第六話 双子と千歳

 現在俺はある悩みを抱えていた。

 その悩みの原因は、昨日知らない女子生徒から貰った謎の手紙にある。


『明日の放課後、屋上で待っています』


 手紙にはそう書いてあった。

 この流れだと、あの女子生徒から告白される可能性があるかもしれない。

 ついに俺にもモテ期が来たのか?

 最初、俺はかなり浮かれていた。


 だが今は、こんなことが現実にありえるのか? と冷静に考えてしまう。

 理由は簡単で、俺みたいな男が恋愛対象になるわけがないからだ。


 身長はほかよりちょっと高いが、顔や成績も微妙で、特に身体能力が高いわけでもない。

 俺は本当に普通の男だ。

 しかも、黒歴史持ちである。 

 いや、それらを考慮してみると、ひょっとすると普通以下なのかもしれない。

 もし俺が女子だったら、こんな低スペックな男のことなんか、好きにはならないだろう。

 

 前に読んだ本では、『女性の多くは恋にいたるまでの期間が長い傾向にある』と書かれていた。

 つまり、女性は男性ほど一目惚れをすることが少ない傾向にある。

 一年生がこの入学してから、まだ三か月くらいしか経っていない。

 しかも、俺は一年の誰とも接していないのである。


 そう考えると、一目惚れの線は薄そうだな。

 だったら、なんで俺なんかに手紙を……。

 

 考えれば考えるほど、あの女子の意図がさっぱりわからなくなる。

 何かの罰ゲームで俺に告白することになった、という可能性も捨てきれない。


「おい! 璃央!」


 声をかけられ、現実に戻される。

 そういえば、今は牧本と一緒にランニングをしている最中だったな。


「す、すまん、牧本」

「まったく……。昨日、お前は私と約束したよな?」

「何事にも全力に、だろ?」

「そうだ。でも、お前は今、別のことを考えてただろ? 走ることに全力じゃなかったよな?」


 牧本がギロリとにらんできた。

 さすがにこれは俺が悪い。


「大方、昨日の女子ことでも考えてたんだろ?」

「よ、よくわかったな」

「そりゃ、私も昨日あの場にいたんだから、わかるに決まってるだろ。どうせ『今日告白されるかもしれないな、グヘへ』とか思って舞い上がってたんじゃないのか?」


 牧本の指摘に、俺はぐうの音も出ない。

 これ以上何か反論しても、牧本には通じないだろう。


「瑠璃に手紙の件は言ったのか?」

「……なんで瑠璃に言わなきゃいけないんだよ?」

「はぁ? 私は一人っ子だからわからないけど、姉弟っていうのはそういう会話も普通にするもんじゃないのか?」

「どこの姉弟の普通なんだよ。同性ならともかく、異性の姉にはこんなこと言えないぞ」

「そ、そうなのか? 私だったら言っちまうけどな……」


 まあ、牧本には、わからなくても無理はないよな。

 しかし、いくら仲が良い姉弟でも、一線を引くところはある。

 今回の件については俺自身の問題なんだ。

 瑠璃に話す必要なんかこれっぽっちもない。

 

 いや、ちょっと待てよ……。

 今の牧本の発言を聴いて、少し心配になってきた。

 もしかしたら牧本が、手紙のことを瑠璃に喋る可能性があるかもしれないのだ。 

 別に牧本を信用していないわけじゃない。

 だが、一応釘を刺しておいたほうがいいな。


「牧本、俺はお前のことを信じてるぞ」

「な、何だよ、突然。まさかお前、私が瑠璃に告げ口でもすると思ってたのか? そ、そんなこと、す、するわけないだろ!」


 牧本は、明らかに動揺している。

 全然俺と視線を合わせようとしない。

 これはちょっと危ないな。


「このことは俺と牧本だけの秘密だぞ」


 俺はあえて、牧本を試すような言葉を選ぶ。

 さて、牧本はどうでるか……。


「わ、私と璃央だけの秘密か……」


 どうやら、牧本は迷っているようだな。

 よし、あともう一押ししてみるか。


「俺はお前との友情を、これからも大事にしていきたい。一瞬でも疑ってしまって、すまなかった。牧本は本当にいい友人だよ。いつもありがとな」


 俺は牧本に頭を下げた。

 走りながらなので、若干苦しい態勢ではあったが。


「しょ、しょうがねぇなぁ……。今回の件は何も見なかったし、聞かなかった。そういうことにしておいてやるよ。それなら、瑠璃に報告する必要もないしな」

 

