにこの状況にはドキドキしているけどな。
この告白を受け入れることは簡単だろう。
今すぐ鈴音を抱きしめて、愛の言葉を囁くだけでカップル誕生だ。
そうすれば、俺も剛志も弘人も全員彼女持ちになる。
そうなったら、きっと俺たちは毎日、彼女についての自慢話に花を咲かせることになるだろう。
しかし、記憶を思い出せていない今の俺が、鈴音と普通に付き合ってしまってもいいのだろうか?
俺はそのことに罪悪感を覚えてしまう。
鈴音のことを騙しているようで、気持ちのいいものではないのだ。
「理由を話してくれてありがとな。そして、こんな俺を好きになってくれてありがとう。鈴音の気持ちは純粋に嬉しいよ」
「……じゃあ、私と付き合ってくれる?」
鈴音が再び顔を上げる。
その結果、俺と鈴音はまた向き合う形となった。
鈴音の顔は真っ赤になっており、目もトロンとしていて、扇情的な顔になっている。
俺と鈴音の距離は、今にも唇同士が触れてしまいそうなほど近い。
あと少し身体を前に傾けるだけで、鈴音を自分のものにできてしまうだろう。
だが、俺はなんとか理性を保ち、鈴音をゆっくりと引き剥がす。
鈴音の体温を感じられなくなり、少し残念な気持ちになる。
しかし、その気持ちを押し殺して、いったん鈴音との距離を取った。
「り、璃央君? ど、どうして私から離れるの?」
「鈴音、よく聴いてくれ。俺はお前とは付き合えない」
「な、なんで……?」
「記憶を思い出せていない今の俺が鈴音と付き合う、というのが不誠実だと思ったからだ」
「そ、そんなの……」
「俺も鈴音のことは嫌いじゃない。むしろ、好きなくらいだ。申し訳ないが、俺の記憶が戻るまで、返事は保留ということにしてくれないか?」
「……」
鈴音はうつむいて黙ってしまった。
そうなる理由も納得できる。
勇気を出して告白をしたら、記憶が戻るまで待ってほしいなどという、期限が曖昧な答えを提示されたのだ。
普通だったら、諦めるかビンタの一発でも食らわして、それで終わりとなるだろう。
「……わかった。璃央君の言うとおりにするよ」
「お、おい、鈴音! お前はそれでいいのかよ!? 記憶が戻るまで、なんて都合がよすぎると思わないのか!?」
「だって、私は璃央君のことがほんとに好きなんだもん。それは、いつまでも変わらないよ。この気持ちは嘘じゃない」
「鈴音……」
「とりあえず、告白の答えは保留ってことでいいよ。でも、私はただ待つだけじゃない。私にも考えがあるからね」
「そ、それは、どんな考えだ?」
「これから私は、璃央君に強めのアプローチをしていきたいと思います! そうすれば、私との記憶を思い出せるかもしれないよね?」
「そ、そうか、お、お手柔らかに頼むよ」
「大丈夫。私と璃央君の関係は今までどおり『お友達』だから。友達以上のことはしないよ」
「ならいいが……」
鈴音は前向きだな。
もし俺の記憶が戻ったら……。
そのときは真剣に鈴音と向き合おう。
俺は心の中でそう誓った。
「痛っ!」
「どうした!?」
「ちょっと足が………」
「大丈夫か? 見せてみろ」
「う、うん……」
俺は少しかがんで鈴音の足元を見た。
しかし、鈴音の足に怪我らしきものは見つからない。
「なあ、鈴音。お前本当に………」
突然、俺の右頬に柔らかいものが軽く押し付けられる。
それは俺にとって初めての感触だったので、いったい何が触れたのか、最初はわからなかった。
少し湿っていて、プルッとした感触。
これはまるで……。
俺はゆっくりと鈴音のほうに顔を向ける。
鈴音は顔を赤らめながら、口元を手で隠していた。
「……あの、鈴音さん?」
「何かな?」
「友達にキスってするものなのでしょうか?」
「友達ならキスくらい当たり前じゃないかな? 世の中にはキスフレンドっていう関係もあるらしいよ」