 牧本は笑顔でそう言ってくれた。

 牧本を嵌めるようなことを言ってしまったので、若干俺の良心が痛んだ。

 なので、今度何か奢ってやろうと思った。







 帰宅後、俺はいつものようにシャワーを浴びてから、リビングへと向かう。

 リビングに着くと、瑠璃がソファーに座ってテレビを観ていた。


 今瑠璃と二人きりになるのは、少し気まずいな……。

 だけど、俺は別に悪いことをしてるわけじゃない。

 いちいち瑠璃の顔色を伺う必要はないんだ。

 俺はその場で深呼吸をする。

 そして、気持ちを落ち着かせてから、瑠璃に話しかけた。


「おはよう、瑠璃。じいちゃんはまだ寝てるのか?」

「おはよう、璃央。おじいちゃんは『用事がある』って言って、朝早い時間から出ていっちゃったのよ。せっかく、おじいちゃんの朝食を用意したのに……」


 テーブルには、おいしそうな三人分の朝食が用意してある。

 次の瞬間、俺の腹が大きく鳴った。


「わ、悪い……」

「ふふっ、璃央ったらそんなにお腹が空いたの? それじゃあ、朝食にしましょうか。おじいちゃんの分も食べちゃってね」

「え? じいちゃんの分もいいのか?」

「おじいちゃんは朝食と昼食はいらないって言ってたわ。だから、全部食べちゃってね」

「そうなのか。なら、遠慮はいらないな」


 朝食後、俺は苦しみながら、リビングのソファーに寝転んでいた。

 じいちゃんの分も食べたせいで、動けなくなってしまうほどの満腹感に襲われていたのだ。 

 そのため、皿洗いも瑠璃がやってくれている。

 なんだか今日の瑠璃は、いつもより優しい気がするな。


「ふぅ、お皿洗い終了ね」

「ありがとな、瑠璃。本当は俺がやらなきゃいけないのに……」

「別に気にしないで。私はね、璃央が料理をおいしそうに食べてくれたのが嬉しかったの。だから、お皿洗いも全然苦にならなかったわ」

「そうか、今日も瑠璃の料理はうまかったぞ」

「ふふ、ありがとね。それはそうと、お腹は大丈夫なの? 苦しかったら、お薬持ってくるけど?」


 本当に今日の瑠璃は優しい。

 なんだか、昨日のことを話しても大丈夫そうな気がしてきたぞ。


「なあ、瑠璃……」

「そういえば、璃央……」


 俺と瑠璃の言葉が重なってしまった。

 ここは瑠璃の話を先に聴くことにするか。


「璃央、どうかしたの?」

「いや、俺の話は別に大事な話じゃない。瑠璃の話を先に聴かせてくれないか?」

「わかったわ。あのね、璃央。そんな大したことじゃないんだけど……」


 瑠璃はゆっくりと穏やかに話を始める。

 大したことじゃないなら大丈夫か。

 それに、瑠璃は昨日のことについて、まだ何も知らないはずだ。


「最近……何かおかしなことはなかった? 」


 その言葉を聴いた瞬間、鳥肌が立った。

 瑠璃の表情は突然暗くなり、声も低くなっている。

 さらに、瑠璃は何かを見透かしたような目で、俺に質問をしてきたのだ。


「い、いきなりどうしたんだ? お、おかしなことって、どんなことだよ?」


 俺は反射的に質問を返していた。

 一方、瑠璃は無言で、俺が座っているソファーに近づいてくる。


「おかしなこと、っていうのはね……。たとえば、誰かから手紙を貰ったりだとか、変な人と会ったりしたとか……」


 思わず冷や汗をかく。

 な、なんで瑠璃はそのことを知っているんだ!?

 まさか、どこかで見ていたのか!?

 それとも牧本が瑠璃に……!?

 

 俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。 

 瑠璃はもう目の前まで迫ってきている。

 俺は初めて瑠璃に対して、恐怖に近い感情を抱いてしまった。


「な、何もねぇよ」

「ホントに?」

「あ、ああ! 本当だ!」

「……」


 瑠璃は俺をゆっくりと優しく押し倒す。

 瑠璃の瞳には、はっきりと俺の姿が映っている。

 それがわかるほど瑠璃との距離は近かったのだ。

 だけど、俺は蛇ににらまれた蛙のように動けなかった。


「……そ、ならいいわ」


 そんな状態がしばらく続いた。

 しかし、瑠璃は突然、パッと俺から離れたのである。


「お、おどかすなよ! びっくりしただろ!」

「ごめんなさい」

「お前ちょっとおかしいぞ。……ひょっとして、何かあったのか?」

「なんでもないわ。私は先に行くわね……」

「お、おう……」


 瑠璃は二階の部屋まで荷物を取りに行く。

 ようやく解放され、俺はそのままソファーにだらしなく寝そべった。

 すぐに階段を下りる音が聞こえてくる。

 そして、リビングの扉が開き、瑠璃が顔を出してきた。


「璃央、何かあったら私に必ず相談するのよ」

「ああ、わかったよ。約束する」

「それじゃ、行ってくるわね」

「い、行ってらっしゃい……」


 なぜ瑠璃は、あんなに怖い顔をしていたのだろうか?

 俺にはその理由がわからない。

 今日は学校を休みたい気分だ。







 教室に着いたとき、瑠璃と目が合った。

 瑠璃は先ほど家で見せた怖い顔ではなく、今度は不気味なほど明るい笑顔を作っていた。

 俺は思わず視線を反らしてしまう。

 今度はやけに上機嫌だったな。

 こうして、瑠璃と女子生徒のことで、一日中葛藤する羽目になったのである。


 そのせいか、今日の授業はいつも以上に身が入らなかった。

 授業に集中できないのはいつものことだ。

 けれども、身が入らなかったのは授業だけじゃなかった。

 今日の出来事は、葛藤のせいで何一つ頭に入ってこなかったのである。


 牧本すまない。

 今日は全力を尽くすことができなかった。


 そして、気がついたら、あっという間に放課後になってしまっていたのである。

 朝の件のことを考慮して、瑠璃には手紙のことを内緒にしておくと改めて決心した。


 それから、俺は瑠璃と米原が一緒に帰るのを、隠れながら見送る。

 今日は鈴音も一緒のようだ。

 あの三人は最近よく一緒に帰っているな。

 それに教室では、そこに牧本を加えて、四人で話しているのを頻繁に見かける。

 瑠璃はその三人といるとよく笑っていた。


 友達と仲が良いのはいいことだ。

 みんなと楽しそうに喋ったり、笑っている瑠璃を見ると、不思議と温かい気持ちになる。

 あの三人には瑠璃とこれからも良い関係を保ってほしいものだ。


 俺は瑠璃たちが見えなくなるまで、その場に待機し続けた。

 瑠璃たちが校門から出るのを、しっかりと確認したあと、屋上へと向かう。

 これで瑠璃の邪魔が入ることはない。


 俺は屋上へと続く階段を、急いで駆け上がった。

 緊張しているせいなのか、喉がカラカラになり、手汗が滲んでくる。

 そして、ついに屋上の扉の前まで来た。

 ゆっくりと扉を開けて、屋上に出る。


 屋上には爽やかな風が吹いており、気持ちがいい。

 夕暮れどきで、空は綺麗な赤色に染まっている。

 そんな中、屋上の端のほうで、景色を眺めている背の低い女子生徒を見つけた。

 女子生徒の黒くて長い髪の毛が、風でなびいている。

 彼女は俺の気配を察したのか、景色を眺めるのをやめ、こちらを見た。


 俺は話ができる距離まで、女子生徒に近づいていく。

 彼女はこちらを見てじっとしている。

 彼女も緊張しているのだろうか。


 互いの距離が二、三メートルほどになったとき、俺は近づくのをやめた。

 この距離なら、風で声がかき消されることもない。

 あとは声をかけるだけだ。

 まあ、ここは年長者の俺から声をかけるのが筋だろう。

 すると、俺より先に彼女が口を開いた。


「こんにちは、羽ヶ崎璃央さん。急に呼び出してしまってすみません。私のために貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。私は一年の南條なんじょう千歳ちとせと言います。璃央さんは、私の名字を聞いて、何かお気づきになりましたか?」