「そ、そうですか……」
「璃央君。今ので記憶は戻ったりした?」
「いや、全然……」
「じゃあ、もう一回してみる?」
「これ以上は本当に心臓に悪いから勘弁してくれ」
鈴音は宣言どおり、早速強めのアプローチをしてきた。
本当に鈴音の行動力には目を見張るものがあるな。
気づいたら花火も終わり、観客も皆帰っている途中だった。
それに、店を畳んでいる屋台も増えている。
俺たちは急いで集合場所まで戻ることにした。
集合場所に着いてみたら、もうすでにみんなが集まっている。
そこには剛志と米原もいた。
どうやら俺たちのせいで、待たせてしまったようだ。
剛志と米原には悪いことをしたな。
毎度毎度、遅刻してしまう自分に少し苛つきを感じてしまう。
だが、今はそんな後ろ向きな考えをしている場合ではない。
剛志と米原を盛大に祝うために、気持ちを入れ替えなければならないのだ。
「二人とも遅かったね? 何かあったのかい?」
「いや、すまん。純粋に遅れただけだ」
「みんな、待たせてごめんなさい」
「別に大丈夫だよ。これでみんな集まったから、報告できるね。みんな、聴いて! なんとあたしと剛志が付き合うことになりましたー!」
「おめでとう!!」
「おめでとうございます!!」
俺たちは無事カップルとなった、剛志と米原を盛大に祝福する。
それから、俺たちは剛志と米原を祝うために、二人が好きな屋台の食べ物を奢った。
剛志は肉がたくさん食えて満足していたようだ。
米原も剛志に「あーん」をして食べさせるなど、早速恋人らしいことをしていた。
俺たちも買い食いしたり、射的をやったり、金魚すくいなどをして、夜遅くまで楽しんだ。
全部の屋台が終わる頃にお開きとなり、俺と瑠璃は、鈴音と牧本を家まで送ることになった。
驚いたことに、剛志と米原、弘人と中城さんは仲良く夜の街に消えていったのだ。
いや待て、俺たちはまだ高校生だぞ。
でも、祭りのあとはいろいろと盛り上がると聞くし、そもそも弘人と中城さんはすでに一線を越えている。
……俺はこれ以上深く考えるのをやめた。
「ちょっと璃央。あなた今すごい変な顔してたわよ」
「璃央のことだから、またいやらしい妄想でもしてたんだろ?」
「璃央君……。本当にいやらしいことを考えてたの?」
顔に出やすい俺は、女子たちから顰蹙を買ってしまったようだ。
心の中で思うくらいいいだろ!
と反論しようとしたが、どうせ意味がないので、俺はおとなしくサンドバッグにされることを選んだのである。
そして、鈴音と牧本を家の近くまで送ったあと、俺と瑠璃だけになった。
さっきまで鈴音や牧本と楽しく話していた瑠璃は、俺と二人きりになった途端になぜか沈黙する。
そういや、瑠璃の機嫌を損ねたままだったな。
さっきまでは、剛志と米原のことで頭がいっぱいだった。
瑠璃のことを気にしている余裕は、全然なかったのである。
しょうがない、ここはひとまず俺が折れて、瑠璃に謝罪をするとしよう。
「瑠璃、さっきは悪かった。機嫌を直してくれよ」
「……嫌よ」
「そこをなんとか。いつもどおり仲良くしようぜ」
「本当は私とじゃなくて、鈴音と仲良くしたいんでしょ?」
「だから、なんでそこで鈴音が出てくるんだよ?」
「もういいわ。璃央とはしばらく口を利かないから」
「お、おい……」
瑠璃は怒って先に行ってしまった。
今日はこんなに楽しかったのに、なんで瑠璃はそんなに怒っているんだ?
せっかくのいい雰囲気をぶち壊すなよ。
まあ、夏休みが終わる頃には、いつもどおり仲の良い姉弟に戻っているだろう。
俺は瑠璃のあとを追いかけるようにして帰路についた。
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