 この子は南條千歳というのか……。

 しかし、南條と聞いても、俺は特に何も感じなかった。

 というか、初めて聞く名前だしな。

 この雰囲気だと、告白という感じではない気がしてきた。


「悪いが、俺は君について何も知らない。南條という名字も、今日初めて聞いたんだ」

「そ、そう……です……か」


 彼女は少し落ち込んでしまったようだ。

 もしかすると、俺が記憶を失う前、この子に何かしてしまったのではないだろうか?

 それだとまずい。

 とりあえず、謝罪をしなければ……。


「俺は中学のときに事故に遭って、事故以前の記憶を失っているんだよ。もし過去の俺が、君に何か迷惑をかけていたのなら謝罪するよ。……ごめん」


 俺の発言を聴いた南條は、ぽかんと口を開けていた。

 次の瞬間、南條の目から涙がポロポロとこぼれだし、泣き始めてしまったのだ。


「そんな……璃央さんは……何も悪くないん……ですよぉ……」

「お、おい……大丈夫か?」


 この状況を第三者が見たら、俺が何か悪さをして、南條を泣かせているようにしか見えない。

 ドキドキしながら、辺りを見回したが、幸い誰もいなかった。


「こ、これを受け取ってください……」


 南條は震えながら、長形封筒を渡してきた。

 俺は封筒を受け取り、その場で中身を確認する。

 中に入っていたものは、なんとお金だった。

 しかも、数えてみると一万円札が十枚も入っている。

 じゅ、十万円だと!?

 なんでこの子はこんな大金を!?


「な、なんで金なんだ!? しかも、こんなには貰えるかよ! これは返すぞ!」


 これじゃあ、俺がカツアゲしてるみたいじゃないか。

 この子は本当に何がしたいんだ。


「いいえ! 貰ってください! 今はこれだけしか払えませんが、私が働けるようになったら、もっとお渡ししますから!」

「いいや、貰えない! というか、お前はさっきから何の話をしてるんだ!? こうなった理由を話せよ!」


 俺は封筒を南條に返そうと腕を前に出した。

 しかし、南條は手を突っぱねて、俺の腕を拒否してくる。

 最終的に、俺と南條は組み合うような形となり、封筒の攻防戦になった。


 この態勢はまずい。

 傍から見ると、俺が南條を襲っているように見える。

 これじゃ、俺は犯罪者だ。 

 しばらくこの状態が続いたが、俺は根負けして、とりあえず封筒を預かることにした。

 南條も封筒を渡せたのが嬉しかったのか、泣き止んでいる。


「なあ、南條。この大金を俺に渡す理由をそろそろ教えてくれ。俺は本当に何も覚えていないんだ」

「そ、それはですね……」


 南條は伏し目がちになりながら、言葉を選んでいる。

 その様子を見るに、俺にとってあまりよくない話だと直感的に理解した。


「私には兄がいて、名前をあつしと言います」

南條なんじょう……あつし……?」


 その言葉を聴いた瞬間、胸に何かが刺さるような感じがして、自然と自分の胸に手を置いていた。

 だが、俺は『南條敦』という人物は知らない。

 知らないはずなのに、なぜか心に引っかかるような感じがする。


「あの……。大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ。続けてくれ」

「それで、その……璃央さんは中学一年生のときに、私の兄からいじめを受けていたんです」

「いじめられていた? 俺がか?」


 それは初耳だな。

 瑠璃とじいちゃんは、今までそんなことを話してくれたことはなかった。

 いや、たぶん俺のことを心配して、あえて話さなかったのだろう。

 俺も同じ立場ならそうするはずだ。

 

 それに、過去のことなんて、今さらどうでもいい。

 今の俺には関係のないことだ。

 南條、いや、千歳には俺のことなんかで悩んで、苦しんでほしくはない。

 千歳にはちゃんと言っておかないといけないな。

 お前が謝る必要なんてない、ってことを。


「それで私は兄の……その……」

「ああ、わかった。千歳、ありがとな」

「……え? 」

「千歳は兄の犯した行為の罪滅ぼしのために、俺にこんな大金をくれたんだろ? しかも、兄の代わりに謝罪までしてくれた。これはとても勇気がいる行為だ。そこまでするなんて、お前はすごいよ。だけど、そんなに心配しなくても大丈夫だ。俺はいじめについて、今は何とも思っていないよ」

「で、でも――」

「確かに敦には罪があるかもしれない。けれども、千歳が変な十字架を背負う必要はないんだ。気を遣ってくれて、ありがとな」

「お、お礼なんて……。悪いのはこちらなのに……」


 千歳はまた泣きそうになっている。

 妹をこんなに泣かせる敦ってやつはひどい兄だな。

 俺が説教でもしてやろうか。

 いや、そんなことをする必要もないか。

 俺とはもう関係ないわけだし、関わらないほうがいいこともある。


「話はこれで終わりか?」

「は、はい。すみませんでした……」

「だから、なんでお前が謝るんだよ……。俺は過去なんて忘れて今を生きてるんだ。お前も俺のことで、気に病む必要なんてないんだぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 俺は金の入った封筒を千歳に返そうとした。

 しかし、千歳はうつむいたまま動かない。


「おい、どうし――」

「じ、実は、璃央さんが記憶を失った原因も、いじめが関係しているかもしれないんです。なので、封筒はそのまま受け取ってください」

「え? それはどういうことだよ?」


 今から三年前、あるコンビニに突然車が突っ込んだ。

 当時中学生だった俺は、運悪くそれに巻き込まれて、重傷を負い記憶喪失になった。

 瑠璃とじいちゃんからはそう聞かされている。

 事故といじめは、何の関係もないはずだ。


「り、璃央さんが――」

「そこまでよ」


 誰かの声に千歳の言葉が遮られた。

 この声には聞き覚えがある。

 俺は嫌な汗をかきながら、声のするほうへ振り返る。


「璃央、何かあったら私に必ず相談して、って言ったわよね?」


 なんと、そこには瑠璃が腕を組んで立っていたのだ。

 しかも、瑠璃の表情は朝のときと酷似している。


「る、瑠璃、どうしてここにいるんだ? お、お前は米原たちと一緒に帰ったはずだろ?」

「璃央、あなたが隠れて私を見送っていたのは気づいていたわ」

「そ、そんなわけがない。できるだけ遠く離れて、バレないようにしていたはずだ……」

「あなたは私に気をとられすぎていたのよ。自分も誰かに見られている、とは思わなかったの?」

「だ、誰か……?」


 瑠璃たちは間違いなく三人一緒に帰ってたはずだ。

 ……待てよ、三人?

 そうか一人足りない!


 もしかしたら、牧本が俺を見張っていて、瑠璃に連絡をしていたのかもしれない。

 牧本は部活中でいないだろう、と勝手に思い込んでいたのが仇となったようだ。

 牧本、俺たちは仲間じゃなかったのかよ。


「だいたい察したようね。でも、あの子を責めないであげて。これは全部、私が計画したことだから。……そろそろ本題に入りましょうか。南條さん、あなたはここ最近、璃央の靴箱に手紙を入れていたわね?」

「な、なんでそのことを?」

「私は偶然見てしまったのよ。あなたが手紙を璃央の靴箱に入れているところをね。まあ、その手紙は私が破り捨てたんだけど。でも、あなたは何度も手紙を入れ続けた。だけど、残念ね。その手紙も全部私が処分したわ」

「な、なんでそんなことをしたんですか!? 私はただ璃央さんに謝罪をしようとしただけなのに!」


 最近俺より早く登校していた理由は、手紙が俺に渡らないようにするためだったのか!

 ……だけど、なぜそんなことをしたんだ?


「璃央も、なんでそんなことをしたのか、って顔をしてるわね?」


 どうやら思っていたことが、顔に出ていたらしい。

 俺はやはり顔に出やすいのだろうか。

 そういえば、この前も俺の気持ちを言い当てていたな。

 きっと、今朝も嘘をついてるのがバレバレだったに違いない。


「私はね、璃央に過去を知ってほしくなかったの! 璃央が苦しむ姿を見たくなかったのよ! 南條さん、本当は謝罪をするつもりじゃなかったんでしょう? ただ単に全部話して、すっきりしたかっただけよね?」

「瑠璃、それは違うぞ! 千歳は――」

「璃央は黙ってて!」


 瑠璃は何かに取り憑かれたようにまくし立てる。

 その勢いに千歳は震え、泣きそうになっていた。

 いつもの優しい瑠璃はここにはいない。

 しかし、瑠璃はむやみに他人を傷つける人間ではないのだ。

 なので、この状況の異常さに、思わず恐怖を感じてしまう。

 瑠璃はいったいどうして、こんな状態になってしまったのだろうか。


「璃央が赦しても、私はあなたの兄の行いを赦さない! あなたの兄の罪はこれからもずっと残り続けるのよ! その妹であるあなたも同罪よ! あなたは璃央に会うたびに、謝罪をしなければいけないのよ!」


 瑠璃は千歳に迫り、怒りの言葉をぶつける。

 その直後、瑠璃の動きがピタリと止まる。

 そして、瑠璃は小さく「ごめんなさい」と言ったあと、俺のほうへと振り返る。


 瑠璃は冷静さを取り戻したようで、表情も先ほどよりも穏やかになっていた。

 瑠璃はそのままこちらに向かってきて、俺の腕を掴む。

 それから、強引に腕を引っ張って、俺たちは屋上をあとにした。


 そのとき、一瞬だけ千歳の姿が視界に入る。

 あのときの千歳の姿を、今でも忘れられない。

 なぜなら、千歳は茫然としながら、ひどく身体を震わせ泣き崩れていたのだから。







 帰宅後、瑠璃はすぐに自分の部屋に行ってしまった。

 その直後、携帯が鳴ったので確認してみると、じいちゃんから『今日は外泊してくる』という連絡がきていたのだ。

 あんな状態の瑠璃と二人きりだと……?

 俺は憂うつになりそうだった。

 しかも、結局お金の入った封筒も、千歳に返せずに、そのまま持ち帰ってきてしまったのだ。

 

 ……どうするんだよ、これ。







 現在の時刻は午後九時。

 俺はベッドの上で寝転がって、天井をただただ見つめていた。

 先ほどの豹変した瑠璃の姿と千歳の泣き顔を思い出し、いろいろと考えごとをしていたのである。

 そのとき、部屋の扉をノックされた音がした。

 じいちゃんはいないはずだから、扉の向こうにいるのは間違いなく瑠璃だ。

 正直、今の瑠璃には会いたくなかったが、俺は勇気を出して扉を開ける。


「璃央……。さっきはごめんなさい。ご飯はどうする?」


 扉を開けると、目を赤く腫らした瑠璃が立っていた。

 どうやら、少しは落ち着いたようだな。


「……少し小腹が減ったかな」

「私も少し空いてるわ……。サンドイッチでいいならすぐに作れるけど、食べる?」

「それじゃ、お願いしようかな。何か手伝うことはあるか?」

「大丈夫よ、ありがと。じゃあ、作ってくるわね。完成したら、璃央の部屋まで持ってくるから」

「わかった」


 とりあえず、瑠璃が正気に戻っていて安心した。

 ここは大人しく待つとするか。


「璃央、できたわよ」

「おう、今開ける」


 数分後、再び扉をノックする音が聞こえた。

 俺は扉をゆっくりと開ける。

 そこには、トレーを持った瑠璃がいた。

 トレーにはおいしそうなサンドイッチの乗った皿と麦茶が入ったコップが乗っている。

 

「ありがとな」

「ねぇ、璃央。よかったら、一緒に食べない?」

「あ、ああ……。別にいいけど」


 俺は瑠璃と一緒に、サンドイッチを食べることになってしまった。

 瑠璃はすでにベッドに腰かけていて、隣に座れといわんばかりの目つきでこちらを見ている。

 俺は潔く諦めて、瑠璃の隣でサンドイッチを食べることにした。


「……」

「……」


 俺たちは無言でサンドイッチを黙々と食べていた。

 こんなに気まずいと思ったのは、記憶喪失になって最初に瑠璃と対面したとき以来だ。

 あのときは何も覚えてなかったゆえの気まずさだったが、今はいろいろ知ったあとの気まずさだ。

 あのときとは、緊張の度合いがまったく違う。


 そんなことを考えていたら、サンドイッチはあっという間になくなってしまった。

 俺は緊張でカラカラになった喉を麦茶で潤す。

 瑠璃も俺と同様に緊張していたのか、麦茶を一気に飲み干していた。


「……」

「……」


 まだまだ沈黙が続く。

 俺が何か言おうとした瞬間、いきなり瑠璃が俺の手を力強く握ってきた。


「る、瑠璃? ど、どうかしたのか?」

「璃央、ごめんなさい。私のあんな態度を見て幻滅したでしょう? 本当はあんなことを言うつもりじゃなかったの。だけど、感情が高まって抑えきれず、あんなことを言ってしまったのよ。あの子には本当に悪いことをしてしまったわ。でも、これだけは信じて。私は璃央のことを本当に大切に想ってただけなの」


 瑠璃はうつむいていて、どんな表情をしているかわからない。

 だが、泣きそうな声で話している。

 とりあえず、俺は空いている手で瑠璃の頭をそっと撫でた。

 瑠璃は一瞬ビクッと反応したが、そのまま大人しくしている。


「……それはわかってるよ、瑠璃。お前が俺のことを大切な家族だと想っているのは知ってる。だけど、千歳にはちょっと言い過ぎたな。彼女にも彼女なりの事情があったはずだ。悪いと思ってるのなら、明日彼女に謝罪をしに行こう。俺も一緒に謝るから……」

「璃央……。ありがと……」


 瑠璃をこれ以上追い詰めないように、なるべく言葉を選んで諭した。

 俺の言葉を聴いた瑠璃は、そのまましばらく無言になる。


「……璃央。き、記憶は戻ったりしたの?」


 そのまま十分ほど経ったあと、瑠璃が突然質問をしてきた。

 なぜか若干声が震えている。


「記憶? そんなの戻ってないぞ」

「そ、そう……。り、璃央は記憶が戻ったほうがいいと思ってる?」

「いや、俺は別に過去の記憶は知りたくもないな。だって、過去にはつらいことがあったんだろ? 楽しい記憶ならともかく、つらい記憶を思い出したいなんて思わないぞ。俺には今が大事なんだよ」

「……うん。璃央の言うとおりよね」


 瑠璃は掴んでいた俺の手を離す。

 それから、ベッドから立ち上がった。


「それじゃあ、私はもう寝るわね」

「ああ」

「久しぶりに一緒に寝る?」

「何言ってんだ。俺は子どもじゃないんだぞ」

「冗談よ、冗談。おやすみなさい」

「おやすみ」


 瑠璃はいつもの調子に戻り、自分の部屋に戻っていく。

 ひとまず、瑠璃が大丈夫そうで安心した。

 しかし、問題はまだ残っている。


 明日千歳に謝らないといけないな……。

 俺は最初、千歳にどう謝ればいいか考えていた。

 だが、まぶたがだんだんと重くなってくる。

 緊張が解けて気が緩んだせいか、急激に襲ってくる睡魔には耐えられなかった。


 今日はもう考えごとをするのは難しいだろうな。

 明日のことは明日の俺に任せるとしよう。

 俺はそう判断し、ベッドに横になる。


 寝ているとき、千歳の兄である『南條敦』のことがふと頭によぎった。

 そのせいで、胸が少しだけ締めつけられる。

 そんな中、俺は寝ることだけに意識を集中させ、あまり気にしないよう努めたのだった。

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